25.窮すれば通ず
今回は今井零が、いよいよあの場所へ殴り込み!困惑する当人たちに、不敵に笑った彼が提案したこととは――……?
みたいなお話です。
最後、鈴奈がちょっと出てきます。
某高校二階の奥にひっそりと位置する、新聞部部室。その中心部で四人掛けのテーブルを囲み、二人の男子生徒が何やらノートを開いたまま唸っていた。
「さて、次の記事はどうしようかね」
眉間に皺を寄せながら、新聞部部長――大束修が黒縁眼鏡をくいっ、と上げる。それに答えるように、向かいに座った新聞副部長――水無瀬友哉も重々しくうなずいた。
「ここ最近は、目立った事件も起こってないしなぁ」
二人して腕を組み、うーん……と考え込む。どうやら、次の記事を書くのに必要なネタが見つからないらしい。
彼らは主に生徒会のニュースを取り上げているのだが、ここ最近は友哉の言う通りそれほどの騒ぎが起きていない。生徒会が問題を起こさず大人しくしていれば、学校の方は――多少盛り上がりに欠けるとしても――非常に安定した日常が過ごせて助かるはずなのだが、新聞部としては生徒会に何か話題を提供してくれないとこうしたネタ切れが起こってしまうのだ。
「さて、どうしたものかねぇ」
「うーん……久しぶりに、生徒会以外のネタ載せる? 一応、ネタになりそうな情報はいくつか入手しているんだけど」
「ふむ。まぁ不本意だが、致し方ないか……たまには、生徒会以外の話題を取り上げるのも、新鮮でいいだろう」
修の言葉にうなずき、友哉が気を取り直して愛用の手帳を開いた、ちょうどその時。
――ガラッ。
「その必要はないよ、諸君」
いきなり教室のドアが開いたかと思うと、この学校の生徒会長のものとよく似た尊大な声とともに、一人の男子生徒が現れた。いっせいにそちらを見た二人は、それぞれ先ほど取っていた姿勢のまま固まる。
驚きのあまりだらしなく開かれた二人の口から、言葉が漏れた。
「あなたは、風紀委員長で」
「サッカー部主将の」
「「今井先輩……?」」
どうしてここに、と言わんばかりの呆然ぶりに、男子生徒――今井零は、ニヤリと笑みを浮かべる。
「俺のことを御存じとは、嬉しいね」
御存じも何も、と二人は目配せしながらほぼ同時に思う。
風紀委員長兼サッカー部主将の今井零といえば、以前退職した元生徒会顧問・今井琴子の息子だ。またかなりの切れ者かつ変わり者であり、一癖も二癖もある生徒会の面々と対等に渡り合える数少ない人物としても注目を集めている。
しかも彼は、そんな生徒会の頂点に立つ少女・中村鈴奈の幼馴染だ。新聞部としても、一目置かずにはいられないだろう(記事として取り上げることが出来るか否かは別として)。
「とにかく今井先輩、どうしてここに……っていうか、何でボクたち新聞部を知っているんです」
この場所は、自分たち新聞部の存在を知らなければ決して立ち入ることのできない……というか、決して見つけられないはずの場所だ。そんな場所に、ごく普通に尋ねてくる彼は、一体どういうつもりなのだろう。
「何を隠そう俺は、君たち新聞部のファンでね」
目を丸くする二人に、零はあっけらかんと答えた。
「日頃楽しませてくれるお礼に、俺もぜひ協力させていただこうと思って」
「協力……?」
友哉の呟きに、「そうだよ」と零がうなずく。
「君たちにとっては、きっと悪い話じゃないと思うんだ」
そうして心の底から楽しそうな、満面の笑みを浮かべながら、まるでそれが新聞部に対する宣戦布告ででもあるかのように、しっかりとした口調でこう持ちかけてきたのだった。
「どうだい、諸君。この今井零に、取材依頼をしてみないか?」
◆◆◆
『鈴奈になら、遠慮する必要はないよ。いざという時には、俺が君たち新聞部を守ってあげるから』
零を毛嫌いする鈴奈の存在を気にし、申し出を渋る修と友哉に、零はあっさりと言い切った。普通なら、風紀委員会が生徒会に勝てるはずなどないと――もちろん口にも、態度にもそんなことは出さない――軽んじるところだが、その頂点に立つ鈴奈を日頃から論破しているだけあって、彼の言葉にはやけに説得力がある。
それに……ある意味鈴奈よりも私生活がベールに包まれていそうな、この今井零という人物について、深く追求してみたいという気持ちも、もちろん少なからずあったことは事実で。
この人から話を聞いてみたいという想いは、幸か不幸か二人とも見事なまでに一致していたのである。
結局、誘惑に負けた二人は、今井零に対する取材をその日のうちに決行することにしたのであった。
「――コホン。じゃあ、これから取材を始めます」
「答えられる範囲で構わないので、質問に答えて頂けますでしょうか」
「いいとも。何でも聞いておくれよ」
緊張気味に言葉を紡ぐ二人に、零はゆるりと余裕の笑みを浮かべながら襟を正した。パイプ椅子に腰かけ足を組む姿は、ある意味生徒会の面々よりも様になっているかもしれない。
以前、この新聞部の顧問であり生徒会の顧問でもある教師・霧島慧を取材した時より、二人は何倍も緊張していた。取材対象である目の前の生徒は、先輩とはいえそれほど自分たちと年も変わらないはずだし、自分たちに向かってゆったりと構え、余裕の笑みすら浮かべているというのに。
何故、これほどまでに威圧感を覚えるのだろうか。
「……あれ。どうしたのかな、二人とも?」
軽く首を傾げながら、零は余裕ありげににっこりと笑う。
――えぇい、こうなったらもうヤケだ。
修と友哉は、それぞれ自らの持っている愛用のカメラと手帳を手に、とうとう覚悟を決めた。
「その前に、まずは写真を何枚か」
「いいとも」
カメラを向けられても、尊大な態度を崩さない零。それどころか「ここはもう少しこうした方がいいだろうか」とか「こっち側から撮ってもらった方が、見栄えがよかろう」などと、妙に積極的である。
まぁ、そもそも相手の方から取材を持ちかけてきたのだから、協力的でなければむしろおかしいのだが。
修が被写体相手にカメラを向け、あれこれ模索しながら何枚も写真を撮り続けること数分。
「まぁ、こんなものかな……どうもありがとうございます」
「いいや。こんなの、まだまだ序の口だろう?」
散々写真を撮られたにもかかわらず、零は疲れた様子を一切見せないどころか、むしろ先ほどよりもわくわくしている様子だった。これには、二人も思わず唖然とする。
「さぁさぁ、今度こそ質問タイムに入るだろう?」
興味のあることに対して無邪気に――時に意地悪に――瞳を輝かせるところは、どことなく鈴奈に似ている。
何となくデジャヴを見ているような気持ちになって、修は複雑そうに眉をひそめた。
「……では」
コホン、と仕切り直しのように咳払いをして、友哉が口火を切る。
「まずは、あなたのお母さんである、今井琴子元先生に着いて質問です」
「母さんかい? ……まぁいいけど」
母親の話題を出された零が、一瞬だけ眉をひそめたような気がしたが、気にせず友哉は続ける。
「琴子先生は、あなたにとってどのような人物ですか」
「母親だよ。それ以上でも、それ以下でもない」
「教師としては、どうでしたか。生徒からの人気は……」
口ごもる友哉と、心配そうに彼をちらちらと見る修に、零は思わずといったように吹き出した。
「気にすることはないよ。あの人に人望がなかったのは、知っている。俺も、あの人のやり方はあまり好きではなかったしね」
「教師を……その、退職されたことに関して、どう思われますか」
「首になった、ときっぱり言ってくれて構わないのに」
気にした様子もなく、からからと零は明るく笑う。
「あぁなったのは、仕方ないことだよ。あの人の自業自得さ。一部ではあの人を教師の座から引きずりおろした生徒会のことを、俺が憎んでいるのではないか……なんて言われているようだけど、むしろ感謝しているくらいだよ。おかげで、あの人は変わってくれた」
「「変わった?」」
揃って首を傾げる二人に、零は満面の笑みでうなずいた。
「あの人は今ね、某スーパーマーケットでパートをやっているのさ。相当鍛えられたんだろうね……今では、見違えるほどになったよ。人の気持ちを考えず、ただ自分の意見を押し付けるだけだった、教師時代とは違う。どう行動すれば、相手が喜んでくれるか……そういうことを、彼女はよく考えてくれるようになった。正直言って、以前は母親のことを好きではなかったけど、今はそんなこともない。おかげさまで、我が家は平穏に包まれているよ」
「そう……ですか」
「それはよかったです」
あまりにあっけらかんとした態度に気圧された修と友哉は、揃って苦笑を浮かべる。
実は、なんとなく零にとって母親の話はタブーなのではないかという気がしていたから、彼が協力的なうちに質問を終えてしまおうと思っていた。最悪、答えてもらえないことも覚悟していたのだけれど、どうやらその心配も杞憂だったようだ。
「母についての質問は以上かな?」
「はい、ありがとうございました」
「次は、中村鈴奈生徒会長について、いくつか質問します」
本題は、ここにあった。新聞部の――ひいては生徒全員の、興味はこの部分にあると言っても過言ではない。
零は、面白そうに目を細めた。まるで、彼女についての質問が来るのは、既に予想済みだとでも言うように。
その視線に気圧されそうになりながらも、友哉は続ける。隣に座る修の方から、ごくり、と生唾を呑み込む音が聞こえた。
「今井先輩は、会長の幼馴染だと伺っていますが」
「あぁ、そうだね」
「ズバリ、お聞きします。今井先輩が生徒会に興味を持たれたのは、それが理由ですか?」
「なるほど……直球だね」
ふむ、と考えるようにして腕を組んだ零は、少し低めの声で答えた。
「結論からいえば、『違う』だね」
てっきり『そうだよ』と即答されるものだと思っていた修は、意外な答えに思わず目を見開く。一方、友哉は目にもとまらぬ速さで、サラサラと彼から発される答えを手帳に書き加えていった。
「まぁ、初めはそうだったかもしれないが…」
それぞれの反応に苦笑を浮かべつつ、零は組んでいた腕をゆっくりと時間をかけて解きながら、続きを口にした。
「あの子が学校を仕切る立場である生徒会の、しかも頂点に立つだなんて、信じられなかったからね」
ふ、と零は懐かしむように目を細める。幼き日の、自分と幼馴染の姿を思い出しているのだろうか。
「最初は、今みたいに生徒会へ介入する気はなかった。君たち新聞部みたいにひっそりと、陰ながら彼女らの活躍を観察していただけだったんだ。勘のいい鈴奈は、もちろん気付いていただろうけどね……まぁ、それは別にいいとするか」
柔らかな表情からも分かる、零の好意的な感情は、生徒会という組織全てに向けられたものか。それとも……。
「昔から感情表現に乏しかった鈴奈の、あんなに生き生きとした表情を見たのは、初めてだった。だから、彼女にそんな顔をさせるようなメンバー……藤山暖香嬢と早川杏里嬢のことを、俺はたいそう気に入った。近づきたいと思った。仲良くなりたいと、思った」
それはただ、純粋な興味だった。
「風紀委員長になったのも、サッカー部主将になったのも、はっきり言ってまったくの偶然だ。信じてもらえるかは分からないが、本当に謀ったわけじゃない。けれどこれで、あの生徒会と関わりを持つことができると思ったら……鈴奈を楽しませてくれる、あの二人とお近づきになれると思ったら、いても立ってもいられなくてね。多少強引かとは思ったが、接近してみたんだ」
案の定、鈴奈には怒られたけれどね。
ハハハッ、と心底可笑しそうに、零は笑い声を上げた。その顔にはもう、先ほどの優しさはない。
「そう、ですか」
これまで煙に巻かれていた鈴奈の、そして零自身の、本質が少しだけ見えた気がした。新しい発見に胸が打ち震えるのを感じながら、次は修の方から質問を投げかける。
「では、次の質問です」
「はいはい」
「昔の中村会長と、今の中村会長。変わったと思われるところと、逆に変わらないと思われるところを、教えてください」
「そうだねぇ……」
今度は人差し指を唇の辺りに当て、零はしばし考えこむ。そしてたっぷり十数秒ほど逡巡した後、やがて何かを思い出したかのように、ぱちんっ、と両手を打ち鳴らした。
「変わったというなら、さっきも言った通り、生徒会のメンバーが少なからず影響してるんじゃないかな。もとから好奇心旺盛な方ではあったけど、あんなに楽しそうな顔、昔はしてなかったから」
生徒会というコミュニティが、藤山暖香と早川杏里の二人が、鈴奈を少しは変えてくれたのかもしれないね。
「……昔の中村会長は、どういう方でしたか?」
零の答えを受け、メモを取りながら友哉が追うように質問を重ねる。そのことに嫌な顔一つせず、むしろ嬉々とした様子で零は答えた。
「諸君も知っての通り、あの子は天才だ。大人が何年もかかってようやく理解することを、鈴奈は幼い頃にだいたい理解してしまっていた。だから……まぁ、退屈そうだったね。いつも。『表情の変化に乏しかった』とさっき言ったけど、その理由ももう言わずもがな、だと思うよ」
中村鈴奈が、他の人間と一線を画す人物であることは、何となく知っていた。異常な観察眼といい、記憶力といい……普段はちゃらんぽらんと言い切っても差し支えないほどの怠け者だが、時折覗く隙のない完璧さは、冷静に考えてもやはりそうとしか思えない。
彼の言う通り、中村鈴奈は生まれながらの天才なのだ。
だからこそ彼女はあんなにも『怠け者』であり、『究極のめんどくさがり』なのかもしれない。
「けどまぁ、性格は昔と今じゃほとんど変わらないかな。俺との関係性も。あの子は確かに天才だけど、俺だけがいつだってあの子を論破できる。俺だけが、彼女を負かすことができたんだ。昔から、ずっと」
でも今は、暖香嬢と杏里嬢も、その立場上に当然のごとく存在しているのだけれどね。
不意に呟かれた一言に、修は反射的に尋ねる。
「……悔しいですか?」
あの二人が、彼女の傍にいることが。
ふ、と破顔した零は、きっぱりと言い切った。
「いいや」
彼女の世界が広がるのは、幼馴染としても嬉しいことさ。
クスクス、と笑い声を上げる零は、楽しそうだ。その形は少し歪んではいるものの、一応は幼馴染である鈴奈のことを大切に思っているようだ。
「鈴奈に関する質問は、これで以上かな?」
「……そう、ですね。とりあえずは」
これ以上踏み込んだら、本気で会長に怒られそうです。
正直に修が答えれば、零は心底愉快そうに声を上げて笑った。
「君たちを守ってあげるとは言ったけど、俺もこれ以上色々と言って、殴られるのは勘弁だなぁ」
名残惜しいけど、この辺にしておこうかね。
零の笑い声混じりの言葉で、鈴奈についての質問は打ち切られた。
「じゃあ次は、今井先輩自身について……少し、聞いてもいいでしょうか」
「構わないよ。俺なんかに、興味を持つ者がいるのかどうかも不明だが」
謙遜か、それとも本気でそう思っているのか。
いずれにせよ、零のそのあまりに飄々とした口調に、二人は引きつった笑みを浮かべるほかなかった。
何故なら、二人は知っていたからだ。この今井零のバックには、本人も気づいていない(と思われる)ほどにひっそりと、しかし確かな存在感を放ちながら暗躍している、とある『組織』が存在していることを。
――まぁ、本人の前でわざわざ口にすることではないだろうから、あえて黙っておくことにするが。
「じゃあ、いきますよ」
「なんなりと」
彼の言葉を皮切りに、修から次々発される個人的な質問。その全てに、零は相も変わらず飄々と答えていく。
そして、彼の口から発される言葉を一文字も取りこぼすことなく、友哉はサラサラと流れるようにメモを取っていく。
既に取材が始まって三十分近くが経過していたが、それからさらに十五分程度の時間を費やし、この日突然行われた今井零への取材は無事終了したのであった。
◆◆◆
翌朝。
『号外! 話題の人物・今井零に独占インタビュー敢行!!』
そんな見出しが躍る壁新聞を、生徒会長・中村鈴奈は仁王立ちで眺めていた。後ろを通り過ぎていく他の生徒たちになど見向きもせず、『裏話満載』などと煽られた記事の内容をゆっくりと読んでいく。
「ったく……」
その表情も、声も、どことなく不機嫌そうだった。
しかしそれは知らないところで自分がネタにされているということに対する怒りというより、気に入りのおもちゃを他人に――しかもよりによって、昔から打ち負かされてばかりいる、あの幼馴染に――横取りされたことが面白くないとでもいうような、少しばかり拗ねた表情に近い。
「おや、見てくれてるんだ。俺の記事」
不意に声を掛けられ、鈴奈は仏頂面で振り向いた。もとよりその前から、彼が後ろにいて自分を眺めていたのは分かっていたけれど。
溜息交じりに、いつもより少し低めの声で鈴奈は言った。
「……ずいぶんなことをしてくれたわね、零」
「悪いとは思っているさ」
露ほどもそんなことは思っていなさそうな、愉快そうな――鈴奈の嫌いな声と表情で、零は飄々と答えた。
「鈴奈のお気に入りである彼らが、どんな程度のものなのか知りたくてね。いやはや、予想通りなかなかに面白い連中だったよ。暖香嬢と杏里嬢もさることながら……大束修と、水無瀬友哉ね。うん、気に入った」
「やっぱり零も気に入った? いつも一人で楽しんでいたけど、こうして語れる仲間ができて何よりだわ……とはならないからね、残念ながら」
「知ってる」
むしろ鈴奈がそんなこと言ったら、気持ち悪いよ。
クスクスと可笑しそうに笑い声を上げる零を、鈴奈はやはり気に入らないというような表情で見ていた。
「まぁ、わたしが気に入っているんだから、あんたも気に入るだろうとは思っていたわよ。でも……」
「まぁ、いいじゃないか。俺たちは似たもの同士ってことで。ね、鈴ちゃん?」
「だから鈴ちゃんって呼ぶんじゃないわよこの変態委員長」
「変人生徒会長に言われたくないね」
「なんですって!」
そんな似たもの同士二人の他愛ない口喧嘩は、朝のチャイムが鳴る直前まで続けられたとかなんとか……。
――そしてそんな幼馴染たちの姿を、ちょうど廊下の死角にあたる壁側からひっそり覗き見している人物が三人、いたとかいなかったとか。




