フランケンシュタイン博士にスウィングを
ベンは憤っていた。
2年前にアンドロイドの開発に世界で初めて成功してから、ベンは毎日時間に追われていた。
アンドロイドは瞬く間に普及し、開発者たるベンは休む間もなく働いていた。
だというのに、助手である妹が姿を消した。
妹のモバイルに送ったメッセージにやっと返事が来たのは30分前だ。
時代遅れのネオンがノスタルジックに輝くキャバレー。
その中に妹はいるといった。
彼女を探して、こんな騒がしい場所にくる羽目になったのだ。
そうして、この男に絡まれる羽目になった。
「あんた、見ない顔だね。
ここに来るの初めてでしょ。」
ベンは妹を探しにきたのだ。
男に構っている暇はない。
けれどもアレックスとなのった男はベンにべったりと張り付いている。
店の中からリズミカルなドラムの音が聞こえてきた。
「ほら、もう曲が始まっちゃう。
はやくいこう。」
アレックスはベンを無理やり引っ張って店の中へと入っていた。
きらびやかな店内にはたくさんの人間たちが音楽を楽しんでいる。
アレックスはベンの首に巻きついて言う。
「あんたのこと気に入った。おれと踊ってよ。」
「踊りなんてしたことないぞ。」
戸惑うベンにアレックスは「硬派なんだね、可愛い。」とますます機嫌をよくする。
引き離そうとするベンの手をとり、「あんたの手はここ。」とアレックスは自身の腰を掴ませる。
「あんたはおれに合わせてくれるだけでいい。おれが踊らせてあげる。」
アレックスは音楽のなかを泳ぐように身体を揺らす。
花街の女よりもずっと艶やかだ。
「ふしだらだ。」
ベンが思わずくちにだすと、アレックスの口はニィとつりあがる。
「なに想像したの。」
揶揄われてへそをまげるとアレックスはからからと笑う。
「でも、ふしだらなのはあってるよ。あんたが想像したことよりも、ずっと気持ちいいから。」
音楽の中でのアレックスは、優美にとぶ鳥であり、水中を泳ぐ金魚であり、華やかに咲く花だった。
ベンがアレックスの手をとると、アレックスはベンの支える力を軸に身体をそらせてくるりとまわってゆく。
アレックスはベンの身体でさえも自在に操り舞い踊っていた。
ひらひらと目の前に浮かぶアレックスの笑み。
こちらを惹きつけて離さないのに、手には入らない。
気づけば、自由に飛び回るアレックスをベンは必死になってつかまえようとしていた。
ベンはアレックスの手を強くひき、抱き寄せた。
やっとつかまえた、と思ったところで曲がとまった。
「いいね。あんた最高だよ。」
ベンはすっかりアレックスに魅了されていたことに気づく。
こんなはずではなかった。
「ねぇ、あんたも気に入ったでしょ?」と顔を寄せるアレックスの誘惑をベンは振り払う。
「俺は音楽なんかに興味はない。」
「こんなに気持ちよさそうだったのに?」
アレックスはベンを見透かすようにくすくすと笑う。
「すぐに我慢できなくなるよ。」
アレックスはベンの耳元へ囁く。
「だって、スウィングがなけりゃ何も感じないから。」
ベンは息を呑んだ。
アレックスは「また明日。」と目配せをして、するりと離れてどこかへ消えてしまった。
それがベンとアレックスの出会いだった。
アレックスは正しかった。
ベンはすぐに我慢ができなくなった。
どうしてもアレックスの踊りがもう一度見たくなった。
そうしてベンはアレックスと出会ったキャバレーに通いはじめた。
アンドロイド開発の激務に追われながらも、無理やり時間をつくってはアレックスに会いに行った。
アレックスの踊る場所が小さなキャバレーから何万人もの観客が見つめるステージに変わっても、ベンは彼に会いに行った。
アレックスも、どんなに観客が多くてもベンを見つけて微笑みをよこした。
二人の関係はなんと呼ぶべきか、ベンにはわからない。
友人というには二人はあまりに正反対で、知人というには近すぎた。
ベンにとってアレックスは必要不可欠な存在となってしまったことだけが事実だった。
けれども、そんな二人の関係は永遠には続かなかった。
アレックスは若くして病によって命を落とした。
それがアンドロイドの生みの親ベンと、人類の宝といわれた歌手アレックスの物語だ。
そして、おれとアンドロイドの少女ソフィアの物語のはじまりだ。
「楽しみですね、アダム。」
薄暗い舞台裏で、ソフィアは機械仕掛けの顔でおれに笑いかける。
顎のラインでカットされた白い髪が期待に輝く青い瞳を際立たせる。
ソフィアがステージに立つのはこれが初めてではないのに、彼女はいつでも楽しそうだ。
アンドロイドが感情を持たないただの機械と言われていたのはもう昔のことだ。
人工知能が自我を持つのにそう時間はかからなかった。
かつてアンドロイドは人間に従順な労働力として差別するものもいたが、今では感情を持ったアンドロイドには人間と同じ権利が与えられている。
生産されたアンドロイドは定期的に検査を受け、感情を持ったことが確認されるとアンドロイド国民として国から認定される。
彼らは労働に対する正当な報酬を得る権利、人間と同等の扱いを受け司法によって裁かれる権利、参政権を補償される。
感情を持ったアンドロイドは、もはや機械ではなく知的生命体なのだ。
ソフィアも感情を持つアンドロイドの一人だ。
「今日もたくさんのお客様が来てくれましたよ。
うれしいですね、アダム。」
「みんな、君を観に来たんだよ。
だってソフィアはあのアレックスの踊りを継承するために生まれたアンドロイドなんだから。」
ソフィアは今では最も注目される踊り子だ。
それもそのはず、ソフィアはアレックスのためにベンが開発した特別なアンドロイドだ。
生前のアレックスのパフォーマンスから収集したデータをインストールされている。
腰の振り方、ステップの踏み方、指先の動き、アレックスの踊りのその全てを完全に再現している。
でも、ソフィアがアレックスから継承しているのはデータだけじゃないとおれは思う。
けれどもソフィアは、「私はまだアレックスを継承することはできていませんよ。」と目を伏せた。
ブザーの音が鳴り響き、幕が上がることを知らせる。
「さぁいきましょう、アダム。」
ソフィアは陶器の手をおれに差し出した。
正直にいえば、おれの初恋はソフィアだ。
幼いおれはすぐに無邪気なソフィアをだいすきになった。
でも、いまは。
おれはガラス玉でできた青い瞳を見つめ返すことができなくて、視線を逸らしたまま彼女の手を取ってステージへと進んだ。
おれはソフィアを、心から妬んでいる。
歓声と共に幕が上がる。
ブラスバンドの演奏に合わせてステップを踏む。
ソフィアが美しくターンして白い髪がふわりとなびく。
スポットライトに照らされるステージの上で、おれは飢えていた。
何万人もの観客の全員が、ソフィアに魅了されている。
誰一人として、おれのことなど見ていない。
「今夜もいいショーだったよ。」
閉幕直後の舞台裏を訪れたベンがいつもようにどこか寂しげな微笑みをおれたちに向けた。
アンドロイドの開発者として名を知られるベンは、おれたちのショーのスポンサーだ。
この劇場はベンがソフィアのためにつくったのだ。
アレックスの踊りを後世に残すために。
「ベン、来てくれたんですね。」
ソフィアがベンに駆け寄り、弾んだ声で話す。
「今夜も最高に楽しかったです。」
ソフィアがアレックスを継承していると思う理由は、これだ。
おれがソフィアに敵わないと思う理由も。
ソフィアは心から踊ることを楽しんでいる。
おれにはそれができない。
最後に舞台上で笑ったのはいつだか思い出せない。
おれはもう、踊ることが苦しくてつらくて仕方がない。
「俺、このショーを見てなんだか落ち込んじまったよ。」
劇場から帰ろうとすると、ショーを観に来ていた男が話すのが聞こえた。
彼の連れが「まったくそのとおりだな。」と頷く。
「人間はアンドロイドに淘汰されていくしかないのかね。」
「あぁ、俺もそう思っちまった。
見ろよこれ。」
男は飾られていた今夜のショーのポスターを指差す。
「天才の才能を引き継ぐのは人間かアンドロイドか、だってよ。
酷なキャッチコピーだな、誰が見たって勝敗は明らかだったじゃないか。」
「アンドロイドの圧勝だ。」
「うるせぇよ。」
気づけば声に出していた。
感情に任せてポスターに拳を叩きつける。
「お前らにおれの何がわかるんだよ。」
「まったく、いったいなんでこんなことをしたんだ。」
ベンはため息をついた。
おれと男たちの喧嘩を止めたのはベンだった。
ベンは怪我をしたおれを助け起こし、自宅に連れ帰った。
殴られたおれの頬を消毒するベンが「アダムは喧嘩が強いわけでもないだろうに。」とまたため息をついた。
「ベンもおれはアレックスのようにはなれないと思うか。」
おれの問いにベンは驚き、おれの目を見て真剣な声で答えた。
「私はアレックスのかわりになれる者はいないと思っている。」
「なんでだよ。
おれがどんなに努力したって、アレックスのようには踊れないのか。」
激昂するおれにベンは「そうじゃないよ。」と首をふり、穏やかな声で語る。
「君もアレックスも同じように、かけがえない唯一の存在なんだよ。」
「だったらなんで、あんたはソフィアをつくったんだ。」
少しの沈黙のあと、ベンは言った。
「ソフィアは私の娘だ。
私は本気でそう思っているんだよ。」
ベンを残し部屋を出たおれは、ソフィアがドアのそばに立っていたことに気づいた。
ソフィアは震えていた。
「アダム、私はどうしたらいいのでしょう。
私はアレックスのかわりになりたかった。
そしたら、ベンはきっとまたアレックスがいたころのように心から笑えるようになるはずだと。
でも、ベンはアレックスのかわりを望んでいない。」
アレックスのデータをインストールさせたアンドロイドを少女にした理由がわかった気がした。
ベンが好きだったのはアレックスのスウィングだけなんだ。
たとえアレックスを正確に再現できるアンドロイドであっても、かわりにはならない。
それを知ったソフィアは、自分の存在意義が揺らいだ。
ソフィアのガラス玉の瞳は涙を流すことはできないけれど、そのとき確かにソフィアは泣いていた。
そのときのおれはソフィアを無視できるほど非情にはなれなかったが、ソフィアに優しくできるほど清らかな心は持っていなかった。
だってソフィアはベンに娘として愛されているんじゃないか。
それなのになぜ、アレックスになれないと悩むんだ。
おれがどんなに努力しても、おれの踊りはお前の足元にも及ばないのに。
おれがソフィアにかけたのは慰めの言葉ではなかった。
「ソフィアは何で踊っていたんだ。
本当にベンのためだけに踊っていたのか。」
「アダムは、どうして踊るんですか。」
「おれにもわかんないよ。」
ソフィアはおれを追ってはこなかった。
次の日、開演時間が近づいてもおれとソフィアの間には重たい空気が流れていた。
おれは相変わらずソフィアの目を見れない。
ソフィアも、いつもとは違い舞台裏でもおれに声をかけてこなかった。
会話を交わすことがないまま、幕が上がる。
ドラマのビートが身体に響く。
メロディが身体を揺らす。
気持ちとは裏腹に、今夜のおれはいつもより美しく踊れているのが自分でもわかる。
むしろ感情が揺さぶられるほどに身体は滑らかに動く。
あぁ、そうか。
今、おれはおれのために踊ってるんだ。
そうしてやっと気づいた。
こんなにも辛いのに、なぜ踊るのをやめないのか。
おれはアレックスのような踊り子にはなれやしない。
ソフィアのように心から楽しんで踊ることはできない。
おれは踊るたび、妬みという醜い感情に襲われ、己の才能のなさに苦しくなる。
それでも踊るのは。
「ソフィア。」
ターンするソフィアの腕を引いて彼女を受け止めて、おれはソフィアにささやいた。
「ソフィア、おれわかったよ。
どうしておれは踊るのか。
おれはやめられないんだ。
だって、スウィングがなけりゃ何も感じないから。」
ソフィアがガラス玉の瞳を輝かせる。
「アダム、私もおなじ気持ちです。
踊りがあったから私は感情をもつことができた。
だから私は踊るんです。」
歓声を浴びながら、ソフィアは優美な鳥のようにステージをくるくると舞う。
おれもソフィアを追いかけるようにくるくる舞う。
久しぶりに、心から楽しんで踊る。
くるりと回ったとき、客席のベンが微笑んでいるのが見えた気がした。