20.袖すり合うも他生の縁
冬の一コマ的なお話。今回は久しぶりにほのぼの路線でいってみましたよ。
一応生徒会と新聞部メインですが、杏里と修しかほぼ出てきません。
「……早川先輩?」
「あ、やっほー」
年が明け、冬もいよいよ本番を迎えようとしている、そんなとある日曜日の午前中。
大粒の雪がちらつく中、もうすぐ家を訪ねてくることになっている友人のために買い出しでもしようと立ち寄ったコンビニで、大束修は見覚えのある少女とばったり出会った。彼女の方も修を覚えていたらしく、姿を認めると同時にブンブンと手を振ってくる。その姿は、まるで母親を見つけた子供のようだった。
「最近、よく会うよねぇ」
彼女が立っているコンビニの入口へと足を進めれば、クリーム色の短いコートの上から赤いマフラーをぐるぐるに巻いた三つ編みの小柄な少女・早川杏里は、修を見上げながらにっこりと人懐っこい笑みを浮かべた。
あまり笑顔が得意でない修も、彼女の笑顔にはついほだされてしまい、無意識に頬を緩める。普段ほとんど笑わない彼の表情の変化が嬉しかったのか、杏里はますます嬉しそうに笑った。
「お買い物ですか」
「んーん。買い物はしたけど、メインは待ち合わせだよ」
「あぁ、遊びに行かれるんですね。いつものメンバーと」
「うん、いつものメンバーと」
いつものメンバー、というのは、言うまでもなく彼女が学校で所属している生徒会の三人――生徒会長の中村鈴奈と藤山暖香、そして書記である杏里のことだ。
「鈴奈が、また突然思いついたみたいに遊びに行こうって言うからさぁ」
「会長のことですから、今頃面倒くさがってドタキャンしてそうですね」
「大丈夫だよ。暖香が無理にでも引っ張ってくるはずだから」
「ハハ、それは安心ですね」
そんな世間話をしながら、杏里はふと気になったように視線を落とす。修が手にしていた黒いシックな長財布を見て、問い返すように言った。
「君は? 買い物?」
「はい。午後から部……いえ、友人が遊びに来るので、買い出しに」
言いかけた言葉を飲み、修は誤魔化すように笑みを作る。
午後からやってくる友人というのは、彼が所属する部活――新聞部の副部長・水無瀬友哉のことだった。実は今日、これから新聞部部長である修の家で、新作の構想を練ることになっているのだ。
しかし彼女を含めた生徒会のメンバー(ただし、鈴奈を除く)は、新聞部のことを知らない。そしてそれはできればずっと知られたくないことであるため、少しでも口を滑らせると危ない。
怪しまれただろうかと修は内心焦ったが、杏里は特に不思議に思うこともなかったらしく、「そうなんだぁ」と納得したようにうなずいた。
「それにしても、寒いねぇ……」
このまま流れるように杏里と別れて、コンビニへ入ろうかどうしようか……そんなことを修が考えていると、杏里が不意に両手をこすり合わせながら、ポツリと呟いた。一見寒さとは無縁そうだが、鼻の頭を赤く染めているところを見る限り、やはり彼女にも冬という季節は堪えるらしい。
短いジーンズスカートから伸びる両足は厚手のタイツに包まれていて、足にはもふもふのファーがついた短いブーツを履いている。一見寒そうに見える格好にも、よく見ればきちんとそういった防寒対策がなされていた。
「手袋はしないんですか」
唯一むき出しになっている小さな両手に目をやりながら尋ねれば、杏里は困ったように「まぁね……」と言った。
「あんまり好きじゃないんだよね。ほら、荷物とか取り出しにくいし」
「あー、確かに」
「まぁ、外にいる時だけつければいいんだけどね。いかんせんめんどくさくて……って、なんか鈴奈みたいなこと言っちゃった」
恥ずかしそうに杏里がえへへ、と頭を掻く。
めんどくさい、というのは鈴奈の口癖だ。修もそのことは分かっているので、思わず吹き出してしまった。可笑しくなってきたらしい杏里と、一緒に声を上げて笑う。
ひとしきり笑ったところで、杏里がふと思いついたように「あ、そうだ」と言った。何事かと修が思う間もなく、杏里は腕に提げていたビニール袋をガサガサと漁る。やがて二つの包みを取り出すと、そのうちの一つを修へと差し出した。三角形をしたそれは、ホカホカと温かい。
「肉まん……ですか」
確認するように呟けば、うん! と至極元気の良い返事。雄弁すぎるがゆえに、決してその心の奥底を読ませない。そんな計算されつくした――まぁ、単に本気で何も考えていないだけなのかもしれないけれど――ようなとろけきった瞳で、杏里は修を見上げた。
「せっかくだし、一緒に食べよ」
「いいんですか」
「うん」
おや、と修は意外そうに目をぱちくりさせる。
食いしん坊であり、ひとたび食べ物が絡むと誰よりも恐ろしく豹変する……学校でも名高い『食の亡者』である杏里が、他人に――それも生徒会メンバーではない自分に食べ物を分け与えることが、少し意外だった。
修のそんな内心が伝わったのかどうかわからないが、杏里は自分の肉まんに視線を固定させたままで、弾むように言った。
「美味しいものは、独り占めするよりみんなで分け合った方が美味しいに決まってんじゃん」
ね? と無邪気に首を傾げられてしまえば、そうですね、と答えるしかない。今まで自分が持っていた偏見を、修は心の中だけで猛省した。
すると不意に、でも、と付け加えるような小さな声が下から聞こえてくる。何事かと耳を傾ければ、しぃ、と悪戯っぽい笑みで口元を人差し指で押さえ、杏里はこう続けた。
「鈴奈たちには内緒だからね」
それから、君のお友達にも。
修は一瞬目を見開くが、まるで何かを企む子供のような彼女の仕草を見て、微笑ましげに表情を和らげた。
「わかりました。では、いただきます」
口の横に片手を添え、同じように声を潜めてそう言えば、杏里も思わずといったように小さく笑った。
ガサガサ、と音を立てながら、二人はそれぞれ包まれた肉まんを出す。冷たい空気の中に、二つ分の湯気がほくほくと上がった。
「あ、カラシいる?」
「はい、いただきます」
「やっぱり肉まんにはこれがなくちゃねぇ」
「当然ですよ」
渡された小さな黄色いパッケージをピッ、と切り、むき出された白く温かなそれに塗る。杏里が口に入れるのとほぼ同じタイミングで、修はできたての肉まんにかじりついた。
「ん、おいし」
幸せそうな呟きに、同意するように修も言う。
「あったまりますね」
「うんっ」
えへへ、と杏里は嬉しそうに笑う。修もまた、自分の頬がこれまでにないほど緩んでいくのを感じた。
やがて、杏里が待っていた二人――中村鈴奈と藤山暖香がこちらに来たようだったので、そこで修は杏里と別れることにした。
ちなみに肉まん代はおごりでいい、と杏里が言ってくれたので、その言葉に甘えさせてもらった。いわく、「一人っきりの退屈な時間に付き合ってくれたから、そのお礼」とのことらしい。これもまた修にとっては意外なことであったが、きっとこれまでの言動から察するに、杏里は自分が思っているよりもずっと懐の深い人間なのだろう、という結論で納得することにした。
「じゃあねっ」と小さく振られた手に、同じように手を振り返しながら、当初の目的であったコンビニ内へと足を踏み入れる。
お菓子や飲み物などのコーナーを見て回っていると、ちょうど入り口の方へ自然と目がいった。そこには杏里の他に、ハーフアップの清楚そうな少女と、栗色ショートカットのすらっとした長身の少女が立っている。
「遅かったねぇ、二人とも」
「鈴奈が準備遅かったからよ」
「うぅ……寒い。帰りたい。布団入りたい……」
「文句言わない!」
「もともと鈴奈が出かけようって言ったんじゃん」
いつもの三人は、また何やら言い合っていた。鈴奈の気だるそうな姿勢も、それを戒める暖香のきつい目線も、杏里のほわほわとした雰囲気も、まったくもっていつも通りだ。
また今度顔を合わせるときには、自分も杏里もいつも通りの居場所で過ごしているのだろう。杏里が今そうしているように、そして修がこれからそうしようとしているように。
先ほどのような時間は、きっと半永久的に来ない。
そう思うと寂しいような気がしたけれど、むしろ自分たちにはそれくらいがちょうどいいのだろうと思い直す。
「ちょっと遅い、お年玉とでも言ったところか」
笑みを零しながら、独り言のように呟く。
もう一度外に目をやれば、もうそこに三人の姿はなかった。外では変わらず、白い大きな粒がちらちらと降り注いでいる。
「さて……そろそろ友哉君が来る頃だから、早く帰らなくては」
いつもより多めの独り言を口にしながら、修は付属の買い物カゴに菓子やジュースを適当に詰め込んでいく。
レジへと向かう足取りは彼らしくもなく、妙に軽そうに見えた。
◆◆◆
――ガチャリ。
「おや、友哉君。来ていたのかい」
「うん。ごめんね、勝手に上がって」
「構わないよ。どうせ今日は、家族みんな出掛けているし……」
「あれ、何か今日機嫌よくない?」
「そんなことないさ、いつも通りだよ」
「ふぅん……まぁいいけど。それにしても、鍵を掛けないで出掛けてたの? 不用心だよ、修」
「仕方ないじゃないか。すぐに帰ってくる予定だったんだから」
「予定って、何かあったの?」
「……まぁね」
「顔がニヤけてるよ。気持ち悪いよ修」
「ハッハッハ。そんなわけないだろう。天才少年であるボクは、いつだってポーカーフェイスさ」
「天才関係なくない?」
「うるさいな。それより、早く始めるよ」
「何かうまくはぐらかされた気が……」
「はぐらかしてなんかないさ。ほら、キミの好きなお菓子も買ってきたから、さっさと終わらせて食べようではないか」
「お、さすが修。僕の好みをよく分かってるね」
「ふふん、当たり前だろう。何せボクは、天才だからね」
「だからぁ、それは天才関係ないでしょ」
「飲み物持ってくから、先に部屋へ行っててくれたまえ」
「華麗に無視された……まぁいいけどね。じゃあ、一足早くお邪魔させてもらうよ」
「しょっちゅう来るくせに、今更じゃないか」
「まぁそうなんだけどね」
「フッ……まぁ、どうぞごゆっくり」
「どうも。……やっぱ今日、なんか変だな」
「何か言ったかい?」
「いや、何も」




