27.盗人の昼寝
前回より登場したIRSの三人に、少し焦点を当ててみました。
IRSこと涼香、みこと、出雲の三人に加え、ゲスト的な立ち位置として零、杏里、修が登場します。
あと、他キャラも名前のみ。
某高校、空き教室にて。
週に一度行われる委員会を控え、風紀委員に所属するそれぞれのクラスの生徒たちが、どこか面倒くさそうな足取りで次々と教室へ入ってくる。
委員会が始まるまではまだ少し時間があるので、教室内はまるで普段勉強するクラス内のようにざわついていた。
「今井先輩」
そんな中、教卓で生徒会に提出するための資料を再度確認していた風紀委員長・今井零のもとにやって来たのは、同じく風紀委員である下級生・藤山涼香だった。
「やぁ」
「お疲れ様です」
冷ややかな表情とどこか突き放すような雰囲気は、姉である生徒会副会長の暖香とよく似ている。だからこそ、だろうか。零は涼香のことをそれなりに気に入っており、よく仕事の手伝いを頼んでいる。
この日も零は涼香に用事を頼むべく、自分のところへ呼びつけていた。
「呼び立てて悪かったね」
「いいえ」
冷酷な言動に、瞬間、僅かな熱がこもる。す、と視線を逸らした涼香は、聞き取れるか否かの小さな声で呟いた。
「先輩の、ためですから」
「ん?」
どうやら零はその言葉も、彼女の変化にも、気付いていないらしい。「どうしたんだい?」と首を傾げた零に、涼香は慌てて「なんでもありません」と付け加えた。
「そうかい」
零はさして興味なさそうに言うと、そのまま教室を出ていこうとする。
「どこへ行かれるんです?」
「あぁ」
涼香が引き止めるべく紡いだ言葉に、零は持っていた紙をひらり、と一振りした。
「これを、生徒会室へ持っていこうと思ってね」
ぴくり、と涼香の形の良い眉が動く。冷たい声が、ぴしゃりと零へ容赦なくぶつけられた。
「もう委員会始まりますよ」
「うん」
特に気にした様子もなく、零は笑みを浮かべる。この表情になった時の、彼の思惑を知っている涼香は、さらに不機嫌そうに眉をしかめた。
「俺の代わりに進めといて」
やっぱり、と涼香は内心で溜息を吐く。
近頃零は、何かと理由をつけて委員会を抜け出し、生徒会室へ向かうことが多くなった。もともと不在がちではあるけれど、ここ数ヶ月はことさら頻繁に席を空けることが多いのだった。
その理由を知っているからこそ、涼香は面白くなかった。
今まさに彼の心を占めているのであろう少女――それも姉の友人なのだから、ことさら腹立たしい――の姿を脳内で思い描き、チッ、と人知れず舌打ちをする。
「私が行きますよ」
「いや」
何が面白いのか、結構だよ、と呟いて零はニヤリと笑う。
「後は任せるよ。……頼めるね? 涼香」
甘ったるい響きを伴ったそれに、ぞくり、と涼香の背筋が震えた。そんな彼女の隙をついて、零は教室を出ていく。
委員長が姿を消した後のドアを恨めし気に見つめ、涼香は悔しそうに唇を噛んだ。普段は色白であるはずの頬が、ほんのりと赤い。
「……ずるい」
熱っぽい声で、小さく呟いた。
「涼香女史? どうされましたか」
前の席に座っていた生徒に尋ねられ、涼香はハッと我に返る。コホン、と誤魔化すように小さく咳払いをし、「何でもありません」ときっぱり告げた。
「さ、委員会を始めますよ」
委員長が不在であることにもはや慣れてしまった委員会の面々は、彼女のしっかりした言葉に従い、それ以上詮索することもなく席に着いた。
――三十分後。
「では、今日はこれで終わります」
「「「はい」」」
進行役であった涼香の凛とした声を合図とし、いつもよりどことなく忙しげに委員会は終わった。委員たちはこれ幸いとばかりに、それぞれ部活や帰宅に向け、準備を整えだす。
自らも荷物をまとめながら、涼香は表情にこそ出さないものの、内心気が気でなかった。落ち着きなく何度もドアをちらちらと見やっては、苛立たしげに溜息を吐く。
「(……零先輩、戻ってこられないわね)」
思わず書類を取り落としそうになり、涼香は慌てて我に返った。
「涼ちゃん」
おずおずと、声が掛けられる。ひととおり書類に目を通していた涼香が顔を上げると、ふわりとした明るい髪が特徴的な、背の高い女子生徒――否、男子生徒が、困り顔で涼香を覗きこんでいた。
「……みこと」
同じく風紀委員である彼――どこからどう見ても女子なのだが、戸籍上は男である――校倉みことは顔を上げると、先ほどまで涼香がちらちら見やっていたドアの方向へ顔を向けた。
「零先輩、また生徒会室にいるんだねぇ」
相も変わらず、鈴奈さん大好きなんだから。
呆れたように紡がれた、今一番考えたくなかったはずのことに、涼香はますます不機嫌そうな顔になる。
「……出雲は?」
低く押し殺したような声で、みことに問う。「あぁ」とうなずいたみことは、ふわふわと柔らかな笑みを浮かべた。
「休憩時間になったら、偵察に行くように言ってあるよ。もうすぐ、こっちに報告にくるんじゃないかな」
みことがそう言い切るか言い切らないかのところ、ちょうど良いタイミングでガラリとドアが開いた。涼香とみことが反射的に振り向くと、零と酷似した――しかし全くの別人である、体操服を着た男子生徒が汗を拭いながら入ってくる。
「やぁ、遅くなった」
先ほど二人の間で話題に上った、零と似た風貌の男子生徒こと小山内出雲は、二人の姿を認めるや否や、切れ長の目を細めて言った。
「零先輩は、先ほど生徒会室を出たよ。これから、部活に向かうらしい」
「そうですか」
ふ、と涼香が息を吐いた。
「御苦労さま」
「じゃあ俺も、そろそろ戻ることにするよ」
零と同じサッカー部である出雲は、ぺこりと一礼して教室を出ていく。その想い人と似て非なる姿を、涼香は無表情で見送った。
「今日は、短かったね」
みことが思ったままのことを言うと、涼香はどこかホッとしたように――けれどまだ油断ならないとでも言いたげに、強気な光を瞳に宿した。
「……みこと」
「はい」
静かに返事をしたみことに、涼香は淡々と告げた。
「今日は解散です。しかし、以後も常に零先輩の動向から、目を離すことのないよう、しっかりと……お願いいたしますよ」
我ら誇り高きIRS――今井零親衛隊の、名にかけて。
「ラジャ」
みことが改まって敬礼する。自らも軽く敬礼を返した涼香の、ひやりとした陶器のような顔に、僅かな笑みが浮かんだ。
◆◆◆
「みこちゃんはさぁ、今井くんのこと好きなの?」
みことと一緒に帰る道すがら、早川杏里はずっと前から――みことがIRSとして、杏里たち生徒会の前に現れた時から、気になって仕方のなかったことをみことに聞いてみた。
「まさかぁ」
存外あっけらかんと、みことは答える。
「ボクは男だよ?」
あ、そうだった……と、杏里は苦虫をかみつぶしたような顔になる。
家が近く、杏里の家で開かれている料理教室の生徒でもあるみことのことは、わりと昔から知っていた。けれど物心ついた時から女の子の格好をしていた彼のことを、杏里はほぼ女の子だと思っている。だからこそ、たまにその事実を忘れてしまうのだった。
ごめんね、と杏里が謝る前に、みことはヘラリ、と笑う。
「ホントはね、ボクもこんなことはしたくないんだ」
「こんなことって? 女装?」
「違うよ」
杏ちゃんから切り出してきたんだから、話の流れで分かってよ。
そう言って笑うみことに、杏里は首を傾げ……少しして、ようやく自分が何故そのような問いをみことに対してぶつけたのか、思い出した。
こくり、とうなずいた杏里の頭を軽く撫で、みことは笑顔のまま続けた。
「生徒会には、杏ちゃんがいるし……涼ちゃんだって、仲のいいお姉さんがいる生徒会を、敵視なんてしたくないと思う。ホントはね」
けど、仕方ないんだ。
切なげに眉を下げるみことに、杏里もしょんぼりとうなだれた。
「そんなに、鈴奈が嫌いなんだね」
杏里にとって鈴奈は、生徒会長である以前に、多くの時を共に過ごした大切な友人だ。そんな彼女がどんな理由であれ誰かから嫌われているという事実に、杏里は胸を痛めていた。
「……嫌い、というか」
憎まざるをえないんだよ、とみことは言う。その意味が分からなくて、杏里はこてり、と首を傾げた。
「中村会長のことも、嫌いたくない。あの器量じゃなきゃできないことも、たくさんあるだろうし……ホントはね、尊敬してるんだよ」
「ホントに?」
「うん」
もう一度、みことは杏里の頭を撫でる。
幼馴染のような存在である彼は、杏里より一つ年下なのだが、それでも彼にこうしてもらうのは嫌ではない。むしろ、安心するくらいだ。
表情を和らげた杏里に、安心したのかみことも柔らかな笑みを向けた。
「今は、話せないけど……いつか、杏ちゃんには教えてあげる」
IRSという組織が、何故作られたのか。
実質的なリーダーである涼香が、何を考えて行動しているのか。
そして……自分と出雲が、何故彼女に付き従っているのか。
「だから、待ってて」
「……分かった」
決意を秘めたような表情でうなずいた杏里の頭を、みことはもう一度そっと撫でる。
今自分がいるこの立ち位置は、ずいぶん不安定だけど……でも、この純真な幼馴染のことだけは、決して裏切りたくない。
普段からリーダーとして慕い、付き従う少女の姿を思い浮かべながら、みことは『ごめんね』と声を出さずに呟いた。
◆◆◆
「そろそろ、IRSを取材させてもらいたいところだね?」
クラスの日直だったらしく、自分の席で日誌を書いていた新聞部部長こと大束修は、教室に入ってきた人物の顔を見ることもなく、いきなりそんな言葉をぶつけた。
「キミたちと生徒会の抗争(?)については、ボクだけじゃなくて友哉くんも興味があるようなんだよ。……何とかならないかね、小山内」
「俺自身は、歓迎だけど」
躊躇することなく、その人物――修のクラスメイトである出雲が、自分の席で着替えながら笑みを浮かべる。
「うちのリーダーが何と言うか」
「そこだねぇ」
ふぅ、と修は悩ましげに溜息を吐いた。日誌を書く手を止め、頬杖を突きながら物思いにふけるように、ぼんやりと天井を見上げる。
「考えてもみてくれよ」
着替え終わったらしい出雲が、修の前の席に座る。修は至極面白くなさそうに視線を下ろし、彼の方を見た。
「IRSと新聞部は、共に生徒会を追っている。いわば、ライバルのようなものじゃないか。そうだろう?」
「しかし、そもそも根本的なところが違うじゃないか」
新聞部は、純粋な興味として生徒会全般を追っている。IRSは、今井零の親衛という目的の延長線上にいる生徒会を……中村鈴奈を、追っている。
「二組織の活動内容には、何ら被る要素がない」
「まぁ、確かに」
言われてみればそうだね、と感心したように出雲が呟く。目の前に座るクラスメイトを一瞥した修は、シャーペン持ち直し、再び日誌に向き直った。
「検討してみるよ」
「うむ」
カリカリ、と手を動かしながら、「しかし」と修が再び口を開く。出雲が先を促すと、クスクス、と修は控えめに笑った。
「いや、本当はね。IRSでなくともいいんだ」
「どういうことだい」
突如流れる不穏な空気に、出雲が顔をしかめる。そんな彼に構うことなく、修は笑いながら続けた。
「検証させてもらってもいいんだよ。君の、ホm――」
「コホン!!」
修の言葉を遮り、出雲は咳払いをした。
「だから、どうしてそんな話が出てくるんだ!」
俺はノーマルだ! と叫ぶ出雲を、日誌を書き終えたらしい修はペンを置き、にやにやと笑いながら見つめた。
「だって、男なのにIRSなんていうファンクラブじみた団体の中にいるし」
「それは、みことだってそうだろう!?」
「校倉くんは別格だよ。アレもアレで、また実に興味深くはあるが」
フッ、と鼻で笑って、修は続ける。
「それにキミ。運動はからきしのくせに、サッカー部にいるし」
「運動神経とか関係なく、純粋にサッカーが好きなだけだ! だいいち、先輩と会う前から……中学時代から、俺はサッカー部なんだぞ」
「髪形から喋り方、持ち物や制服の着こなし方まで、いちいち今井先輩を踏襲しているようなところがあるし」
「そ、それは……」
「ほら、言い淀んだ。やっぱりホm――」
「だーかーらー! 違うって言ってるだろ!!」
「違うなら違うと、はっきりした証拠を見せてほしいね。IRSという組織の中で、キミがあのお局様の言いなりになっている理由も、きっちり教えてもらいたいところだよ」
「涼香をお局様呼ばわりするんじゃない! というか別に、俺は言いなりになっているわけじゃ……」
「ふぅん。じゃあ、次の新聞に書くよ? 案外ボクたち新聞部の拡散力はすごいんだからね。たちまち、キミが本当のホm――」
「いい加減にしろ、このガンタレゴシップ記者!!」




