第7話 推しと○○するのは犯罪じゃないですか?
「子供の頃からずっとお慕いしておりました。私と婚約してください」
ユリウスがその水色の瞳で、真っ直ぐ私を見つめている。
「ここ、こ、こん、こんこ、こんやく?」
あまりのことに、キツネみたいになってしまった。
……推しが私に、『婚約して欲しい』とか言っている。
彼氏いない歴=年齢の喪OLに、そんな都合の良いことが起きて良いのだろうか?
(いくら夢の中とは言え、そんな都合の良い……ん? でも夢の中なのよね……?)
夢の中ならば、そんな都合が良すぎて申し訳ないようなことが起きたって、別に良いのでは無いだろうか?
私の夢の中で、私が推しと婚約したって、別に誰にも迷惑かけやしないのだから……。
それにここで断ったら、ユリウスはきっと悲しい顔をするだろう。
夢の中とは言え、推しを悲しませるのはオタクの風上にも置けない行為だ。
……ならば、答えはひとつ。
「ユリウス様……そのお話、喜んでお受け致しますわ!」
そう言って、引き攣って上手く動かない表情筋に喝を入れ、むりやり笑顔の形に動かした。
私のぎこちない笑顔を見て、ユリウスはホッとしたように顔をほころばせる。
その笑顔が眩しすぎて、直射日光でも受けたように目が痛くなってしまい、私は思わず手で目を抑えた。
(推しの笑顔って……眩しすぎて逆に目が悪くなりそう……)
私がそんな訳のわからないことを考えていると、
「その婚約、王の名において認めよう!」
黙って成り行きを見守っていた王が、厳かに宣言した。
「スカーレットは王太子妃となるため幼少の頃から厳しい教育を受け、弛まぬ努力を続けてきた。ユリウスが王太子となった今、スカーレットがユリウスと婚約するのは当然だろう」
「父上、ありがとうございます!!」
ユリウスがまた極上の笑顔で、父への感謝を述べた。
「えええええ! 今度はユリウス様とスカーレット様が婚約した!?」
「もう今日は色んなことが起こりすぎて、何が何やら……」
「まあでも、カイウス様より正直お似合いかも?」
「ユリウス様とスカーレット様は、常にそれぞれの学年主席を守る秀才だし、年齢もユリウス様の方が1つ下とはいえ、そう離れているわけでも無いしな」
生徒たちまでもが、この婚約に納得のようだった。
「では婚約が成った証として、口付けを!」
「………………!?!?!?!?!?」
王がまるで当たり前のようにそう言うので、私はもう少しで卒倒しそうになった。
夢の中で卒倒すると、どうなるのだろう。
(推しと、キ、キス!? いやいやいやいや、さすがにそれは何らかの罪に触れるのでは!? 逮捕では!?)
私は盛大に混乱していたが、その一方であることを思い出していた。
そういえば小説の中でも、カイウスとスカーレットの婚約が破棄された後、カイウスが聖女と婚約すると宣言して、2人は口付けをしていたような気がする……。
つまりこの国では、婚約が成立すると口付けをするという風習があるのだろう。
私の脳は、小説の設定に忠実に夢を見せてくれているようだ。
(いや、でも、夢の中だとしてもそんなの無理無理無理! 現実でもキスなんてしたことないし! 推しとキスなんて、本当に気絶するっ!!)
私が恐れ慄いて後退りを始めようとした瞬間、ユリウスが私の腰を捕らえた。
「……!? ユ、ユリウス様!?」
「逃しませんよ。……ずっと、あなたにこうすることを夢見ていたんですから」
ユリウスはそう宣言すると、私の顎を指先で支えて上向かせた。
ユリウスの美しすぎる顔が、少しずつ近づいてくる。
(嘘でしょ!? 無理無理ムリMURI!! 本当に気絶す──)
そこまで考えて、私はハッとした。
(夢の中で気絶すれば、目が覚めるんじゃない……?)
長々と見ていたこの夢だが、あんまり長く寝ていたら朝までに残りの仕事が終わらないから、そろそろ覚めて欲しいのだ。
古来から、眠っているお姫様は王子様のキスで目を覚ますものと相場が決まっている。
自分のことをお姫様と称するのはおこがましいが、ユリウスは間違いなく『王子様』である。
(つまりこのキスを受け入れれば、目が覚めるのかも──!?)
そう思うと、なんだか名残惜しい気もする。
こんな素敵でキラキラした幸せな夢は、もう二度と見られないかもしれない。
目覚めたら、推しと婚約した公爵令嬢ではなく、限界社畜OLとしての現実を生きなければならないのだ。
……それに何より、目覚めたらもう二度と、このユリウスの顔は見られないだろう。
私はぎゅっと瞑っていた目を開き、じっとユリウスを見つめた。
私の視線を受けて、ユリウスが少し照れたように微笑む。やっぱり目が痛いくらい顔が良い。
目に焼き付けるように見つめてからもう一度目を瞑ると、ユリウスが腰に回している腕に力を込めて私を引き寄せた。
ユリウスの顔が近付いてくる気配がする。
(……ああ、いい夢だったわ。この夢を一生覚えておこう。この幸せな記憶があれば、私はこれからもドス黒い現実と闘える……)
「……ユリウス様、永遠に愛していますわ」
私がそう言った瞬間、ユリウスの唇が私の唇に重なった。
──その瞬間、空間がグニャリと歪んだ気がして、全ての音が遠ざかって行った。