15:祈りを捧げたい
ナオとイーモは明日の結婚式の準備で忙しそうだが、私は正直、することがない。
やりたいことは沢山ある。
でもそれは道具が必要だったり、情報が必要だったりで、今はまだ動きにくい。
例えば今、私が最もやりたいこと。
それはナタリアとロスコーを見つけることだ。
冷静になり、何か自分にできることはないかと考えた。そこで思いついたこと。それが二人を見つけることだった。
だが結局、私の力だけでは難しい。私には情報収集のスキルもなければ、ヴィサンカ帝国は広く大きすぎる。例えばソークに協力を仰げれば……とは思う。でも私はソークの要求に応えることができていない。それなのにナタリアやロスコーの行方を追って欲しいと頼むのは……。
何かソークの要求に応えることができたら、二人の行方を追って欲しい――そう頼むこともできるかもしれない。でもソークは今、私に何か求めているわけではなかった。
そこでふと考えてしまう。
もしもソークが「もう一度だけ、暗殺を試みて欲しい」と頼んできたら、私はどうするの?と。
しばし考え、答えは出た。
その頼みに答えることはできない、「ノー」だ。
理由は明白。
私に暗殺なんて無理だった。再度試みても今回と同じように、暗殺を躊躇い、何もできずに終わると思う。もし薬でも飲み、理性のリミッターが外れれば、暗殺という名の人殺しもできると思った。ただ、そんな薬を飲んでいれば、私は挙動不審だ。暗殺に辿り着く前に捕えらえる。ガレスに近づくことはできない。
人を殺せない理由は何度も考えた。
もし目の前で、ガレスが私の両親を害するところを見ていたら。多分、私はその場で発狂し、武器を手にガレスに向かうことができただろう。きっと手にした凶器を何度でもガレスの体に振り下ろすことができると思った。
だが実際、ガレスが直接、家族を手に掛けたわけではなかった。家族と故郷の仇と分かっても、一線を越えられない。昨晩、何度もそこを越えようとしても、できなかった。
人殺しができて正解という今の状況は狂っている。でも私自身は狂うことができない。人の命を奪うなんて行為、想像はできても、実行に移すことがどれだけ難しいことか。実感していた。
誰かを殺すくらいなら、自分が死ぬ方がましだ。
そんな心の弱い人間なのだ、私は。
よってソークに求められても、二度目はなかった。
それに私はこの離れで生きていこうと腹を括ったのだ。ナオとイーモと会話して、その気持ちが改めて強まった。二人に迷惑をかけたくない。何よりも二人のそばにいたいと思った。
心の支えだったナタリアがいない今、ナオとイーモが、私の心の拠り所になりつつあった。
これだけ一気に全てを失ったのだ。
ナオとイーモまで失えば、もう私は生きることさえ放棄してしまうかもしれない。
いや、そんな後ろ向きな考えをしてはいけないだろう。
決めたのだ。くよくよせず、皆に救ってもらえた命で生きて行こうと。
できればソークも、ガレスへの怒りから解放され、生きる支えを得ることができたらと思っていた。
そこで思考を元に戻す。今、最もやりたいこと――ナタリアとロスコーを見つけることは、難易度が高いと分かった。そこで私にできることはないかを考えた。それはすぐに思いつく。
命を散らしたみんなのために祈りたい。
メイドのネピに相談すると、皇宮には小さいが、礼拝堂があるという。
本当にこぢんまりとしたもので、皇族ぐらいしか利用しないが、今、皇族はガレスと皇太后しかいない。その皇太后はグランドパレスという離宮に幽閉されており、それは皇都から馬車で二時間程の湖の中央に浮かぶ島にある。よって皇宮の礼拝堂の利用者は、ガレスしかいない。
だがガレスが礼拝堂に足を運ぶことがあるのか、それは不明。ただ、多忙であり、性格を考慮すると、彼が礼拝堂を利用している可能性は……。限りなくゼロに近いという。
つまり利用者はいないも同然。ならば特に許可をとらずに皇宮の礼拝堂へ足を運んでも、お咎めはないだろう。ということで連れて行ってもらえることになった。
本当は花も手向けたいと思ったが、それをネピに尋ねると「庭園の花を含め、すべて皇帝のものです。許可がないと、庭の花を摘むことは許されません」と言われた。その言葉で改めて、自分が鳥籠に囚われている気分になる。
そうであったとしても。花は無理でも、礼拝堂で祈りを捧げられるだけでも前進と考えよう。
「こちらですよ」
礼拝堂は離れからも近かった。皇宮の入口近くにあったからだ。気軽な様子でネピが扉を開けたが――。
ネピと二人で固まる。
誰もいない礼拝堂と思ったのに。
中に人がいる。
こちらに背を向け、祭壇の前で跪いているが、その後ろ姿を知っている。
ステンドグラスから降り注ぐ明かりを受け、キラキラと輝くアイスブルーのサラサラの髪。純白のマントには、ライオンと氷の結晶と白い薔薇の皇室の紋章が刺繍されている。
ガレス・エゼル・ヴィサンカ。
彼で間違いない。
立ち上がり、振り返ると分かった瞬間。
礼拝堂の中にネピと共に入り、扉がパタリと閉まる前に、その場にひれ伏していた。つまり大理石の床にネピと同時に座り込み、伏せている状態。
逃げるなんて許されるはずがない。
宮殿と皇宮の敷地内であれば、一応出歩くことは許されていた。ただし一人はダメだ。必ず一人以上の供を連れるようにと言われている。よってメイドであるネピと二人なので、そこは問題ないはずだ。
だが皇宮の礼拝堂は、皇族専用。
許可なしで入っていい場所ではない。安易に考え、ネピに頼み込んでしまったが、これは私が悪い。ガレスが歩み寄ったらすぐに話す許可をもらい、謝罪しよう。
心臓がバクバクしていた。もしこの場で二人とも害されたらどうしよう。特にネピは宮殿にきてからずっと、よくしてくれている。せめて彼女だけは助けたい。
コツコツと足音が近づく。
磨き込まれた大理石の床に、スカイブルーのセットアップを着たガレスの姿が映りこんでいる。そうやってみると、まさに芸術作品。彫像のようだ。
「邪魔だ」
氷のような一言に、周囲の気温が一気に下がった気がした。
怖気づいてしまいそうになるが、必死に言葉を絞り出す。
「申し訳ありません、ガレス皇帝陛下。弁明の許可をいただけませんか」
「弁明? なんのことだ?」
「話してもよろしいでしょうか」
「許可するから、さっさと話せ」
澄んだ美しい声がこの礼拝堂という空間では、よく響く。
そういう造りになっているから、当然だった。
ガレスはまるで天使のような声だが、発している言葉は厳しい。
「この礼拝堂に許可なく踏み入ることになった責任は、私にあります。私が頼み、許可も取らず、踏み入りました。彼女は何も悪くありません」
「何をしに来た?」
「い、祈りを捧げにきました。先の戦争で、多くの命が失われたと聞いていますので」
「花も持たずにか?」
「!」
無作法であると責められるのは、想定外。思わず手が震えてしまう。
「そ、それは……」
声も震えていた。
「庭園に白百合がある。それでも摘めばよかろう。それにこんな誰も使わない礼拝堂で祈るぐらいで、いちいち許可が必要なのか? そんな許可を出すのがわたしの仕事か? 手間を増やすな。勝手に祈り、勝手に花を捧げればいいだろう」
「え、庭園の花を摘んでもいいのですか? 庭園をいじっても……構わないのですか?」
思わず顔を上げてしまった。
あの気まずい昨晩以来なので、まともに顔を見ることができないと思っていた。だが花と自然を愛するスペンサー王国の人間として、庭に関することは、気になってしまう。絶対に正視できないと思っていた暴君の顔も、しっかり見ることができていた。
こちらを見下ろすガレスの顔は、昨晩と同じ。表情はない。銀色の瞳も氷点下。
だが……。
「皇宮と宮殿の庭園は、庭師に声をかければ構わない。離れの庭は好きにすればいい」
「あ、ありがとうございます」
「では、どけ。出入口を塞ぐな」
慌ててネピと二人、立ち上がる。
その間にガレスは自ら扉を開け、出て行ってしまう。
ちゃんと挨拶する前に去ってしまったことに焦るが、走って掴まえて挨拶するわけにはいかない。かといって大声で挨拶するわけにもいかなかった。よってこれはどうにもできない案件として目をつぶることにした。
幸いなことに、ガレスは自身の近衛騎士さえ連れていなかった。皇帝である彼が、単独で行動することがあるなんて、驚きだ。
ともかくネピと二人、アイコンタクトで何事もなかったことに安堵する。
「せっかくなので、白百合を摘んでまいりますね。離れの庭で、咲いていたので。このまま礼拝堂の中で、お待ちください」
一緒に同行して、選びたい気持ちでいっぱいだった。でもそうするといろいろ口出しをしてしまいそうだ。なんならグローブと鋏を借り、自分で切り始めてしまいそうだったので素直に「分かりました。お願いします」と返事をする。
こうしてネピは礼拝堂を出て行き、私は祭壇へと向かった。
祭壇には一輪の白い薔薇が手向けられている。
あの冷徹冷酷無慈悲な暴君ガレスが祈りを捧げていたなんて……!
何を祈っていたのだろう?
そこで昨日の寝言、涙、祈りがつながる。
……やはり悪人に思えない。
よくよく考えると、自分の仕事を増やすな、という言い方だったが、全部許可してくれたのだ。
皇宮の庭園についても庭師に「ここ、いじってもいいですか? 皇帝からは『庭師に聞け』と言われたのですが?」と声をかけ、庭師が「ダメだ!」と言うわけがなかった。実質、皇宮と宮殿の庭園も、離れの庭も、自由にしてOK。礼拝堂もいつでも好きに利用してOKということだった。
なぜだろう。
優しい言葉をかけられたわけではない。むしろ「邪魔」とか「どけ」とか雑な扱いを受けたはずなのに、悪い印象は残っていなかった。
「陛下!」
ソプラノの高音な声と共に、扉が開け放たれた。
そこにはモーブシルバーの長い髪にルビー色の瞳、真紅のドレスを着た美女がいる。後ろには、侍女らしき女性が数名見えた。見るからに高位な貴族の女性と分かる。自然とカーテシーをしてしまう。
それを見てその女性は「ふん」と鼻を鳴らして薄い笑いを浮かべる。そのルビー色の瞳で私の事を上から下まで検分し、そしておもむろに口を開いた。






















































