15 名前のリスク
三日連続更新。記録更新。
ゲストルームの空気は独特の緊張感に包まれていた。
テーブルを挟んでネフルティスと王国側の人間が向かい合っている。
ネフルティスの対面には国王ラーガス。王の右手にオルド、左手にマイヤ。背後にブロンズが護衛として立っている。
双方、どこから切り出すべきか、自らの手札を思考する。
ネフルティス自身が持つ情報は全てが鬼札。それを初手から出してしまえば交渉にすらならない。
故に、最初に出すべきは王国の失点で手に入れた札とし、声を出そうとした。
その一瞬前に、国王自らが口火を切った。
「ふむ。まずは改めて名乗ろう。余はサーランド王国国王、ラーガス・ノーブ・サーランド十八世。異世界の者よ。今一度名前を教えてはもらえぬか」
先制はラーガス。魔眼に近い眼力は健在であり、素晴らしい威圧を誇る。
以前は“勇者”という枠に当て嵌めてネフルティスを見たのだが、それは自分達の都合を押し付けるだけであった。
それでは駄目だ。まずは交渉相手が何者なのかを知らなければならない。
ラーガスは最初の一歩を踏み出し、相手に自分の立場を定義させることにした。恐らくは怪物の尾を踏む結果になろうと理解している。このことにより更に王国は立場を失う可能性がある。だが、はっきりさせておかねば後が続けられなくなると覚悟を決めて。
ネフルティスは少々つまらなそうに応じる。真っ直ぐ尋ねられては答えないわけにはいかない。これでは主導権を手にしてしまう。
「丁寧な名乗りだなサーランド王。感服した。この身はネフルティス。五つの太陽系、と言っても概念が存在しないか。五つの太陽を支配下に置き、三百億の民を統べる“統一帝”にして、“現御神”すなわち神の一柱に数えられる者である」
「ッ!?」
いきなり鬼札が炸裂した。ネフルティスにしてみれば取って置きを最初に切らされたようなもので負けている気さえしていたが。
その場に居る王国の人間が誰も声を発さなかったのは、一人一人の忍耐努力の賜物である。
オルドは確認をしようとして無礼であると口を閉じ、ブロンズは否定しようとして王への不敬であると体を強張らせ、マイヤはやはりと息を飲み込み、ラーガスは確認しようと口を開きかけ、それは不可能であることを悟り口を閉じた。
この質問にはネフルティスが何を言おうと事実を確認する術が無く、王を越える権力者であると言われれば、疑いを抱くこと自体が不敬である。
故に鬼札。たった一枚で場を荒らす、ネフルティスが用意した真実の一欠片だ。
幾度かラーガスが深呼吸をし、気分を落ち着けて口を開く。
「……異世界の神であったか。なるほど、それならば“最強”の二文字も納得ができる」
「ああ、それなのだが。残念ながらこの身はこちらの世界で戦闘力が最強という訳ではない」
「どういうことか? 条件は概念的なもののはず。それに誤りでもあると仰られるのか?」
尋ねたのはオルドだ。会談の形式としてこれはネフルティスと王国という対談だ。口を挟むのは無礼には当たらない。
ラーガス達の認識を正すため、ネフルティスは二枚目の鬼札を放つ。
「そうではない。オルド翁。なに、実に簡単な話だ。概念条件と言っても、それを測るのは魔法。測る対象はマナ。そうだな?」
「……その通り」
「こちらの世界で戦闘を担う人材は、身体を機械、要は魔道具で強化している者が多いのだ。それも身体と取り替えるという方法を用いてな」
「それ、はッ」
オルドは絶句する。それならば確かに最強を呼び出すことはできない。
マナは生命に宿る物。不完全な体と判断されれば、最強とは認識されないだろう。
だが、そのことよりもオルドが驚いたのは、身体と取り替えるという部分だ。魔道具で身体強化を施すことは可能だ。だが、魔道具はあくまで補助的な役割を担うに過ぎず、能動的、即ち手や足の代わりをしようとすればその複雑な動きを再現するためにどうしても大型化せざるを得ない。それには当然莫大な予算も掛かる。必要出力も多くなり周囲のマナも枯渇する。それを戦闘という複雑極まりない行動を担う者達の多くがしているという。どう考えても分からないことだった。
「……では、ネフルティス殿はそちらの世界でどの程度の強さなのか?」
オルドから流れる脂汗にただ事ではないと感じ取ったラーガスが話を続ける。
「個人戦力としてならば並よりも上に居ることは確かだろうが、上に君臨する連中には届かぬだろうな。無論、こちらの世界よりも道具や装置による恩恵の部分が大きい。全て最高性能の物を用意すればある程度は迫れることができるだろうがな」
一度全力で戦ってみるのも面白いかもしれない、と呟く言葉は冗談なのか本気なのか判断がつかない。
「名乗りとしてはこんなところか。まだ何か聞くべきことでもあるか?」
「あの……」
おずおずと手を挙げるマイヤ。
「マイヤ殿から質問とは珍しいな。さて、なにが知りたい? この身の情報は高いぞ?」
「もう。からかいにならないでくださいな。どうやってこちらのお言葉を話せるようなられたのでしょうか?」
「学習した」
一刀両断である。負けじとマイヤは続けた。
「そんなに簡単に覚えられるものなのですか? 随分と難しい言い回しや単語もありましたが」
「うん? ああ。そうだな。実はどうやら時間の流れがズレているようなのだ。この世界は二百日ほど経っていると聞いたのだが、向こうの世界では既に二千日以上が経過している。自然と学習時間も研究の時間も差が出るというもの」
「時間の……ズレ……」
マイヤはこの時浮かんだ悪寒がどういうものなのか、分からないでいた。
何か、致命的なことを言ったような気がしたのだ。
思考の渦に飲まれそうになったマイヤだが、ラーガスが自分の言葉を引き継いだことで現実へと引き戻される。
「待たれよネフルティス殿。今研究、と仰ったが……」
「無論、魔法の研究であるが」
ごく当たり前のようにネフルティスが答える。
「……一朝一夕に成しうるものではありませんぞ」
「言われずとも理解している。後百年も研究すれば丸裸にできようが、今はこの程度しかできぬ」
これが三枚目の鬼札。
ネフルティスが指を二回鳴らすと、それを合図にしたかのようにオルドの周囲を展開している三つの菱形が床に落ちた。のみならず、部屋の灯りは消え、窓の外に見える噴水は動きを止めていた。
「なにをした!」
ブロンズが剣を抜こうとするが、抜くことができない。ブロンズが所持している剣も名の在る魔道剣だ。だが今は魔道剣としての意味を成していない。
考えられる結論は一つ。
「マナを……消したのか?」
「さすがは宮廷魔術師第一位のオルド翁。概ねその通り」
「若いの。戻すことはできるのか?」
「呼び方が以前のものに戻ったな。もちろん可能だ」
ネフルティスが再度指を鳴らすと、再び部屋が明るくなり、オルドの周囲に菱形が浮かび上がる。
「一体、なぜこのよ――」
ラーガスが思わず口にしかけ、途中で止めた。
だが、ネフルティスは微笑んだ。ようやく札を切れる、と。
これはサーランド側が用意してくれた札だ。返さなければいけないものである。
サーランド側が屑札と捨て、新たな札を用意したはずの場に紛れ込んだ存在しないはずの切り札。
「それは無論、自衛のためだよ。ラーガス王」
ぐうの音も出させない理屈である。何しろネフルティスは一度命を奪われているのだ。
警備の責任者であろう騎士団長、王国内の全ての最高責任者である国王、それに安全を保証したオルドにマイヤ。
誰一人としてネフルティスに対し、武装するな、などとは言えない。
「参ったのう」
オルドは天を仰ぎ、その大きな手で目を覆った。
ネフルティスが欲したのはそのような弱々しい態度ではない。
何か別の理由があるのだと判断し尋ねた。
「なにがだ? オルド翁」
「……“若いの”が今使った力。それは伝承に残る“魔王が使う力”そのものなんじゃ」
「ほう。それは面白い」
「面白いものか……」
オルドの声には疲れが見えた。ある意味当然だった。魔王を倒そうと思い呼んだ勇者が、魔王と同じ力を振るう。なんと言って国民に説明するべきか、今から頭が痛い。
対するネフルティスは新たな興味の対象を得たことに喜悦の声を思わず上げた。本来なら自重すべきだったのだろうが、思わず漏れていた。コホンと咳払いを一つ。
「ではこの身の名乗りは以上とする。まずお聞きしたい」
なにが来る、とサーランド側は身構えた。さすがにタフである。ネフルティスの攻勢を受けてもなお立ち向かう気概は、後に引く場所がないからなのだが。
それでも評価はされるべきだった。
「以前の体はどこに弔われた? この身は国の宝であり、返却を要請する」
ネフルティスは、楽しそうに一枚の札を切った。
この札も、サーランド側には既に処分したはずの札。
答えを返すはずの者は、イカサマの証拠を突き付けられ、困窮する賭博師と同じ顔になっていた。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
主人公ネフルティスがどこまで真実を話しているのかは、今は内緒にしておきます。
6月29日 一部修正
7月02日 脱字修正