17:花
翌日。
ガレスとオールソップ公爵令嬢の婚儀があるということで、宮殿と皇宮は、早朝からバタバタしている様子が伝わってくる。離れの窓からは、宮殿と皇宮が見えた。メイドや従者があちこちで駆け回る様子が見えていたのだ。
ソークはこの結婚式について、「平民並みのこぢんまりとした式を挙げることになる」という言い方をしていた。諸外国を招待せず、自国のみで開催するからと。
だがそれは本当だろうか。平民の結婚式で、こんなに大勢の使用人が早朝からあわあわするとは思えない。
例え国内の貴族だけを招待して開催する婚儀だったとしても、皇族と公爵家の結婚式なのだ。相応な規模だと思う。
ただ……私はこの婚儀に当然だが招待されていない。そもそもこの国で、私は奴隷という扱い。しかも皇妃の夜伽の身代わりという役目の女が、結婚式に招待されるわけがなかった。
一階のダイニングルームで朝食を終え、最後に紅茶を飲んでいると、噴水の縁に碧い鳥の姿が見える。ソークが寄越した鳥だ。
庭の花を見るふりをして、碧い鳥のそばに近づく。すると鳥は自分から私のところへ飛んできて、肩にちょこんと止まる。
こんな小さな鳥なのに、人慣れしているのね。
可愛い……。
ソークへの返信の手紙は、既に用意していた。それを碧い鳥の足に括り付けると……。
「チチチチッ」
碧い鳥は勢いよく、空へと飛んでいく。
ソークは私がここに残ると決断したことを、どう思うのだろう。ガレスに関するソークの誤解は、一応手紙の中で解くようにしている。ガレスが私に「満足した」のは、私がいると熟睡できるから。理由は不明だが、あの寝所で私と一緒にいて、ガレスはぐっすり眠れた。普段、眠りが浅く、よく眠れないからこそ、これは彼をとても喜ばせたのだ。
暴君でも睡眠は必要。よって睡眠をきちんと取りたいと感じたら、この離れにくると思う。二人の間に深い愛がある――そんな風に考えないで欲しい、何よりも未来の皇妃からは“性欲処理係”なんて言われている私なのだ。そんな甘い関係ではない――と書いておいた。
そんな風に言われてまで、ここに残りたいのか、と思われてしまうだろうか。
それに逃げることを止め、ここに留まることにしたが、今後ソークから「離れにとどまることを決意したのなら、暗殺のチャンスはまた訪れる。もう一度、試みてくれないか」と請われることはあるのか……。気になるが、それは手紙には書いていない。
請われても私は……無理だと思う。そして「無理です」と断った瞬間。ソークと私の関係は、終ると思った。ソークが必要とするのは、皇帝を暗殺できる人間なのだから。
ただでさえ少ない、ここでの知り合いが、一人減るのは寂しいこと。
だから聞くことができなかった。聞きたいが、ソークの返信を聞きたくないというジレンマだ。
「あ、リリー!」
ナオとイーモが宮殿の庭園で、こちらに向けて手を振っている。
私はメイドのネピに「ちょっと外に出ます」と声をかけ、宮殿の庭園へと向かった。さすがに庭園は目と鼻の先なので、一人で向かってもいいと言われた。
ラベンダー色に白のレースが飾られたドレスを、今日は着せてもらっている。ちゃんとしたデイ・ドレスは久々なので、お上品に歩いて、ナオとイーモのところへ向かった。
「おはよう、ナオ、イーモ」
「「おはよう、リリー!」」
「今朝は……花をまた摘んでいるの?」
するとナオが肩をすくめ、こんなことを言い出した。
「それがさ、昨日摘んだ蕾の花が、ぜーんぜん、開花していないの。ほぼ蕾のまんま。これではかっこつかないからって、全部やりなおし」
「え、それで蕾の花はどうするの?」
「今日という日のために用意した花だから。咲かなければ価値なし。よって処分とメイド長が言っていましたわ」
イーモの言葉に驚愕する。
まだ蕾の花は、切り花にしてもちゃんとケアすれば開花するのに!
それを咲いていないからと廃棄だなんて、それはダメ!
そこは花を愛するスペンサー王国の気質として、阻止したいと思ってしまった。
「二人とも、今すぐ、私の言う通りにして。まず、砂糖水を用意してほしいの。砂糖は高級と分かっているわ。でも婚儀はお昼からでしょう。そこに間に合わせるには砂糖水が必要よ。フロストシュガーは水に溶けやすいから、それを使って。バケツに砂糖水を用意して、蕾の花を花瓶代わりにそこへ入れて頂戴」
二人は真剣な顔で聞いている。
「次にサンルームにバケツごと移動させて、日光を浴びせてあげてほしいの。あ、あと確認だけど、茎についている葉は落としてあるわよね? 花を咲かせるために、蕾に水が行くようにしたいから、余分な葉はまず取ってあげて」
二人は「葉はせっかくだからと残してある」というので、葉を取るようにお願いし、そして……。
「私、お手伝いしたいのだけど、ダメかしら? メイド長に掛け合ってもらえない?」
二人は「「勿論!」」と私を連れ、メイド長のところへ向かった。
ただ、早く行動した方がいい。
婚儀までに花を咲かせたいなら、少しでも早く、行動するべきだった。
よってメイド長とは私が話すので、ナオとイーモには先ほど私が言ったことを、可能な限り先に進めて欲しいとお願いした。
こうしてメイド長に会うと……。
眼鏡をかけ、髪をお団子にして、キリッとしたメイド長は、御年五十近いと聞いている。でもどう見ても四十代前半ぐらいにしか見えない。早速、蕾の花を咲かせる方法を伝えると……。
「あなたがスペンサー王国の出身であることは、よく分かりました。今言われたことは、蕾の花を咲かせるための、最善なのでしょうね。さすがスペンサー王国だと思います。薔薇を始めとした花の産地として有名ですから」
メイド長は理解がある人でよかった……!
「ですが、ここはヴィサンカ帝国です。そして今用意している花は、ガレス皇帝陛下の婚儀のために使われるもの。この国の頂点の方の祝い事なのです。廃棄する蕾の花が可哀そうなどと言っている場合ではありません。新たな花の種を買うお金はいくらでも用立てることができます。今は宮殿の庭から花が消えようとも、美しく咲いた花で、大聖堂を飾る必要があるのです」
メイド長が焦げ茶色の瞳で、じっと私を見た。
「お気持ちはありがたくいただきます。ですが、リリー様、あなたの手助けは不要です。高級なフロストシュガーの無駄遣いも、する必要はありません。口出しはしないでください。何より、皇妃の夜伽の身代わりに過ぎないあなたが、皇帝と皇妃の婚姻の儀式に関わったと知られると、困ります」
結局。ガレスに癒しを与えられるとネピは褒めてくれたけど、ここで私が認められることはないのだ。どうしたって奴隷であり、皇妃の夜伽の身代わりで、それは恥ずべき存在なのだろう。
心が折れそうになったその時だった。
「メイド長」
声にドキッとして振り返ると、そこには黒装束姿のソークがいる。
「ソーク様!」
私が彼の名を呼ぶと、メイド長が怪訝そうな顔をしている。
さらに何か言いかけたが……。
「メイド長。余計な言葉を発するな」
ソークの低いが威圧感のある声にメイド長は黙り込む。
「花の価値とフロストシュガーの価値を天秤にかけ、フロストシュガーの方が価値ありと示した。だが本当にそれが正解か?」
怒りをにじませた声に殺気を感じ、私は慌てて口を開く。
今の言葉はメイド長に向けた言葉かもしれない。
だが私が余計なことをしたのだ。その思いで口を開いていた。
「それは……花については薔薇、百合、オーキッド、チューリップ、ピオニーとどれも高級な花ばかりでした。まだ使われている花の総量を確認したわけではないのですが、ヴィサンカ帝国が砂糖の交易路を確保していることを踏まえても、花の総価値が、使用するフロストシュガーを上回ると思います」
私が早口でそう答えると、ソークはこう応じる。
「そうか。リリーはスペンサー王国の出身だから、花に関しては詳しい。そして自分はこの国にいるのだから、砂糖に関する情報には詳しい。確かに砂糖の交易ルートは陸路に加え、海路でも確保してある。今、砂糖は大量生産、大量輸入が可能になりつつあるから、いずれ庶民でも手に入ることが可能になるだろう」
そうなのね。ついに海路でも砂糖の交易ルートを手に入れたなんて。さすがヴィサンカ帝国。
「逆に、花の産地であるスペンサー王国は、焼け野原になってしまった。そしてスペンサー王国は生花だけではなく、花の種の産地でもあったわけだ。そこを失ったとなると、花の需要は高まり、供給が減る。よって花の価値は上がるだろう。よって、フロストシュガーより花の価値が上回ることになると、自分も思う」
そこでソークはメイド長に告げた。
「メイド長。あなたの専門は花ではない。砂糖についてはある程度詳しいが、交易路の件までは把握していないだろう。でもそれは当然だ。あなたの専門分野とは違うのだから。スペンサー王国出身のリリーは花に詳しい。ここは専門家の意見に従う方が、効率的だろう。何より、メイド長もリリーも、婚儀を成功させたいと思っている。目指すゴールは同じだ。そこは歩み寄っていいのでは?」
「……かしこまりました。……リリー様の専門分野に、素人の私が口を出し、申し訳ありませんでした」
メイド長が深々と頭を下げるので、もうビックリしてしまう。
「い、いえ、そんな。急にでしゃばったのは私ですから。横槍を突然入れられ、驚いたのだと思います。こちらこそ配慮が足りず、申し訳ありませんでした」
「……どうやら私は……リリー様にお会いするのはこれが初めてなのに、噂に惑わされ、誤解していました。リリー様は、身分とは関係なく、賢い方ですね」
さっきまでとは一転、メイド長の瞳が優しく思える。
「そんな……でもありがとうございます」
「では二人とも和解だな。時間がないのだろう。すぐ動くといい」
ソークにそう言われ、「「はい!」」とメイド長と声が重なり、思わず顔を見合わせ、笑うことになった。
その後、メイド長が人出を割いてくれたので、あっという間に大聖堂の花を、不要な葉を取り除き、砂糖水の入ったバケツに移し、サンルームで日光浴をさせることができた。まだ早朝だが、これから陽射しは増える。きっと咲いてくれるはず――!






















































