44:彼女の献身
「なぜ、河に飛び込んだか? ドレスを着た女性が、河に落ちて行くのを目の前で見た。助けたいと思うのは、人として当たり前の感情だ」
「そ、それは、そうですが……」
「そもそも泳ぎ方を知らないだろう? それに濡れた服は重く、体にまとわりつく。泳げる人間でも泳ぎにくい。何よりも河に落ちる瞬間は、地面に打ち付けられるのと変わらない衝撃を受ける。フローラのような華奢な体では、どうなるか分からない。……当然のこととして、飛び込んだのだが」
至極真っ当な回答だった。
走る馬車から落とされた時、相当ショックだったようだ。河に落ちて行く最中の私は、既に気絶していた。そして河に着水する直前で、なんとかガレスは私を抱き寄せ、頭を守り、体を可能な限り抱き寄せるようにしてくれた。その上で、ドボンと落ちたわけだ。
もしガレスが私を守ってくれていなければ、河に落ちた瞬間に、骨折していた可能性もある。
それに水深はある程度あったが、岩だってところどころで顔を覗かせている河だ。流れはそこまで早くないが、あちこちを岩に打ち付け、怪我をした可能性もある。そうならなかったのは、すべてガレスのおかげだ。
ただ、いくら訓練を積んでいるガレスでも、私を連れ、服を着た状態。泳ぎにくいし、岸にたどり着くには、時間がかかる。結果として、相応に流されてしまう。だが火をつけるために必要な道具をガレスは持ち歩いていた。それを携帯しているのは戦場を駆け巡った経験が豊富だったからだろう。しかも防水を施した容器と革袋に入れていた。おかげで火を熾すことができたのだ。
こうして濡れた服を脱がし、体が冷えないようにしてくれていた。
ガレスに守られたおかげで、私に怪我はない。だがガレスは河岸まで泳いだり、私を運んだりで、あちこちに擦り傷やかすり傷を作っていた。これには申し訳なくなり、何度も謝ることになった。
「気にするな。こんなもの、傷には入らない。それよりも、わたしのマントは、雨の日でも使えるよう加工してある。間もなく乾くだろうから、それまでは少し待て」
つまり上半身裸の状態だが、少し我慢しろ――ということ。これに異論などない。
「はい、待ちます。目覚めてすぐに悲鳴をあげてしまい、失礼しました。何よりも助けてくださり、本当にありがとうございます。……私のため、河に飛び込んでいただき、申し訳ないです……」
「……さっきは尤もらしく話した。だが正直、無我夢中だった。助けられるか、間に合うか。……間に合ってよかった。ただそれだけだ」
胸がジーンとして、そしてくしゃみがでた。
ガレスは立ち上がり、マントをバサリ、バサリと振り、ごみを払う。
表と裏と火の近くにかざす。
「もういいだろう。マントを――」
まだ完全に乾いていないが、マントがあるのとないのとでは、いろいろな意味で違う。マントにくるまれた状態で、再び抱き寄せられた。無論、これはお互いの体温で温め合うためだ。
「……ガレス皇帝陛下は、私の本当の名前がフローラであることを、ご存知だったのですね」
ノリス卿が話したのだと思った。
だが……。
「ああ。知っていた。フローラとは、わたしが十二歳の頃に会っている」
!? そ、そうなの!?
ガレスが十二歳ということは、私は十歳。
そんな子供の頃に……?
十歳では舞踏会も、冒頭の挨拶に顔を出すぐらいだった。誰かと社交することもなく部屋に戻っていたはずだ。それに公務にもその年齢では参加していない。外交行事に顔を出すこともあったが、それは公務としてではなかった。子供が親の職場を覗いている。そんな感覚だ。
ともかくそういった外交行事で、偶然、顔を合わせていたのかしら?
私が考え込んでいたまさにその時。
「陛下、リリー様!」
ノリス卿の声が、聞こえてきた。
◇
ノリス卿は、ちゃんとリンドンを乗せた馬車を捕えていた。
二人の御者、オロ、リンドン、さらに馬車の前後にいた五名のリンドンの護衛兵士も捕え、既に宮殿のあの地下牢へ連行中だと言う。さらに近くの農夫に頼み、服を調達。リンドン達は農夫に借りた荷馬車に乗せ、代わりにリンドンの馬車を、こちらへ持ってきてくれた。
こうして私はベージュのチュニックにブルーのロングスカート、ガレスはグレーのシャツに濃紺のズボンに着替え、馬車に乗ることになった。
馬車に乗り込むと、リンドンが切り裂いたカーテンの名残が目につく。
慌てて視線を逸らすと、ビリッと音がして、ドキッとする。見るとガレスが残っていたカーテンの生地を、金具ごと外してくれていた。私の話を聞いていたからか、それとも今、一瞬不快そうな顔をしたのに気づいてくれたのか。ともかくその気遣いに、感謝をする。
そして改めて向かい合って座ると、なんだか不思議な感じだった。
ガレスは農夫から借りたラフな装いなのに。それでも品を感じる。よれよれのグレーのシャツを着ているはずだが、サイズ的にピッタリなおかげで、皺もなく、ピンと生地が伸びていた。さらにズボンに至っては、長さが足りないのだが、そういうデザインの最先端ファッションに見えてしまうから不思議だ。
さっきは後ろに流していた髪も乾き、アイスブルーのサラサラの前髪に戻り、瞳はいつもの銀色だが……。そこに冷たさは感じない。穏やかで優しい眼差しに思える。
「元ハーティントン国王太子、リンドン・ジョージ・ハーティントン。わたしと同じ二十歳。フローラ、君の婚約者だった男だ。彼の本性は、よく分かったか?」
馬車が走り出すと、ガレスが私に尋ねた。
「……はい。今日、宮殿に現れた時から、少しおかしいと思いました。彼の心は戦争で壊れてしまったのだと思います」
そこで私はあのバルコニー席で、給仕の男性に扮したリンドンに声をかけられたこと。そこで毒入りのグレープフルーツジュースを飲ませるよう頼まれたこと。さらには毒を飲ませることに成功しようが失敗しようが、自身と一緒に宮殿を出るよう指示されたことを明かした。
「突然、くしゃみをしてグラスを倒した時。違和感を覚えたが……。私に毒を飲ませないようにしたのか」
「そうですね。せっかく毒からガレス皇帝陛下を救ったのに、毒を飲ませるなんて。私にはできません」
「……わたしは君の仇なのに?」
「それは……」
思わずガレスから視線を逸らし、窓を見る。
馬車の中はランタンが灯り、真っ暗ではない。
カーテンを外した左側の窓には、暗闇の中、私とガレスの姿が映りこんでいる。
「グラスはテーブルから落ち、わたしは毒を飲んでいない。着替えをした君は、先に離れに戻ると近衛騎士に告げた。……元々リンドンの提案に従い、宮殿を出るつもりだったのか?」
「宮殿を出るつもりはありませんでした。私についてくれている三人のメイド。そのうち二人は、同じ奴隷商人から買われたのです。私にとって友達のような存在。自分だけ逃げたら、二人がどうなるか。でも私に選択肢はありません。宮殿から出るしかありませんでした。脅されたのです。リンドンから」
そこで侍女だったナタリアのこと、王太子だった兄のことを、話すことになる。地下牢にナタリアがいると、リンドンから聞いた。兄は……リンドンによって害されたと話す時は、泣き出しそうになるのを、必死にこらえることになる。
「ナタリアという君の専属侍女だが、わたし達に捕えられた時は『自分はスペンサー王国の第一王女、フローラです』と名乗った。王族を押さえることになっていた騎士には、フローラの特徴が伝えられていた。ナタリアは確かに、髪の色、瞳の色が一致している。着ている衣装も豪華なもので、宝飾品も立派なものだ。しかも態度が堂々としている。連行した騎士達は、ナタリアがフローラ第一王女だと信じていた」
この話を聞くと、ナタリアが替え玉として、立派に役目を果たそうとしてくれたことが伝わってくる。その後の繰り返される尋問の中で、遂にナタリアは自分が侍女であると認めたが、それを認めるまでには、相当な時間がかかったという。
ナタリアの献身に、胸が熱くなった。
「彼女は確かに宮殿へ到着してすぐは、地下牢に収監した。だがその後、別の場所に移送している」
そうだったのね……! てっきりまだ地下牢にいると思ったのに!
「皇都から馬車で二時間程の、湖の中央に浮かぶ島。そこにグランドパレスという離宮がある。皇太后は、前皇帝より九歳年上だった。ここ最近、物忘れが激しく、奇怪な行動をとることが増え、使用人が怯えていた。そこで離宮に移したが……。自然豊かな場所で、少しは容態が落ち着いたと、報告を受けている。その離宮は、皇太后と使用人だけでは、有り余る広さだ。そこにナタリアと、スペンサー王国の王宮騎士一名を移した」
王宮騎士一名……?
もしや……。






















































