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殴り殴られ詩人酒場  作者: よもぎ


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18/43

蟻の葬送行列

御空(みそら)色の窓には赤蜻蛉が重なり舞い遊ぶ。

俺は相変わらず()(どき)の陽射しに微睡んでいた。


ふと、あの甘い毒の入っていた瓶に花でも挿してやろうと思い立ち、階段を降りる。

トンと爪先をおけど、キシと返事のないことに「おい」と声をかけてみるなどする。

この不毛な問答を四往復したところで、季節の残り香に目頭をやられる。


茹で枝豆の青っぽい匂いは夏への(はなむけ)だろうか。


ぼんやりと畳の上を、べったりべったり歩く。

猫の如く伸びをして、あくびをして、うつらうつらするのもいとわずに。


縁側にて、美大生のスケッチブックを覗き見る。

向日葵の屍が紙の上で冷たくなっている。


「文士様はいいご身分ですね……」

パステルをせわしなく動かしながら、ぽつりと溢す。

「日がな一日、花を愛で、(ねむ)りを貪り、また花を愛で……まるでおとぎ話のお姫様だ。」

ヨレたシャツは、黄ばみと絵の具とで、どんな文豪とて筆を折りかねぬ色をしていた。


「君は屍を描く、(それがし)は屍に書く。ただそれだけの違いさ。」

自分で言っておいて肩を振るわせてしまった。

彼もまた同じく肩を振るわせている。

俺たちは、目も合わないまま笑い合っていた。


「そりゃあまた随分と悪趣味だな、文士様ってもんは。」


どこかで蝉がまた一匹、生き終える。


パステルの箱の横に腰を下ろし、冷たい屍が温まっていくのを聴いている。


「お、赤蜻蛉。そっち行ったぞ。」


その言葉よりも早く俺は人差し指を掲げていた。


「この……指、止ま、れ……」


何故だろう。

視界がぼやけていた。

下の睫毛が、硝子片を弾いたのだろうか。


指先が茜色に滲む。

なんて軽やかなのだろう。


右頬を何かが掠める。

空を見上げる爪の白が、どこか寂しげだ。


「朔ちゃん……あんた、何やったんだい?」


振り向きもしないで俺は頬の横に指を伸ばす。

顎の下、季節外れの白い腕は青灰(あおばい)の筋が不気味に浮いている。


しみったれた封筒の上で逆鱗に触れてしまった俺の名が頼りなさげにうずくまっている。


塩辛い指先で、もぬけの殻の豆鞘を摘む。

豆の抜け殻が小山を作っている。


「文士様は食いしん坊だね……」


彼は西陽に照らされながら微笑んだ。

生垣の前、本物の屍を見つめたまま。


俺はぺしゃんこの豆鞘を咥えたまま、物思いに足を掬われ小趾を砕く。


「ほれ、朔ちゃん。置いてくんでないよ!」


封筒はすっかり、水とパステルと塩にまみれ疲れ果てている。


「腹のうちはわかってんだ。」

物言わぬ自らの名に囁く。


階段下の埃臭さが今日はいやに鼻についた。


結局空のままの毒瓶のことなどすっかり忘れて、部屋の中のヒメアリを追いかけている。

あまりの勤勉さに俺は己の怠惰に顔を覆った。

指の隙間から、彼女のたちの往来を覗き見る。


てんでんばらばらの形を抱え、ふらふらと行きつ来たりつ。

或る者はやや硬質な、また或る者は粘着質な、さらにまた或る者は(しろい)をはたいたような琥珀を持ち上げ誇らしげだ。


俺は名探偵気取りで、西陽の畳にあぐらをかいて腕を組む。

左の親指と曲げた人差し指で顎を挟んで小首を傾げれば、快晴の空だってたまげて降ってくるほどに明晰な推理ができそうだ。


四つ這いになり、手で作った単眼鏡で蟻の道を追う。


夢中になって畳の上を這いつくばる。

蟻たちはそそくさと、いそいそと任務に励む。


「ここか……」


そして名探偵は行き着く。

不気味に開いた、光なき扉の前。

その仄暗さが好奇心を無責任に焚き付けていく。


「さあ、堪忍したまえ。」


きっと真犯人は息を潜め、日の下に引き摺り出される恐怖に震えているはずだ。

自然と口角が上がる。

高揚感と全能感。

俺は腕を組み仁王立つ。


今、この世の真理は俺だ。

それ以外は全て(ペテン)だ。


腕をほどき、わずかな隙間に指を突っ込み右に払う。


建て付けの悪い扉は跳ね返り、俺は指を挟んだ。

そうだ、運という奴は才能に嫉妬する。

真相の一歩手前、苦悶に歪む(かお)


俺はここで自分が怖くなったのだ。

心臓の昂りが過ぎる。

今、一種の恍惚のような身悶えを覚えている。


対峙する者の怯える身体を浮かべ、それを暴くことへほの甘い憧れを抱いている。


しかし、疼きの減退と共にこの恐ろしい猟奇もなりを潜めていった。


次は扉の奥を焦らすように少しずつ西陽を垂らしこめてやった。


すると、押し入れの隅でぐったりしている黒い塊を見つける。


「……」


名探偵の俺は真犯人への敗北をまだ認めはしない。


これは奴の残した決定的な汚点。


「証拠残して隠遁とは……なかなかやってくれるね。」


証拠品を押収し、歪んだ母趾(おやゆび)母趾(おやゆび)の間に落とした。

再び腕を組み、高らかに笑う。


「愚か者めが! この中には君の痕跡が詰まっているのだろう。逃げ隠れし……」


──ダン、ダン、ダダン……


いいや、構わない。

「無駄だよ、無駄! 無駄だ!」


鞄の蓋を乱雑に開け、ひっくり返した。


蟻の隠れ蓑と化した本がばさりと落ちる。

慌てふめく彼女たち。


「もう逃げられないよ……」


罪なきいとしき者たちを腕に這わせていく。


「でも安心したらいい。今日からはもう、自由だ。君たちは茜の下、清き雫を喰んで生きるのだ。」


一人一人に甘い言葉を吐き、捕らえていく。

首元まで蟻が昇り詰めた頃、得体の知れぬ何かの残骸が俺の指先をベトつかせた。

仄甘い香りが頭蓋の裏を撫で回す。

振り払うように頭を振る。

唇に当たる髪をフッと吹き、再び鼻の前に近づけていく。


重要証拠を前にして、その名も、正体もわからない。

そんな意味の到底手繰れない状況に喉が鳴る。


名探偵は両手を挙げて、降参するのだろうか?

それともかくなる上は……


いけない。

(たかぶ)ってしまった。


馬鹿みたいだ。

自らの指先を前に、ご馳走の後ろでお預けをくらう犬の如く涎を垂らすなんて。


よく考えろ。


甘さの裏に、焦らされた喉奥のような熱の痕跡。


気付けば指は唇の前まで来ている。


小指のこそばゆさに視線をやれば、蟻が一匹。

俺の指先をべとつかせたものの一部を持ったまま彷徨っている。


前歯の背後で舌先が躊躇う。


嗅覚はもう、すっかり向こうの支配下。

絶対絶命の名探偵は、睫毛越しに(から)の毒瓶を眺める。

もうこの瞬間には恍惚の中にいて、この気怠げな時間に閉じこもりたくて瞼で光を遮った。


躊躇う舌先を嘲笑うかのように甘く焦がされた匂いがついに、怯える自我を焼き切った。


べとつく舌のまま正体不明の身体の震えに見舞われる。


渇ききらぬ先端は少しずつ夕刻へと溶けていく。


首筋を這い、耳朶(じだ)を噛み、再び首筋を降りてゆく蟻たちに翻弄される。


名探偵は、膝から崩れ落ち悶絶のうちに涙に溺れる。


明晰だったはずの脳は喰い荒らされ、灰まみれの瞳を見開いたままただただ絶命の真似事を続けていたのだった。

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