30:彼の正体
「な、そんな訳がありません! ガレス皇帝陛下は、私に魅力を感じていないと思います」
「どうしてそう思われるのですか?」
「それは」
ノリス卿との会話の最中、突然、感じた鋭い視線。
少し顔を上げた私は、見る物を氷像に変えるような目線を捉えることになる。
「ガ、ガレス皇帝陛下に、ご挨拶を申し上げます」
慌てて椅子から立ち上がり、カーテシーをすると、ノリス卿もサッと姿勢を正した。
「陛下、いかがなさいましたか?」
ノリス卿が尋ねると、ガレスは「茶の時間だが、飲み物しか用意がなかったが」と、澄んだ声で告げる。相変わらず表情がなく、そこから推察されるのは「飲み物しかなく、スイーツの用意がなかったのだが」という怒り。
「あ、陛下、それには理由があります。体調がまだ万全ではないため、甘い物は控えた方がいいと侍医が判断し、メイドがそれに従ったからです。ただ、本人が食べたいなら、食べてもいいということでしたので、どうぞ」
ノリス卿は、美しい草花が描かれたお皿をガレスに渡す。しかもニコニコとした顔で。
「貴様、そこから菓子を自分で取れというのか!」――ガレスがそんな風に怒鳴るのかと思ったが……。
ガレスは大人しくお皿を受け取ると、トングでテーブルに並ぶスイーツを摘まむ。そしてそのスイーツを、渡されたお皿に載せている。
変わらず冷たい目線をスイーツに向けているし、その無表情からは“怒”しか感じられないのに! ……本人は怒っていないようだ。
そこでハッとした私は、ブランチの御礼を伝える。
「ガレス皇帝陛下、今日は陛下がお口にされた美味しい料理を私にも食べさせてくださり、ありがとうございました。消化にもよく、胃に優しいもので、助かりました」
「……」
もうサーッと青ざめる。ノリス卿にはちゃんと反応するのに、私には無関心だ。いや、違う。身分の件を話したかどうか、まだノリス卿に確認を終えていない。もしや既に私の身分を知っているから、怒っている……?
「!」
無言のガレスは、お皿に山盛りのスイーツを載せている。マカロンの一つや二つならまだいいだろう。だが、この山盛りは……。砂糖の摂り過ぎになる! これは止めるべきだと判断し、思わずその手を掴んでしまう。
触れたその手は、毒を飲んだ直後と違い、さらっとして少し冷たい。まるで上質な陶磁器に触れたようだ。肌に馴染み、そのままぎゅっと握りしめたくなるような……。
ハッとして慌てて手を放す。
想像したままガレスの手を、自分の両手で包み込むようにしていた。
「も、申し訳ありません! 砂糖は消化の際、胃に負担がかかると聞いたことがあります。今はまだ万全の体調ではないと思うので、召し上がるスイーツは、もう少し減らした方がいいと思いました。差し出がましい真似をしてしまい、本当に、本当に申し訳ありません!」
もはや体が自然と、ひれ伏す姿勢をとってしまう。つまり絨毯の上に座り込んでいた。変な汗をかき、寒さを感じ、体もブルブル震えている。
すると。
「立て」
私の目の前に、神の手がある。
もしかしてあの時のように。
目にもとまらない速さで、ガレスは剣を抜いていたのでは?
既に私は死亡しており、天に召されるところ……。
つまりこの目の前に差し出されている手は、大天使様の手なのでは?
だってこんなにも美しい。
光り輝いているように感じるその手に、自分の手を乗せると、ふわっと持ち上げられ、自然と立ち上がっている。なんだか胸がとてもドキドキして、顔をあげ、そこには――。
アイスブルーのサラサラの髪に銀色の瞳。シャープな輪郭に高い鼻、形のいい唇。私を見下ろす程の長身。金糸で襟や袖に美しい刺繍があしらわれた濃紺のローブを着た大天使ではなく、ガレスがいる。
「確かに陛下、これは食べ過ぎですよ。僕はここで剣の素振りもしていますし、筋トレもしていますから、これぐらい食べてもいいですが……。まあ、この量ならいいですよね、リリー嬢」
口の周りに粉糖をつけたノリス卿が、私にお皿を見せる。
そこにはレモンタルトとクッキー二枚しか載せられていない。私が天に召されたのかと勘違いしている間に、ノリス卿はガレスがお皿に載せたスイーツのほとんどを、食べ終えていた。
「そ、それなら大丈夫ではないかと」
「だ、そうです。陛下」
ノリス卿がお皿を差し出すと、ガレスは無言で受け取る。
そのまま回れ右をしてこの場から去ろうとしたが、私の手を持ったままだったことに気づく。
「失礼する」
そう言ってそのまま持ち上げた私の手の甲に、口づけをする仕草をして、スッと手をは離す。
その一連の流れが実に優雅で思わずため息をついてしまう。それを終えると今度こそくるっと背を向け、振り返ることなく立ち去った。この瞬間、彼が冷酷無慈悲な暴君と言われていることを、忘れてしまいそうになる。
「どうですか、リリー嬢。陛下は秀麗でしょう」
「は、はい。そうですね……」
そこは本当にそう見えたので、素直にそう答えてしまう。
「陛下は言われる程、怖くはないのですよ」
「それは相手がノリス卿だからではないですか?」
聞くとノリス卿は確かに、ガレスの側近の中では一番付き合いが長いのだという。だからこそノリス卿は、ズバズバとガレスに意見を言えて、スイーツをごっそり食べても何も言われないのだろう。
「あ、あと。身分のことは……陛下には言わないでおきますから」
「! ぜひお願いします」
「ということで、改めてですが、座りませんか?」
「はい」と返事をして着席した後に聞かれたのは、あの地下牢で起きた出来事。つまり地下にやって来たオールソップ公爵に何を言われたのか、何をされたのか、その確認だった。
あの場で生き残ったのは結局、私だけ。皇妃は、自身の父親である公爵が地下牢へ私を害するために向かったことを証言したが、実際そこで何があったかまでは分からない。よって何が起きたかを、ノリス卿は私に確認したわけだ。
ソークともう一人の謎の人物のことを出せないので、かなり苦しかった。だがなんとか辻褄を合わせ、話すことはできたと思う。
「なるほど。あなたを気絶させたのは逃亡犯ではなく、その仲間だったのですね?」
「そうだと思います。私も何が起きたのか、動転してしまい、よく分からなくて。あとは煙幕が焚かれ、見えにくかったというのもあります。ただ、私を気絶させたのは、男性だったのではないかと」
動転したのは事実であるし、煙幕も本当に使われた。実際、使ったのは、ソーク達だったのだけど。とにかくリンドンと私のつながり、リンドンの逃亡を私が手伝ったとバレないようにしようと、必死だった。
「仲間だった――で、正解だと思いますよ。兵士を倒し、鍵を手に入れないと、逃亡犯の牢屋には入れないですからね。兵士と公爵を倒し、ついでにリリー嬢を気絶させた。そして鍵を使い、囚人を連れ出し、逃亡した――という流れでしょうから」
これには内心、ヒヤリとした。もし「逃亡犯だったかもしれない」と答えていたら、疑われたかもしれないのだから!
もうこれ以上、地下牢での件を聞かれたくないという思いと、どうしても気になっているということで、私から質問することにした。
「あの、奴隷商人から私を買ったのは、黒装束姿のソークという人でした。彼は何者なのでしょうか? 騎士か兵士かと思うのですが」
ソークのことが知りたかった。あれから碧い鳥が飛んでこないか、つい窓の外を見てしまう。でも碧い鳥が姿を現すことはない。今、ソークはどこにいるのか。ずっとずっと知りたかったのだ。
私に問われたノリス卿は、その顔を引きつらせているように思える。
「あー、えー」となんだかしどろもどろにもなっていた。
「私の予想では、何か隠密な行動をとるスパイのような任務に就いている方と思ったのですが、正解ですか?」
咳払いをしたノリス卿は「そうですね」と返事をし、考え込みながら話し出した。
ソークの謎に迫ることができると、少し胸が高鳴る。
「正規の騎士や兵士では、動きにくいこともありますから。確かにそう言った任務を請け負う特殊な工作員も、いますよ、はい。ソーク。そう。その手の任務を担当する者を、一律でソークと呼ぶんですよ。ですから個人名というより、組織名ですね」
「なるほど。ではあの方は、ソークという工作員組織の一人ということですか」
「そうです。指摘の通り、隠密行動が基本。今後はソークの件は、他言無用でお願いします」
既にネピに話してしまったと告げると「それはこちらで口外しないよう注意しておくので、大丈夫です」とノリス卿は告げた。
てっきりソークという名前が、本名だと思っていた。まさか組織名を名乗っていたなんて。結局、キスもされたというのに。私は彼の名前すら知らないんだ……。それでも他の名前を知らないのだから、ソークと呼ぶことしかできない。
「ソークの任務は」
「リリー嬢、申し訳ないです。この後、御前会議なんですよ。先程から、続々人が入ってきていますよね?」
言われると要職者という感じの人が、次々とこの寝室に入室していた。私が「そうですね。では私はそろそろ離れへ戻りますね」と席を立つ。
「昨日の今日で、呼び立ててしまい、すみませんでした。そしてこちらのヒアリングに協力いただき、ありがとうございました」
ノリス卿がニッコリ笑い、私は離れへ戻ることになった。






















































