39:彼の心理
「リン……ジョージ、私はガレスとは、何もないから」
「いいよ、フローラ。君が傷物だろうと、僕の気持ちは変わらない。フローラを傷物にしたガレスに、復讐をしよう」
ダメだ。そっちの誤解はそう簡単に解けそうにない。
「ガレスを今、暗殺したら、大変なことになるわ。暴君ガレスがいるから抑え込めていた勢力が動き出し、帝国が大混乱になる。そうなったら周辺国も動き出す。大陸全体で、戦争状態になってしまうわ。多くの国の国民が、苦しむことになる。だから」
「構わないよ、それで」
「え……」
「どうせ僕の国も、フローラの国も、失われた。帝国も他の国も、滅べばいいんだよ」
あまりにも衝撃的だった。
かつての心優しいリンドンは、どこへ行ってしまったの? どうしてそんなヒドイ考えをできるの?
「ジョージ、そんな考えではダメよ。多くの血が流れることになるわ。お願い。辛い経験をして、復讐したい気持ちになっているのはよく分かる。でもそれではダメなのよ」
「フローラは……体だけではなく、心までガレスの手に落ちてしまったの?」
「! そんなわけでは……」
「とにかく、もう行くよ。怪しまれてしまう」
確かにこのバルコニー席は、階下のホールからは丸見えになる。
こんな風に給仕の男性と立ち話なんて、普通はしない。
扉から出て行くリンドンを、止めることができなかった。
どうしよう……。
ひとまず椅子に座り、変わってしまったリンドンに、どう対応するべきなのかと考える。
リンドンは幼い頃から、ハーティントン国の国王になるために、厳しい教育を受けてきた。いわゆる王太子教育だ。それはとても大変なものだったはず。それなのに突然、ヴィサンカ帝国の侵攻を受け、国が滅ぼされてしまった。これまでの努力は水の泡。
しかも自身は矢を受け、片目を失うことになった。さらに家族はみんな亡くなっている。そしてこれは勘違いであるが、婚約者の私は、彼の国を滅ぼした暴君の愛人にされてしまった。
リンドンからしたら、生き残ったこの世界に、希望なんてどこにもないと思ったはずだ。
地下牢に幽閉され、拷問はなくとも、尋問はされたと思う。その中で、リンドンの心は、どんどん物事を悪い方向へ考えるようになったのではないか。
でも短期間で、人生が激変するような出来事が起きたのだ。それは私も同じだけど、彼の場合、怪我も負っている。破滅的な思考になってしまうのは、仕方がないのかもしれない。だからといってそのことで、多くの人々を不幸にしてはいけない。
ノックの音に飛び上がりそうになるが、入って来たのはリンドンだ。
果汁100%と分かる、果肉の粒も混ざったグレープフルーツジュースが運ばれてきた。もぎたてのフレッシュな香りが広がり、一瞬気持ちがさっぱりする。
「フローラ、これが毒入りだから。ガレスに飲ませるんだよ。こんな風にしてもいいかもしれない。『毒入りの危険があるので、グラスを交換しましょう』と言って、自分の前に置かれているグラスをガレスに渡すんだ。本来、フローラが飲むはずのドリンクに毒が入っていたとなれば、さっきと同じ。フローラを狙った奴らの仕業だと思われる」
エントランスホールで起きた、オールソップ公爵家の残党による、私の襲撃事件。リンドンも既に知っているようだ。
「フローラを狙った襲撃だと思われているよね。でもあれは違うんだよ。僕には仲間がまだ沢山いる。ハーティントン国から逃げ伸びた仲間が。彼らは自らが犠牲になり、僕を助けてくれるんだ」
「リ……ジョージ、それはどういうことかしら?」
「僕達がこの舞踏会に侵入するために、囮になってもらったのさ。エントランスホールで騒ぎが起きれば、皆の注意がそこに向かう。その間に、僕達はここへ侵入できた」
もう何度目の衝撃だろう。
これはつまり、オールソップ公爵家の残党が、私を襲撃したわけではないということだ。リンドン達が、この舞踏会に潜り込むため、芝居を打ったことになる。あの時の襲撃犯は、ヴィサンカ帝国の人間ではなく、ハーティントン国の人間ということだ……。
ハーティントン国の人々も、スペンサー王国程ではないが、争いを好まない気質だったと思う。海に面し、山もあり、海と山の幸を楽しめ、食で困ることもなく、穏やかに生きていたはず。それが他国の公爵家の名を騙り、あんな形で命を散らすなんて……。
それにオールソップ公爵家の残党だと判断されたから、皇妃の公開処刑の話が出た。ここに侵入するためとはいえ、リンドンの行動は、既に自分以外の人を不幸にしている。だがリンドンは、理解できないのだろう。自身の行動で誰か不幸にすることが、間違っているとは。自分がこれだけ不幸なのだから、周りがいくら不幸になろうと、もう関係ない――そんな心理だと思う。
そこでノックの音がして、ノリス卿の笑い声が聞こえた。
「しかしそこまでやるかと思いましたよ。蓋を開けたら結局、ただの平民だったわけですよね。古い家系図も偽物。代々伝わるという宝石も偽物。でも自分は伯爵家の血筋だからと、陛下の妃にして欲しいだなんて。何を寝惚けたことを言っているのでしょうか」
ノリス卿とガレスと入れ替わるように、リンドンは出て行く。
「あ、いい香りですね。グレープフルーツジュースですか。舶来品ですよね。珍しい。今日は宰相が頑張りましたね」
ノリス卿の言葉にドキリとする。
そう。
グレープフルーツの産地は、ヴィサンカ帝国の属国、ルコーラという国だ。気候的にグレープフルーツの栽培に向いているのが、ルコーラ。ヴィサンカ帝国では、レモンやライムの栽培が盛んだった。
「確かにこれは良い香りだ。……リリー、私の分も頼んでくれたのか?」
「え、あ、はい」
どうしよう。このままではガレスは、毒入りのグレープフルーツジュースを飲んでしまうわ。
私とガレスが座る椅子は、横並びに置かれていた。その間に、丸いサイドテーブルが用意されている。そこにクリスタルグラスに入ったグレープフルーツジュースが、置かれているのだ。
リンドンの気持ちは分かる。
でも私はガレスに毒を飲ませるわけにはいかない。
「へくしょん!」
ガタン、バリン、ガシャン。
「! リリー嬢、大丈夫ですか!?」
「すぐに給仕を呼べ」
「御意」
「リリー、ドレスが濡れたのでは?」
「申し訳ございません、ガレス皇帝陛下」
くしゃみをして、思わず手でグラスを倒してしまった……という演出をしたのだ。
二つのグラスはテーブルから落ち、グレープフルーツジュースは絨毯にぶちまけられた。グラス同士はぶつかりあい、割れている。
ドレスの裾に、グレープフルーツジュースが飛び散り、水玉模様のようなシミを作っていた。さらにレースの生地は、絨毯のジュースを吸い込んでいる。
「着替えた方がいいな。ドレスは持参しているか?」
「ネピが同行している侍女に、持たせたと思います」
「では控え室まで送ろう」
「ありがとうございます」
ガレスにエスコートされ、廊下に出る。
給仕の女性が、モップや雑巾を手に、こちらへと集まっていた。ガレスと私と入れ替えで、中に入ろうとするその女性に声をかけた。
「ガラスの破片もあるので、素手では危険です。グローブをつけるようにしてください。小さな傷から菌が侵入し、死に至ることもありますから」
そんな風に声を掛けられたことに驚いたその女性は、一瞬、キョトンとする。だがすぐに笑顔になった。
「お、お気遣いありがとうございます!」
ホッとして体の向きを戻すと、そこに表情のないリンドンが見えた。
光を感じさせない碧い瞳が「フローラ、これはどういうこと?」と無言で問いかけている気がしてしまう。たまらず、視線を逸らす。
「どうした、具合が悪いのか?」
私をエスコートしながら、ガレスが心配そうに声をかけてくれる。
「い、いえ、大丈夫です」
こうして控室へ戻り、私は着替えを行うことになる。一方のガレスは、呼ばれてノリス卿と共に、ホールへ戻った。だが控え室の入口には、ちゃんと私専属の近衛騎士が待機してくれている。だから、リンドンは簡単に近づけない。そう思っていたが……。






















































