22:長い、長い沈黙
ガレスが死に行く様を、指を咥え、眺めていればいい――そんな趣旨の言葉を放ったのだ。当然、皇妃は反応するだろう。
「な、なんて悪女なの! それに皇妃に対し」
こんな汚い床にひれ伏し、首を差し出すなんて不本意だ。
でも、こうするしかない。
「私にはガレス皇帝陛下を助けられるかもしれないのですが、信じていただけないなら、これまでです。陛下を失ったこの世界では、奴隷も同然の私は、生きてなどいけないでしょう。どうぞ、首を落としてください。……本当に愛する人を助けたいなら、間違った判断をしないでください」
長い、長い沈黙が続いた。
この間の私は、もう無の境地。
ただ、救いがあるとすれば。
ここでいきなり剣を落とされれば、ほぼ即死で、苦しまずに逝けるだろう。
「こ、皇妃殿下、ガレス皇帝陛下の呼吸が激しくなり、体も痙攣されています。もしもに備え、お戻りくださいとのことです」
地下牢へ駆け下りてきた兵士の言葉に「え」と皇妃が固まる。
何もしなければ、呼吸の困難、痙攣は起きうる症状。
でも私はそれが死につながると知らせている。
その上で、この報告を聞いたら――。
「盗人猛猛しいとは、まさにこのことですわ。本当は解毒について知っているくせに、こんな演技までして! この悪女を拘束して頂戴。悪女を連れ、陛下のところへ戻るわよ。陛下の寝室の場所を知らせるわけにはいかないわ。ちゃんと目隠しをしなさい」
「御意」
この後、目に布を巻かれ、騎士に担がれ、私は皇宮にあるガレスの寝所へと連れて行かれた。せっかく素敵なイブニングドレスを着ているのに、こんな風に担がれるなんて。
ただ耳を澄まし、音を拾うと……。ガレスの寝室は、本当に皇宮の奥深くにあることが分かった。そして地下牢からは、とても遠い。
「陛下!」
皇妃の泣き出しそうな叫び声に、寝室に着いたと分かった。
そこで床に下ろされ、目から布を外される。
急に明るくなり、しばらく目を開けられない。
「皇妃殿下、なぜ夜伽の身代わりのリリー嬢をここに? この者が陛下に毒を勧めたのですよね? この者があなたの言う、悪女では?」
「ええ、そうよ、ノリス卿。でも犯人だからこそ、この悪女は、解毒方法を知っているわ」
「まさか、この悪女が解毒を? さらに陛下に毒を盛るのでは!?」
ようやく目が開き、飛び込んできたのは、皇妃と言い争うノリス卿なる男性の姿だ。ブルーシルバーの長髪を後ろで一本に結わき、碧い瞳をしている。横顔だから分かる鼻の高さ、形のいい唇。首は細いが、肩はしっかりあり、しかも近衛騎士の隊服だが、他の近衛騎士と色が違う。初めて見たブルーラベンダー色の隊服。いやあのマントについている飾り。……もしや近衛騎士隊長?
近衛騎士隊長なら、ガレスが助かる道を模索するべきでは?
私がまた毒を盛るなんて! どうしてそんなヒドイ発想をするのかしら。
「すみません。私はガレス皇帝陛下を助けたいので、すぐに毒が入っていた容器を見せてください。そしてガレス皇帝陛下の様子を、確認させていただけないでしょうか」
ピシッと言うと、ノリス卿がその整った眉をくいっと上げ、私を不審そうに見る。だがそれを無視し、ガレスが眠るベッドへ近づく。
さすが皇帝の寝所というべきか。
広い。
広いが、クローゼットなど別室にあるのだろう。
よって調度品はベッド横のサイドテーブルぐらいで、後は暖炉、その前のソファセットぐらいしかない。でも部屋は広いので、絨毯が目立つ。目立つと分かっているからだろう。羊毛で作られた絨毯には、見事なアラベスク文様が刺繍されている。壁紙がシンプルであり、天井画もないので、この絨毯の美しさが存分に堪能できた。
そして天蓋ベッドは、ファブリックがソファと同じ紺色で統一され、天蓋のカーテンには銀糸のフリンジが飾られている。リネン類は白で、ベッドの中央に暴君ガレスが横たわっていた。
ガレスは、初夜の練習で私相手に何もない夜を過ごし、初夜本番で毒を盛られている。この暴君、初夜には恵まれていないわね。
そんな暴君ガレスの様子を確認する。
アイスブルーの、いつもはサラサラしている髪も、寝汗をかいたのか、少しペタリとしている。いつも無表情だが、今は苦し気に歪んでいた。頬や唇の血色がよく見えてしまうのは、やはりワインの影響だろう。
そばにいた従者に確認すると、吐かせるだけ吐かせたとのこと。だがワインと一緒に飲んでしまったら、既に毒は体内を巡っているはず。
一通りの容態を確認して、やはり毒による症状であることは確認できた。
「陛下は毒殺に備え、毒を体に入れる訓練は、されていましたか?」
ずーっと私を凝視して、一挙手一投足を監視していたノリス卿に尋ねる。
ハッとした表情のノリス卿は、頬を少し引きつらせて答えた。
「それは……皇帝ですから。常に暗殺を意識します。ただガレス皇帝陛下は、即位まで七年ほどしか時間がありませんでした。よって毒の耐性は、そこまではないです」
「そうですか」
引き続き細かく状態を確認する。
涎が大量に出た感じもなく、口の中や喉に、水膨れがあるわけでもない。Dieffenbachia系の植物ではなさそう。abrin毒だったら解毒不可能だけど、この感じでは違うはず。あとは……。
振り返って皇妃を見る。
「今、持って来させているわ」
そう答え、皇妃はプイっと横を向く。
「お持ちしました!」
皇妃の侍女と警備兵が、寝室に入って来た。侍女の手には、銀のトレイ。そこに載せられた、小さなブラウンのガラスの小瓶を眺める。ドレスのポケットからハンカチを取り出し、摘まんで匂いを確認した。
「この臭気は……」
一つの毒草の名が頭に浮かぶ。
瓶の中にはまだ、毒は残っている。
蓋を開け、瓶を指で押さえ、一度逆さにし、指についた毒を舐めようとすると。
「何をしている!」
ノリス卿に手を押さえられ、「離してください」と抗議する。
「なんだ、解毒できないと分かり、死んで誤魔化すつもりか!?」
「確認のためです。成分の分析を、自分の体でするだけですが」
「え……」
ノリス卿の後ろで、皇妃も固まっている。
「ガレス皇帝陛下の命がかかっています。誤診はできません。ならばこの身で症状を確認し、確信を持つ必要があります。通常、こんな方法、行いません。とても危険であり、狂気の沙汰です。ですが私は幼少期より、毒の耐性をつけて育っています。十八年間、そうしてきました。ある程度のレベルの毒まで、耐性があります。症状が出ても、大事に至ることはありません」
「そんな、ほぼ生まれた時から、ずっとだと!?」
ノリス卿の碧い瞳が大きく見開かれる。
「スペンサー王国は、毒の販売はしていません。ですが悪意ある人間が、毒草を輸入し、毒を生成。暗躍することは多々ありました。対抗手段で解毒薬を作りますが、そのためにはその毒を、深く知る必要があります。普通はここまではしません。私しかできないことでしょう。私が特殊なだけです。……理解いただけたようでしたら、手を放していただけませんか? 陛下を救うため、必要なことですから」
「だが……」
ためらうノリス卿に皇妃が叫ぶ。
「ノリス卿、その女が死のうが、関係ないではないですか! これでなんの毒か分かれば、陛下は助かるのですから」
「時間がありません。ガレス皇帝陛下を救いたいなら、手を放してください」
私も重ねてそう言うことで、ようやくノリス卿の手が、私の腕を放した。そこで思う。このノリス卿は、いい人なのだと。近衛騎士の隊長をしているぐらいだから、暴君ガレスとは違い、人格者なのだろう。この彼がいても、ガレスは暴君だなんて。不思議だ。
それはさておき。
確認よ。
指についた毒を口にする。
あの臭気が口腔内にぶわっと広がり、嫌悪感を覚え、それはそのまま嘔吐衝動へとつながる。一気に気持ちの悪さがこみ上げるが、これは毒による症状ではない。毒草による毒は、ここまで急激に症状は出ない。これは毒を体内に取り込んだことに対する、体の拒否反応のようなもの。
毒と知らなければ、すんなり呑み込み、一定の時間が経たないと、症状は出ない。でも毒だと分かった上で口にしているのだ。脳が「ノー」を体に突き付けている。
「こちらの椅子に座ってもいいですか?」「勿論だ」
ノリス卿の態度が変わった気がする。私の手をレディに対するようにとり、そばに置かれた椅子に座らせてくれる。さすがガレスの寝室の椅子。座り心地がいい。
「もしもはないと思いますが、もしもの時に備え、侍医に解毒薬の調合法を残します。紙と」「羽根ペンだな。すぐに用意させる。ラクト、すぐに書く物と紙を!」
ノリス卿が間髪を入れず、部下に指示を出してくれる。
症状が出るまでの間に、解毒薬の調合方法を書き終え、そして三十分が経とうした時――。
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