06 お金のリスク
今回はお金のお話です。
全然話が進んでいませんが、今しばらくお待ち下さい。
世界の立地、脅威の把握。二つの情報を得ることができた。
取られた代価は時間。だがこれはネフルティスに不利とは言い切れない。
与えられる情報ばかりではなく、自身で得る情報というものも貴重だからだ。
簡単に言えば、目の前で起きてた情報以外は信用に値しない、ということだ。
上機嫌なオルドは、嘘はつかないだろうとネフルティスには思える。
だが、オルドの持っている情報自体が正しいとは誰も保証してはくれないのだから。
「さて若いの。前提情報としては、後は何を答えればよいかのう?」
国家機密に当たることを答えるにはまだ早い。さりとて漠然とし過ぎている。
オルドが悩みだすと、ネフルティスが口を開いた。
『まずは金銭のことを教えてもらえますか?』
「おお。確かに金は大事だな。通貨の種類は3種じゃ。
一つはサーランド通貨。この国で使われておる。金、銀、銅で作られておる。と言っても合金じゃがな。
次に帝国通貨。同じく金、銀、銅で作られておる。こちらの金、銀はメッキでサーランドの金貨、銀貨に比べて価値は低い。
最後にベルギット共通通貨。銀貨、銅貨で作られておる。通称は共通通貨と呼ばれ、世界一の流通量を誇る。
サーランド通貨の金貨が一番価値が高く、銅貨が最も価値が低い。銅貨はどこも同じ価値じゃがな」
問いに対し、即座にオルドは答えた。
悩む素振りを見せながら、実際はネフルティスが何に最も興味を示すのかを確認したのだ。
硬貨は全部で金貨が二、銀貨と銅貨が三種ずつの合計八種。
『なるほど。遊牧民族は貨幣を用いないのでしょうか?』
「基本的には物々交換をしておるようじゃな。最近共通貨幣を使い始めたようじゃが」
『それぞれどの程度の価値があるのか教えてください』
「ふむ……。一人の成人が一日で使うのが、およそ銅貨十枚といったところか」
老人は懐から八枚のコインを出し、それぞれを説明する。
ネフルティスが手に取り確かめると、それは元居た世界で見た金属と同じ物だろうと判断した。
オルドが告げる通貨という概念。整理すると以下のようになる。
王国金貨 一枚
=帝国金貨 五枚
帝国金貨 一枚
=王国銀貨 十枚
=帝国銀貨 二十枚
=共通銀貨 十枚
共通・王国銀貨 一枚
=王国銅貨 百枚
=帝国銅貨 百枚
=共通銅貨 百枚
ネフルティスは目を細める。
なぜ、この危険に気が付かないのか、と。自分が試されている? いやそれはこの話題では合わない。
彼は不可解な疑念を抱きながら、更に話を続けた。
『共通貨幣に金貨は存在しないのですか?』
「うむ。ベルギットは金が取れる場所が少なくてな。取れた分は帝国や王国に輸出しておるよ」
ネフルティスの嫌な予感はさらに高まる。
オルドの発言には、先程までと違い自己が無かった。報告されたものを鵜呑みにしているだけだからだ。
『最大貨幣が国にないとは。諸国連合は何か代わりのものをお持ちなのでしょうか?』
「為替、と言ったか。商会が各々で発しておるよ」
ベルギット諸国連合は商人が厄介だという。
つまり国の中心にいるのは商人達であり、かなり露骨な行為だとネフルティスには映り、不快感を得た。
『……銅貨が共通の価値なのは国同士で示し合わせたのですか?』
「サーランドの価値に、カイラスとベルギットが合わせた形じゃな。話し合いはしておらん筈じゃ」
ネフルティスは自身の中で裁定を下した。
これを仕掛けたのはベルギット諸国連合だと。
『なるほど。王国では為替はあまり活発ではないのでしょうか?』
「うむ。精々が税における内国為替じゃな。基本的には通貨で支払われる。何か気になるのか?」
ネフルティスは自分の顔へ手をやり、表情が強張っていることに気がつく。
彼は化かし合いのような交渉は好きでも、一方的な搾取は好きではなかった。
マイヤのように未熟でも自身の意見を言える者が居る国を、喰われるがままにしておくのは面白くない、と一回目の肩入れを決定する。
『……これは貸しですよ。オルド翁』
仕方がない、とばかりに口を開くネフルティスに、オルドは笑みを真剣なものへと変えて首肯する。
『率直に申し上げて、サーランド王国は経済的に搾取されているかと』
「……なんだと?」
場の空気が凍った。
オルドは経済の専門家ではない。本来は外交、交渉の専門家ですらない。
あくまでも、魔術の専門家だった。
それでも一通り以上の知識は学んでおり、自らの実力と実績もあって常に余裕を崩さない。
そんな一流の男が困惑している姿は、王宮内で誰一人として見たことがないものだ。
ネフルティスはどう説明したものかと頭の中で整理し、一つずつ確認を取る形で話を進める。
『現在最も価値のある通貨はなんでしょうか?』
「王国金貨じゃろう」
『それは確かに、金貨一枚の価値としては最も高価ですね』
「? 意味が分からんが」
最も価値があるとは、貨幣として高価である、ということ。
そのことをわざわざ確認する意味が、オルドには飲み込めない。
『金貨の価値は、金の価値でもあります。物々交換に最も近い取引ですよね?』
「うむ。食物ならば腐って価値は無くなる。じゃが貨幣ならば腐らぬ。価値を保存しておけるからの。貨幣に価値があるのは当然のこと。ましてや金貨ならば金相応の価値がなくてはならん」
貨幣価値=希少金属としての価値。
これは絶対の法則であり、そうでなければ誰が価値ある商品と交換するというのか。
例え国が無くなったとしても、金の価値は残る。だからこそ安心して使えるのだ。
オルドはそう続けた。
『はい。その通りです。では、この為替というものは何で書かれているのでしょうか?』
「貨幣では輸送、運搬に手間がかかる。ゆえに利便性を補うため、紙に記載されておるな」
『では、“この食物を王国金貨百枚で支払う”とあった場合、この紙に金貨百枚の価値があるのでしょうか?』
「それは――紙自体には無い、な」
オルドの声が潜まる。
先程話した貨幣価値は、商品と貨幣が等価だからこそ成り立つもの。
為替は“契約”だ。その“契約内容”には金貨百枚だろうと何千枚だろうと価値はある。だが、それを記載した紙自体には到底そんな価値はない。
『続いて。王国貨幣には五百年の歴史がありますが、他の国の銅貨に同じだけの価値があるのでしょうか?』
「……ある。銅貨の質は全て同じ筈じゃ」
『それはなぜですか?』
「決まっておろう。貨幣価値が揃えば便利ではないか。どこの貨幣でも支払えるのじゃからな」
銅貨の価値を揃える。
他国の貨幣も問題なく使えるのであれは便利だ。それは間違いない。
加えて、最低価値の貨幣が同価値ならば、その上にある貨幣の価値も絶対的なものとして存在できる。
つまりサーランド王国の金貨が最高価値であると、王国、帝国、連合でも認められているということだ。
悪いことなど、何も無いようにオルドには思えた。
『はい。では最後に。造幣の費用はどこの国が最も負担しているのでしょうか?』
たった一言だった。
言われてみれば当たり前のこと。
最高の価値の金貨を作るには、造幣として最高の技術が必要だ。
金という高価な品物を、最高の技術で金貨に変える。費用は当然相当の金額になる。
王国は、金貨製造という費用を埋めるため、更に金貨を発行するという悪循環にある。
その金貨も、三カ国のどこでも使えるというのであれば、他国で使われることが多くなってしまう。
他国には最高品質の金貨が入り、国内で循環する。だが、その発行費用はゼロだ。
「……我が国は、貨幣を“作らされている”というのか?」
『私には、現在の貨幣価値からはそう見て取れます』
ネフルティスは既に冷め切った茶を一口飲んだ。
随分と、渋く感じるものだな、とカップを戻す。
「……自国で使う貨幣を他国で作らせ、為替取引により回収する、か」
疲れたように深く腰掛けるオルド。
獣の唸り声に似た響きを喉から発しながら、腕を組み眉を潜める。
『貨幣そのものの価値と、利便性・安全の追求を取るならいずれは当たる問題かと。
もっとも、最低価値、つまりは最も流通量の多い貨幣の価値を合わせたのは並大抵の努力ではないと思います。これにより、国境を超えて各国の貨幣が流通するのが常識になったのでしょうね。
国家規模で動かなければ到底できることではありません。国民への説明も非常に簡単ですし、各国間での厭戦感情も高めることができます。今まで使えた貨幣が使えなくなるのは不便ですからね』
よく考えたものです、とネフルティスは締める。
「まったくだ。今更何をしても貨幣価値は変わらん……。為替をこちらも乱発するしかないかのう」
『……』
危うく「それは止めた方が」と声を発しそうになるネフルティス。
ピクリ、と動いたのを老獪な竜人は見逃さない。
こいつは絶対何か打開手段を知っている、と確信した。
「なにかよい手段はないかのー?」
『……』
腕を組んだまま、青年の顔を伺うように下から覗き込む老人。
椅子の座り直しながら上半身を傾けるが、青年は無言を貫く。
「ああ、こまった。このままではわがくにははめつだー」
『……分かりました。貸し二つ目ですが』
ネチネチと弱音を吐き続けた結果、折れたのはネフルティスだった。
「おお。いい案があるのかっ」
『為替は徐々に増やしていけばいいかと。仕掛けてきた側にしても嬉しいでしょうしね。それよりも――』
「それよりも?」
喜色満面で答えるオルドに、ネフルティスは笑みを深めて答える。
『紙幣を発行しましょう』
「紙幣?」
聞き慣れぬ通貨形式に、オルドは想像力を働かせられない。
切り出し、溜め、興味を惹く新語。
どれもネフルティスの話術だが、それらを使わずともオルドは食いついただろう。
『“この紙には王国金貨十枚の価値があるとサーランド王国は保証する”と。
そういう紙を大量に発行するのです。寸分狂わぬデザインで、複製が効かないように最新の注意を施して。
これを“紙幣”と呼びます』
「そんなものを作っては貨幣の価値が落ちてしまうではないかっ!」
何を馬鹿なことを! と言わんばかりのオルドの一喝。
並の人間なら竦んで動けなくなるような威圧感だが、ネフルティスはいつもの口調で答える。
『お忘れですか? 最高価値の金貨を作れるのは王国だけです』
「……他国が紙幣を造っても、価値は変わらぬのか」
やはりこの老人は素晴らしい。ネフルティスが評価を高める。
一を聞いて十を知るとはこのことか。計算が早いのもあるが、思考の瞬発力が並ではない。
『作らなければ王国の一人勝ち。例え作っても価値の差は埋められません。それこそ新しい金貨を肇造しない限りは』
紙幣は紙の価値でありながら、金貨よりも安い金額で量産でき、金貨以上の価値を持つ。
これは“これまで五百年も持った王国が無くなることはない”という信頼と、“王国金貨という担保”の信用があるから成り立つものだ。
他国が紙幣発行の際に「王国金貨十枚分の価値がある」などと勝手に保証できるわけが無く、国が無くなったらパーになる物に信頼など置ける筈もない。
他国が紙幣を作るとするなば、自国で作っている貨幣を基準とした、王国紙幣よりも価値の低い紙幣しか作れないのである。
帝国はまだ良い。自国で金貨は作っているし、皇帝が居る間は国が崩れることもないだろう。
だが諸国連合は無理だ。元々小さい国々の集まりで、いつ分裂してもおかしくはない上に、基準となる最高貨幣が銀貨なのだから。おまけに取引のある遊牧民には、紙幣という概念自体まだまだ伝わらないだろう。物々交換が主なのだから、紙は紙の価値でしか無い。自分達が仕掛けた経済戦争で大きな反撃を受けることになる。金儲けに走り過ぎて、極端に傾きすぎたのだ。
「うむ。これはすごい事になるのう! もはやこの功績だけで若いのは王国の英雄に相応しい!」
そこまで理解の及んだオルドが、興奮しながらネフルティスを称える。
新しい経済概念を理解し、それがもたらす恩恵が計り知れないものなのだからある意味当然だが。
『これ以上貸しを作るつもりはありませんので』
「わっはっは! それは仕方あるまいか」
ネフルティスは反省していた。
自分の得にもならないのに、肩入れが過ぎた、と。
高笑いで上機嫌なこの老人から、代価として何を貰うべきなのか。
彼には珍しいことだが、随分と悩むことになった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
実際の経済はここまで単純ではなく、更にリスク管理ももっとしっかりしていますので、本気にはしないでくださいね。
7月02日 誤字修正