29:呼び出し
私の本当の身分を知るノリス卿に呼び出された。
しかも場所は皇宮で、ガレスの寝室。
これはどういうことなのか。
ガレスはまだ体調が万全というわけではない。
よって寝室で執務を行っているのだということは、想像がつく。
そのガレスの同席が必要で、ノリス卿が私と話したいことと言ったら……。
それはもう一つしかないだろう。
私の身分の件だ……!
ティータイムのその時が来るまで、私は落ち着かない。
誰かとこの件について話したくなるが、ナオもイーモもネピも。
みんなメイドとしての仕事がある。それに身分に関わる件なので話せない。
ノリス卿が私と話したいそうです――と伝えてくれたネピに、「これはどういうことかしら!?」と尋ねると、「それは地下牢で大騒動があったのですから。そしてあのブランチのお食事。お体を気遣い、元気な姿を見せて欲しい――という意図ではないですかね?」と笑顔で言われた。
まさか私の身分がばれ、処刑の話が出る可能性は……ネピは考えていない。当然だろう。
ティータイムとは、ヴィサンカ帝国では十四時半らしいので、離れの庭に咲いていたオレンジの白い花を摘み、持参することにした。この時期に咲くオレンジの白い花は、優美で爽やかで、その果実を思わせるいい香りがする。この香りは、スペンサー王国が分類する香果表で「強いリラックス効果」をもたらす香りに分類されていた。
まだ体調が万全ではないガレスがこの香りでリラックスし、そして処刑という恐ろしい考えを口にしないことを願い、持参することにした……いわゆる賄賂(?)みたいなものだ。
香りごときでと思うかもしれないが、香りが与える影響は大きいと思う!
……そう信じて、ネピと近衛騎士と共に皇宮の入口へと向かった。
一度はこの命、どうなってもいいと思ったのに。
今は生きたいという気持ちを取り戻していた。
それはナオやイーモ、ネピという、心から私を思ってくれる仲間ができたから。
メイド長だって協力してくれた。リンドンだけでも生きていると分かった。
離れや皇宮の使用人も私のことを少なからず好意的に受け止めてくれていた。
そして……ソークにもう一度会いたいという気持ちも生まれている。
生きる力を取り戻したのなら、その勢いで仇討ちをしたいと思うのか。
それは……なかった。
生命を強く感じてしまったからこそ、奪うなんてことは、ますますできない。
それにソークもこう言ってくれた。
――「人を殺せないから、愚かな人間だと思う必要はない。人を殺せない。それが正常だ。人の命を奪えるような人間が、正しいと思う必要はない」
そんなことを思っていると、あっという間に皇宮の入口に着いた。
ネピとはここでお別れ。
この後は、二人の近衛騎士を連れ、皇宮の専属従者の後について歩き出す。
ガレスの寝所は極秘扱いだったはず。ところが目隠しもされず、案内されていることに気づいてしまう。
これには不安しかない。ただ、正直な話。何度も曲がったり、なぜか一度地下に降りて、階段を上ったりしたので、もはや道順は覚えていない。もし火事だから今すぐ外へ逃げろと言われても……100%迷子になる気がした。
とにかくいろいろ歩き、ついに寝所の扉の前に到着した。
解毒のために寝所へ連れて行かれた時は、目に布を巻かれ、騎士に運ばれたのだ。そして目を開けると、そこはいきなりガレスが眠る寝室だった。よってここを自分の目で見るのは初めてのことになる。
当然だが、入口となる扉の左右には、警備の近衛騎士が直立不動で立っている。
兵士ではなく、近衛騎士が、警備をしていた。
ここに来る直前の廊下にいた騎士も、兵士ではなく近衛騎士だった。それだけ厳重なのだと実感する。従者がノックすると、合言葉が求められ、合格だと扉が開くようだ。きっと合言葉はその日ごとか、時間ごとで変えていそうに思える。
扉がスッと音もなく開いたが、ドアの内側に近衛騎士がいた。入るとそこは、ホールになっている。初夜の練習のために使われている寝所と、同じような造りだ。ただ、スケールはこちらの方が大きい。
扉を開けると、想像通りで廊下が続く。でもやはりこちらの方が、距離が長い!
突き当りの扉を開けると、そばにやはり近衛騎士がいて、天蓋付きベッドが見える。しかしそれは天蓋の部分しか見えない。というのも衝立が立てられていたのだ。
王侯貴族は着替えの時に、この衝立をよく使う。多くが木製。上部にガラスが埋め込まれているようなものが定番。でも今、ガレスがいるであろう天蓋付きのベッドに置かれている衝立は、四連で、白木にシルバーの飾り枠、ピンと張られた表生地には、白銀の雪景色が描かれている。今の季節には不釣り合いだが、実に美しい。木に降り積もる雪。足跡をつけながら森の奥へと向かう雪ウサギ。真っ白なキツネの姿も見えた。
「リリー嬢、よく来てくれました。さあ、こちらへ。座ってください」
寝室はとにかく広かった。でも調度品はなく、がらんどうなイメージだったが、今は暖炉の前のソファセットに、あれは宰相、外務大臣も座り、何やら話をしている。ベッドの方に時折顔を向けていることから、そこにガレスがいて、指示を出しているのだろう。
そして入って右手にはテーブルセットが置かれ、そのテーブルにはカラフルで宝石のようなスイーツが並べられている。
「ブランチは綺麗に平らげたと聞いています。このスイーツも、ペロリといけそうですか?」
「ブランチをご手配いただき、ありがとうございます。あれはノリス卿の計らいだったのですね」
「いやいや、違います。残念ですが、僕ではないですよ。陛下は今朝、普段通り目覚められました。目覚められ、喉の渇きを訴え、食欲があると言われたのです。早急に準備を進めました。朝食が用意されるまでの間、そして食事をしながら。昨晩、何があったのかの報告を、陛下は聞くことになったのです。解毒のために、リリー嬢が自ら毒を服用し、症状を確認したことも話しています。すると『わたしと同じ毒を口にしたのなら、胃に優しい食事がいいだろう。ここに用意したものと同じ食事を、離れへ届けるように』と言われたのですよ」
皇宮から届けられた食事。
しかもガレスが食べたであろうメニューということで、なんとなくガレス自身がこれを私が食べられるように、手配してくれたのでは!?――と一度は考えた。
でもすぐに例の処刑の件も浮上した。そうなるとそんなわけはない。これはガレスの近衛騎士隊長である、ノリス卿が気を遣ってくれた結果だと、勝手に考え直していた。納得していたのだ。そこがまさかの一発逆転(!?)で、ガレスがそんな親切心を示してくれたなんて……!
これには驚きで、ナオ達にも話さないといけないと思えた。
ブランチの食事の件で舞い上がってしまったが、そうではない。
「あの、ノリス卿、私の身分のことは、ガレス皇帝陛下に話されたのでしょうか……」
寝室は広いので、距離はある。でも同じ部屋にガレスはいるのだ。どうしても声のトーンは落ちるし、声は小さくなる。すると。
「えっと……リリー嬢、もう少し大きな声でお話しいただけると」
「!」
それは無理な話だ。聞かれたくないのだから、ガレスに。
「失礼いたしました。まだ疲れが残っているようで、あまり大きな声を出せないようで……」
「! そうでしたか。気が付かず、失礼しました」
そう言うとノリス卿が席を立ち、私の横へ来た。さらに前かがみになり、私の口の方へ自身の耳を向けてくれる。
これなら絶対に、ガレスには聞こえないわ!
そう思い、安心して再度、私の身分をガレスに教えていないか尋ねた。するとノリス卿は、なんだか少し困っているような顔をしている。
やはり話してしまったのね……。
落ち込む私に、ノリス卿は尋ねる。
「陛下に話されると、困りますか?」
コクっと頷いて、ノリス卿を見上げる。すると彼は再び、耳を私の方へ向け、近づけてくれた。安心して口を開く。
「敗戦国の王女は、死刑にされる可能性が高いですから……」
するとテーブルに手をつき、椅子の背もたれを手で掴んだノリス卿が、私の顔を覗き込む。思いがけず彼の顔が近く、ガレスに負けないぐらいきめの細かい肌をしていることに気づく。
「そうとも限らないですよね? ミレーユ公国は、隣国のミラード国に占領されましたが、公女とミラード国王が結婚しています。二十歳の年の差を乗り越え、いい夫婦になられたと噂になりました。……フローラ嬢も、陛下とそうなってもおかしくないのでは?」
「な、そんな訳がありません! ガレス皇帝陛下は、私に魅力を感じていないと思います」
「どうしてそう思われるのですか?」
「それは」
そこで空気の変化を感じた。
なんというか、気温が三度ぐらい低くなったような……。
悪寒にぶるっとして少し顔を上げると。
ノリス卿のブルーシルバーの髪を超えた先に、氷のような眼差しを見つけてしまった。






















































