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殴り殴られ詩人酒場  作者: よもぎ


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3/43

だんまり鶯、夕刻に翔べ

春、茶屋にて。

下駄を飛ばし、硬くなった親指と一際飛び出した人差し指で桜を掴む。


「飯沼。おめぇ、これ食えるか?」

俺はあんみつのあんを奴の三色団子の上に乗せる。


「おいおい、まだ何も答えちゃいねぇよ……」

「なんだ、食ってんじゃねえか。」

「ふふ。甘い。」


我ながら、無礼をはたらいたものだ。


「朔さん、そりゃあんみつのアイデンティティってもんをぶち壊してんのと同じだね。」

「黒蜜もどうだい?」

「ハハハ……相変わらずだね、いただくよ。」


俺はすっかり甘い塊と汁とを横並びの男に渡すと、透明な寒天で空を透かし見た。


──そりゃあ、早い話がみつ豆を食えってことだ。

朔也、おめえは無駄なことしかしねえ。

いつか痛い目を見るぞ。


春霞の中から、自分のとよく似た声が聴こえたような心持ちがする。


「鳴かぬとて 時告げるかな鶯の 届かざるは三つ(みつ)餅のごとし」

彼の襟章の桜が閃く。


「それは……なんだい?」

「特段、意味はないさ。」

「でも、そうさな。今年は鶯がだんまりだ……」


返事はない。

飯沼はもごもごと頬を膨らませながら手元の原稿を夢中になって読んでいる。


喉仏が下り、ごくりと大袈裟なほどの音を立てたのち彼は砂糖に(とろ)かされたような目をして言った。


「いいね、君の話は。すごく、いい。言葉が生きている。」


瞬間俺は心臓を引っ掴まれたような心持ちがして、赤豆が喉につかえて咽せた。


「なんだい? 貶されるとでも?」


悪戯っぽく言ってのける飯沼の余白が羨ましい。


ヨレた原稿の上、ヒメアリが二匹、チラチラと歩いているのをいとおしく思う。


彼は指で一匹を摘み、親指と人差し指とでニリニリと潰してしまう。

どこか遠い目をしてそれを足元へ落とす。


剥き出しの足を撫でる風が、ひんやりと花びらを攫った。


その足で、大ちゃんの下宿に寄る。


茶屋から少し進んだところ。

柳の木の隣にカステイラが売ってあったのだ。

卵と砂糖の甘い匂いは絶えず溢れ出している。

桜を見て「今年の梅はやに遅咲きだね……」と言っていた大ちゃんでも好物の匂いは嗅ぎつけて部屋から飛び出してくるだろう。


驚かせてやろうと悪戯心が働いて、抜き足し足階段を昇る。

部屋の前まで来て、俺は奴が出てくるはずがないことに気付く。

もちろん、ブツを置いて帰るなど無粋なことはしない。

そのあたりは心得ているつもりだ。


来た時よりも慎重に、座禅を組む僧侶の心ほどに「無」と「静」で階段を降りる。

呼吸すらも忘れている。


今、意識の全ては足の裏、それもつま先方向に向かっている。


──ギィ。


「うわあああ!!!!」

「すまない……ああ。君、大助(だいすけ)の……」

「あ、すみません! 本当に……」


結局最後はドスドスと音を立ててしまったが、きっと大ちゃんは気づいちゃいないだろう。


道端のたんぽぽが微睡んでいる。


春はあけぼのとはよく言ったものだが、夕暮れもなかなかにいい。

清少納言と恋仲になったなら、俺は迷わず春の夕刻連れ出して西の空を見せるんだ。

それで、彼女は冬の章の後ろにこう書き足す。

「春も夕暮れ、西向きの空に望む青紅もいとをかし」と。


今まさに、青紅の空の青が深まる方向に歩いている。

髪を揺らす風は程よく体温と溶け合っている。

しかし瞬間ぶるっと震えたのはやや、微熱を帯びているからだろう。


──いいね、君の話は。すごく、いい。言葉が生きている。


まるで青菜を貪る牛の如く、俺は飯沼の言葉を噛み締めている。


足は舗装されていない道から二センチほど浮いている。

踏み鳴らして走りたいのに、俺の足の裏は地面を捕らえられたずにいる。


ふわり、ふわりと手に持つカステイラの甘い香りと共に宙を漂ってしまう。


頭の左っ側が内から沸くように熱い!


その夢心地の(うつつ)の中で、舞う花びらを掴まんとする。

空気もあるというのになぜ今俺はもがいている?


野良のトラがニャーと鳴くのも構わず、俺の足は淀みなく土を蹴飛ばしている。

膝が曲がり、陽の沈む方へと身体は流れる。

心臓は生き急ぐ鼠の如く打っている。


ああ……筆だ。

筆が欲しい!

筆と紙が欲しい!


砂糖と卵の匂いに満たされた部屋では、相変わらず紙屑が「おかえりなさいまし」とてんでんばらばらに出迎える。


「ただいま、そしてさようなら。そらからまた、お誕生日おめでとう、だ!」


夜の(とばり)の落ち切る寸前の部屋で俺はシャツに破墨山水図が描かれるのも構わず、掴み貪り溶かした言葉を書きつけていく。

黄色の粉屑も構わず、黒に染め上げていく。


気づけばカステイラは跡形もなく消えている。

ただ頬の裏にわずかな違和感だけを残して。


やはり、鶯はだんまりだ。

部屋には曙の(いろ)が差している。


ささくれ立つ畳は身軽だ。

存分に光を浴び、柔らかな春の吐息にほだされている。


俺は久しぶりに正しい朝食を食べ、正しく大学へ向かう。


いつもの学舎(まなびや)も今朝は自分一人だ。


ガラリと扉が開く。


「あれ……?」

大ちゃんは気だるげに目をこする。

「おめぇ朔ちゃんか?」と不思議がって俺の背中だの頭だのに触れる。


「生きてらあ!」と大笑いする彼の肌が艶めいているのを見て、ふぅ、と安堵のため息をつく。


「なんだい、朝からため息なんかついて。」

「いんや、なんでもない。」


そこからしばらく二人してぼんやりと肺を春風で膨らませては疲労を吐いた。

大ちゃんは窓の外の花の色を、俺は紙の上の賞賛を映して。

まるで交わらない視線はどちらも穏やかに微笑んでいる。


「朔ちゃん、ラムネ瓶の話。あれはいいな。みんな言ってる。死んだって自分にゃ書けんって誰だっけか……あー……なんか言ってたって。」

「そうかい。そりゃあ良かった。」

「なんだい、その声は……ハハハ……ハッハッハッ!」


声が上擦りそうになるのを抑えようとしてどこぞの気取った紳士のような声が出た。

大ちゃんは腹を抱えてひっくり返っている。


「なんだってそんなに笑う!」

「おっかしくてな! ゲホッ!」


少し早めに入ってきた教授まで、何とも知らぬくせに笑っている。

奴の分厚い眼鏡にヒビが入るのを想像して、俺も大笑いをした。


「春はあけぼのとはよく言ったものだが……」

教授が(もっと)もらしく語り出す。


──えらそうに咳払いなどをするのは、いとわろし


そうノートに書きつけて、俺は昨夕の清少納言との逢瀬に想いを馳せた。


二限の終鈴ののち、昼飯も食わずに原稿用紙を幾重にも積み重ねていると大ちゃんが握り飯を頬張りながらやってきて言う。


「食わねえと、出る精もなくなるぞ。」


紙の上に米粒の二、三飛んでくるのを手で払って

「随分と、品のないこと。」

とたおやいてやったら奴は喉に詰まらせてひとしきり苦しんでからまた口を開く。

「四限のあと、みつ豆食いに行こう。」


「おめえ、俺に構ってる場合か!」

と肩を小突くと、豆でも当てられた鳩の如く目を(しばた)かせている。


その実、別の男に会いに行くなどと少し言い出しにくかったのはこちらの方なのだが。


三限、何やら見慣れぬ記号に惑わされる。

四限、異国の言葉を舌の上で転がしているうちに時は過ぎる。

気を()いているからか、もう奥歯の方で寒天が割れ風鈴のように涼やかに甘くなっている。

適当に教科書を詰めて、図書館横の油絵の具にすら構わず走った。


毎日、新月だったやも知れぬ。

昨日は満月だったやも知れぬ。


夜半、餡の甘さで胸が灼けていることに気付く。

夜の帳はいつ下り、いつ上がるのか。


相変わらずせんべい布団は品よくしていて、枕もすっかり勤めの仕方など忘れている。


屑籠は快晴の空の如し。


今日は教授の分厚い眼鏡にヒビを入れるのはやめだ。

俺は桜の花の散るのを眺めている。

遠くに鐘の()の響くのを聴く。


何かが近づいてくるのを鼓膜の揺れるのだけで感じる。


──ちゃん!

さ……ん! 朔ちゃん!


揺さぶられ目を開けると、タックの死んだ洋袴の上に重なる花びらが飛び込んでくる。

次に、嬉しそうな大ちゃんの顔。


「……なんだい?」

「なんだってそんな寝ぼけてんだ! これ! 見たまえよ!」


──飯沼太一、上原朔也


「ああ……」


睫毛がいやに重いのだ。

心は弾むのに、睫毛がそれを許さない。


「……だんまり鶯とまる枝、くすみの翠は真実で、鮮やかなるは不実の……」


頭の中だけは澄み渡り、声だけが途切れてしまう。


桜はまだ、夢を過分に抱えたままだった。


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