3:戦禍の記憶(後編)
宣戦布告を受けたヴィサンカ帝国は、翌日には大軍を率いて、スペンサー王国に現れた。
騎士と兵はすべて持ち場につき、重鎮達の一部は国民と共に避難をしており、宮殿の国王の執務室には、数える程の家臣と王宮騎士ぐらいしかいなかった。そこで私達は戦況報告を受けていた。
王都に至るまで、いくつかの中核都市があり、そこに軍は配備されている。だがすべて全滅したという。かろうじて生き延び、報告をした騎士の甲冑は、煤まみれだった。
「ヴィサンカ帝国のこ、皇帝は……まるで悪魔です。我々が防衛していた都市は、火の海に包まれました。戦闘という戦闘はなく、とにかく火攻めです……。なにもかもが炎に包まれ、焼け落ちました。そこを無傷のヴィサンカ帝国の兵が、進んでくるのです。その数は、まるで一つの国が動いているかのようで、とても数えきれず……。おそらく、その数は約五万」
そこへハーティントン国から、命からがらで帰還した伝令兵がやってきた。
「ヴィサンカ帝国の軍、おおよそ七万。ハーティントン国の兵は四万。我が軍と合流しましたが、敵は投石機による攻撃を繰り返し、王城を壊滅的な状態に追いやりました。その上で火を放つことで、城下町にいた兵士を恐怖に陥れ……。跳ね橋を破壊し、逃げ場を一箇所のみとし、投降か自害しかない状況に追い込まれました。皆、最期の一人になるまでの覚悟で戦い、そして……」
そこまで語った伝令兵は、一通の書簡を国王に渡し、息絶えた。
伝令兵は全てを話したわけではない。でも聞くまでもなかったと思う。その伝令兵の怪我の様子。地獄から帰還したとしか思えなかった。兄も、そしてリンドン王太子も、ハーティントン国に向かった兵も、ハーティントン国王夫妻も、みんな戦死したんだ……。
そう頭で理解しても、現実のことと思えない。
つい、先日。
舞踏会でリンドンに会えると、胸をときめかせていたのに。
もう彼がこの世にいない? まさか、そんなわけは。
「私は必ず、この国に帰ってくるから」と微笑んだ兄の顔は、まだしっかり記憶に残っている。
戦争とは無縁で育ち、それでも王太子であるからと、武芸も極め、騎士としての訓練を積んでいた兄が……投降なんてしないだろう。投降しないなら、敵と相討ちか自害。
あまりにも非現実的で、脳がこの事態の受け入れを拒否している。ゆえに泣き叫ぶこともない。ただ、黙ったまま何が起きているのか、情報を仕入れようと目が動く。
伝令兵が息絶える前に取り出した書簡。それは兄からのもののようだった。兄の名を低い声で呼んだ後、書簡に目を通した父親……国王の顔色が変わる。
「ほ、報告します。皇帝率いる五万の軍と、ハーティントン国から移動してきている七万の軍が、間もなく王都の手前で合流となります」
報告に来た兵の顔は、蒼白だ。
今、王都は十二万のヴィサンカ帝国の軍に囲まれていることになる。そして王都を守る兵の数は……中核都市に配備した軍は全滅しているのだ。そう、今、王都には一万の軍しかいない……。
「私は……誤った決断をしてしまった。このような事態を招いた責任はすべて私にある。すぐに皇帝へ書簡を送るが、王妃と第一王女はすぐに避難させろ!」
普段は温厚で優しい父親だ。でも今は国王として、いつにない力強い声で叫んだ。だが兄が残した書簡を読み終えていた王妃……母親は、冷静に次のように告げた。
「陛下。もはや手紙を書いても、間に合わないでしょう。私はスペンサー王国の王妃として、あなたと共に最後までここに残ります。それにフローラと二人で供を連れて逃げても、それは目立つことでしょう。……スペンサー王国の未来は、フローラに託そうと思います」
母親がそう言ったまさにその時、窓や執務机に置かれている燭台や羽ペン立てが、カタカタと揺れた。そして声が聞こえる。それは「うおぉ!」という沢山の男性の出す掛け声。
「もう、宮殿近くまで迫っているのか……」
父親は絞り出すような声でそう言うと、兄にも渡したのと同じ、毒薬(丸薬)の入ったロケットペンダントを私に握らせた。さらに兄の書簡を、私が着ているドレスのポケットにしまった。
「フローラ、逃げなさい。皇帝は逃げたそなたを追うことはないだろう。なぜ追わないのか。その答えはそなたの兄であるマーカスが残したこの書簡に書かれている。だがその内容を今、説明する時間はない。とにかく逃げのび、そこで確認するといいだろう。この毒薬はもしもの時のためだ。基本は逃げのびる。生きることだ」
「……私を追わないのであれば、お父様もお母様も逃げていいのでは……?」
「父さんと母さんは皇帝に会って、詫びなければならない。許してもらえるか分からないが、誤った判断をしたのは、父さんだからな」
何を言っているのか、全く理解できない。だが――。
地震!?
鼓膜を破るような大きな音と、大地が揺れるような振動を感じた。
「へ、陛下! 投石が始まりました!」
「フローラ、行くんだ!」
「王女様、行きましょう」
「フローラ、生きるのです!」
一刻の猶予もない状況だった。私もここに残ると抵抗したが、侍女のナタリアらに説得され、王宮の秘密の地下通路を使い、宮殿の敷地外へ脱出した。脱出した先には有事に備え、常時騎士と馬車が待機している。そこで馬車に乗り込み、逃走することになった。ナタリアは私になりすまし、私は侍女のふりをして。
侍女のナタリアは、私より三歳上で、髪は亜麻色、瞳は紫を帯びた碧。私の瞳は紫色だが、背格好といい、私に似ている。私と似ている平民出身のナタリアが、この王宮で侍女をしている理由。それは……。
スペンサー王国はそこまで軍事力があるわけではない。もしもの場合、王族が生き延びることができるよう、替え玉を用意していた。王太子、第一王女の従者と侍女は、いざという時、王太子、第一王女になりすまし、敵の目を攪乱させる。そしてその間に、本物の王太子と第一王女を逃す使命を帯びていた。
こうして王女はナタリア、侍女は私として目指したのは……。
「……ルドン峡谷へ向かいます。実はそこに、密かに船乗り場を作っていたのです。そこで船に乗り換え、峡谷の河を進み、ルドン山脈を抜け、ヴェル王国へ行きましょう」
これには驚きだった。ルドン山脈は標高が高く、難所ばかりの山として知られ、そこに広がるルドン峡谷にも、近づく人は少ない。何せ獰猛な狼の生息地として知られ、また岩ばかりの峡谷は、人の侵入を拒んでいた。
この山を隔てた先に、確かにヴェル王国がある。だがほとんど交易がないのは、この山脈のせいだった。
河を使い、船で下れば、確かにスペンサー王国からヴェル王国へ行きやすい。だがその逆は困難。河の流れと峡谷を吹き抜ける風に逆行するのは、とても難しいからだ。そうなるとストラ公国を迂回することになるが、それはお互いに面倒。ならば双方の国の間にあるストラ公国と交易すればいい……となっていたのだ。
ヴェル王国の人里離れた場所に、実は五十年以上前に、家を建てていた。有事に備え、スペンサー王国から渡った騎士が、そこに住み続けている。ナタリアと私は平民のふりをして、随行する騎士は猟師や農夫に扮してもらい、そこで生き延びる。
生き延びた後の算段は、そこから立てればいい。今はまず、生きて、この地を離れ、ヴェル王国へ向かうことだった。
ところが。
逃走を始めた馬車が、紋章も分からない謎の黒装束の男達から攻撃を受けることになった。戦闘の様子を見るに、素人ではない。つまり盗賊などではなく、剣の使い方の訓練を受けた人間であるということ。さらに敵の人数がこちらより多いので、馬車に閉じこもるより、一旦この場から逃げた方がいいとなる。
そこでナタリアが私にこう告げた。
「この馬車が走るルートは、地図にも載せていないものです。つまり本来、知る人ぞ知るルート。ここにやってきたということは……只者ではないでしょう。それに恐らく、あの黒装束の男達は、兵か騎士です。王族しか使わないルートに現れた敵。その目的が何であるかとなったら、王族の命を奪う――でしょう。つまり私が王女様の替え玉として、囮になれば、逃げきることができます」
家族とも離れ離れになり、私にはナタリアしかいない。ナタリアを置いて逃げることなんてできない。
だが結局、私は王宮騎士に連れられ、無理矢理馬車を離れ、森の中を歩き出すことになる。しかも後ろを振り返ると、馬車の後方から向かってきているのは……ヴィサンカ帝国の騎士だ。先頭を馬で駆ける騎士の手には、帝国旗が掲げられている。
正体不明の黒装束とヴィサンカ帝国の騎士。
この二つにまさに挟み撃ちにされてしまった。
これを見て歩みを止めた私に喝を入れたのは、王宮騎士のロスコー。ナタリアと同じ年で、濃いブラウンの髪にセピア色の瞳。ナタリアとも仲が良かった。私に進むよう促すロスコーだったが、彼のセピア色の瞳からは、涙が一粒こぼれ落ちていた。
ロスコーの涙を見て、私の昂った感情は静まる。そして理解する。もうあの場に戻ることはない。何せ挟み撃ちされている。助かることはないだろう。その場で害されなくても、連れ去られ……。
馬車は放置され、馬は連れ去られる。二つの勢力が去った後、戻ったところでどうにもならない。
さらにロスコーは……ナタリアのことを好きなのではないか?――ということに私は気が付く。彼の流した涙と、普段ナタリアと仲が良かったことから、そう推察できた。ナタリアを助けたいのに、自分の使命に従い、彼女を置き去りにする。その決意を思うと、「戻りましょう、ナタリアを助けに行きましょう」とは、もう言えなかった。
ロスコーは有能な騎士だ。王宮騎士に選ばれるぐらい。ただ、今は多勢に無勢。勝ち目はない。しかも挟み撃ちに遭っている。戻っても、助け出せない。それどころか全滅する。
「後ろは振り返らないでください。自分達は前に進むだけです」
愛する人を見殺しにするしかないロスコーの言葉に、異論なんて挟めない。
ただ、その言葉に従うしかなかった。
◇
それからはもう、ロスコーに言われるままに歩き、そして洞窟を見つけ、そこで野宿することになった。いざという時に備え、訓練を受けていたロスコーは、焚火をたき、川で捕えた魚を食べさせてくれる。泉を見つけ、そこで水袋の水を補充し、翌日は再び、森の中を進むことになった。
ナタリアと別れて、三日目。
ロスコーは甲冑を放棄した。さすがに徒歩での移動に、甲冑は邪魔だった。私のドレスはボロボロで、髪もぼさぼさだ。ただ、若さがあるからか、肌艶はまだ悪くなっていない。でも食料は、手に入ることもあれば、手に入らないこともある。その場合は馬車から持ち出した薔薇の花びらの砂糖菓子を一枚ずつ食べ、あとは水でしのいだ。
徒歩でルドン峡谷へ向かうと、何日かかるのだろう?
そう思いながら、三日目が終わろうとしていた。
ロスコーのマントを掛け布代わりにして、自分の腕を枕に、横になった時。
唸るような声が聞こえた。
「……ロスコー?」
上半身を起こした私の顔には布が押し当てられ――。
意識が飛んだ。
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