12:心の葛藤
「フードを外せ、ローブも脱げ。そしてその下に着ているものも、すべて脱ぐんだ」
全ての感情を一度捨てたつもりでいたのに。
ガレスに何か言われただけで、気持ちが大きく揺れる。
「何を勿体ぶっているんだ? そんな布切れ一枚、着ているうちに入らない。さっさと脱いで、わたしを興奮させるようなポーズでもして見せろ」
私の裸同然にも近いナイトウェア姿を見ても、無表情を貫くガレスに対し、怒りが湧いた。その反動で、もうこの世にはいない婚約者を思い出し、その結果。
「わたしの言葉を上の空で聞くとは、いい度胸だな、ただの奴隷女のくせに」
暴君の逆鱗に、早速触れてしまった。
飾りだと思った剣は真剣で、それは今、私の喉に向けられている。
せっかく簪を使った暗殺の練習もしたのに。
何もできずにこれで終わる。
スペンサー王国は花と自然を愛する、心優しい民族だ。血なまぐさい戦闘には向いていない。
辱めを受けてから死ぬより、今この状態で死ぬなら本望だ。
――「フローラの瞳は、アイリスの花のような色で、とても美しいね」
なぜだかリンドンではない少年の姿が、閉じた瞼に浮かぶ。
ああ、そうか。
ここに来るまでの廊下で、沢山のアイリスの花を見たから、脳に残っていたのね。それとこの少年の言葉が結びついた。
目の縁から涙がこぼれ落ち、そして首に冷たい金属が触れる。
もうグサリと刺されるのか、シュッと斬られるのか。
ひと思いにやってください――そう思うが、まるで時が止まったようだ。
自分のバクバクする心臓の気配だけを感じていた。
剣で刺されたことも、斬られたこともない。
だがあの刃を見る限り、切れ味がとてもよさそうだった。
もしかするとあっという間に私は首を斬られ、もうあの世にいるのでは……?
「興が冷めた」
喉から金属の気配が消え、髪を押さえていた手がなくなり、ベッドの上でよろめく。
ガレスは剣を鞘に収め、椅子のそばに戻している。
え、生きている?
半信半疑だった。
でも手で首に触れると、血が出ている感じもなく、すべすべとした肌を感じている。
生きていた。
興が冷めたってどういうこと……?
ベッドの上で茫然としてしまう。
だがこのままベッドにいるのが正解か分からない。
顔をあげたまさにその時。
剣を置いたガレスが振り返ったので、氷のような銀色の瞳と目が合ってしまう。
本能的に「逃げないといけない」と思い、体を動かした。だがただベッドから起き上がり、床に降りただけだった。しかもそのままストンと、絨毯の上に座り込んでいた。
こ、腰が抜けてしまったわ……。
そんな私を無視して、ガレスはベッドに来た。
今度こそ、害される!? でも剣は持っていない。
まさか殴り殺されるの!? 首を絞められる!?
思わず両腕で顔と頭を庇うようにして、身を縮こませる。
その間、ギシッという音と、ミシッという音。
さらにはシュッという音が続き、再び、ギシッという音。シュッ、シュッという音の後は……。静寂だ。
香炉から広がるエキゾチックでフローラルな甘い香りを感じながら「え」と固まってしまう。
今の状況が全く理解できない。
ただ、もうダメだと思ったけれど、生きている。
そしてガレスはまだこの部屋にいた。
でも沈黙を守っている。
沈黙……というか、ベッドに横になった……?
あのギシッとかミシッという音は間違いなく、ベッドに乗り、体を横たえた時の音だ。シュッというのは衣擦れの音。ガレスが着ている濃紺のローブは、シルクだった。よってローブと掛け布が、こすれる音がしたのだろう。
ということは……。
寝ている?
心臓がドキドキしていた。
でも動けない。
寝るといっても、横になってすぐ眠れるわけがないだろう。
しばらくしたら、本当に寝てくれるかもしれない。
寝てくれるまでは、空気のごとく静かにして待つしかないと思った。
もしちゃんと寝てくれたら、初めて動き出すことができると感じていた。
とにかくある程度の時間、このままの状態を維持だ。待機中は、これからのことを考えよう。
まず、今の状況。
暗殺は……失敗したの?
失敗は……していない。まず暗殺をしようとしていない。つまり暗殺行動はとっていないのだから、失敗も何もない……と前向きに考えることにした。
初夜の練習相手。
これは……失敗したのだろう。
興が冷めたと言っていたし、私では気持ちが高まらなかった。
というか私が上の空過ぎて、呆れられた。いや、頭にきたのだと思う。
申し訳ないことをしてしまっ……そんなことはないわ。そんな風に思う必要なんてない! だってお金で奴隷の少女を買い、初夜の練習相手に使うなんて、卑劣だわ。娼婦ならまだしも、素人の乙女にそんなことをするなんて、間違っていると思う。
そう、だから今、乙女のまま、ここでこうしていられるこの状況は――。
これは……千載一遇のチャンスなのでは!?
だって私は乙女のままで、暴君ガレスは寝ている。
ここは皇帝の寝所というわけではないし、事が終われば、自身の寝所に戻れたのに。何もせず、挙句ここで眠るなんて。まさに油断しているとしか思えない。
しかも武器である剣は、ベッドのそばにはなかった。あの椅子の近くに置かれている。
完全に眠りが深くなったところで、この簪でグサリとやれば……。
暗殺、できる。
ゴクリと喉が鳴った。
ここにいるのは、暗殺するためだ。復讐をするため。
そしてお膳立てされたかのように、暗殺可能な状況になっている。
それなのに、嬉しい気持ちになれない。
どうしてこんなに気持ちが重く沈むのだろう……。
それは私の心が弱いからだ。
ガレスは家族の仇。友と国民の敵。私から婚約者と幸せを奪った憎むべき相手。
そう理解している。というか言い聞かせていた。
でも本当にそうなのだろうか。
私の両親は、自ら命を絶っている。弟と妹は山賊に襲われた。ナタリアとロスコーの行方は分からない。もしかすると生きているかもしれない。兄はヴィサンカ帝国の兵士か騎士により、命を散らしている。ガレスが直接手を掛けたわけではない。リンドンは王太子なのだから、見つかれば真っ先に害されている可能性が高い。そして手に掛けるとしたら、それはヴィサンカ帝国の兵士か騎士によってだ。
ガレスにより直接命を落とした者は、私の近親者にいないと思う。つまりガレスの剣で害された者はいないはずだ。でも間接的でも、みんなの死に影響を与えているのは事実。何より侵攻の許可を出しているのだから、その罪は重いと思う。
スペンサー王国の国民が、どれだけ命を失ったのか。今となっては把握できない。できていないが、皆の死の責任はガレスにある。そうだ、やはり復讐が必要なんだ。それはこのチャンスを得た私がするしかない。
心の葛藤は尽きない。人殺しの経験などないのだ。
葛藤するのは仕方ないこと。
時間は三十分ぐらい、経っただろうか。
もう、いい頃合いだと思う。
音を立てないよう注意して、静かに立ち上がる。
ベッドを見ると、こちらに背を向け、ガレスが寝ていた。
その規則的な体の動きから、寝ていると確信できる。
私が脱いだ明るいグレーのローブは、そのままベッドに置かれていた。
それを手に取り、まずは身に着ける。
いや……待って。
返り血を浴びるかもしれない。
それを隠すため、ローブは暗殺を終えてから着よう。
一度着たローブを脱ぎ、ソファに置く。
どうしよう。
こちらに背を向けているので、ベッドに乗り、背後からブスリとやることはできる。でもベッドに私が乗ることで、軋む音がしたり、揺れたりで、目を覚まさないだろうか?
では回り込んで、ガレスの顔を見る状態でブスリとやるのは……。
人の気配を敏感に感じ、目を開けられた時。
ガレスの伸ばした腕が届く距離に、私はいることになる。そうしないと簪が届かない。でもそうなると、瞬時に目覚めたガレスに首でも掴まれたら、ひとたまりもないだろう。
もしもベッドに乗り、背後から狙った時に、気づかれたとしても。
誤魔化せる。
寂しいので、相手をしてください……と身を投げ出せば……。
相手にされなくても、暗殺しようとしたことはばれない。
ならばやはりベッドに乗り、背後から行くのがベストだ。
方針は決まった。
私はゆっくり、なるべく音が出ないよう、揺れないよう注意しながら。
ベッドに膝を乗せた。






















































