32:初夜の真相(2)
毒入りワインをガレスは飲んでしまった。
すぐに吐き出したのか――思わずそう尋ねると、ガレスはこう答えた。
「毒を盛った張本人が、ワインを飲み、目の辺りを火照らせ、脱げそうな黒いネグリジェ姿でそこにいる。わたしがすぐに毒に気づかないと思い、そこまで余裕なのか。しかもわたしが毒入りワインを口にしたのに、悠然としている。相手がそんな状態なのに、わたしが慌てふためき、バスルームへ飛び込むわけにはいかないだろう?」
「……そんなことはないと思います。毒と分かったなら、すぐに吐き出していただいた方がいいかと。それに……」
そこでも余計なことを言い過ぎたと思い、黙り込むと。
「……構わない。遠慮しないでいい。思ったタイミングで話しかけてもらって構わない。永遠に許可する」
ガレスの言葉に「え」と私はキョトンとし、ノリス卿はからかうように口笛を吹く。何か言わなければと思い、私は口をパクパクしてしまう。そう、パクパクするだけで、何も言えない。
私の代わりなのか、ガレスが話し続ける。
「変な意地を張ったと思う。毒については、ヴィサンカ帝国に来てからは、耐性をつけるため、少量の服用は続けていた。それに過去の暗殺で、毒は全て回避できている。だから何というのか。大丈夫だろうという、根拠のない自信もあった」
これを聞くことで、驚きがようやく収まる。
自由にガレスに話しかけていいという許可をもらえた。このことに驚き過ぎてしまった。でも今は、そこを深く考えている場合ではない。
やはり暗殺を恐れ、毒の耐性はつけ続けていることが分かった。それに過去の暗殺では、毒を全て回避できていた……。つまりガレスは他の皇子と同じで、暗殺されかけたことが何度もあったということだ。それを想像するだけでも、本当にヴィサンカ帝国で皇帝をやるのは、大変なことだと思う。
暗殺の手段として、毒が使われることは、とても多い。武器を使えば目立つし、周囲に護衛を担う近衛騎士がいれば、確実に阻止され、捕えられる。弓矢でもない限り、対象に近づく必要があるし、接近は間違いなく不審に思われ、成功率を下げてしまう。
よって王族や皇族は、特に毒による暗殺を恐れている。だからこそ、毒見係もいるわけで……。
「あとは皇妃だ。彼女は政略結婚と言いつつ、わたしに対して強い執着を見せていた。ゆえに毒を盛るとは想定していなかった。よって毒と思ったが、媚薬やそういった類の可能性も考えてしまったのだ。よってリリーが言うように、すぐ吐くこともせず、口を漱ぐこともしていない。水を飲み吐くといった毒に対する初期対応を怠ってしまった」
「それでワインを飲み続けたのですか、陛下は?」
私は突然、ガレスから「リリー」と言われ、またもやフリーズ。
代わりにノリス卿が、ガレスに質問をしている。
名前で呼ばれたぐらいで、固まってしまうなんて!
ノリス卿だって私のことをリリー嬢と呼んでいる。私という個人を特定して呼ぶために、リリーと呼んだだけだ。何せ奴隷であるから、ファミリーネームなんて持っていない前提で扱われている。リリーと呼ぶことしかできないのだ。そこに敬称がつくか、つかないかの違い。ここで過剰反応する必要はないと、脳に言い聞かせる。
落ち着いたところで思考を巡らす。
皇妃は、ガレス自身が認識できるぐらい、彼に執着=彼を愛していた。だからこそ毒を盛られるとは、ガレスは思わなかった……それは仕方ないだろう。皇妃本人も、毒を盛ったつもりはなかったはず。そこは皇妃も父親から騙され、裏切られた結果なのだから。皇妃本人は媚薬のつもりで、ワインに入れていたのだ。よってガレスが勘違いし、初期対応を怠ることになったのも……不可避なことだったと思う。
「さすがにグラスに入れられた赤ワインを飲むことは、止めた」
「その時の皇妃殿下の反応は?」
ノリス卿がなんだか楽しそうに尋ねている。
「残念そうな顔をしていたな」
二口程度で、媚薬としての効果があるのか。皇妃は心配したのだろう。さらに二口しか飲ますことができず、残念に思っていたのではないか。その時は、まだ毒だと思っていないだろうから。
なんとなく皇妃の様子が想像できてしまう。
「赤ワインを飲むのを止め、タイミングを見計らい、バスルームへ行くつもりだった」
「そのタイミングを見誤り、いや、それともあれですか。皇妃の証言通り『するとやがて皇帝の、あの透明感のある肌が、ほんのり薔薇色に色づき始める。そして頬を赤らめ、銀色の瞳を潤ませた。息を荒くした皇帝に抱き寄せられた皇妃は、そのままベッドに押し倒され――』になったのですか?」
ノリス卿はこんな質問までするなんて!
でもこれはもしかして、皇妃の証言の真偽を、ガレスに確認しているの……?
ともかく聞いたままを想像してしまい、なんだか頬が熱くなる。
私との初夜の練習では、そんな姿をガレスは見せることがなかった。ところが皇妃に対しては、そんな艶っぽい表情を見せたのだろうか……。
「こっちは毒を飲んだと認識している。どうしたらそんな状態になれる? 毒を薄めるつもりで、白ワインを開け、それを何杯か飲んだ。よって多少肌が赤くはなったかもしれないが、酩酊状態ではない」
「では皇妃を押し倒すことは、なかったのですか?」
ノリス卿! なんてことを聞いているの!?
これはガレスではなくても、普通に怒ると思うわ。
どうガレスが反応するかと思ったが……。
ガレスは銀色の瞳で遠くを見つめている。
表情に変化はないが、ため息をついた。
「押し倒すつもりはなかった。毒が回ってきたようで、バスルームへ行こうとしたが、足がもつれた。それを見た皇妃が、一度ベッドへ座るようにすすめたんだ。ソファから立ち上がり、移動したから、ベッドの方が近かった。手を貸そうとする皇妃を無視し、ベッドに座ったが、そこで眩暈がした」
ワインを何杯も飲むことで、毒の回りが早くなったのだろう。急に、その症状が出た。
「くらっと来たと思ったら、ベッドに倒れそうになり、それを皇妃が支えようとした。結果的に皇妃を押し倒した構図になってしまっただけだ」
そうだったのか――とホッとしてしまい、そこで「なぜ?」と自分で考えることになる。ガレスと皇妃は婚儀を挙げているのだから、何か起きていたとしても、私に何か言う権利はない。
それなのになんだかモヤモヤするのは……。
私は初夜の練習相手だった。よって皇妃との初夜と自分の時を比較し、嫉妬している……? なぜ嫉妬する必要が? ガレスが仇であることに代わりはないのだから、嫉妬など不要のはず。
仇なのに暗殺を思い留まったのは、ガレスに冷酷無慈悲な暴君だけではない、別の一面があるのではないかと思ってしまったからだ。非道なところはあるが、完全な悪人ではないと。
それに私が嫉妬という感情を持つとしたら――。
そこで一瞬、リンドンの姿が浮かび、そしてソークをすぐに思い出す。
ソークを好きなのよね、私……?
自分に問いかけてしまうのは、キスをされた=異性として意識するようになる=好きなのではと思うようになったのでは?と気づいてしまったからだ。
「……リリーはこの話に飽きたか」
ガレスの氷点下の声音に、ビクッと体が凍り付く。
「飽きるも何も。皇妃との初夜の真相解明はできたわけです。ですからこの話はお終いですよね、陛下。それに昼食もこれにて終了です。……リリー嬢、続きはそちらで話しましょうか。陛下はこの後、宰相と打ち合わせですから」
ノリス卿が絶妙なタイミングで助け船を出してくれたことに、安堵する。
初夜の相手をしなければならない時も、つい余計なことを考え、ガレスを怒らせてしまった。
ガレスが話しているタイミングで考え事をしてしまうのは、確かに悪いとは思う。でも私のことなど、スルーしてくれればいいのに……。
ともかくその場が氷結する前に、昼食は終了した。
◇
昼食後、二時間程、ノリス卿からヒアリングを受けた。
皇妃が地下牢に来た時、どんな会話をしたのか、それを聞かれた形だ。彼女の言ったままを伝えると、ノリス卿は不快感をあらわにした。つまり私を心配し、皇妃のヒドイ言葉に怒っていたのだ。
ヒアリングが終わると、お茶に丁度いい時間だった。
「リリー嬢、一緒にお茶をしないか? 陛下も一緒に」
ノリス卿は気軽にそう声をかけてくれるが。
離れに戻り、一人になり、夕食までの時間。
自分の気持ちに向き合いたくなっていた。
よって、ノリス卿の提案には「少し疲れたので、離れで横になりたい」ということで辞退した。
離れに戻ると、マカロン二つとミルクティーだけ用意してもらい、私は部屋に一人籠った。そしてソファに座り、考えることになる。






















































