18:淡雪のように
「大聖堂の花は見事に咲いていて、それはもう素晴らしかったですわよ」
イーモがウットリした顔になる。するとナオも……。
「皇族と貴族の婚儀なんて、そう見られるものじゃないから。下級メイドと言えど、宮殿で働かせてもらえている特権!」
ガレスとオールソップ公爵令嬢との婚儀は、無事終わった。
蕾だった花も、ちゃんと咲いてくれて、二人の門出を祝うのに役立ってくれたようだ。その様子をナオとイーモは、その目でちゃんと見ることが出来たという。そして仕事を終えた二人は、ウェディングディナーの残りを持参し、離れを訪ねてくれたのだ。
立場的に参列できず、離れで大人しくしていた私を気遣ってくれたのだが、そこにはメイド長の配慮もあったと教えてくれた。つまり花の件でいろいろ手伝った私への御礼を込め、ウェディングディナーを持たせ、ナオとイーモがこの離れへ行くことを、メイド長が勧めてくれたというのだ。
メイド長からは、最初は冷たくあしらわれたが、ソークが絶妙なタイミングで登場してくれて、本当に助かったと思う。
というわけで三人で、お裾分けでもらったウェディングディナーの料理を頂くことになった。するとイーモがせっかくなのだから、イブニングドレスを着るようにと勧めた。そもそもそんなドレスがあるのかと思ったが、ちゃんと用意されている。ナオからもせっかくの豪華な料理だからと着ることを勧められた。
二人に押し切られ、着替えたドレスは……。
ライラック色のドレスは、スカートに重ねられたチュールに、沢山のビジューが散りばめられている。その上で豪華なディナーがテーブルに並べられた。
素敵なドレスとディナー。王宮を思い出す。
王宮のことを思い出すと、必然的に家族を思い出し、食欲は湧かない。
一方のナオとイーモはディナーの美味しさに瞳を輝かせながら、婚儀の様子を教えてくれる。
二人には、オールソップ公爵令嬢に侮辱された件を、特に話していない。
一緒にいたメイドのネピは、心を込めた言葉を私に伝えてくれた。もうあの出来事は忘れたいと思っている。言葉にすることで、あの嫌な気持ちを再び思い出したくなかったのだ。
「オールソップ公爵令嬢は本当に、お綺麗でしたわ。さすが公爵家の令嬢で、ウェディングドレスもとってもゴージャス。まるで白い薔薇が飾られたような、秀逸なドレスで、トレーンも十メートル近くありましたわ」
「皇妃様って感じで、貫禄もあったかな」
何も知らないので、イーモもナオも、オールソップ公爵令嬢のことを褒めまくりだった。それに対しては、何とも言えない気持ちになるものの、気にしないことにした。
「でもさ、あれだよね。やっぱり誓いのキス」
ナオの言葉に思わずドキッとする。
ガレスとオールソップ公爵令嬢は、婚儀を挙げているのだ。夫婦になっている。当然、誓いのキスもするだろう。
初夜の練習相手である私とは、キスすらなかった。でもオールソップ公爵令嬢とは……。
「あー、あれは少し期待はずれでしたわね」
期待はずれ……?
「みんなブチューっていくかと思ったのに。おでこに『チュッ』だもん。物足りない」
ナオの発言に、ふと思う。
二人は今晩、初夜を迎える。
どうなのだろう。ガレスはオールソップ公爵令嬢を……皇妃を、抱くのだろうか?
「!」
窓の外に侵入者がいると叫びそうになった。だがナオがすぐに「え、あの黒装束は、ソーク様では?」と言われ、私とイーモは「確かに!」と応じることになる。
私は椅子から立ち上がり、窓を開けた。
「こんばんは、ソーク様。今朝は本当にありがとうございました。無事、花も咲き、おかげでメイド長から、ウェディングディナーをお裾分けしてもらえたんです」
「あの時はたまたま通りかかっただけだ。それにリリーは自身の価値を示し、それをメイド長は理解した。自分はちょっとした橋渡しをしたに過ぎない」
「……私は失敗したのに、優しいですね」
「その件で、少し話していいか」
私はナオとイーモに、庭でソークと話すと伝え、外へ出る。
外に出ると、虫の声と噴水の水音に加え、宮殿で行われている舞踏会の音楽が聞こえてきた。離れはこんなにも静かだが、宮殿はお祭り騒ぎだろう。きっと街もにぎわっている。
「手紙を読んだ。……あの高飛車女に随分とヒドイことを言われたんだな。平手打ちの一つでもしてやったか? なんなら簪でズブリとやってもよかったのに」
「物騒なことを言わないでください。相手は皇妃殿下ですよ。そんなことをしたら、私、大変なことになります」
「皇帝をズブリとするはずだったのに?」
「それは……!」と、苦笑するしかない。言った本人も笑っている。口元がこんな風にほころんでいるソークは、初めて見たかもしれない。
「それにもう、皇妃殿下に言われたことは、忘れることにしました。嫌なことより、楽しいことを記憶したいです」
「……そうか」
フードを目深に被り、いつも通りの表情になったソークだと思ったが、こんなことを言い出した。
「リリーがここで生きると選択したのなら、それに異論はない。リリーならここでもきっとやっていける。……自分の想像より、リリーはうんと強い」
「それは褒めていただけています?」
「褒めているよ。……もう、暗殺の件は忘れてもらっていい。暗殺までして復讐したい……その気持ちは元々なかったのでは?」
「憎いという気持ち、許せないという思い。それはあります。でも私には……人を殺すことが、誰かの命を奪うことが、怖くてできませんでした。私は心の弱い愚かな人間です」
するとソークは意外にも「そんなことはない」と言う。
「人を殺せないから、愚かな人間だと思う必要はない。人を殺せない。それが正常だ。人の命を奪えるような人間が、正しいと思う必要はない」
「私に暗殺を命じていたのにですか?」
「……リリーには、暗殺したい程の復讐心があるのかと思っていた。身の丈に合わない依頼をしてしまった。スペンサー王国は花と自然を愛する穏やかな気質の人間が多く暮らしていた国だ。リリーが復讐で仇の命を奪う……そんなこと、できるはずがなかった。ただ、それだけのことだ。もう忘れるといい」
こんな言葉を口にするソークこそ、本当は暗殺なんてしたくなかったのでは?と思えてしまう。
「今日、皇帝陛下から、庭いじりや花を摘む許可をいただけました。スペンサー王国の人間にとって自然と触れ合うことができるのは一番の喜びです。驚きました。許可してくれた皇帝陛下に対して」
そこで深呼吸をして夜空を見上げる。満点の星空だった。
「なんだか不思議ですよね。仇なのに。宿敵なのに。憎み切れないのです」
「……それはリリーの心が優しいからでは?」
「どうなのでしょうか」
「それに……熟睡できたから『満足した』わけではないと思う」
「え!」
せっかく解決した問題が、ここで再浮上するなんて。熟睡が正解ではないなら、何が正解なのか? ソークに詰め寄って尋ねるが「それは分からない。本人に聞いてくれ」と実に曖昧な回答しかもらえない。
「ともかく。もう暗殺を自分も諦めた。だから今後、暗殺してくれなんて、自分から声をかけることはない」
「……! それは気になっていたので、聞けて安心しました」
「そうか。それはよかった。……それで多分、今後はもう、会う機会も減るだろう。自分は外へ出る機会が多いから」
なるほど。私と出会ったのもスペンサー王国だった。海外で活動する任務が多いのだろう。
「……もう会う機会が減るからという理由だけではないのだが……。一つお願いがある」
「何でしょうか? いろいろお世話になっていますし、私でできることでしたら、何なりと」
「リリーは皇妃の夜伽の身代わりだ。自分には手の届かない存在になった。だから……」
「だから何ですか?」と尋ねようとしたが、声が出ない。
それはあまりにも唐突なことだった。
だって。
いきなり。
ソークが私にキスをしていたのだ。
でもそれは春風が優しく唇に触れたかのような、ほんの一瞬の出来事。
わずかに感じた体温により、自分の唇にソークの唇が重なった――それが事実であったと教えてくれる。
「……ありのままのリリーでいい。元気でやって欲しい」
黒いマントをひるがえし、足早に歩き出したソークに何か言おうとしたが、口をパクパクさせるだけだ。完全にパニック。こんな形でキスをするなんて。初めてのキス。それは淡雪のような一瞬の出来事。
え、本当にキスをしたの?
直前に感じたソークの熱い息を思い出す。
どうして……。
これまでソークとの間に、恋愛の要素なんてなかった。キスをされる理由が分からなかった。
ガレスの「満足」は熟睡だと思ったのに。そうではないとソークは言い出した。そして今回さらなる謎を残し、彼は私の前から消えてしまう。
最後の言葉から、しばらく会うことはないのだろうと思った。
まさかこれが最後ではないと思いたい。
だって。
再会したら、絶対に今のキスの意味について問い詰めるつもりだから! それに顔だって、見せて欲しい。最後の最後まで謎の男で消えるなんて、許さないわ。
ただ、不思議とソークからキスをされても嫌な気持ちにはならない。
あまりにも一瞬のことであり、キスをされたと思えないせいだった……というのもあるだろうが。
目を凝らすが、黒装束のソークの姿は、もう分からない。
完全に夜に溶け込んでいる。
大きく息を吐き、気持ちを切り替え、ダイニングルームへ戻った。
「ソーク様、何の用事だったの?」と問うナオに、どうやらソークは海外で仕事があるようだと告げる。その後はネピが紅茶を出してくれた。紅茶を飲みながら、再び今日の婚儀について、二人の話を聞くことになった。
だが一時間程経つと、イーモが「明日も仕事だから、そろそろ帰りますわ」と言って、ナオを見る。「そうだね。戻ろうか」とナオが答え、二人がまさに席を立った瞬間。廊下の方で、ネピの声が聞こえる。なんだろと思ったら、突然、ダイニングルームの扉が開け放たれた。
部屋の中へ何人もの警備兵が踏み込んできて、一歩前に出た兵長らしき年配の男が、私を睨みつけた。
「皇妃の夜伽の身代わり役であるリリー! 貴様のことを、ガレス皇帝陛下暗殺未遂の容疑者として、皇妃殿下の名の下、逮捕する!」






















































