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殴り殴られ詩人酒場  作者: よもぎ


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奪われし御伽の鍵

窓の外、空は夜と朝との(はざま)揺蕩(たゆた)う。

その藍色の穏やかな光で目を覚ます。

蕎麦殻のカサリと鳴るのが聴こえる。


待宵草はまだ、黄色いだろうか?


建て付けの悪い扉をすり抜け、爪先から一歩、また一歩と抜きつ差しつつ進む。


──サイダーを飲みに行かねえか?

アメンボさんに乗って。

あら、良いわね。


隣の部屋は逢瀬だろうか。

いいや、声が一人分だ。


俺は慌てて部屋から紙と万年筆をひったくってきた。

ひとかけらも逃すまいと四つ這いになって奴の夢を拾い集める。


──いいもんだ!

スイッチョスイッチョ……

良い心地ね。


横隔膜がこそばゆい。

俺は時折床に額を押し付け、小刻みに肩を揺らす。

えもいわれぬ背徳感に浮かされて、脊髄の赴くままに手を動かす。


奴は今、アメンボさんに乗ってどこぞの女学生さんか誰かとカフェーにサイダーを飲みに向かっている。

極めて愉快。

美しき青春。


続きはどうにもお預けらしい。

ならばお後はこの俺が、お前を蹴落とし飛び乗って、お嬢さんの手を取って、サイダー飲んでもよかろうな。


──スイッチョスイッチョ

どこまでも。

スイッチョスイッチョ

どこまでも。


人様のサイダーを飲み干し満たされた俺は、階下から昇ってくる味噌汁の香りに噯気(おくび)を吐いた。


今日はいつにも増して賑やかだ。

ハモニカの()、歌う声。

そのおぼつかなさに、二重線。

屑籠はとうにあふれ返っている。


一段落目で颯爽と現れた主人公が、たった今死んだところだ。

ここは第二段落。

行にして三行目。

その早過ぎる死を悼み、俺は紙の上に秋明菊の小瓶を置いた。


ああ……面白い。


英雄だろうが、少女だろうが、自意識過剰の美大生だろうがみんな一ページ目で死んでしまう。

書けば書くほどに犠牲が増えて、まるで自分が死神のように思えてくる。

筆は忌々しき刃で、この毒々しい黒が血だ。

死者の血から生み出される主人公たちは生まれながらの呪いに打ち勝つことはできず、朽ちてしまう。

殺すために生み出す。


手首の痛みに甘ったるい絶頂を覚えた。


この者たちに名がないこと。

これが俺の弱さだ。


水風船の割れる音、その度に上がる無垢な声。

汗ばむ髪をかき分け、こめかみに指を突っ込み目を閉じる。


純真に脳を劈かれ、俺はばったりと倒れた。


「降参、降参……」


声に出してみる。

あまりに滑稽だ。

ただ、俺は安堵した。

笑えるじゃないか、俺はまだ、笑えているじゃないか。

ものごとを面白がる、余白があるじゃないか。


片目を閉じ、届かぬ電球に手をかけた。

ギリギリと指に力を入れていく。


ふっと鼻から息が漏れた。


一体何をしているんだ、俺は。

誰に見られたわけでもないのに途端に気恥ずかしくなり、両手で顔を覆い身悶えた。

頬が熱い。

駄々っ子のように足をばたつかせれば、俺も純真無垢に戻れた気がした。

その実、それがいつのことだったかは思い出せやしないのだけど。



──郵便です。

上原……上原朔也さん宛です。


唐突に聴こえた自分の名前にハッとして身体を起こす。

最も名を呼ばれたくない瞬間。

次の主人公は郵便屋の青年で決まりだ。

万年筆に指先が触れるのと時を同じくして、

「誰かこれ、二階に持ってとくれ! 階段昇ってすぐの部屋だよ!」

とイヨさんが叫ぶ。


それを号令にドタドタととんでもない数の足音が襲来する。


たかだか数秒だが俺は妙に冷静だった。

足の裏全部をベタベタ打ちつける者に爪先だけで軽やかに跳ねる者、これは二人分だ。

手をついて犬の如く這い上がる者、そして最後……


足はおそらく(ここの)つだ……

いや、(ここの)つ……?


扉が半分あたりまで開いたところで、俺はあの紙切れを小瓶の下から引き抜いて丸めると、机の下に転がした。

そして姿勢を正し、咳払いをひとつ。


「君たち……」


説教の真似事などしてみようかと思っていたが、それはどうにも叶いそうもない。

まっさらな心の前では、ぐしゃりとひしゃげた英雄の亡骸も、首の折れた少女も、夢奪われし美大生も皆、きらりきらりと息を吹き返すのだ。


(あん)ちゃん、これ、なんて書いてあるのさ。」

「ミナコ、アメンボに乗ってサイダー飲みに行かないか?」


嘘をつく、その罪悪感が脳に心地よい。

紙にさえ向かわなければ、彼ら彼女らはだいぶ生き長らえてくれる。


ケラケラと笑う子どもたちに手を引かれ、転がり落ちるように階段をくだる。

(からかさ)お化けが足滑らせて「痛え、痛え」と泣くものだから俺はそいつをおぶさって仲間のとこへ連れて行く。


僕も私もとせがまれて、気づけば俺はお馬になっていた。


座ることを許されぬ紙風船の如く、あちへこちらへ。

その度に上がる鈴のような声。

蚊取り線香の煙までもがけたたましいほどに上がっている。


けたたましさの奥、(こうべ)を垂れる向日葵を見つめる少年が見える。


彼は俺に気づくと伏目がちに手招きをした。


「お馬はしばし、天馬になってくるんでな。」

そう適当言って、背中の子どもを下ろす。


伏目の少年は自分の口の前に指でばつ印を作ってウンウン言っている。

要領を得ない俺は右の首筋を掻く。

少年はまだウンウン言っている。

いよいよ、血が薄ら滲んだ頃イヨさんが手拭いで汗を拭き拭きやってきて言う。


「やだよ朔ちゃん。あんたの話を聴きに来たんじゃないか!」


少年の顔は咲きたての向日葵の如く輝いた。


そして俺は彼の隣で御伽の国の門を開く。


──街外れの小川のほとり、一人の絵描きがおりました。

草の上、尻の濡れるのにも構わず絵を描いておりますとお空の色したアメンボが、スーイ、スーイとやってきます。


──その後ろから今度は、お空から甘い甘い雲がふわりと降ってきました。

絵描きの腹が、グウとひと鳴き。

ぱくりと一口食べました。


──するとどうしたことでしょう。

みるみるうちにアメンボが大きくなって、

「僕の背中にお乗りなさい」と言うのです。


──一体どうしたものでしょう。

ですが絵描きはうれしくなって、その背中に飛び乗ります。

自分の背丈ほどもある絵筆で水をかきかき進みます。


──だんだんと腕の疲れてきた絵描き。

「お兄さん、必要ありませんよ。僕が案内しますから。」

彼はあっさり絵筆を水に沈めます。


──おや、一寸先に水底へと伸びる虹が一本。


「夢を沈めた罰だ」


いつのまにか子どもたちに囲まれている。


「絵描きは水底へと引き摺り込まれ……」


蝉の声が一匹分、ぽっかりと穴の空いたように小さくなる。

俺を囲む子どもたちの円が狭くなった。


「水の底には……えっと……ほら、竜宮城! 絵描きさんは竜宮城に行ったんだ。な?」


つい何時間か前、アメンボに乗っていた男が青ざめた顔で夢みたいなことを言っている。


「……水底は」

「美しいお姫様が!」

「寂しく……」

「楽しいお歌を!」

「暗く……」

「おいしいご馳走をいただきましたとさ、おしまい!」


彼らはもう蒸したてのとうもろこしを頬張っている。

俺は少し離れたところで、開けてしまった玉手箱の煙に包まれている。


「途方もない、終わりの終わり……」


御伽の国の門は俺の帰りを待たずして閉ざされた。


何度目かの微熱に心地よく揺れながら、熟れ過ぎた桃をかじる。


夏風邪をひくなんて、随分と俺らしいじゃないか。

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