30 戦場のリスク 2
お久しぶりです。
実に四ヶ月ぶりの更新になります。
お待ちいただいてくれた方々には心からの感謝を。
まだ生活が安定しないので不定期なのは変わりませんが、コツコツと最後まで書いて行きたいと思います。
戦いは張り詰めた糸がぷつりと切れるように突然に始まる。
誰もが予想しながら、その瞬間は予測できない。そんな曖昧なもの。これを運命と呼ぶのだろうとニオダイアは考える。
思考は古参兵の伝令によりかき消された。
「勇者様が?」
「へい。この戦い、時間稼ぎではなく圧倒しろ。敵側は時間稼ぎを狙いとしている、と」
「ふむ。分かりました。頭に置きます」
一礼をして持ち場へ戻っていく古参兵を見やることもなく、ニオダイアは陽動に必要な時間を改めて思い出した。
騎兵の足で村まで半日掛からない。村人の避難はここで戦闘が始まる頃には終了しているはずだった。何もトラブルが無ければ。
ならば、とニオダイアは弓兵長を急ぎ呼ぶ。
「シリウルさん。いますか?」
「ここにいるわ」
シリウルと呼ばれたのは森人の女性である。軽装な革鎧にバンダナで髪を首の下で結わえ背に流していた。
流れる髪は銀に輝き、その手には王国軍支給の正式弓を持っている。背にある矢筒は三十本ほどの矢が入る中型であり、支給される品としては平凡な品であった。
「少し予定を変更します。斉射で魔物を削ります。最低二割は削っていただきたい」
「ふん。ずいぶんと吹っ掛けるのね。いいわ。魔物の突進速度次第だけど、やってみせましょう。アレを使うわ。いいでしょう?」
いくら敵が正面から突進してくるとは言っても、弓の射撃だけで二割を削るのは本来無茶な命令と言える。
これが砦の上からの応射ならば相手に「この砦を正面から攻め落とすのは無理だ」と判断させるに十分な被害の数なほどだ。
「許可します。三本もあればいいですね」
「気前がいいのね。回収できないわよ?」
「勇者様の仰るには、この戦いでこの平原は奪還できるそうですから。もし失敗しても次の指揮権はこちらに移譲されますし、その際の費用は王家持ちです。遠慮は要りませんね」
「そういうことなら。でも……」
「でも、なんですか?」
シリウルの声に不安を感じとったニオダイアは時間がないにもかかわらず聞き返しす。
「あの“勇者”は本当に信用できるの? どう考えてもこの平原を奪還できる方法なんて思い浮かばないんだけど」
「百の村人を救うために無理をしてくれた人を私は疑えません。禁酒賭けてもいいですよ」
「いいわ。私はニオの禁酒が見られるなら失敗しても文句はないもの」
ニオダイアが返した答えは「信じてくれ」ということだった。
岩人にとって“酒”を会話の中に持ち込むのは最大限真摯な気持ちを告げる時のならわしだ。
それがシリウルにも伝わり、何も聞かずに信じることにしたのだ。
「助かります。では」
「またね」
岩人と森人は本来反目し合う種族である。
互いにこの規模の戦闘で死ぬとは思っていない。岩人が作った弓矢で森人が戦うのだから。
ぶつかり合い、散々反発し合った後の友情とも愛情とも違う、戦場で肩を並べるに値するという信頼を結んでいる。
シリウルに許可を出したのは、陽動ではなく殲滅戦などで使うべき特別な矢だ。
それを先に使うということは、下手をすれば今後の戦いで必要な時に用意できなくなるかもしれない。
その時はその時か、とニオダイアは思考を中断し、敵対する魔王領の軍勢にあらためて目を向けた。
† †
「斉射用意!」
ニオダイアの命令が迸る。
先手は人族。弓の斉射だ。
命令に合わせて中央の隊から左右に弓構えが広がっていく。伝令を使うまでもなく、初手に何をするべきかは兵士全員が解っている。
構えた弓兵の中から一人の森人が変わった矢をつがえた。シリウルである。
つがえた矢はアレと呼ばれた特別製の魔導矢。鏃と矢羽に複雑な文様が刻まれ、通常の矢と変わらない重さバランスで作られたそれはそれだけで匠の技術力を必要としていた。
シリウルが小さく呟いた言葉に反応し、鏃から強い光を放つ。
そして見事な構えからそれを放つ。
矢は美しい弧を描き、僅かな風に流されながらもほぼ一直線上に突進する魔物達の前に刺さる。
矢の軌跡は空中に光の粒子で描かれた線となって残っており、それは魔導矢による観測射の結果であった。
一定空間へと射撃を集中させることは、動く対象へ当てることよりも遥かに簡単だ。
だがそれでもかなりバラけてしまうのは、個々人の力量差が大きく影響するのが弓という武器だからである。
距離が離れれば離れるほどにばらつきは大きくなるが、その距離を決めるのは弦の張りと射角なので、射角を合わせる必要が無くなる観測射の価値は非常に高かった。
もっとも機動力のある騎兵などが相手の場合では軌道線自体が意味を失ってしまうのだが。
それを誰の目にも明らかにする魔導矢は、回収不能という点で使い捨てが決定している。
また、一度の戦闘において使う回数も限られており、なにより射手の腕が良くなければ意味を喪失する品であったため量産されず高価な品であった。
サーランド王国では生産されておらず、ベルギット諸国連合から輸入している。
「放て!」
着弾を確認した後、ニオダイアは問題なしと判断して射撃命令を下した。
左翼、中央、右翼合計で一射に付き九十。いや、狙いをほぼ付けずに撃つだけに集中した弓兵の内、熟練に達した者は一射ニ矢を放つ。合計すればおよそ百二十。続けて斉射命令が下されること五度。間断なく打ち続けることにより、合計で魔物の総数を凌駕する矢雨が放たれた。
魔導矢による修正は突進で移動する度に修正され、高い範囲収束率を維持し続ける。
通常、点での攻撃範囲しか持たない弓矢を、面の範囲を持つことによって回避を困難にした。
無駄撃ちさえも敵の回避範囲を狭めるという意味では大いに役立つ。しかしあまりに収束率が高すぎて範囲が面から点になっては意味がない。弓兵達は工夫として、ニ矢を放つなどし、わざと誤差を用意する。その結果は狭すぎず広すぎず絶妙な範囲に矢雨を収束させていた。
斉射を受ける方は、地獄絵図を描いているかのようであった。
矢雨が降り注ぎ、体のどこかに当たれば動きが鈍り、横に避けようとしても隣には仲間の魔物がいて回避ができない。
盾を構え受け止めるも、ボロボロの盾では一本目は防げても二本目三本目を防ぐことができず結果として腕や足を使い物にならなくされていた。
更に三度目の斉射が終わった辺りから、山なりの弧を描いた射撃だけではなく、直線的な矢が増え始めた。
特に銀に輝く髪の人族が、次々と同胞を撃ち抜ことに、ゴブリン達は怒りを燃やす。
斉射により突進の足が止まれば更なる攻撃が襲いかかるが、魔物達の足は止まらない。
どの道避けることが難しいならば一歩でも前へ。一方的な射撃を受けてなお魔物の戦意は衰えなかった。
その数を三割五分近く減らしながらも、雄叫びをあげながら武器を振りかぶり、リオラス砦軍前衛へと襲いかかる。
斉射の結果を見て、思ったよりもオーガの数が多い。あれならば潰走することはなさそうだと指揮官達は舌打ちをした。
ゴブリンが潰走に至るには全ての統率者が倒れなければならないからだ。
オーガは結局一体も倒せていない。足止めを兼ねての十分な戦果を初手で稼いだのだが、新兵だらけの軍では不安が残る。
そして、魔物で作られた横陣が、人族の横陣へと激突した。
† †
平原を埋めるにはまるで足りないが、数百という魔物が行う突進は地響きと共に恐怖を運んできていた。
あの牙が、爪が、武器が、それぞれ命を奪うに足る威力を持っている。
新兵はツバを飲み込み、その手に持った武器を握り直していた。
古参兵は身体を揺すり自らの身体をほぐし、新兵の肩を軽く叩く。
「来るぞ! 死ぬなよ相棒!」
「う、うおおっ!」
盾役前衛は二人一組。古参兵の掛け声に新兵が腹から声を絞り出す。
盾役の新兵が訓練の一番最初に習うことである。
気合、気迫。とにかく相手に飲まれないよう重圧を跳ね除けるには、何も考えずに声を出すのが一番簡単だと。
――できなければ死ぬ。お前はもちろん、お前の後ろにいる仲間が――
盾役の役割は重い。仲間の命を文字通り背負っている。
新兵達が腹から出した声はやがて雄叫びに変わり、魔物達の突進を受け止めた。
元は人間用に作られた武器の数々が大盾に当たる度、衝撃を腕に伝える。
決して軽いものではない。だが、止められないものでもない。
武器の握りも浅く、手入れもされていないので盾が両断されるような心配もない。
やれる、と新兵は胸の内で小さく手応えを感じていた。
「ガアアアァァァァッッ!」
ゴブリンの一撃を防ぎきり、心に芽生えた自信と希望を打ち砕くかのように、その化け物の声は轟いた。
中型の魔物に分類されるオーガが、家屋の支柱に使うような棍棒を振り上げ、力を貯めている。
その巨体には幾本かの矢が刺さっているが、まるで気にした様子はなかった。
前衛盾役というのは、恵まれた体格が必要だ。文字通り身体を張って“盾になる”のだから、正面面積は大きい方が良いとされている。その体格が良いはずの新兵が見上げるオーガは、同種族の中でも特に大きい方だと彼には思えた。
魔物の感情は読めないが、灰色の肌を赤く上気させたオーガは、新兵には嗤っているようにさえ見えている。
一撃、耐えなければいけない。新兵の中に誤った使命感が生まれる。
「でかいのがくるぞ! 踏ん張って止めようとするな! 体ごと持っていかれる!」
「は、はいっ!」
班長の指示が背にかかる。言われなければゴブリンの攻撃と同じように踏ん張って耐えようとしてしまっただろう。
だが、頭で分かっていても体は咄嗟に反応しない。
オーガの腕が振り下ろされる。新兵はその瞬間死を直感し片手に持った槍を落としていた。
「「やらせるかっ!」」
二つの声が重なる。
直後、すんでのところで棍棒が新兵の真横へと叩き付けられていた。
オーガが貯めに入り振り下ろす動きに変わった所で、弓兵が目を狙い撃ちにし、両手槍を構えた槍兵がオーガの振り下ろした腕と逆の肩へと突きを喰らわせてたのである。
どちらも常ならばオーガの姿勢を崩すことはできなかったであろう。
溜めから攻撃へと移る瞬間、それも二箇所への打撃であればこその結果だった。
「ボケっとするな! 次、ゴブリンがまたくるぞ!」
「は、はい!」
班長の支持に慌てて盾を構え直し、攻撃を受け止めつつ剣を引き抜く。槍を拾っている余裕はない。
一人ではない、という意味を実感する新兵。胸にある恐怖は小さくなり、高揚感が増している。不思議と負けるとはどうしても思えなくなっていた。
初の実践は急激な速度で新兵を兵士へと育てていく。それは同時に危険もはらんでいた。
剣にこびり着くゴブリンの鮮血も、腹が切り裂かれ立ち込める血臭も汚物の臭みもまったく気にならない。
腕に伝わる衝撃もわずかに切り裂かれる体も、後どれだけ耐えられるのかは分からなくても、戦えることだけは実感させた。
瞳は爛々と燃えあがり、戦場の狂気が一人の新兵を戦場の要素の一つに変える。
矢と槍の攻撃を受けたオーガが目に刺さった矢を引き抜き戦線へと復帰する。当然のように片目は潰れ、さらに片腕は使い物にならなくなっている。
だがその戦意は欠片も衰えてはおらず、むしろ自らを高揚させるように一際大きな雄叫びをあげた。
新兵に限らず、もはやオーガが目の前にいても脅威は感じるが恐怖を感じる者は居ない。
戦場という生き物は、既に恐怖という感情をどこかに置いてしまったからだ。只中にいる者が感じる道理はない。
戦いはまだ始まったばかりである。
ここまで読んでいただきありがとうございます。




