表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
殴り殴られ詩人酒場  作者: よもぎ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

16/45

鞠菊の月と肺

──桃の種を五、六……

裏のお庭に埋めたところです。


湧き立つ言葉に急かされて、僕はもう粉々の肋骨(あばら)と自由になった肺とで大いに笑うております。


万年筆を置き、身体を伸ばす。

途端に胸が笛のように鳴り、その終わりには肺が(あぶく)の如くパチパチと弾ける感覚がある。


胃が重くなるばかりでその実、そろそろ毒だとも思えてきた水飴をまたひと舐めし、床につく。


窓の外、鞠菊のような月が浮かんでいる。

その手前、薄霞が滑る。

鈴虫も過ぎたるはやかましく、下の瞼を黒くする。

開けっぱなしの窓からは、夜香木が仄甘く追い討ちをかけてくる。



──長田桜


「おさだ……さくら……」


封筒の裏の文字を指でなぞる。

うつらうつらしながら幾度となくなぞる。

桜が指先を青黒く染めた。


儚くも強く、強くも寂しげな筆跡に(かげ)りの瞳を見てしまう。

どこか闇に怯えるような、掴みどころのないような、それでいて逃げようにもその術を持たぬような、えもいわれぬ哀しみを。


人差し指の黒いのをあの鞠菊にかざしてみれば、俺の身体は指先から少しずつほどけていく。

まるでリボンのように。


夏の()に、睫毛の先で薄紅が散る。


ちぎれていく意識の中、見覚えのある後ろ姿が震えている。

一番近くて一番遠い場所にいる。


「桜の姫様……」


物心ついた頃からそう呼んでいる。

顔も、声も知らないけれど。


依然として青黒い闇に紛れていく指先を懸命に伸ばす。


とうに砕け散ったはずの肋が疼く。

彼女の姿はない。

夜香木(やこうぼく)(こう)が無情にも肺を痛ぶる。

内から外から、嘲笑う。


やめろ……やめろ……


霞に隠れた空の菊を睨みつけ、犬歯をギリギリと鳴らす。

広い広い空の下、俺はあまりにもちっぽけだ。

あまりにか弱い狼だ。


右から溢れる怒りは左の瞳を傷めつけ、その傷から流れ出る寂しさは枕を染めていく。


瞼で世界を閉ざそうとすれば妨げられるのに、留まろうと試みれば連れ去られる。


身の丈に合わぬほどの分厚く大きな物語を抱え、はらはらと舞い落ちる一枚の薄紅を虚ろに追いかける瞳は、割れ硝子の如く潤んでいる。


気づけばまたその後ろ姿を追っている。

伸ばした指先の、曲がりの無さに「これは夢か」と落胆する。


そしてまた肺に瞼をこじ開けられ、菊色の月が映れば、いたけき狼は枕を噛んで唸るのだ。

喉に絡む蜘蛛の糸に悶えながら。


夜の帳は一重(ひとえ)なのに、我が(ねむり)の掛布は幾重にも折り重なっている。


横たえた身体は、震えることなく凍えていた。


その傍ら、滲んだ桜が揺れる。

再びそれをなぞれば、指と紙の擦れる音が嗚咽と混じり合う。

そしてその後は鈴虫にかき消された。


微かに動く唇から漏れた「置いていかないで」の言葉は少年のように澄んでいて、異様なまでに叫びだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ