25:ほんの数分でも、隙ができれば
地上から、誰かが降りてきた。
誰か。
なんて思う必要はなかった。
「見つけだぞ、この悪女め!」
上質な黒のテールコートは着ていない。白シャツにシルクの黒いベストに、黒のタイ。シャツの腕はまくりあげ、腰に……剣を帯びている。後ろに二人の兵士を連れていた。宮殿の警備兵ではない。あれは私兵。つまりオールソップ公爵家に仕える兵ということだ。
私のいる牢屋の前に立つと、オールソップ公爵は両手で前髪を上げ、オールバックの状態にした。そして赤黒い瞳で私を見る。
「スペンサー王国出身で、薬草に詳しい。なんでも王立薬草研究所に勤務していたとか。薬草……。薬草だけではないだろう。毒草にも詳しいのだろう? 薬草と毒草は、紙一重なんじゃないのかね、悪女のお嬢さん」
「何が言いたいのでしょうか」
「だから、君なのだろう? 皇帝に、毒草から作った毒を飲ませたのは。『薬草から作ったこの薬は、滋養強壮に効く媚薬です』と嘘をついて。皇帝はあんなに若いのだから、そんなものはなくても平気なのに。ああ、そうか。きっと君との練習では、なかなかその気になれなかったのだろうな、陛下は! そこで君は心配をしたフリをして」
「そんなこと、していません!」
片眉をくいっと上げたオールソップ公爵は「人の話を途中で遮るとは。さすが奴隷女だ。礼儀がなっとらん!」そう怒鳴ると、右側の兵士に声をかける。兵は牢屋の鍵を持っていた。あっという間に鍵を開け、そこに三人が入って来た。
右手で短剣を握り締める。
三人もいて、対処できるの? 無理だ。もうオールソップ公爵に集中。弱点となる場所に、とにかく一回でもこの短剣を突き刺すことができれば……。その後、二人の兵士に刺されようと、それはもう仕方ない。
諦めではなく、最善を尽くす。
しかし、皮肉なことだった。
あんなに暗殺が怖かったのに。
自分が理不尽に殺される状況になったら、完全に肝が据わった。
窮鼠猫を嚙む。まさに自分がその状態なのだと思えた。
「皇妃は口だけが達者で、実行力が伴わなくて困る。あれでは陛下の役にも立てないだろう。早晩、陛下に叱られ、斬り捨てられそうだ」
笑う公爵に追随する兵士二人にも、嫌気が差す。
自分の娘をこんな風に卑下することにも、嫌悪感を覚えていた。
「私がここに来た理由は、分かっているのだろう? それにその顔。諦めの悪い顔をしている。大人しくするなら、一突きで逝かせてやるのに。抵抗すると、この地下牢に何時間も悲鳴が響くことになるぞ」
肝が据わったと思ったのに!
今の公爵の言葉だけで、心が折れそうになっていた。
「私に濡れ衣を着せ、ここで上手く“死人に口なし”に出来たとしても。ガレス皇帝陛下は、私がそんなものを渡していないと、知っています。すぐに悪事はバレますよ」
「余計なお世話だな。正常な状態の皇帝は、実に厄介だ。だが今、奴は病み上がりのようなもの。そばに張り付くノリス卿が邪魔だが、奴だって人間だ。レストルームにだって行く。あの様子だと、入浴もせず、椅子に座って寝そうだがな! だがほんの数分でも、隙ができれば十分だ。皇帝は暗殺される」
こんな話を私に聞かせるということは、確実に私をここで仕留めるつもりなのだろう。牢番には金を握らせたか。もしかすると牢番は……既に亡くなっているかもしれない。
「こうやって話をして、時間稼ぎか? 助けなんて来ないだろう? ここに来たばかりの奴隷女の悪女に、知り合いなんているはずがない。そうそう。上の牢番は、先にあの世で待っていてくれる。あと二名、お前と一緒にここへ来た、奴隷女がいたはずだが……」
ナオとイーモのことだ!
折れかけた心が再び強靭さを取り戻す。
「無駄な殺生はお止めください! 私をあの世に送れば十分ですよね。これ以上、犠牲を出さないでください」
オールソップ公爵は赤黒い瞳を細め、私を見つめた。
そうしながら、ついに彼は剣を抜く。
「……奴隷女には見えないな。何者なんだ? 王立薬草研究所と言えば、スペンサー王国ではエリートが働く場所では? 確か職員は全員、貴族だったのでは?」
さすが公爵家。他国の情報も把握していた。だが問われていることに、答える義理はない。
「貴族だな。伯爵家か? まあ、どうでもいい。この国でお前の身分は、奴隷だ。ただの奴隷ではない。貴様は皇帝殺しの悪女として、帝国史に名を残すことになる。光栄だと思うがいい!」
そう言ったオールソップ公爵の構えた剣が、こちらへと真っ直ぐ向けられた。
「動くな。そのままでいれば、一突きで心臓を貫き、楽にあの世へ行ける。少しでもずれれば、激痛に襲われるだけだ。その後はもう、体中を切り刻むぞ」
この距離では短剣を手にする前に、言われた通り、心臓を一突きだろう。
結局。何もできない。
そう思ったが、何か焦げたような匂いを感じた。
これはオールソップ公爵も気が付き、後ろを気にしている。
そこで私はわざと驚愕の表情をした。
その瞬間。
オールソップ公爵が、後方を振り向いた。
公爵の動きを追いかけるように、二人の兵士も後方を見る。
その後の自分の行動は、奇跡としか思えない。
何度も簪で練習した動き。それを短剣で実践した。
「貴様っ!」
公爵が叫ぶのと同時に、煙幕が広がった。
素早く床に伏せた。
ビュンと音がして、公爵が剣を振り下ろしたのだと分かる。
咄嗟の判断だったが、床に伏せたことが功を奏した。
ガシャン、ガシャンと音がして、兵士の一人が突然倒れた。
煙幕はどんどん広がり、もう視界は白い。
素早く転がり、ベッドの下に隠れる。
公爵は左の脇腹に刺さった短剣を抜こうとしていたが、突然倒れた兵士に驚き「おい」ともう一人の兵士に声をかける。だが、バタッと音がして、もう一人の兵士も倒れていた。
煙幕の合間に、黒い影が動いているように見える。あまりにも速い動きで、追いきれない。
でも、誰かがいる……!
「だ、誰だ! 卑怯だぞ!」
「卑怯なのは、貴様だろうが!」
「!」
悲鳴をあげそうになり、それを呑み込む。
もう心臓が止まるかと思った。
煙幕でハッキリと見えないが、オールソップ公爵の胴体から飛び出している剣先が見えた。その先端から、ポタリとこぼれ落ちるのは、血だと思う。
「き、きさ」
煙幕の中で部分的に見えるオールソップ公爵の体が、ビクッと震える。
それを見た私の体も、同じように震えた。
その体から飛び出している剣身の長さが増えている。
「お前が奪った多くの命。みんな、あの世で待っているぞ。地獄に落ちろ、オールソップ」
鈍い音が聞こえ「ぐはっ」という短い声。そしてシュッという音に続き、オールソップ公爵が両膝をついたと思ったら、そのまま勢いよく前に倒れた。
煙幕がバフッと舞い上がるぐらいの風圧が起き、ゴンッという大きな音もしている。
先程以上に心臓がバクバクし、悲鳴を上げそうになった。
煙幕が切れつつあり、そこに黒装束が見える。
その姿が見えた瞬間。不安が収まり、喜びに変わった。
やっぱり!
声を聞いた瞬間から、ソークだと思った。
ナオ達が連絡を取ってくれたんだ!
助けに来てくれたのね……!
喜びで「ソーク!」とその名を呼んだ瞬間、彼の体がグラリと揺れる。
もしかして怪我をしているの!?
私がベッドから出ようとすると、ソークの体を誰かが支えた。そしてそのままソークの体を担ぎ上げ、牢屋から足早に出て行く。慌ててベッドの下から出ようとして、頭をぶつけ、しばし悶絶。動くことができない。
ようやくベッドから出ると、煙幕はほぼほぼ晴れたが、そこにソーク達の姿はない。
「!」
目の前に、オールソップ公爵と二人の兵士が倒れている。
見ると牢屋の出入口は、開いている状態。
そのままそこから出た時。
「フローラ」
さっき聞こえた声だ。
聞き覚えのある声に思えるが、確信はない。
声のする牢屋に近づき、扉をドンドンと叩く。
木製の扉だが、厚みがあるようでビクともしないが……。
「フローラなんだね、僕だよ」
まさか。
心臓がドキドキと激しく鼓動した。






















































