7:復讐のチャンス
ヴィサンカ帝国では、王族は婚儀の前に、初夜の練習を儀式の一環として行うという。昔は初夜権を行使していたが、今は奴隷市場で育ちの良さそうな乙女の没落貴族の令嬢を見つけ、練習相手にしているという……。
「リリーは見るからに他の少女とは違う。訳ありで詳細を語りたくないだろうから、話さなくて構わない。だが貴族だろう? しかも乙女だ。皇帝の初夜の練習相手にピッタリだ」
「そんな……」
抗議をしたいが、簪は向けられていないものの、まだ背後から腕を押さえられている状態のままだった。ゆえに声を出すことしかできない。
「寝所で皇帝と二人きりになれる。勿論、部屋の外には近衛騎士がいるだろう。だが、初夜の練習中だ。悲鳴や多少の物音は黙認される。……つまり、この簪を使い、復讐ができるぞ」
「……!」
ソークが何を考えているか理解し、もう衝撃しかない。
初夜の練習相手を見つける任務を受けながら、暗殺者を仕立てようとするなんて……。
「うまく暗殺できれば、夜明け前に助け出してやる。……皇帝も本望だろう。結婚したい相手というわけでもない。その公爵家の令嬢は。でも婚儀を挙げるなら、抱かなければならないんだ。それが免除されるのだから、感謝してほしいぐらいだ。それに暴君が最後に敗戦国の奴隷女に命を奪われる――最高のラストでは?」
なんて皮肉なのだろう。
でもソークはそこまで皇帝を憎んでいるんだ……。
自分の主君に対して、こんな恐ろしい計画を立てられるなんて。
「リリー。お前にとってもこれは、またとないチャンスだろう? リリーはこの戦争で全て失い、奴隷にまで落ちぶれることになった。復讐をしてやり直すチャンスだ」
本当にそうなのだろうか。
そんなに上手くいくのだろうか。
人殺しの経験なんてないのに!
「覚悟を決めて欲しい。リリー、お前の進む道は一本しかないんだ、今は。この道を進んだ先に、自由はある。そこに着くまでは、自分のすべきことを全うするしかない」
つまりソークの提案に従い、皇帝を暗殺するしかない……ということ?
「リリー以外に二人。ナオという名の少女と、元男爵令嬢だというイーモ。この二人も今回連れ帰ることにした。申し訳ないが、二人はリリーの保険だ。もしお前が暗殺に同意しないなら、片方を殺し、片方に暗殺を実行させる」
「そんなヒドイことをどうして!」
「ヒドイ? どうしてそうなる? もしこの話をナオとイーモにしたら、喜んで引き受けるだろう。二人は皇帝を殺したい程、憎んでいるはずだ」
なるほど。それが普通のことよね。
国を滅ぼされたのだ。家族を害されたのだから。
なぜ躊躇してしまうのか。私にとっても暴君である皇帝ガレスは、間違いなく敵なのに……!
迷う必要はない。
それにナオとイーモのどちらかが手を汚し、命を落とす――そんなことはさせない。二人はもう十分地獄を見ている。これ以上、不幸になってほしくない。
「……分かりました。その簪を使い、皇帝の暗殺を試みます」
「……そうか。リリー。よかったよ。君の……お前の手で終わらせてもらえれば、きっと救われる」
救われる? 誰が?
ソークが? ナオが? イーモが?
私は救われることはない。誰かを自らの手で殺め、それが救いになるはずがない。
ただ背負うだけだ。人を手に掛けたという罪を。
例え相手が暴君であろうと、生きているのだから。
生きている人間を手に掛けるとは、そういうことだ。
救いなどない。その先の未来に待つのは絶望だけだ。
ただ、そうだとしても。
奇しくも私はスペンサー王国の最後の王族だ。
私が仇を討つことは、生き残ったスペンサー王国の国民を、鼓舞することにはなるだろう。
結局、時代に名を残す英雄というのは、誰かの死の上に成立する。
もし私が暴君ガレスの暗殺に成功すれば、その名は語り継がれるだろう。
スペンサー王国の最後の王女は、英雄だ。
あの暴君を、この世界から排除したのだからと。
◇
スペンサー王国からヴィサンカ帝国を目指す場合、ハーティントン国を経由することになるが、別のルートもある。それは陸路ではなく、海路を進む方法だ。
そして十二万もの大軍がスペンサー王国に集結できたのは、海路も活用した結果だった。
つまりハーティントン国の港には、とんでもない数の軍艦と軍船が集結していた。その軍船に乗り込み、ヴィサンカ帝国へ向かうことになった。
スペンサー王国は海に面していない内陸の国。大きな湖はあったものの、乗ったことがあるのは、小型の遊覧船ぐらい。リンドンの案内で、ハーティントン国の港を見たことがあった。漁船を見たこともある。海だって見たことはあった。でも海に出たことはない。軍船に乗るのは初めての経験だった。
結果、船酔いになってしまったが……。
私は奴隷女のはずだった。だがソークにとって私は、皇帝の暗殺者。だからなのか。船酔いになった私を甲斐甲斐しく看病してくれた。
時に甲板に連れて行き、遠くの景色を眺めるようすすめたり、珍しい氷菓子を食べさせてくれたり、ミントティーを飲ませてくれたり。おかげで船酔いの症状は、大きく改善された。
ただ、そうやって世話をしてくれるが、常に私のそばにいるわけではない。どこかに行っている時間が長いし、相変わらず黒装束でフードを深く被っている。名前を明かし、私に簪という武器まで渡しているのに。顔は見せない。しかもずっと声は、押し殺したように低い。
その一方で、ナオとイーモに会うことはできていた。私が寝込んでいる部屋に、二人が兵士に連れられ、やってきたのだ。この兵士はソークの指示で動いているようだが、一切自分達から話さない。尋ねても、必要最低限の返事しかしない。
なんだかゴーレムみたいだわ。
昔読んだ物語に登場する、土人形のことを思い出す。人間に命じられた、簡単な命令しかこなせない。自分から話すことはなく、返事だって「イエス」や「ノー」などのシンプルなもののみ。
そんなゴーレムみたいな兵士に連れられたナオとイーモは、指定された部屋と甲板に行くことしかできなかった。だが手枷足枷はなく、服も私と同じ町娘のようなものを着ている。とても奴隷には見えなかった。そして二人は、私がヴィサンカ帝国の皇帝の、初夜のための練習相手に選ばれたということしか知らない。つまり暗殺を行うことは、聞かされていなかった。
「娼婦の皆さんは、食事の時とかに、あけっらかんといろいろ話してくれるんですよー。ですからあたし、知識は豊富です。あと、アレ、好きだから。あたしが練習相手したいぐらいなんですが。でも十八ですが、乙女ではないんで。残念~。乙女のフリはできるけど、バレますからねー」
赤いワンピースを着たナオがそう言うと、白のブラウスにベージュのスカートのイーモは、怒りを露わにする。
「わたくしは勿論、乙女ですわ! ですが高飛車過ぎて、無理だと断られましたの。見た目は令嬢だが、性格が令嬢らしくないと言われ。頭に来たので引っ叩こうとしたら、あっさり手を掴まれ。あの黒装束の男、只者ではないですわ」
そんな二人から、私は感謝されていた。奴隷の身でありながら、こうやってある程度の自由を与えられているのは、私のおかげだと言う。
二人は、自身がなぜここにいるのか、その理由が分かっていない。私のスペアと戒めのために、連れてこられたのだ。でもそのことを知らない。
決して私は、感謝されるような立場ではない。
でも二人に本当のことを話すのは、禁じられている。ソークの名さえ、最初は明かしてはいけないと言われていた。では何と呼べばいいのか?――と少しきつめに問いただすと「ではソークでいい」と言われたのだ。
意外とソークは押しに弱い?
ともかく私は、感謝されるようなことをしていない。だが一つだけ言えること。それは二人だけでも、変な買い手に渡る前に救い出せた……と思う。
ではこの二人以外で、誰か救うことができたのかというと……。
他の奴隷たちの救出は無理だった。それにロスコーのことも。
私の身代わりとなったナタリア。
彼女がどうなったのか。ソークに尋ねたい。
しかしそうなると、あの場から逃げていたと話すことになる。それをきっかけに、自分が何者であるかバレるかもしれない。そう思うとソークに、ナタリアのことは聞けなかった。
ただ、こんなことを耳にした。