17.嘘も方便
暖香と友哉がばったり会う話。
暖香と新聞部を絡ませるのは、何気に楽しいです(笑)
今回もちょっと短め。最近短い話多いなぁ…。
「あら、あんた」
「あ、藤山副会長」
某高校二階、生徒会室と新聞部部室がある校舎の渡り廊下にて鉢合わせした二人――生徒会副会長・藤山暖香と、新聞部副部長・水無瀬友哉。
新聞部にとって生徒会は、本来絶対に自分たちの存在を知られてはいけないはずの要注意集団であるため、極力関わるのは避けなければいけないはずだった。だが、近頃はなんだかんだで関わる機会が多くなったこともあり、友哉は反射的に「その節はどうも」という慇懃な言葉を口にしながら頭を下げていた。
そんな友哉をひんやりとした目で一瞥すると、暖香は表情を変えぬままわずかに首を傾げた。
「……誰だっけ?」
「ひどっ!! そっちから声を掛けてきたくせに、『誰だっけ』はあんまりじゃないですか!?」
友哉はさすがにショックを受けたらしく、ガーン、という効果音が聞こえてきそうなほどに悲壮な表情になった。そんな彼を見て、暖香は思わずといったようにクスクス笑う。
「悪いわね。でもあんたって、ホントに印象薄いから」
「地味だの何だのと言われ、時折本当に存在を忘れられながらも、懸命に生きていますよ……チクショウ」
がっくりと肩を落とした友哉の肩を、ポン、と暖香が叩いた。
「大丈夫よ、覚えているわ。確か……焼き芋パーティーの準備を手伝ってくれた」
焼き芋パーティーというのは、今から少しばかり日をさかのぼったある秋の日、生徒会長である中村鈴奈の突然の思いつきにより行われた企画のことである。
その日は某高校の人間全員に焼きたてのイモが振る舞われたのだが、焼いている作業中に銀行強盗が入ってくるなど、なんやかんやひと悶着あって大変だったのだ。まぁその結果、生徒会と新聞部に感謝状が贈られる運びとなったわけだから、結果オーライと言えばそれまでなのだが。
友哉が食い気味に「そうですっ」と答えると、暖香は少し考える仕草をしてから、こう続けた。
「……そう、古文の成績が悪い子よね? 眼鏡の子と一緒にいた」
「それもそれであんまりな憶えられ方ですね!」
「だけど正直、眼鏡の子の方がよく憶えているのよね。あんたの方はなんか顔がぼやけて……いや、コンタクトしてるから視力はいい方なのだけれど」
「それでもはっきり映らないような容姿をしてますか、僕は!!」
さらにショックを受けたように叫ぶと、友哉はさっきよりも深くうなだれた。暖香は笑いをかみ殺している。……どうやら、彼を苛めることに対して楽しみを覚えているようだ。さすが毒舌副会長、といったところか。
修――『眼鏡の子』こと、新聞部部長・大束修のことである――でさえちゃんと(印象が眼鏡だけとはいえ)覚えてもらえているのに、まったく僕という奴は……と、友哉が本格的にいじけはじめたところに、一人の男性教師が通りかかった。すれ違いざまに暖香と友哉を見ると、あれ、と驚いたように目を丸くする。
「藤山に、水無瀬じゃないか」
友哉が声に気付いて顔を上げ、あ、と小さく声を出す。そして、先ほど暖香に向けてしたのと同じように、慇懃に礼をした。
「こんにちは、安浦先生」
続いて暖香が、丁寧な友哉とは対照的に「あら、安浦じゃない」とぞんざいな声を出す。
二人の視線の先には、生徒会補助にして友哉のクラスの英語担当教師――安浦恭一郎が立っていた。今の時間は昼休みなのだが、それももう終わりに近づいているらしく、五限目にどこかの授業で使うのであろう教科書やラジカセを持っている。
安浦は親しげな笑みを二人に向けながら「こんにちは」と挨拶すると、もう一度まじまじと二人を見比べながら、不思議そうに首を傾げてみせた。
「なかなか、珍しい取り合わせじゃないか。知り合いだったのか?」
「えぇ、まぁ」
「知り合いも何も、この前イモ焼くのに生徒会顧問の霧島が借り出してきた子じゃない。顔見知りになって当然だと思うわよ」
そう暖香が冷たく答える――傍からそう聞こえるだけで、本人としては普通に答えているつもりらしい――のに、安浦は「あぁ、そういえばそうだったな」と言った。この様子だと、どうやらこの人も忘れていたらしい。どれだけ印象が薄いんだろう……と、再び友哉は落ち込みそうになった。
安浦はそんな友哉の心境など知る由もなく、
「うん。でもさ、藤山は主に生徒会のメンバー……中村と早川と一緒にいることが多いじゃん。んで、水無瀬は同じクラスの奴もそうだけど、それより隣のクラスの大束と一緒にいることが多いじゃんか。だから、二人がいつものメンバー以外の人と一緒にいるのが、俺にはすごく珍しく映ったんだ」
他人の目には、どうやらそういう風に映っているらしい。あまり気にしたことがなかったので、友哉は感心した。暖香も同じことを思ったらしく、「なるほどね」と幾度も首を縦に振りながら呟いている。
ふと腕時計に目をやると、もうすぐ予冷が鳴る時刻だった。気付いた安浦が、途端に慌てだす。
「あ、やべっ。そろそろ行かなくちゃ。ラジカセセットしないといけないから、早めに行かないと間に合わないんだよ。じゃ、またな。二人とも、授業に遅れちゃ駄目だぞ」
早口でそう告げると、安浦は小走りで授業をするのであろうどこかの教室へと向かって行った。
「……さて」
落ち着きを取り戻した暖香が、改めて友哉へ向き直る。ひんやりとした表情はいつものものだが、友哉はなんとなく緊張した。
静かな声で、暖香が言葉を続ける。
「そういえばあんた、名前……ミナセっていうのね」
「あ、はい」
軽く答えてから、そういえば、と友哉は気付く。先ほどまでは考えていなかった可能性に辿り着いて、急に身体が強張った。
先ほど安浦は、自分と修の名前を口にした。名字だけとはいえ、どちらもあまりメジャーなネーミングではない。同じ読みならばこの学校に何人もいるが、『水無瀬』や『大束』という名字はあまり多くないだろう。……というより、自分の情報が正しければ、この学校にはそれぞれ一人ずつ――つまり、新聞部に所属する二人のことである――しかいないはずだ。
暖香は生徒会の仕事を会長である鈴奈に代わって務めることが多いから、全校生徒の名簿をチェックしていても不思議ではない。もし、完全に知られてしまえば……二人が生徒会の人気や名声を煽っている張本人であることが、あっさりばれてしまうだろう。
生徒会の三人ともが、毎回陰で自分たちのことを取材し、新聞として取り上げるグループのことを問題視していないとは思えない。もし、新聞部員の名簿に載っている人物と自分たちが一致していると知ったら……近いうちに、新聞部は廃部に追い込まれる可能性がある。
どう誤魔化そうかと頭をフル回転させていると、暖香が尋ねてきた。
「ミナセって、どんな字書くの?」
「あー……えっとですね」
考える余裕をなくし、友哉はとっさに答えた。
「全員っていう意味の『皆』に、さんずいの『瀬』で、皆瀬です」
もちろん、嘘である。
暖香は気付いた様子もなく、さらに問いかけてきた。
「ふぅん、なるほどね。……えぇと、もう一人。オオツカ君、は?」
「すでにご察しでしょうが、焼き芋パーティーの時一緒にいたのがオオツカです。ちなみに字は藤山副会長のご想像通り、『大きい』につちへんの『塚』で大塚です」
もちろん、これも嘘である。
一度偽りを述べてしまえば、一度は感じていたはずの罪悪感も違和感も、すっかり消えうせてしまうものだ。先ほどよりもスラスラとよどみない口調で、友哉は説明していた。
そんな彼を、暖香が疑う様子は微塵もなかった。むしろ「思った通りだわ」と、まるで推理を当てた名探偵のように満足げに微笑んでいる。
やがて腕を組むと、暖香は深々とうなずいた。
「皆瀬君に、大塚君ね。覚えた。あんたたちとは、仲良くなれそうな気がするわ」
ニイッと口角を上げ、通常の人が見たら背筋が凍るのではないかと思うような、ラスボスのごとき不敵な笑みを浮かべる。
そして……。
「じゃあ、私はこれで。もうそろそろ授業が始まるみたいだから、あんたも早く教室に戻りなさいよ」
そう言い残して、暖香はヒラリと手をふりながら去って行った。
案外あの人って、鋭いようで鈍いというか、天然なんだなぁ……。
遠ざかっていく暖香の後姿を眺めながら、友哉は茫然とそんなことを思っていた。
それから、安堵したように深く息をつく。
――と、不意に後ろの方から、クスリと笑う声がした。
「ふぅん……君にしては、なかなかうまく切り抜けた方じゃないか。漢字を偽るとは、なかなかやるね」
友哉は驚いた様子もなく振り向くと、にっこりと、達成感にあふれたような純粋な笑みを浮かべた。
「これでも、情報量は多い方だからね」
これまでの情報収集で、大体この学校にいる人間の名前ぐらいは把握している。それゆえに友哉は、『水無瀬』や『大束』という名字の生徒は他にいなくても、『皆瀬』や『大塚』という名字の生徒ならば複数人存在することをちゃんと知っていた。
もし暖香が名簿をチェックしても、その正体をカモフラージュできるように。
彼が振り向いた先に立っていた、眼鏡をかけた小柄な少年――新聞部部長・大束修は、彼の笑顔に答えるように、フッと表情を緩めた。
「でもまぁ……たまたま鉢合わせたのが、藤山副会長で助かったね」
「そうだね。あの人、案外鈍いみたいだし……しばらくは、騙し通すことができそうだよ」
言いながら、友哉は先ほど暖香の去って行った方向に再び目をやる。その先にあるのは、大職員室と……そして、生徒会室だ。
この位置からは見えないはずの生徒会室を見るような、遠い目をしながら、友哉はまるで独り言のように呟いた。
「まぁ、こんなハッタリ……あの人にはきっと、通じやしないんだろうけど」




