40:決断を迫られる
「ドレスのお着替えのお手伝いと、お飲み物をお持ちしました」
宮殿付きのメイドが二人、控え室へやって来た。
そのメイドが持つトレンチに、グレープフルーツジュースが載せられており、頬が引きつる。
もしやこのメイドは、リンドンの仲間なの……?
「先程、バルコニー席でお飲み物を倒されたと、別のメイドからお聞きしました。掃除をするメイドに、わざわざ手を怪我しないようにと、お声がけいただいたようで……。ありがとうございます。彼女から、グレープフルーツジュースを用意してお出しするようにと言われ、お持ちしました」
あ……なるほど。
そういうことなのね、と安堵する。
「ありがとう。ではそこへ置いて頂戴。ドレスの着替えが終わったら、いただくわ」
するとそのメイドは、グレープフルーツジュースの入ったグラスをローテーブルに置きながら、こんなことを言った。
「最初にグレープフルーツジュースの用意をした者が、リリー様のファンのようで。母国の言葉で詩を書いたとかで、良かったら見て欲しいということでした」
もう一人のメイドにより、既にドレスの着替えを始めていた私は、ギクリとすることになる。
最初にグレープフルーツジュースの用意をした者。それはリンドンだ。そうなると送られてきたメッセージは……。母国の言葉……大陸の共通語ではないわね。そうなると、古代語で書かれたメッセージだ。
王太子教育と王太子妃教育では、ハーティントン国で使われていた古代語についても、ある程度学んでいる。恐らくその言葉で書かれているはずだ。ヴィサンカ帝国の人間では、この文字は読めないだろう。
「まあ、それは嬉しいわ。……見せていただける?」
着替えをしながら、メッセージを見る。
手が震えそうになるのを堪えながら。
『フローラ、わざとではないよね? 僕を裏切るつもりではないよね? 僕について来てくれたら、ナタリアとフローラの兄君のことを話すよ。ナタリアはどこにいると思う? 聞いたら驚くよ。このまま見捨てるなら、いいよ。僕達もお終いだ。ナタリアも可哀そうだけど、終わりだと思う。ナタリアと兄君、そして僕を思うなら、約束を守って。指示した通り、エントランスに来て、僕が用意した馬車に乗るんだ。着替えを終えたらね』
リンドンのメッセージを見て、驚愕する。
今日はリンドンにより、何度驚かされていることか。
リンドンは、ナタリアの何を知っているの!?
それにナタリアがどこにいるのか、把握しているということ!?
さらに兄のことって、何?
地下牢で会った時に「マーカス殿下は、さすがフローラの兄君だ。……立派だったよ。最期まで勇敢に戦ってくれた。感謝しかないよ」と言っただけだった。何か他に、知っているというの……?
心臓がバクバクする。
全てが嘘の可能性もあった。
ナタリアは侍女なのに、私が姉のように慕っていたことを、リンドンは知っている。もしナタリアについて何か情報があるなら、私が飛びつくと考えている可能性が高い。それは兄に関することでも同じだ。
せっかく用意した毒入りのグレープフルーツジュースを、私が台無しにしたことで、リンドンは裏切りを感じた。その一方で、リンドンはまだ私を好きで、取り戻したいと思ってくれている。こんな風に脅すような形でも、私を宮殿から連れ出したいのでは……?
私がリンドンのそばにいることで。彼を支えることで。あの破滅的な考えを、変えることはできるのだろうか? 元は優しい人だった。今は心が壊れているのかもしれないが、献身的に支えたら、リンドンは元の優しい彼に戻ってくれる……?
リンドンについていくことで、ナオ、イーモ、ネピに、どんな処罰が下されるか、とても心配だった。エントランスホールの襲撃犯は、オールソップ公爵家の者ではなく、ハーティントン国の生き残りだったことも、ガレスに伝えたかった。そのことで、少なくとも皇妃は、公開処刑にならないで済むはずなのだから。恩赦につながる令嬢を見つけ出せなかったことは、悔やまれるが……。
それにリンドンについていけば、ソークとも二度と会えない気がしている。
ガレスに盾つくという点では、ソークと私は志を同じにしていた。もしこの想いを継続して持ち続け、地下活動でもしていれば、どこかで出会えるかもしれない。だが、ソークはガレスの暗殺を諦めた。そしてこの広いヴィサンカ帝国で、何の約束もなしでの再会は、難しいだろう。
しかもこれから私は逃亡者になる。なるべく人目を避けるのだ。ソークが私を見つけるのも、難しいだろう。
ガレスの元から去る波紋の大きさを思うと、本当にリンドンの指示に従うべきかと迷った。
でもナタリアのことは助けたい。それに兄について、リンドンが何を知っているのか、知りたかった。兄の書簡を私はなくしている。なおのこと、兄について情報が欲しかった。
「お着替えは完了ですね」
明るいメイドの声に、我へと返る。
用意されている姿見には、ブルーグレーの生地に、銀糸で華やかな刺繍が飾られたドレスを着る私が映っている。アシンメトリーの三段ティアードのスカートは、動く度にチュールがふわり、ふわりと揺れていた。
その様子をぼんやり眺めながらも、頭の中はフル稼働している。
最善を求め、何度も考えた。
でも、もう時間がない……。
こんな風に決断を迫られたことが、悲しくてならなかった。
くよくよしても仕方ない。
着替えを手伝ってくれたメイドに御礼を伝え、控え室を出る。近衛騎士の一人に、まずはこう声をかけた。
「……なんだか舞踏会は慣れていなくて。ダンスも出来たので、今日はもう、離れに戻るわ。そのことをガレス皇帝陛下に、伝えていただける?」
「かしこまりました」
「あなたは私とこのままエントランスホールに向かってくれるかしら? 馬車を手配してもらいたいの」
「了解です」
こうして近衛騎士を一人連れ、エントランスホールへ向かう。
リンドンの用意した馬車に乗り、まずは話し合ってみようと思った。彼の計画は性急すぎて、会話がろくにでてきていない。もっとちゃんと彼と話したいと思っていた。もし私の支えで彼を助けられる可能性があったら……。婚約者だった。お互いの国は消え、もはや婚約も何もないが、一度は将来を約束した相手なのだ。支えよう。
もしあまりにもリンドンが変わってしまっていたら……。宮殿へ戻ればいい。戻ったところで、受け入れられない可能性もある。逃亡の罪に問われるかもしれないが、それでもしナオ達の処罰が軽くなら、それでいいと考えた。
エントランスホールに到着すると、近衛騎士が、宮殿付きの使用人に声をかける。宮殿には急な外出に備え、馬車がいくつか待機していた。それを手配してもらうわけだ。
「フローラ、きっと来てくれると思ったよ」
声に振り返ると、白シャツに黒のテールコート、白の手袋。給仕の男性にしか見えないリンドンが、そこにいる。
「さあ、行こうか、フローラ」
そうやって手を出されると、これからリンドンと舞踏会にでも向かう気持ちになる。自然とリンドンの手に、自分の手を乗せていた。
自分のことは「ジョージ」と呼ぶようにと言うのに。私のことは「フローラ」と呼ぶ。いつも通りのリンドンなら、そこはぬかりなくするだろう。ちゃんと「リリー」と呼んだはずだ。
それだけ、リンドンは余裕がないのね。
エントランスに向かうと、四人乗りの馬車が待機している。
先にリンドンが乗り込み、御者に手伝ってもらい、私も乗り込んだ。
パタンと扉が閉まる。
エントランスホールに、私についてくれていた近衛騎士の姿が見えた。
きっと彼はこれからホールをくまなく見渡し、私の姿を探す。そしてどこにもいないことに気が付き、震撼するはずだ。
ごめんなさい。
ガレス、どうか彼を責めないであげてください。
少しでも彼がガレスから責められないようにするため、ヒントになるよう、ハンカチをわざと落としていた。名前が刺繍されたハンカチが、エントランスにあるとなれば、馬車に乗ったと分かるはず――。






















































