5:試される
こちらの檻へと近付く奴隷商人の男と、黒装束の男。
黒装束の男は、黒のフード付きマントを羽織っている。フードを目深に被り、そのマントの下からチラチラ見える上衣もズボンも黒。当然のように黒革のロングブーツ。というか、脚が長い。
奴隷商人の男は、頭にターバンを巻き、鼻の下に独特の長い髭を持ち、オリエンタルな衣装を着ていた。以前、東方から来た使節団がエレファントを連れ、この男のような装いをしていた気がする。ナオが異国の奴隷商人と言っていたが、本当のようだ。
わざわざそんな遠方からやってくるなんて。
ともかくその奴隷商人もそれなりの身長。だがそれよりも黒装束の男が、脚が長いため、頭一つ分抜きんでていた。
その二人がなぜかこちらへ向かってくる。
「あー、これはあれね。あの黒装束の男が求めているのは、乙女だと思う。さっきの三人はその確認をされたのかもしれない。それで乙女ではないことがバレて、怒鳴られたのかもしれないね」
「ナ、ナオ、そんなこと、確認できるのかしら?」
驚いている間にも二人は檻のそばに来て、何やら会話を始めている。
周囲にいる他の少女を見るが、皆、顔を伏せ、生気がない。既に魂が抜けているような者が多かった。
貴族の令嬢では?と思った少女は、顔を強張らせ、三角座りをしている。膝に乗せた手をぎゅっと握りしめている様子から察するに、奴隷商人から声をかけられるのでは?と、不安になっているように感じた。
それは私も同じだ。でも手枷足枷をつけられ、檻の中に入れられていては、何もできない。
ただ黙って見ていると、黒装束の男と話し終えた奴隷商人が、檻の鍵を開ける。
指さされた少女が、次々と檻から出ることになった。黒装束の男の目的が乙女であるならば。ここにいるのは十八~二十歳ぐらい。ほぼ全員、乙女の可能性が高い。
「!」
奴隷商人と目が合ってしまった。慌てて視線を逸らしたが「お前もだ、出て来い」とばかりに怒鳴られる。言葉は何を言っているか分からない。でもニュアンスは伝わってきた。ナオを見るが、その目は「どうにもならない」と言っている。
それは……そうだろう。手足を拘束され、檻の中に閉じ込められているのだ。しかも武芸に覚えがあるわけでもない。……乙女であると分かれば、きっと買われる。ならば乙女ではないと、答えればいいだけだ。
大丈夫。
自分で自分に言い聞かせる。
檻から出ると、五人の少女と共に、あの天幕の中に入ることになった。
天幕の中は広い。いくつかの部屋に、布によって仕切られていた。
その仕切られた部屋に、黒装束の男だけが入っていく。
通路のような場所で待機させられ、順番に中へ入るように言われた。
私は……最後だった。
先に入り、出てきた少女の顔を見ると、顔を真っ赤にしている子。泣きそうな顔の子。その表情は一貫して冴えないもの。
「!」
あの貴族の令嬢のような少女が出てきた。
その顔は……怒っている!?
怒っている表情は、先の三人の大人の女性でも見ていない。
あんな風に怒って出てきても、命があるのね……。
「オマエ、ハイレ」
やはり異国の奴隷商人なので、言葉が片言だった。
ひたひたと歩き、仕切られている部屋へ入る。
足枷をつけられているので、靴下や靴は履いていなかった。
フードを深く被っている男は、顔で見えるのは、口元ぐらい。
その口は、形もよく、血色も良く艶やかだ。
肌も見えているが、髭や皺、傷もなく、若そうに思えた。
もしかして私とそう年齢が変わらないのでは……?
それなのに奴隷女を買おうとするなんて。
しかも乙女を求める……。それこそ、変な性癖の持ち主なのでは……?
「お前は純潔を守っているか?」
かなり抑えた低い声。意図的に声を変えようとしている感じがした。
もしかするとヴィサンカ帝国の兵士ではなく、騎士なのでは? しかも貴族の騎士。自身の身分を隠しながら隠密行動するため、黒装束姿をしている……とか?
「おい、質問に答えろ」
いきなりそこで長剣を抜かれ、腰が抜けそうになる。
「ち、違います! もう純潔ではありません」
「……何?」
信じられないという反応をされ、信じられないのは私だった。
ここは嘘をつかず、正直に申告したと思われるところだと思うのに。
なぜ、驚くの!?
「……婚約者でもいたのか? その婚約者と」
「違います! リンド……」
あやうくリンドンの名を出しそうになり、それを呑み込み「リンドローグは、そんなことはしません」と答える。
「では誰とそういう関係を持った? そのリンドローグなる男の婚約者なのだろう? それなのに、それ以外の相手と関係を持ったのか?」
「そ、それは……」
困ったことになってしまった。婚約者以外と関係を持つなんて、とてもヒドイ女ということになる。暴漢に襲われた……などの理由がない限り、不埒な女というレッテルしか貼られない。
「……嘘をついたな」
「!」
抜かれた剣の長さとその鋭さに「きゃっ」と声が漏れる。
恐ろしいほど剣先が鋭い剣を向けられ、全身から力が抜け、その場にうずくまってしまう。
「もう一度だけ、チャンスをやる。……純潔なのだろう?」
「そ、そうです。……嘘をついて、申し訳ありません」
キンという金属音がして、剣が鞘に戻されたのだとようやく気が付く。
あまりにも動きが早く、何が起きたか分からなかった。
「他の者とは違う嘘をつく女だ。変わっている。だが決めた。お前でいい」
「えっ」と思ったが遅い。
黒装束の男は奴隷商人を呼び、異国の言葉で会話を始めている。しかも黒装束の男は、たんまりの金貨を取り出した。それは……ヴィサンカ帝国の貨幣だ。
やはり、ヴィサンカ帝国の兵士か騎士!
どうしよう、もしスペンサー王国の王女フローラとばれたら、殺される……。
逃げようとしたが、黒装束の男はそのまま出て行く。
代わりに奴隷商人の男が大声で誰かを呼ぶと、二人の女性が入って来た。癖のある長い黒髪の二人の女性は、やはりエキゾチックな衣装を着ているが、靴をはいていない。逃亡防止のため、奴隷には靴をはかせないと聞いたことがあるが、本当のようだ。
奴隷商人に何かを命じられた二人は「はい」という感じで何度も頷き、そして――。
私のそばへと近づくと、身振り手振りで何かを示す。
「着替えと入浴をする?」
こちらもまたジェスチャーで示しながら尋ねると「そうだ」という感じで頷き、手を掴まれる。仕切られていた部屋を出て、連れて行かれたのは……天幕の一角に用意されていた、湯あみスペースだ。
大きな木の樽があり、そこに半分ぐらい水が入っている。着ている服を脱ぐようにジェスチャーされ、一瞬「え」と思った。だがもう何日も入浴をしておらず、体を綺麗にしたい気持ちがあった。ゆえに言われるがままで、服を脱ぐことにした。
すると手枷足枷をはずされ、私は下着と貫頭衣を脱ぐことになった。
ロケットペンダントを外すよう言われたが、これはこのままでいいと身振り手振りで示す。いざという時のものだ。防水加工をしていたし、水の中に入れても大丈夫な仕様になっていた。親の形見だからこのままでいいと必死に何度も言うと、その必死さが伝わったようだ。もう外すようにとは言われない。
こうしてロケットペンダント以外、身に着けているものはない――という姿になると、いきなり樽の中の水をかけられ、叫びそうになる。
まだ夏ではない。突然、水をかけるなんて!と思ったが、泡立てた海綿で、ごしごしと体をこすられる。同時にもう一人の女性が、大きな木製のたらいにお湯を入れ、ここまで運んでいる。男性でも重たいと感じるだろうに。これを一人で持つなんて。タフな女性だと思った。運んだお湯は、樽の中にどぼどぼ注ぐ。
泡を落とすためにかけられたのは、丁度いい温度のお湯で、ほっとする。その後、髪も洗い、さっぱりした。二人がかりで、タオルで拭かれ、新しい下着を身に着けることもできたのだ。
ブラウスとロングスカートという、町娘のような装いになった。
今、ちゃんと服を着ていて、手枷足枷もない。
逃げることができるのでは……?
「オジョウサン、ニゲルコト、カンガエタラ、ダメネ」
木製の大きなたらいでお湯を運んでいた女性からそう言われ、ギクリと固まる。
「アナタ、ニゲタラ、オリノナカニイルオンナノコ、ミンナ、シヌヨ」
奴隷にされた人間が考えることなんて、きっと同じなのだろう。
手枷足枷がなく、身だしなみが整った。そうなったら「逃げよう――」と思って当然だ。
あっさり考えを読まれてしまった。
だが……。
もし私が自分のことしか考えなければ、檻の中に残された少女がどうなろうと構わず、逃げ出しただろう。
でも……。
あの気の強そうな、元は貴族の令嬢も。おませな知識がいっぱいあるナオも。もう他人には思えない。何より、スペンサー王国で起きた戦争の犠牲者だ。王族として、彼女達が害されるような行動をとることは、できない。
そこでこんな疑問も浮かぶ。
このまま奴隷として生きることが、彼女達の幸せなのか? この後、どんな人間に買われるか分からない。売り飛ばされた先で、地獄の苦しみが待つかもしれない。それなら売られる前に、今のうちに――。
いや、そんなこと、分からない。どんな未来が待つかなんて、誰も分からないと思う。ただ言えることは一つ。
私の行動で命が絶たれるようなことは、避けないといけない。