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殴り殴られ詩人酒場  作者: よもぎ


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33/43

壊れ窓の姫

俺は窓から身を乗り出し、黒衣(くろぎぬ)の青年の名を叫んだ。

彼もまた俺の名を叫ぶ。

向かいの庭で、夕焼け色の釣鐘(つりがね)をつついていた(ひよどり)があわと柿食って飛翔()んだ。


「大ちゃん! おめえいつまでそこ、ひっくり返ってんだい?」

「朔ちゃん! おめえこそそんなとこ足引っ掛けるんでねえよ! 丸見えだど?」

「何が?」

「言わせるんでねえよ!」


大ちゃんは意地悪く左の口角を吊り上げると、覗き込むような素ぶりを見せる。

俺は慌てて足を引っ込めた。

そして目だけを動かし、祈るような思いで足元を確認する。

左の下瞼がピク、ピクとひき攣った。

その度に睫毛で視界がかすれる。


……ある。

紺の股引(ももひ)きが。


念には念を入れ上衣(うわごろも)の裾を摘み上げ、再び視る。


やはり、ある。

紺の木綿の股引きが。


俺は安堵の息を漏らす。

そして、いま一度窓枠に足を引っ掛け恨めしく黒衣を見下(みお)ろした。

「人が悪いぞ、大ちゃん……」

大ちゃんは腹を抱えて笑い転げている。

「俺のヂュリエットは随分とおてんばさんだの!」

そう言うと、今度はもうこちらには見向きもしないで、「俺のヂュリエットだと! 俺の……」と自言自滅(じごんじめつ)している。

陸に打ち上げられし小魚の如くビタビタとのたうち回る。

その上を(ひよどり)が、ゲゲゲと(いか)り狂いつつ飛び去っていった。

傍らで斜向(はすむ)かいの親父が面白がって紙巻ふかして笑ってやがる。


股引きの前を秋風が撫でた。


「やい! 親父! おめえ……」


「朔ちゃん! 大騒ぎするんでないよ!」

引き戸が勢いよく横滑りして、イヨさんの怒声がなだれ込んでくる。


俺はその声を契機(きっかけ)に異国に姫になり代わり、

「奧で何やら、かしましい声がする! 恋しいお方、さよなら!」

と窓下に向けて艶めいてやる。


そして振り向き、

「あいあい、乳母(うば)、今すぐに!」とうら若き乙女(をとめ)を真似た精一杯の澄み声を放つ。

しかし無情にも姫の衣紋(えもん)は掴まれてしまう。


身体の均衡をなくし、毛羽立った畳にひっくり返る。

──あゝ、白熱球もひっくり返っておろう!


「けったいなこと言わないでおくれよ! あたしャ、あんたの襁褓(おしめ)なんて替えた覚えはないね!」

「まあ、お忘れですの……? ひどいわ! ひどいわ!」

顔を覆い、さめざめと泣くふりをする。

イヨさんはその手を引っ剥がすと、

「それから朔ちゃん! あんたいつまでそこで油売ってんだい? おかしいねェ……このうちには売るほどの油はないはずなんだけどねェ……」

と腕組みをする。


「困ったお姫様だよ! ほら! さっさと迎えにおいきよ。」

イヨさんはやれやれと言いたげな顔をしている。

束の間の緩やかな空気に、俺は本当にお姫様の心地になっていた。

「起こしておくれ……」

「馬鹿言ってんじゃないよ!」

途端現実に引き戻される。

ピシャリと叩かれた額を抑えつつ、右の耳朶(みみのは)をつままれたまま蟹の如く階段をくだった。


玄関から転げ出ると、すっかり落ち着き払った大ちゃんが手を差し伸べている。

その黒衣は澄み渡る秋の青色をくっきりと切り取るように勇ましく見える。

彼の虹彩の内、満開の菊花に似た紋様を我が網膜に灼きつける。

絹の上を滑らすように、差し伸べられた手を取れば身体はふわりと浮き上がる。


俺は枯草色の着物の裾を指先で摘み上げ、恭しくカーチシーなるものを披露してみせた。


「ほれ、姫様に焼饅頭持ってきたど!」

「豆大福でねえか!」

「ほお……おめえシェークスピヤ、最後まで読んでねえべ?」

「ふん……意地悪の悪いロミオ様だこと。」

と、どこぞの物書きが色っぽく書き足したがる空気を蛇足だと言わんばかりに、笑うた。


ふいにタールの重い風が頬に当たる。


「男の姫様なんざあ、まっぴらごめんだね! 昼間っから変なもん見せるんでねえよ! おめえでなくてよお……」

斜向かいの親父は過ぎし女学生の歩みの跡を視線で舐めとる。


「やい! すけべ親父!」

そう叫んだところでイヨさんが飛び出してくる。

「あんたたち! 町内の赤ん坊片っ端から起こす気かい?」

すると、どこからともなく赤ん坊の泣き声がひとつ、またひとつ、増えていくような気がした。


その実、道ゆく人々がこのトンチキにすっかり笑壺(えつぼ)を割られ、腹を抱えて大笑いしているのだった。


大ちゃん一人が学生帽子を目深に被り、俯き震えている。


「なんだ……? おめえ、俺の頭にリボンでも乗っかってんの想像したのかい?」

股引きの恨みはらさでと言わんばかりに大ちゃんの下に回り込み、顔を覗き上げた。


大ちゃんは「隙有り!」と衣紋を掴み上げる。

俺は負けじと奴の腰に手を回し入れた。

しばし力の拮抗した(のち)、俺の膝が泣き崩れ、結果的に大ちゃんを薙ぎ倒した。


横倒しの街並みで、小菊が朗らかに香る。

「無茶すんでねえよ朔ちゃん! おめえ相撲だめだべ?」

「いんや、おめえのヂュリエットはおてんばさんなんだろう?」


──コンッ


(いって)ェ!」

箒が横たえている。

「なあ、大ちゃん。」

「ん?」

「俺は大事なことを忘れてたみてえだ。」

「勿体ぶるんでねえよ、なんだい?」

「掃除の途中だ……」

「おめえ、そりゃヂュリエットでねえな。灰かぶりさんだべな。」

「またお姫様かい?」


下宿の玄関先が寝室の如き雰囲氣(ムード)を醸し、ややその異様に反省の念を覚え身体を起こす。

小菊の鉢の、葉の茂み暗いところに(くだん)の芽を見つける。


摘み抜き、依然として異国の城の前の大ちゃんの鼻先に突きつける。

「そりゃあ栴檀草だ。しつけえど、そいつァしつけえ!」


気付けば通りから人は失せ、ただカラカラと枯れ葉が転がるのみ。

傾きかけた陽の色が、わずかに異国のものに感じられたのは姫様の真似事の副作用(せい)であろうか……。

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