8:夢は終った
私の身代わりとなったナタリアがどうなったのか。
それはずっと気になっていることだった。
ソークに聞くことはできないが、思いがけない形で情報を得ることができた。
軍船なので、沢山の兵士や騎士も乗船していた。勿論、彼らとの接触は禁じられている。それに私は船酔いで寝込んでいる時間が多く、接触の機会はほぼない。それでも偶然、廊下でヴィサンカ帝国の兵士とすれ違うことはある。そして彼らがこんなことを言っているのを聞いたのだ。
「結局、第一王女だけが、見つからないらしい」
こう言っているのを聞き、もしかしたらナタリアがどこかで生きているかもしれない――とその可能性に胸がドキドキした。
その一方で。奴隷商人に捕えられるまで、私と共にいた王宮騎士のロスコー。彼はナタリアと恋人同士の可能性が高かった。もしナタリアが生きているなら、ロスコーにも生きていてほしいと思った。だが彼がどうなったのか。それはまったく分からない。ナオやイーモに聞いても、知らないという。
あの檻に入れられていた時、大人の男性が入れられた檻を見たが、そこにロスコーらしき姿はなかった。
ただ、ロスコーのような立派な体躯の男性は、奴隷としての需要はあると思う。だから早々に買い手がついてどこかに移された。きっと生きている……そう思うようにしている。
もう一人の王宮騎士、馬車の従者、王立騎士団の二人の騎士。彼らは挟み撃ちに遭い、その後、どうなったのか。
ナタリアと共に逃げてくれていたらいいのに――それはもはや願いだ。
思い出そうとすれば、いくらでも安否が気になる人がいる。
王宮の衛兵、王宮騎士達、多くのメイド、従者、庭師……。
仲の良かった貴族の令嬢や令息。宮廷画家や宮廷音楽家……。
何より、ナオにより知らされた家族の最期。
それはどうしたって枕を涙で濡らすことになる。
毎晩声を押し殺して泣くことが眠る前の儀式のようになっていた。
そんな夜が明け、朝食を摂ってしばらくすると、船がヴィサンカ帝国の港に近づいた。
既にオフホワイトのブラウスに、パステルピンクのロングスカートを履き、下船の準備はできている。そこへやってきたソークは、私の泣き腫らした顔に気づき、こう言った。
「泣く必要はない。もうすぐだ。復讐の時は近い」
復讐。
それを終えたら、私は泣くことがなくなるのかしら?
「皇帝の初夜の練習相手をさせられる。だから泣いている……と思われるだろうが、不用意に感情は出すな。いつだって冷静な行動が重要だ。この船旅の間に、その練習はしたと思うが、くれぐれも失敗をするなよ」
ソークの言葉にこくりと頷く。
もう簪で自分の髪を自由自在に結わくことができている。簪をはずし、狙うべき場所も、ソークから習っていた。
「焦る必要はない。うまくベッドに誘うことができれば、隙ができる。男なんてそんな生き物だと思う。大丈夫だ」
そうソークは言っていたが……。
いくら頭の中で成功する姿を想像しても、本当にうまくいくか不安でしかない。ただ、過去の歴史を紐解けば、寝所で王族や指揮官が暗殺された例はいくつもある。それを恥ずべきこととして、公にされていない事件も多いだろう。
彼らを暗殺した女性たち。
彼女達が暗殺のスペシャリストかというと、そうではないはずだ。多くが復讐や国の存亡をかけ、必死にやり遂げたこと。たとえ素人であろうと、決意が固まればできる……のだろう。
ソークはいつもの二人の兵士を置いて、自身は部屋を出て行く。
それから五分もしないうちに、船が完全に停止した。
ついにヴィサンカ帝国に到着した。
◇
ヴィサンカ帝国に着いたが、あくまでそこは港。
皇都は港から馬車で、八時間程かかる。
しかも皇都自体が大変なスケールであり、皇都の正門をくぐった後、皇宮と宮殿がある中心部に着くまで、これまた馬車で三時間かかるという。
この状況を考えると、スペンサー王国がいかに小国だったかを実感することになる。こんな国を相手に戦争をした。そのことを父親が……国王が後悔したのは、仕方ないことに思える。
本当は何か強く後悔するような事態が、兄の書簡により、もたらされたのかもしれない。でもそれも今となっては分からなかった。それとなくソークに探りを入れたが「なぜそんなことを気にする?」と問われると、ドキッとして何も言えなくなる。まさかそれだけで私が王族の関係者……とは思われないと思う。それでも身分がバレるような危険はおかしたくなかった。
ただ……これは一つの疑問。
私の正体を知った時、ソークはどんな反応をするのだろう? まずは当然、驚く。でも次に「ではお前では皇帝の暗殺は無理だ」とは言わないと思うのだ。それは既に婚儀の日が迫っていることもある。何より、スペンサー王国の最後の王族なのだ。母国を滅ぼされ、皇帝には恨みを抱いている。この世界で最もヴィサンカ帝国の暴君に復讐をしたい人物、それは私だと、誰もが思うはずだ。
つまりソークになら、身分がバレても問題ない。そう思ったのだ。
自分から積極的に明かすつもりはない。でも聞かれたら答えてもいいと思った。思ったけれど、それを明かす機会はないことは、港から馬車に乗る時に理解することになる。
ずっと無口だった兵士の一人が、ついに口を開いた。
「ここから皇都まで、皇都に着いた後。すべて自分達が仕切る」
つまりソークは私の前に、もう現れるつもりはないということだ。
その理由は、どうせ尋ねても、この兵士は教えてくれないだろう。だが推察することはできる。私は二日後、皇帝を暗殺するのだ。
その私を連れてきたのは誰だ、となった時、ソークに疑いの目が向けられる。もしもヴィサンカ帝国に着いてからも、頻繁に私と一緒にいたり、話していたとなれば、もしやソークが手を貸した……と思われかねないだろう。
私が皇帝暗殺を遂行した後、ソークがどうするつもりかは分からなかった。このままヴィサンカ帝国に残るつもりなのか。帝国を出るのか。もし残るならなおのこと、私のことは遠ざけておきたいはずだ。あくまで皇帝の初夜の練習相手として買ってきた奴隷女ということに、しておきたいだろう。
この推測が正解であることは、兵士のこの一言ですぐに分かった。
「お前はあくまで奴隷女だ。ここからは手枷足枷をつける。服は特別にそのままにしておくが」
やはり私の予想は正しい。
ソークは私と距離を置きたいということ。
ただ……ソークも分かっていると思うが、帝国に残っても、いいことはないと思う。
なぜならどんなに暴君であろうと、皇帝が暗殺されたら、ヴィサンカ帝国は混乱に陥る。しかももはや皇族が残っていない。幽閉されている皇太后が残っているが、彼女を女帝として据えるかどうかは、定かではなかった。何せ暴君が暗殺されても、彼の臣下は多く残るだろうから。それに皇帝の婚約者であるオールソップ公爵家も、黙っていないと思う。間違いなく、再びの内紛状態だろう。
「馬車には残り二人の奴隷も同乗させる」
ハッとして兵士の目線を追うと、そこにグレーのワンピースを着たナオとイーモがいた。二人とも手枷足枷をつけられ、着ている服からして、船の時とは違う。
船はある意味、無国籍だったと思う。
でも陸に着いたら、ここはヴィサンカ帝国。夢は終った。現実で私達三人は、あくまで奴隷だ。
「では三人とも馬車へ乗れ」
用意されていた馬車は、外側はかなりボロボロ。だが内装は、つい最近リニューアルしたというぐらい、綺麗だった。座席のクッションもしっかりしており、長時間の移動でも、問題なさそうに思える。
「ヴィサンカ帝国なんだよ、ここは。逃亡なんてできるわけがないのに。手枷足枷をつけるなんて」とナオが愚痴を言ったところで、馬車が動き出した。
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