57:またどこかにいなくなりそうで
私から暗殺されることを願ったガレスだった。でも私が彼に手を下すことはない。
「結局、わたしは弱い人間だ。君が許してくれたのかもしれないと、勝手に前向きに解釈した。そして……離れに君を迎えることにしたとノリスに話し……。ただ、その後は君にどう接していいか、分からなかった。あの日、もう君と会話することもないだろうと、散々な暴言をはいていた。だから礼拝堂で突然会った時も……」
「『どけ』とか『邪魔』とか散々冷たかったですよね。でも不思議でした。暴君なのに、礼拝堂にいたことが。しかもちゃんと花も立向けていて。……いつも戦争の後は、ああやって祈りを捧げていたのですか?」
ソークのふりをして私を騙したガレスだったが、怒りを通り越し、今はスッキリしていた。ずっとソークは何者だったのか、もう会えないのかと悩んでいたのに、それが解消されたのだ。それにその前に号泣したので、かなり気持ちが落ち着いてきていた。
「そうだな。礼拝堂では懺悔ばかりだ。特にあの時はスペンサー王国の戦を思い、本当に心から後悔だった」
暴君と恐れられているが、ガレスは……とても真面目で、心が優しい――そう思えていた。心は優しいが、無鉄砲過ぎる。
「その後悔と懺悔で、自分の命を私が奪うことを願ったなんて……。度が過ぎています。でも私がそれでもし陛下のことを暗殺していたら……扉を三回叩けば、救い出すと言っていましたが、そんなことができたのですか!? ご自身は暗殺されているのですよ? 幽霊にでもなって、助け出すつもりだったのですか?」
今もまだ、ガレスの腕の中に抱きしめられたままだった。気持ちも落ち着いたのだから、もう離れてもいいはず。それでも……ようやく会えたソークでありガレスの彼から、離れたくなかった。離れたら、またどこかにいなくなりそうで。
よってその腕の中で、顔を上げ、銀色の瞳を見ると。
フッと微笑み、頭を優しく撫でられた。
「……そうだな。例え魂だけになったとしても、わたしはフローラに会いたいと思うだろう。だが魂では助け出せない。ヴィサンカ帝国に着き、下船した後、二人の兵士が君たちの面倒をみただろう? 覚えているか?」
「はい。一人はそばかすに、オリーブ色を帯びた茶色の髪で、痩せていました。もう一人は体格もよく、赤みを帯びた茶色の髪。二人とも瞳の色は、琥珀色です」
「痩せている方はアル、体格のいい方がボン。二人とも、わたしがスペンサー王国にいた時から仕えてくれていた従者だった。ヴィサンカ帝国に向かう私に、二人は同行してくれた。元々孤児院にいた子供だ。リラード伯爵……祖父は慈善家として知られており、孤児院から引き取った子供を使用人にしていた。アルとボンも、その縁でわたしの従者になった」
リラード伯爵。第一王女として、貴族の名前は、頭の中に一通りはインプットしていた。確かに慈善家として知られ、彼の名を冠した孤児院と診療所があったはずだ。
「孤児院から伯爵家に来て、アルとボンの生活は大きく変わった。その際、わたしに一生ついて行くと誓ったようで……。せっかくヴィサンカ帝国までついて来てくれたのに、皇族の従者は貴族しかなれないと言われた。結局、孤児院出身でもなれるのは、兵士のみ」
ヴィサンカ帝国は国土も広く、その生い立ちは、いくつかの国が併合したところからスタートしている。その時からどの国の血筋が優位かとなり、現在もまだその名残があった。要職に就くのは、生粋のヴィサンカ帝国出身者の割合が、圧倒的に多い。
「アルとボンは文句ひとつ言わず、兵士になる道を進んでくれた。信頼している二人になら、フローラをまかせても問題ないと判断したんだ。つまり君が暗殺に成功していたら、アルとボンが助け出し、いち早くヴィサンカ帝国から逃すつもりだった」
そこまで用意周到にしていたなんて。
……本当にガレスは、私に暗殺されるつもりでいたんだ。
自分の命より、私の命の方が重い。
本気で、そう思っていたのだ、ガレスは。
「……では私が暗殺に失敗した時のことは、どうなのですか? 共に帝国軍の力が及ばない場所で、自給自足で暮らそうという、あれは……」
「それは今でも夢で見る。……ずっと、ヴィサンカ帝国に来てから、ずっとだ。明け方、浅い眠りでまどろみ、夢を見た。フローラと二人でそうやって暮らしている夢を」
「皇帝という身分を捨てる。私と菜園を作り、川で魚を釣り、暮らす日々を、ですか?」
「ああ」と答えたガレスの笑顔が、あまりにも優美で。夢を見ているのかと思った。こんなに優しく穏やかな笑顔が、ガレスはできたんだ……。
「すべてのしがらみを捨て、フローラと生きていけるなら、それでいいと思った。それに……本当に訓練で、山に放置されたからな。その時、熊に襲われできた傷も残っている」
そう言うといきなりガレスがローブを脱ぎ始めた。ビックリした私は「きゃっ」と言い、両手で自分の顔を隠し、そのまま伏せる。クスクスと笑う、ガレスの声が聞こえた。
「河に落ち、わたしの裸の上半身は、既に見ているではないか。見るに耐えかねるものだったか? まあ、私の体には暗殺者につけられた傷も多い。不快だったなら申し訳ない」
「!? そんなわけありません! むしろ……」「むしろ?」
「むしろ部屋に飾って、永遠に眺めたいぐらい素敵な体でした」とは、絶対に言えない。
「と、殿方の裸など見慣れていませんから。そ、それに男性の裸は、夫となる方以外で、見るべきではないと思います!」
「ヌード画は鑑賞しないのか?」
「!? それとこれは別です!」
「分かった。無理に見せるつもりはない。剣の傷とも違い、見ても醜悪だと、嫌われるだけかもしれないからな」
「待ってください!」と顔をあげ、期待通りの立派な裸の上半身を見て、一気に全身が熱くなる。だがガレスはすぐに、こちらへクルリと背を向けた。すると丁度腰の辺りに、四つの赤い線の痕が残っていた。成長することで、その傷はかなり薄くなったのだろうが、確かに爪痕と分かるものが、そこにあった。
「触れても大丈夫ですか?」
「構わない。さすがにもう痛むことなんてないからな。夢で思い出すと、感じないはずの痛みを覚えることもあるが」
触れると、少しだけ、ぼこっとする部分もある。子供の頃にこんな傷を負うなんて……よく生き残ったと思う。
「……ありがとうございます。これは勲章です。醜いとは思いません」
ローブを元に戻すのを手伝い、ついでに「もうソークのローブはいいですよ」と、黒いローブは脱がせた。でもそうすると引き締まった体のラインが浮き彫りになり、ドキッとしてしまう。……黒のローブを着せたままにした方が、私の心臓には優しかったかもしれない。そう思うも、もう遅かった。
なんとかその体から視線を逸らすが、沈黙ができてしまい、何か話さないと――そう思っていたら。
「暗殺は、不発で終わった。その後、フローラには二つの選択肢があったはずだ。ソークと共に宮殿を出て、新しい生活を始める。もしくは皇帝ガレスの配下にある離れに残る。フローラが選んだのは、皇帝と離れだった。それはつまり、皇帝を選んだ、ということか?」
不意にガレスに顎を持ち上げられ、その銀色の瞳と目が合い、息が止まりそうになる。これまで氷のような眼差しだったのに。今はとても表情豊か。その瞳には、嫉妬と喜びという、相反する感情が浮かんでいる。
「ソークも陛下も、同一人物ですよね? 陛下を選んだと言われても……」
「キスまでしたソークより、皇帝が良かったのか?」
そこでキスを持ち出すなんて!
でもおかげで問うことができる。あの時のキスの意味を……!






















































