弾丸ボッシュート
『オリエンタルアート』シリーズ。ナンセンス物語です。
「お迎えに上がりました」
吉岡家の前には、周囲の雰囲気とは不釣り合いなほど高級そうなリムジンが停車している。幸い車通りも少ない場所なので、迷惑にはなっていないようではあるがそれにしても近所でも何かと噂になる事の多い『吉岡家』の事だから、この件に関しても母の琴音があとあと説明して廻る羽目になりそうである。リムジンから悠然と出てきた執事らしい人物は以前名前を聞いた「古城=ミハエル=セバスチャン」である。彼は今日、完成したアート作品をこの車で運ぶように言い付かっていた。少し前に電話口で洋館の主こと『マイケル飯田』から、使いの者をよこすと連絡されていたものの、こうやっていざ仰々しい登場をされるとさしものバンデンラ・ゴジジウも動揺を隠せない。なんなら困惑している。
「あ…どうも。本日はお日柄もよろしく…」
などとよく分からない言葉を付け加えてしまう程で、
「それでは物品の方をこちらへ」
と指示されて末吉的に丁寧に包んだキャンバスを運んでいる時にも、
<なんでこんな車で行かなきゃなんないんだ?>
という疑問が湧いてきたほどである。祖父の影響もあるが根っからの『庶民派』である末吉にとってそもそも自分が描いたものが殊の外評価を受けているという事自体もその価値を測り損ねているところがあるが、こういう風に分かり易い『丁重な扱い』を目撃してしまうと現実感すら危うくなる。
「どうなされましたか?吉岡様」
おまけに『様』ときた。今しがた古城はゴジジウも乗車するように促したところである。
「は…へい」
そう言ってテレビでしか見た事のない広々とした後部座席に乗り込んだ時の違和感の凄さ。
<VIPって事なのかな?>
車が動き出してからも疑問は尽きないが、とりあえずその日はバンデンラが言ったように雲一つない快晴であり、ドライブ中の乗り心地はすこぶる良いので次第に上機嫌になってゆく。古城はドライバーではなく、ゴジジウの対面に座っているので少しだけ会話があった。
「吉岡様、昨晩はよくお眠りになりましたか?」
「あー、よく眠れたんですけど、変な夢を見ました」
「ほぅ。どのような?」
聞かれたので今朝の奇妙な夢を説明していると、相手は表面的には感心した素振りで話を聞いていた。
「なるほど…確かに興味深い夢ですね。やはりアーティストの方です」
『アーティスト』という言葉は吉岡末吉にとっては『貴方は天才です!』と言われた時のような意味合いを持つ。正直どこからがアーティストなのかは分からないけれど、今の事務所で活動を続けて居られるという事は社会的にはアーティストの肩書で通る。末吉が昔憧れていたとある前衛芸術家の発言に従えば、
『アーティストは迎合してはらない!』
という事は確かで、馬鹿正直な男なのでとりあえず迎合しないことは守っているつもりである。ただ持ち上げられると何でもしそうなタイプの人間なので、知らないうちに求められるものを作ってしまうのかも知れない。
家を出て数十分後、再び背の高い洋館に到着した吉岡達。<相変わらずでっかいな!>と心の中で思ってからキャンパスの包みを運ぼうとすると、
「わたくしめに運ばせてください」
と言われ若干手持無沙汰になってしまった。仕方ないのでとりあえずスマホで事務所に『無事到着しました』とメッセージを送ったり、ネットニュースをチェックしてみたり。その時またしても番犬に吠えられ、「ヒッ」と悲鳴が出た。館に入り、古城と共に客間へ移動する。前と同じ席についた時スマホが振動し、
『分かりました。後ほど事務所で』
と先程のメッセージの返信が入る。部屋を見渡しながら深呼吸を一回。それでも少しソワソワしながら待っていると、やはり立派な出で立ちの主がにこやかな笑みをたたえて入室してきた。
「本日はおいでいただき誠にありがとうございます。早速ですが、品物を改めさせていただきます」
「はい」
主は慣れた手つきで包みを解いて、テーブルに水平に置かれたキャンバスをまじまじと眺める。
「これは…」
常識人なら流石にバンデンラの描いた『明後日の方向を向いた雲の妖怪』のような絵を見せられて呆気に取られていると思うだろうけれど、どうも様子が違う。どちらかというと良い意味で衝撃を受けているらしい。
「これが…つまりは『神』なのですか?」
なにか雷でも打たれたようなトーンで訊ねる主に対してバンデンラは、
「はい。俺は神だと思ってます」
とごく自然に答える。それから主は
「これは…すばらしいですね…」
とだけ述べて後は一人でぶつぶつ言いながら考え込んでしまったよう。こういった展開は全く予想していなかった吉岡は扉の前に待機していた古城の方を向いて、『あの…どうすれば…』的な視線を送る。対して古城は事態をただ見守っているだけのようである。たっぷり7分は経ったという頃になってようやく我に返ったらしいマイケル。困惑した吉岡に気付くと、
「ああ、私としたことが申し訳ありません。どう捉えたものか分かりかねて考え込んでしまいました。ああ、そうだ。この神さまに名前はあるんですか?」
「『名前』ですか?」
勿論考えていなかった。というか名前があるとさえ思ってなかったと言えよう。
「えっと…」
『無いです』と言いかけたが、その時何故か今朝見た夢の「ムボボボ」という謎の単語が思い出されて咄嗟に、
<あ…ムボボボっぽいな>
と感じた。
「ムボボボです」
気付くとそう述べていた末吉。これが印象的だったのと、
「それはどういう意味なんですか?」
と続けて尋ねられた時に同じく夢の内容に倣い、
「『文明の収束点』です」
と答えてしまったのが相手には『効果的』だったらしい、またしてもぶつぶつ言いながら一人考え始めてしまった。
「文明の収束点…つまり、『神』はそこに我々を導いている…すなわちこの営みの向こうに…」
例えばバンデンラが描いた『神さま』が、彼の夢の中に頻繁に現れていたが故に彼の作風にしては妙にリアルで細部まで描かれてしまっているという事も『誤解』させてしまう一因となっているかも知れない。なんならこの館の主がカルト的人気を誇るSF小説の愛読家であったという事を付け加えた方がいいかも知れない。とにかく彼はいたくこの絵を…『神さま』を気に入ってしまった。
「感動いたしました、バンデンラ・ゴジジウさん」
「ありがとうございます」
当初の目的とは違うカタチで顧客を満足させることが出来たという事実がここで生じる。その後報酬の事や、この後バンデンラ・ゴジジウを事務所まで送迎するといった事を伝えられ、マイケルと古城に見送られ再びリムジンで館を後にしたゴジジウ。
古城と共に絵の元に戻って来たマイケルは、古城に対してこんな風に訊ねた。
「これは『邪神』だろうか?それとも本当に…」
執事、古城=ミハエル=セバスチャンは何かを言いかけたが何も答えないことにした。
☆☆☆☆☆☆☆☆
リムジンが事務所に到着し、車から降りたバンデンラは外がやや暑苦しくなってきた事に気付く。
「送迎ありがとうございました」
走り去る車を見送って、ふと歩道の並木の一本に手をやった末吉は衝撃を受ける。
「あ…!!蝉の抜け殻だ!!」
木にへばりついている抜け殻はまだ新しいもので、もしかしたら今日羽化したのかも知れない。
「あー…写真で見るよりも実物の方が参考になるな」
と言って抜け殻を木から引き剥がす。まさか実物を手にしてからもこれを参考にレプリカを作ろうとする人がいるとは思うまい。でもバンデンラ・ゴジジウとはそういう人間である。