55:幼い頃
皇宮の敷地内に入ると、長い渡り廊下が続いていた。通路の左右には、柱が等間隔で並んでいる。柱のその先には、皇宮の庭園が広がっていた。そこに咲いているのは、アイリスの花だ。
このアイリスの花を植えた理由。
それは「ヴィサンカ帝国に来てからも、フローラの瞳を忘れられなかった」とガレスが言った。私のことを想い、庭園をアイリスの花で満たしていたなんて。
驚き、彼を見ると……。
氷のようにいつも澄んで見える銀色の瞳に、とてつもなく甘い煌めきを感じ、目が離せなくなる。
「フローラの瞳が忘れられなかった。それにあの言葉もよく覚えている」
ガレスの言う私の言葉とは、これだ。
――「みんなとは違うって、萎縮したら、そこがつけいる隙になっちゃうのよ。意地悪をしたい人は、そういう隙を見つけるのが得意だから。隙を見せず、なんならこの人に何か言ったら、ぎゃふんとされちゃうぐらいのイメージを植え付けちゃえばいいのよ。この人、怒らせたら怖いって。一度そのイメージがつけば、手出しはしてこないわ。それでも手を出して来たら、もう最大限でぎゃふんと言わせてしまうの。多分、そうしたら、もう手出しはしないと思うわ」
随分、勝気な言葉であるし、これをガレスが覚えているなんて……。
甘い煌めきを感じたのはここまでで、私はあることに気が付き、それどころではなくなっている。
というか、今、よくよく考えると、「つけいる隙を与えない」「怒らせたら怖いというイメージを植え付ける」「一度そのイメージがつけば手出しはしない」「刃向かったら最大限懲らしめる」これはなんというか、“暴君”そのもののイメージだ。
まさかとは思う。
まさか、今の暴君ガレスは、私の言葉により生み出された……?
これには血の気が引く思いだった。
「フローラのこの言葉のおかげだ。わたしは血で血を洗い、骨肉の争いをしていたヴィサンカ帝国で、生き残ることができた」
私が暴君の生みの親でした!?
「そう言いたいところだが、実際はそんなに単純ではない。スペンサー王国で、髪色が違うからいじめられた……それでかつらを被っていたことが、ばかばかしく思えた。それぐらいヴィサンカ帝国は、シビアで過酷で厳しい場所だった」
ガレスはヴィサンカ帝国に、喜んで来たわけではない。無理矢理連れてこられたというのだ。というのも次期皇帝の座を巡り、争っていた皇子たちは、謀略の限りを尽くした。その結果、次々に命を落としていく。
最終的に残ったのは、オールソップ公爵令嬢が婚約していた皇太子、そして第二皇子のみ。しかも二人は、今はグランドパレスにいる皇太后の実子だった。ところが決闘を行い、まさかの相討ちとなり、二人とも命を落としてしまう。
大変なことになったと、無視していた平民の落胤を呼び寄せることも、家臣たちは考えた。だが、スペンサー王国のリラード伯爵令嬢と一夜の関係を持ったことを、酒に酔っていた前皇帝が、当時の宰相に暴露した。
その結果、ガレスが見つけ出され、ヴィサンカ帝国へ連れて行かれることになった。その頃の皇宮では、前皇帝とその皇妃、今は皇太后のアーシェ・ノラ・ヴィサンカとの仲が、最悪な状況を迎えていた。
皇帝である夫の度重なる裏切り。次々と現れる、よその女との間に生まれた子供。自身の実子は、まさかの決闘で二人とも死亡。アーシェ皇妃の心は、病み始めていた。そんな状況の中に、ガレスは突然放り込まれたのだ。
アーシェ皇妃は、実子を失ったショックを、新たなる皇太子となったガレスで埋めようと考えた。つまり最初はガレスを溺愛した。だがアーシェ皇妃は、月ものが遅れ、吐き気や気持ちの悪さを感じることで、「妊娠している!」と気が付いた。その瞬間、溺愛から一転、ガレスを邪魔者扱いするようになる。
皇位を継ぐのは、自分の子供とばかりに、ガレス暗殺計画を、アーシェ皇妃は何度も実行した。ガレスは自身を守るために、武術の腕を磨き、毒への耐性をつけ、そして喜怒哀楽を捨てるようになったのだ。
そんな折、アーシェ皇妃の妊娠は、想像妊娠であることが判明する。それもそのはずだ。なぜならアーシェ皇妃と前皇帝の関係は冷めきっており、妊娠するような状況ではなかった。前皇帝は、想像妊娠が判明すると、アーシェ皇妃をあざ笑い、そしてその翌朝。前皇帝の遺体が、今は封鎖されている皇宮の一角で発見された。階段から突き落とされ、首の骨が折れていたのだ。
犯人はアーシェ皇妃と囁かれたが、確固たる証拠はない。だが前皇帝が最後に会っていた人物は、アーシェ皇妃だった。さらに彼女の私室は、遺体発見現場から一番近い。
まさか皇帝が皇妃に暗殺されたなんて、外聞が悪すぎる。とても公表はできない。そこで前皇帝は、首の骨が折れていたこともあり、狩りの落馬で死亡と発表された。同時にようやく皇太子教育を終えたばかりのガレスは、待ったなしで即位。
一方のアーシェ皇妃は、一連の出来事で心が完全に壊れ、皇宮の私室に引きこもるようになる。
即位したガレスは、北の地の小国の小競り合いを始め、周辺国との攻防、足を引っ張る前皇帝派の粛清、交易路の拡大など、ありとあらゆることに取り組むことになった。顔色を伺い、忖度する余裕はなく、非情であることが求められた。
その結果。
冷酷無慈悲な暴君ガレスが出来上がり、現在に至ったというのだ。
「いろいろ落ち着いたが、一度ついたイメージはなかなか変わらない。それにこのイメージは……想像より都合がよかった。フローラの言葉は、きっかけになったかもしれないが、実際は暴君になるしかなかったというわけだ」
私は牧歌的なスペンサー王国からこのヴィサンカ帝国に至るまで、自分が激変の人生を歩むことになったと思っていた。しかし私ではまだまだ甘い。ガレスの方が想像を絶する過酷な運命を背負い、生きてきたのだと分かった。
そんな大変な状況で、いくら自身のルーツがスペンサー王国にあるとはいえ、ハーティントン国を叩くために動くなんて……。スペンサー王国への愛国心が、そこまで強いのだろうか?
「不思議に感じるか。わたしがハーティントン国を滅ぼしたことが」
「不思議……というより、スペンサー王国への愛国心が、そこまでお強いのかと、驚いていました」
「愛国心、か。どうなのだろうな。そんな高尚なものではない。わたしはただ……フローラ、君を守りたかっただけだ」
これには「えっ」と再び、ガレスの銀色の瞳を見てしまう。
私から視線を逸らすことなく、ガレスはこんなことを口にする。
「スペンサー王国で過ごした日々が、愛国心を芽生えさせる程、幸せな日々だったのかというと……。そういうわけでもない。ただ、フローラと出会い、過ごした時間だけが、光り輝いていたように思う。わたしにかけてくれた言葉。あの丘で花を摘み、実った果実を共に食べ、空を眺めた。父君には相手にされず、アーシェ皇妃からは命を狙われ、ノリスと出会うまでは、部下さえも信じられない日々だ。そんな中、フローラとの思い出だけが、心の支えだった」
幼い頃のガレスの境遇に心が痛み、私との時間を大切に思ってくれたことに胸が締め付けられる。
そんな風に感じていたなんて。
だがガレスとの再会は、最悪なものだった。
何せ初夜の練習相手として、出会うことになるのだから。しかもその時は、リンドンの裏切りも知らず、仇としか思えなかったのだ。
いや、でも……。
私はガレスを見て、あのロヴェル・デヴィッド・リラードだとは思わなかった。今日と同じで、寝所の照明は、おさえられていた。私がフローラであると、ガレスが分からなかった可能性もある。だからこその冷たい態度だったのでは?
「陛下は……私がスペンサー王国の第一王女であると、いつ分かったのですか?」
「いつ……。スペンサー王国で、奴隷商人の檻の中にいるのを見つけた時から、フローラだと分かっていた」
もしやあの時、近くにいたということ……?
自分の初夜の練習相手になるのだ。気にならないはずがない。
もしや部下であるソークに交渉させ、自身は遠くから眺めていたということ!?






















































