第10話 推しといつまでも
自称メイドさんが隣の部屋へ向かおうとしたのと同時に、部屋の扉が開く音が聞こえた。
「ユリウス様! お嬢様がお目覚めになられましたので、今お呼びしに行こうと……」
「ああ。話し声が聞こえたので、スカーレット様が起きたのだろうと思ってな。……悪いが少し2人にしてもらえるか?」
「かしこまりました」
天蓋の向こうからメイドさんの声と、加えて聞き覚えのある誰かの声がする。
(さっきの夢と同じ、ユリウスたんの声だ。改めて聞くと、声までイケメン……って、それどころじゃなくて!)
私は本格的に混乱し始めていた。
オフィスでの出来事は現実とは思えなかったが、それが夢だとしたらこちらが現実ということになってしまう……。
(つまり私は、激務と寝不足がたたって亡くなったのかな。それで、好きな小説の世界に転生してしまった……?)
さすがにそんなファンタジーな展開は、ごく普通の社畜OLには受け入れられるはずもない。
(ああもう、誰かこの状況を説明して……!)
私が頭を抱えていると、天蓋の布をずらしてユリウスが顔を覗かせた。
ユリウスはこちらを見て、蕩けるような笑みを浮かべる。
「スカーレット様! 元気そうでよかった。婚約の口付けの後に気を失った時は、心配しましたよ」
「……ユリウスた……ユリウス様。私状況がよくわからなくって……」
私が力無くそういうと、ユリウスは私に近付き、手を取ってくれた。
ユリウスの体温が伝わってきて、私は少しだけ安堵した。
(ユリウスたんの手、意外とゴツゴツしてる。剣ダコかな? 小説の中でも剣の名手だって描写があったもんね)
超イケメンの上に努力家とは、私の推しはなんて尊いのだろう。
ユリウスは私の手をそっと握るとともに、もう片方の手で私の頬に触れる。
「混乱しているのですね。それは仕方ないでしょう。……でもこれからはこちらが、あなたの現実ですからね」
優しい声で告げられた言葉に、私はびくりとした。
「こちらが現実って、どういう意味……?」
私がそう言うと、ユリウスがまた微笑んだ。
「……我が王家には、時折不思議な力を持つ者が生まれます。その力を持った者は、次元に介入できる。自分が次元を越えることはできませんが、次元の外から誰かを呼び寄せることはできるのです」
次元の外……ちょっと言っている意味がわからない。
「今の世代では、俺がその力を持って生まれました。俺は子供の時から、次元の外からあなたがこちらを見ていることに気付いていた。あなたがずっと俺を慈しんでくれているのも感じていました」
……かなり理解に苦しむ話だが、要するにユリウスには、現実から小説の中へ人を引っ張り込む力がある、ということだろうか。
「と言っても、誰でも呼び寄せられる訳ではありません。俺に心を寄せてくれる相手で、しかもその者が向こうの次元で死に瀕している時だけ。あなたは少し前に、向こうで死の危機にあったでしょう?」
三徹で倒れた時のことだろうか? あれで、私は死ぬところだったのかもしれない。
確かに、残業200時間は過労死基準をはるかに超えている。なんなら100時間から基準を超えるので、2回死ねるレベルだ。
「子供の頃から、ずっとあなたに会いたかった。だからあなたの命が尽きるのを感じた時、迷わずこちらへ呼んだのです」
そう言って、愛しくてたまらないという目で私を見つめる。……というか、ちょっと病んでるレベルの眼差しで。
「あの、ユリウス様……」
「ユリウスたんでいいですよ。ずっとそう呼んでくれていたでしょう?」
「ひっ!」
私は驚いて手を引っ込めようとしたが、ユリウスはしっかりと握って離してくれない。
そうして私の耳元に唇を寄せると、かすかな声で囁いた。
「あなたの向こうでの名前は…………でしょう? ずっとずっと、子供の頃から呼んでいました。こうしてあなたを腕の中に捕まえることを、夢見ていました」
そう言いながら、痛いほどにきつく抱きしめられる。
「もう二度と放さない。俺から逃げられると思わないでください。……その代わり、生涯をかけてあなたを必ず幸せにしますから」
そう言いながら、ユリウスは私の顎に手をかけて上向かせ……そっと唇を重ねた。
どうやら私は、ヤンデレ魔法使いの推しに捕まってしまったらしい。
「あなたは向こうでずっと、三食昼寝付きで年収が倍になる仕事はないかと思っていたでしょう? ……豪華な三食と昼寝、それから年収も10倍を約束しますよ」
そう言って、推しは艶然と微笑んだのだった。