4:王女から奴隷へ
頬に触れる冷たく固い感触に目が覚めた。
ハッとして顔をあげ、目に飛び込んできた情報に衝撃を受ける。
目覚めたのは、檻の中。四方が格子で囲まれ、馬車の荷台に乗せることもできる、囚人などを護送する時に使う檻だ。その檻の中で、私の両手首と両足首には手枷と足枷がつけられている。ドレスは脱がされ、囚人が着るような、薄汚れたグレーの貫頭衣のようなものを着せられていた。下着はつけたままであることに、少し安堵する。
上体を起こし、座りこんだ私のそばには、同じような姿の少女が複数いた。皆、平民のように見えたが、一人だけ、令嬢だったのではと思われる少女がいる。ブロンド巻き毛に碧い瞳。「あの」と声を掛けるが、プイと横を向かれ、無視されてしまう。
代わりに、赤毛でそばかすのボブヘアの女子が、私に話しかけた。
「あなたは貴族なの? 今は汚れているけど、肌がとってもきれい。それに瞳も……珍しい。初めて見た」
この言葉に、心臓がドキッとする。
確かに紫の瞳、というのが、そもそもこの大陸でも珍しかった。家族でも紫の瞳だったのは、私と妹だけだ。王族とバレないか。私は不安だが、その少女は何も気が付いていない。それも仕方ないだろう。王女とは思えない姿をしている。さらに平民は直接王族の姿を見ることは少ない。宮殿にいるような装いをしていても、貴族としか思わない可能性もあった。だが今はそんなことはいい。それよりも少女のこの言葉にドキッとすることになる。
「あなたみたいな貴族も、こうやって奴隷として売られるちゃうんだもんね。戦争って、身分の差に関係なく、人を不幸にするんだ」
平民であろう少女の、やけに哲学的な言葉に、ドキッとする。
「奴隷商人が言っていた。異国の国から来た奴隷商人よ。敗戦国を巡っては、そこで生き残った人たちを捕まえて、奴隷にして売っているんだって。スペンサー王国は、一晩にして終わった。国王は王妃と一緒に毒を飲んで死んだって。『国民をこんな負け戦に巻き込んでしまい、申し訳ない』って遺書を残していたらしいよ。ずるいよね。死んで楽になって、残された私達は奴隷だよ。スペンサー王国では奴隷が禁止されていたけど、奴隷が認められている国は沢山あるし、いくらでも売り先はあるって」
この言葉に、私の体は突然震え出す。私はロスコーと共に彷徨い続け、一切の情報から遮断されていた。両親が死んだという事実をいきなりつけつけられ、目の前が真っ暗になりそうだった。このまま意識を失いたかったのに、さらなる衝撃の言葉で意識を保つことになる。
「それにさ、二人の王子と第二王女は隣国に逃げようとしていたんだよ。国民の避難は進めていたっていうけど、だったらここで捕えられているみんなは、何なの!?って感じだよね。あっちの檻には大人の男性、あっちは大人の女性。それであれは子供。そっちは私達とおなじぐらいの年齢の少年たち。国民はこうやって奴隷にされているのに、国王の子供は国外へ逃げようとするなんて。罰が当たったんだよ。山賊に襲われて死んじゃったんだって」
「くっ……」唸り声を一つ上げ、冷たい檻の床を睨むように見つめ、こみ上げる感情を呑み込む。ここで大泣きでもしたら、注目を集め、私が何者であるかバレてしまう気がした。
フローラ、聞いた通りよ。
家族はみんな、命を落とした。
スペンサー王国の最後の王族なのよ、あなたは。
今の命は、どれだけの犠牲の上に残ったものなのか、よく考えなさい。
泣き叫んでも、その犠牲に報いることはできないわよ。
「あなた、大丈夫……?」
「ええ、大丈夫。……私はリリーというの。あなたは?」
「私? 私はナオよ」
ミドルネームを伝えた後、深呼吸をし、ナオに告げる。
「国民の避難は進んでいたと思う。もしそうでなければ、この程度の奴隷では、済んでなかったでしょう。私も含め、逃げ遅れただけよ。それに死んで……楽になるつもりだったとは思わないわ。きっと責任をとったのよ」
「責任? 責任って何の?」
「それは……」
父親は兄の書簡を読んでから、「自分の決断は間違いだった」と言っていた。書簡にとても重要なことが書かれていたはずだった。
だが……。
その書簡はドレスのポケットに入れていたはずなのに。逃走の際に失われている。何が書いてあったのか。ヴィサンカ帝国の皇帝宛に残した手紙に、父親が書き残しているかもしれないが、現状では真相が不明だ。
そこでハッとして、首元を確認する。
ドレスは脱がされたが、首からぶら下げていたロケットペンダントは、奇跡的にそのままだった。ロケットペンダントだが、これは持ち主ではないと、開けられないようになっている。開けることもできないし、どうせ安物と思われたのだろうか。それはどうでもいい。ともかく手元に残ってよかった。
奴隷として売られ、屈辱的な事態になっても、毒薬で逝くことができる。
「ねえ、責任って何?」
ナオがしつこく、少し辟易しながら、答える。
「国と国の争いだから。責任はトップにあるということ。宣戦布告をしたのはスペンサー王国でもあったから。責任をとり、自らの命を……絶ったのだと思う」
最後は父親のことを思い、息が苦しくなったが、なんとか伝えることができた。
「ふうーん。同じ命を落とすなら、マーカス様みたいだったらいいのに」
突然、ナオの瞳が輝く。兄はスペンサー王国の“王子様”として大人気だった。
「ハーティントン国から逃げてきた人がいて、その人が同じ檻の中の人に話していたのが聞こえてきたの。マーカス様は最期までハーティントン国のために戦って、王城に残っていた平民の避難を助けていたって。でも多分、帝国の兵士よ。黒装束の一味に襲われ、背中から刺されて亡くなったって。でもおかげで赤ん坊を連れていた平民の女性は、助かったそうよ。スペンサー王国の誇りよね、マーカス様は!」
さっきの決意が揺らぐ。
目の前がぼやけて見え、涙がこぼれそうになる。
兄は最期まで、王太子としての誇りを守り抜いた。決して犬死ではなかった。死地へ出向くとなっても、最期の時まで諦めなかったんだ。
「あら、リリー、あなたマーカス様のファンだったの? 檻の中の男の人達も、まさに男泣きしていたよ」
「そう、私も……ファンだった」
男泣きした人がいるなら、私が泣いてもおかしくないだろう。
限界だった。
ナオが呆れるぐらい号泣した。泣き過ぎて、呼吸困難になりかけ、そして麻痺した。
騎士に聞いたことがある。
とんでもない怪我を負うと、痛みを感じなくなるのだとか。
それはもう死の淵に足をかけた状態。
痛みを忘れさせる何かが分泌され、安らかな死へと向かうと。
私の感情もそうなのだろうか。
あまりにも悲しくて感情が……。
その時だった。
視界に黒装束の長身の男性の姿が目に入り、ドキッとする。
そこで麻痺しかけた感情がかろうじて踏みとどまる。
黒装束の男に、目が釘付けになった。
私達を挟み撃ちしたのも、黒装束の男。そして兄の命を奪ったのも、黒装束の男。そして今見えている男も、黒装束……。
何者なのか? ヴィサンカ帝国と共に動いていることから、帝国軍の兵士だろう。でもなぜ黒装束姿なのか。隠密行動を専門としている部隊の兵士……なの?
今、見えている黒装束の男は、腰に長剣を帯びている。そして奴隷商人の男と立ち話をしていた。しばらく会話をした後、大人の女性が閉じ込められた檻の方へと向かう。
「あ……あれは、女漁りだね。きっと帝国軍の兵士だよ。奴隷の女を買って、奥さんがしてくれないようないろんなことをさせるつもりだよ。いわゆる愛人って奴。娼館に行くお金はないけど、奴隷の女ぐらいは買える貴族に仕える兵士は、ああやって女漁りをするんだって」
「……ナオは随分、詳しいのね」
「あ。だって。あたし娼館で下働きしていたから。元はあたしも、貴族のご落胤って奴だって母親は言っていたけど、真相はどうなのか分かんない。だって気づいたら貧乏で、家のためだからって、娼館で働くことになっていたし」
なるほど。そういうことか。
だからどこかドライで大人びていて、そっちの話にも詳しいと。
早速、檻の中から三人の女性が出された。
三人はそのまま、そばの天幕の中へと連れて行かれる。
天幕の中には奴隷商人と黒装束の男も入っていく。
睨むようにして、黒装束の男を見ていた。
「あれは……手練手管の確認かしらね?」
ナオがその後、いろいろとそちら方面の知識を披露するので、黒装束の男に対して感じた負の感情も維持できない。
その時がくれば、王族の女性に伝わる夜伽に関する本を読むことになっていた。でも私とリンドンの結婚式はまだ先だったから、その本を見ていない。ナオが話していることは恥ずかしくて聞いていられないと思う反面、耳には入って来てしまう。
どうしていいのか分からなくなっていると、三人の女性が天幕から出てきた。
全員、顔色が悪く、震えている者や泣いている者もいる。
「あれぇ、どういうことかな? 要求を満たせる女じゃないって、断られたとか? にしてもあんなに泣く? もしかすると……」
ナオはとんでもないことを言い出し、私はただただ赤面するしかない。ただ、もしそんな要求をされたら、私だって嫌だろうし、青ざめたと思う。
だが、そんな風に客観視できるのはそこまでだった。
なぜなら。
奴隷商人がその黒装束の男を連れ、こちらへ歩いて来たのだ。
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完結のお知らせです~
【一気読みできます】
『わたしにもう一度恋して欲しい
~婚約破棄と断罪を回避した悪役令嬢のその後の物語~』
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「続きが気になる」という声を、何度となくいただけた本作。
読み始めると止まらなくなります!
何よりも「そうきましたか!」の展開をぜひ味わっていただきたいです!
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