49:前へ進む
この国の頂点である皇帝に、寝間着にガウンという姿で会うことが許される理由。それはここが、皇妃の夜伽の身代わり役を担う女性が住まう、離れだからだ。それを思うと、なんだか気恥ずかしくなり、顔を伏せることになる。
「今日着けていたものは、見ると嫌なことを思い出すだろう。実はいくつか用意させていた。次はこれを着けてくるといい」
声に顔をあげ、ガレスが差し出した手を見る。その手には、多分明るい場所で見れば白と思われる下地に、黄金の装飾が施された仮面舞踏会用のアイマスクが乗せられていた。白い羽の飾りもついている。
「……ガレス皇帝陛下、わざわざありがとうございます」
これを届けるために、立ち寄ってくれたのかと少し驚きながら、アイマスクを受け取る。同時に。まだしばらく、私のガレスの女避けの役割が続くのかしら?と、その顔を見ると……。
まるで言い訳をするかのように、ガレスが口を開く。
「……寝室に、ほのかなランプの明かりが見えた。まだ起きているのか……と思い、足を運んだが、この時間だ。既に入浴を終え、ドレスは着ていないだろう。わざわざ身支度させる必要もない。そう思い、当直のメイドに預けた。……今晩はいろいろあった。ちゃんと君が眠ることができているのか。少し気になっただけだ」
いつもと違い、なんだかぎこちないガレスに、胸がザワザワとしてしまう。
彼にもこんな一面があるのね。
「そうでしたか。実は手紙を書くので、明かりをつけていました。実は……」
そこでエントランスホールの襲撃犯の正体の件を伝えた。あれは公爵家とは無関係の襲撃であると。
「なるほど。……尋問をした時に、その話題は出なかった。フローラの報告がなければ、真相は闇の中になるところだ。ありがとう」
「い、いえ、そんな。……皇妃殿下は公開処刑には、ならないですよね?」
「そうだな。まだ皇妃の罪と刑については発表していない。その件は明後日の戦勝慰労の宴で話すつもりだ」
恩赦の件についても聞きたいが、こんな階段の踊り場で話すことではない。こうして立ち話をしているのは、手短に終わらせようということだろう。
「お互いの用件は済んだ、ということでいいか?」
「あ、はい」
「では部屋まで送ろう」
「!」
わざわざ送ってもらわなくてもと思うが、せっかくなので、差し出された手に自分の手を乗せる。
「あ」と小さく声が漏れた。
やはりその手は、シルクのような肌触りで心地いい。
「いろいろなことがあり、それどころではなかった。だがどうだ。恩赦の件。諦めたのか?」
階段を上りながら、まさに気になっていた件を話題に出され、前のめりで答えてしまう。
「諦めていません! ただおっしゃる通り、それどころではなかったので……。確かに今日の舞踏会には、沢山の令嬢がいました。ゆっくり拝見し、話すことができれば、『この方ですか?』とお聞きすることもできたかもしれませんが……」
「では明日の夜、話すまでが猶予だ。じっくり探すまでもないと思うが」
「明日の夜、話す時には、教えていただけるのですか!? 陛下が考える新たな皇妃に丁度いい女性を」
「そのつもりだ」
そうか。それならば私が見つけ出さなくても問題はない。
これで「死刑の執行を無期延期にする」か「死刑ではなく無期懲役にする」にできるかもしれないと思った。
「フローラは本当に、あの皇妃を生かしたいのだな」
「そう……ですね。どこか憎み切れなくて……。あ、陛下」
「なんだ」
「怪我は侍医に見ていただいていますか? あちこちに擦り傷やかすり傷ができていましたよね?」
フッとガレスが笑ったように感じ、すぐに彼を見たが、その横顔はいつも通り。
端正に整い、そこに現れている感情はない。
「侍医も、私のこの程度の傷では気にしない。ちゃんと軟膏も、もらっている」
「そうですか。良かったです」
侍医にも見てもらったのだから、大丈夫なのだろう。それでも私のせいで、その体が傷ついたかと思うと、やはり申し訳ないと思ってしまった。
「戦場に出ればこの程度の傷が、日常茶飯事だ。気に病む必要はない」
このセリフは、川岸で焚火にあたっている時にも、何度も言ってくれた言葉だった。
そうであっても……。
「私のために」「気にするな」
丁度、寝室の扉の前に到着した。
立ち止まったガレスと、向き合うことになる。
寝室の扉の前は、護衛に付く近衛騎士も待機することから、明かりが灯されていた。
改めてそこでガレスを見て、白シャツにムーングレイのセットアップを着ているのだと分かった。タイはダークグレイで、ベストはシルバーサテン、パールを使った宝飾品もちゃんとつけている。こんなにも凛々しい姿のガレスに、尋問されたリンドンは、どんな気持ちだっただろう?
「!」
すっと伸びたガレスの手が、私の頬に、そっと触れていた。
「フローラの無事と引き換えの怪我。それは怪我のうちには入らない」
黙り込んだ私が、怪我を気にしていると思ったのだろう。
だがそんな風に言われ、頬に触れられると、咄嗟に言葉が出てこない。
「ではまた明日の晩に。ゆっくり休むといい」
「……陛下も、ゆっくりお休みくださいませ。怪我が早く治るよう、祈っています」
マントをヒラリとはためかせ、去っていくガレスの後を、ノリス卿と近衛騎士が続く。ノリス卿は歩き出す直前に、手を胸に当てる。軽く頭を下げ、会釈してくれた。彼らを見送り、護衛に付いてくれる近衛騎士に会釈し、寝室へ戻った。
受け取ったアイマスクをドレッサーに置き、ふと疑問が頭に浮かぶ。
このアイマスクを着けることで、周囲には私が皇帝に寵愛されていると映る。本来、皇妃が着けるはずのアイマスク。それを皇妃の夜伽の身代わり役の私が着けることで、並々ならぬ溺愛ぶりを、ガレスが発揮していると思われるだろう。
そうすることで、新たな皇妃を目指す令嬢が寄ってこない。オールソップ公爵のように娘を推す貴族も現れない。つまり女避けになるということで、このアイマスクを着けるのだと思う。
でもさっき、恩赦の話が出た。
恩赦の実施には、皇族の祝い事が必要であるとガレスは言い、新しい皇妃の誕生を祝い、恩赦を実施。前皇妃の罪にも恩赦を与える――という流れだった。
皇妃の罪と罰の発表の場は、明後日の戦勝慰労の宴だ。そして明日の晩、私はガレスと話す時間を持っている。そこで恩赦についても話そうと、さっき言ったばかりだ。そこでは新しい皇妃に最適な令嬢の話も出る。
そうなるとこのアイマスク、私に渡すのではなく、新しい皇妃に渡せばいいのでは……?
そんな疑問が浮かんだものの。思いがけずガレスに会い、話をすることで、とても心が満たされていた。おかげでさっきまで眠気なんてなかったのに、今はあくびが何度も出て、眠くなっている。
寝よう!
ベッドに横になり、掛け布にくるまるようにしていると、自然と呼吸が落ち着いたものになる。
以前の私なら、泣き疲れて寝るのが日課だった。
ベッドに横になっても、気持ちは休まらない。
こんな風に呼吸も落ち着き、静かな気持ちにはなれなかった。
もしかすると私の心は、沢山の荒波にもまれ、しなやかさを手に入れたのではないか。リンドンに言われ、封印していたかつての凛とした私を、取り戻せたことも大きいのかもしれない。最大は家族に起きた真実を、ガレスが教えてくれたからではないか。
暗殺をできなかった自分を責め、家族の死を悲しんだ。だが、もうその必要はなくなった。まだ終わっていないこともある。兄の死とリンドン。これについては決着をつける必要がある。ただ、暗殺はしないことが正解だった。そして家族の死は無論、悲しい。この悲しみは一生消えない。それでも家族は私を生かそうとしてくれた。家族がここではない世界で私を心配にならないように。家族が笑顔で私を見守ることができるように。ちゃんと生きて、幸せになろうと思えた。
規則正しい呼吸の中、穏やかな眠りが訪れる――。
◇
翌日。
結局、前日の夜更かしで、私はブランチでのスタートだった。だがガレスはあの後、さらに執務をこなし、今日も朝から騎士達の剣術の訓練に参加。私がブランチを食べている時には、「栄光の間」で行われている、戦績褒章の儀を執り行っていた。昼食を挟み、その儀式は夕方まで続くというのだから、皇帝は激務であると再実感する。
一方の私は、パウダーブルーのドレスを着て、宮殿の敷地内にあるヴィサンカ帝国宮殿付属図書館へ足を運ぶつもりでいた。ここには貴族年鑑が用意されており、帝国内の有力貴族の情報を得ることができると、ネピが教えてくれたのだ。そこで新しい皇妃候補となる令嬢を見つけようと考えていた。
ところが!
「リリー様、陛下よりメッセージが届きました!」
ナオが部屋に来て、カードを渡してくれる。
何かと思い、目を通すと……。
グランドパレスから、私を尋ね、客が来る。本来、離れには皇帝以外は入れないが、特別に入館を許可するので、来客をもてなすといい――そう書かれていた。






















































