19 償いのリスク その1
時間ギリギリになってしまいました。
最初馬車を見た際にネフルティスは大いに喜んでいた。
馬をしげしげと眺め、じっと見つめ合ったり、手を伸ばして噛まれそうになったりしている。
四頭を納得いくまで観察した後に馬車に乗り込んだ。いたく気に入ったらしい。
離宮までの道のりで、ネフルティスは初めて街の様子を見るに至った。
焼石を敷き詰めた大通りを、四頭立ての大型馬車が小気味良いリズムを刻みながら走る。
窓から眺める街の様子は重い。行き交う人の顔には笑顔が少ない。様々な人種が溢れる首都の大通りでありながら、子供から大人、老人まで不安が見て取れた。
巡回の騎士には必要以上の緊張感に包まれているように感じられ、大店に搬入される荷馬車の積載量にも余裕があるように見えた。 流通が滞り始めているようだ。ネフルティスはそのように判断する。
首都でこの様では、他の街ではもっと酷いことになっているのだろう。
その様子は見ていても、想像しても面白いものではなかった。
視界を景色から外し、馬車の揺れを楽しむことに思考を切り替えた。
馬車の動力は馬。ある種当たり前なのだが、これは凄いことだと思っていた。
ネフルティスの記憶にある馬と、この馬車を牽いている馬に、差異が殆ど無かったからである。
馬体のサイズこそ差があるようだが、馬は馬だった。
この分だと、他の生物にも共通点があるのかもしれない。
ネフルティスは思考に没頭していたが、止まった馬車が目的地への到着を告げた。
離宮。ここに死体は無いがネフルティスは弔われたと聞かされている。
そしてまた、ネフルティス自身を殺害した第一王女サラエントが住む場所である。
† †
馬車ごと門を潜り抜けると、辺り一面に広がる墓、墓、墓。
敷地内に墓が在るはずの存在は、量が逆転し墓地の中に館があるという一種異常な空間になっていた。
一度死んだ者が墓地の中へ。ネフルティスには、妥当な光景なのかもしれないなと自虐的に口元を歪めた。
勇者と言われるにはあまりにも似つかわしくない表情である。
館には先んじて連絡が入っていたのだろう。すぐに応接間に通され、待つことになった。
同席するのはマイヤと護衛の騎士が二人。ブロンズとオルドは城から出られるほど暇ではない。ラーガスは言わずもがなである。
淹れられた茶の湯気がたゆたう。それが冷める間もなく応接間の扉が開かれる。
扉の前まで走ってきたのだろう。僅かに髪が乱れている。
どの程度の距離を走ったのかは分からないが、呼吸は乱れておらず、汗もかいていないようだった。
肉体的な能力では自分の遥か上をいくのだろう、とネフルティスは分析する。
あの時とは上着が違い、騎士が着る鍛錬用の動きやすい服を着ている。下は同じようにズボンにブーツだった。帯剣はしていない。これは姫としてではなく、騎士として現れたということなのか。ネフルティスには判断がつかなかった。
「サラお姉様。ご機嫌麗しく」
挨拶はマイヤから。立ち上がり恭しく一礼をする。
対するサラエントは小さく首肯する。
「マイヤも元気そうで何より。よく……よくぞ案内してくれた」
声には感極まったものがあった。
命を奪った者への謝罪ができる、という喜びだろうか。
マイヤはそう考える。
「こちらがネフルティス様です」
ネフルティスは立ち上がらない。礼もしない。
だが、謁見時とは違い、無視はしなかった。
「こういう場合の挨拶を知らぬのでな。よろしく、とも言えん間柄だしなんと言ったものかな?」
ネフルティスがマイヤに問う。
マイヤは困ったような表情を浮かべ、サラエントの次の行動を黙って待つ。
「――私は、貴方に言わなければならないことがあります」
「ほう?」
サラエントはネフルティスの前に移動し、跪いた。
「――申し訳、ありませんでした」
幾つものシミュレート結果から、最も多くの情報を引き出せそうな回答を行おうとするネフルティスの耳に、最も厄介に思える結果を彷彿とさせる言葉が聞こえた。
「本当に申し訳ありませんでした。勇者様」
ネフルティスは悟る。
この第一王女サラエントには、自分が見えていない。
本来ならばこれで対談は終了してもいい。これでは弔いも期待できない。存在さえ葬られた勇者を弔っただけなのだろう。切り上げて城へと戻るべきだろうか。
だが、それではつまらない。
視線は向けないが、マイヤの動揺も感じ取ることができている。これは謀略の類ではない。
ならばと、ネフルティスは自身の楽しみを優先させようと決めた。
受動的に相手と言葉を応酬するのは嫌いではない。対話する者が賢しいほどにその楽しみは膨れ上がる。
しかし、それと同じ程度には能動的に動くのも好きだった。
本来強者の立場であるネフルティスは主導権を握ってしまう。自身が言葉を先に発してしまえば、それは能動的な行動を取ったに等しい影響力があった。
それがこの世界へと召喚され、受動的な立場を楽しんでいたのだ。
この世界の人々は、なんとか自分が主導権を握ろうと躍起になっていた。
だからネフルティスはそれに合わせてきたのである。
今は違う。目の前に居る女性は、主導権を放棄している。ならば自分が握るしかない。
見知らぬ人物との会話は、自身の楽しみである。
今はあの謁見の間の時のような紛れは起こらない。
そのチャンスをわざわざ捨てるのは、ネフルティスにはできないことだった。
「――なるほど。謝罪は分かった。だが第一王女殿」
「はい!」
「どうやって命の償いをするつもりなのか、答えてほしい。よもや言葉だけで赦してもらえるとは思っていないのだろう?」
微笑みを浮かべながら、ネフルティスは尋ねた。
立ち上がることさえ赦されないまま、静かに弾劾は始まる。
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7月04日 一部修正