激怒
あの後僕は不登校になった。
こういうと何か、精神的な問題を想起させてしまうかもしれないが、そうではなく。
これから苛烈になるであろう、これから酷烈になるであろう。
クラスメイトからの惨憺たるいじめを避けたかったがためである。
降りかかるのが分かりきった災厄を、馬鹿正直に受け止める必要はない。
まあ、賢い選択だったと思う。
それで、結果的に、長期の、実質的な休養を得た僕だけれど。
この間の僕は殆どニートさながらで。
どこに出しても恥ずかしくない、立派な恥晒しだったと思う──どこにも出なかったのが事実だけれど──僕はかなりの期間、その恥晒し状態で暮らしていた。
そう言うと、出席日数だとか、その辺りの問題はどうなっているのか疑問になってくると思う。
そうだろう?
・・・そうでもない?
まあそうだよな。
そんな細かいところは別段肝要な所じゃない。
母さんの知り合いの天与の能力が、いい具合に丁度よかったとだけは言っておこう。
兎に角何とかなったんだ。
万事解決。
それなりの時間学校から離れた訳なのだから。
これからいじめを受ける事はないし、晴れて人生を謳歌出来る予定、だったんだが。
まあ、その。
全然いじめの気運は維持されていて、現在までその、「いじめて良い」風潮は持ち越されたままだったのだ。
・・・別に良いけれど。
意外な事に、そこまで辛いとは思っていない訳だし。
「やり返せば良いじゃない」
「やり返されるのがオチさ」
「そこをこう、何とかするというか」
「何とかならなかったのが今の僕だよ」
いやまあ、何にもしなかったのが事実なのだけれど。
面倒だから取り敢えず誤魔化した。
「とにかく、良いお母さんを持ったわけね」
「? まあそうだな。少し気恥ずかしいが、僕にとってあの人以上に大切な存在はありえない」
「ふーん」
「ニヤニヤするな。マザコンってわけじゃないからな」
僕はロリコンだ。
そこのところを間違えるな。
「・・・・だけど、いまだに不思議に思う事があるんだ」
「お母さんの事? さっき良いお母さんって言ったら肯定してたじゃないの」
「ああ。そこは否定しない。だけど、それでもずっと、違和感として心に残っている事があるんだ」
「へえ、それは一体、どういう・・・?」
聞かれて初めて、僕はこの事について詳しく思い返す事を、久しくしていなかった事実にはたと気づく。
あの時の事を思い出すのは、何となく避けるきらいがあったのだ。
そうか、ひょっとしたらトラウマだったのかもしれない。
他人行儀に自己分析し、僕は自分を顧みた。
彼女に説明してみよう。
他人に話す事が、何か良いきっかけになるかもしれない。
そう思って僕は彼女に正対する。
「たしか、こんな話だった」
※
「いい? お母さんの寝室にあるクローゼットの上段は絶対に覗いちゃいけないわよ?」
母さんの仕事は特殊で、暴走した天与犯罪者を捕縛する役割の、かなり危険な職種だった。
「わかった! 絶対開けないよ!」
「ふふ、偉いわね」
これは十年ほど前。
母さんが仕事に出掛ける直前に僕と交わした会話だった。
上記の通り僕は素直で、この約束も断じて破るつもりではなかったのだが。
色々のっぴきならない事情があって──いや、誤魔化すのはよそう。
ちょっとしたことがきっかけで、好奇心に負けてしまったのだ。
・・・・その時の事は、また後で説明するとして。
約束を交わした僕は、母さんが後にした家の中をこれ以上なく満喫していた。
「テレビテレビ・・・っと」
時々母さんがニュースに変えてしまって見れない事もままあるのだが、この時間帯はアニメがやっていて、それがなかなか面白い。
この時間を有効に活用して、僕はアニメ鑑賞に洒落込む事にした。
朝アニメ『カボチャ戦隊パンプキンジャー』。
老若男女問わず人気の作品で、僕も例外に漏れずこの作品の虜であった。
軽くテレビのチャンネルをザッピングする。
すると、今まさに、敵役のプルルジスと、パンプキンジャーが相対しているところだった。
『ふっふっふ、このオレに勝てるかな?』
『絶対に倒してみせる! とおっ!』
始まった!
一体どうなってしまうのだ!
『かめはめ波的なsomething!』
『デスビーム的なanything!』
うおおおおお!
出し惜しみ無しか!
今までの戦いとは本気度が違うのが窺えるぜ!
『ぐ、ぐぐぐ・・・・!』
『どうした! 所詮はこの程度か!』
負けるなパンプキンジャーっ!
プルルジスなんか倒してしまえーっ!
名前の頭に破裂音がつくキャラとか大して強いわけがないーっ!
『だあああああ!!!』
『な、何ーーーーっ!? ぐああああああっ!!!』
やった!
敵役、プルルジスは死んだんだ!
もう地球を守る奴はこの世に居ない!
世界征服満了の刻は近いぞ!
ふはは、ふはははははは!
『プルルジスは死んた。だが良い心を持つ人間がいる限り、第二、第三のプルルジスが姿を現し、我々の前に立ち塞がる事だろう。地球を平和にさせやしない! 戦え! カボチャ戦隊パンプキンジャー!』
面白かった〜〜〜っ!
この斬新な設定がいいんだよな〜〜!
『ピ』
満足して僕はテレビを消した。
すると、先刻まで充足していた音の波は、蜘蛛の子を散らしてたちまち立ち消え失せてしまった。
小さな音がよく聞こえる。
さっきまでの喧騒の対比も助けて、僕の耳はかなり小さな音も拾った。
台所のシンクに水滴が滴り落ちる音とか。
天井裏の小動物が忙しげに立てる足音とか。
自分の服の衣擦れの音とか、エアコンが低く唸る音とか──それに。
母さんの部屋から聞こえてくる、奇妙で奇異な物音とか。
「・・・・・」
何だろう、あの音。
多分物が落ちただけとは思うが。
何だか、妙な胸騒ぎがしてならない。
「気になる」
僕は素直な人間だ。
特に、自分の好奇心に関しては。
「よし」
調査だ。
探検だ。
僕は今アニメに感化されているのだから、このタイミングで鳴った物音の方に非があるのだ。
軽く責任転嫁し、僕は母さんの寝室に侵入した。
「・・・・・」
部屋を見晴るかす。
母さんの部屋の、隅から隅までクマなく見渡す。
けれども。
別段、変わった様子はないようだった。
特に物が落ちている様子も無いし、それに。
もう、音は何一つ鳴っていない。
「気のせいか」
僕は踵を返して、そのままリビングに戻ろうとした。
もうここに用は無いわけだし。
特に居座る理由も持たないわけだし。
「───!」
けれども、僕は見てしまった。
クローゼットの上段からはみ出したそれを、聞いたのでもなく、僕は見てしまったのだ。
「う、うあぁ──」
あまり信じたくはなかった。
だってそれは、どこからどう見ても。
クローゼットから放り出された───人間の腕、だったのだから。
「───うああああああああああああああああ!」
なんだ。
なんなのだ、アレは。
この家には現在、僕を除いて、人間は居ないはずだろう。
いや、人間が居る所まではいい。
あの、関節の可動域に任せて、そのまま雑然と放られている腕がまずい。
だってそれは──その様子は、殆ど死体みたいだったから。
今なおピクリとも動かないのが、そのことを示す証左として映るようだった。
「これは、一体・・・・」
僕は今、考えてはならないことを考えている。
母さんは天与犯罪に関わる職種で、所謂警察官的な存在だ。
その、国家権力であり、法を何より尊ぶべき人間が、人一人を、手にかけたのではないかという、恐るべき推測をしてしまったのだ。
「母さんが、人を、こ──」
「そこで何をしているの? 勘介」
振り向くと、そこには母さんがいた。
脂汗が全身を駆ける。
鳥肌が悉く逆立つ。
まずい、まずいまずい。
まずいまずいまずいまずいまずいまずい!
この状況は、言い逃れがびた一文効かない!
「忘れ物しちゃったから、取りに帰って来た所なのだけれど、おかしいわね。そこ──クローゼットの上段。覗いちゃダメって、伝えておかなかったかしら?」
「あ・・・・っ、えと、その・・・・」
言葉が詰まる。
言い訳を、弁明をしなくてはならないのに。
全霊を以て、この場を切り抜けなければならないのに。
「ねえ、伝えたわよね?」
「・・・・・・・う、うん。言ってた」
母さんは睥睨する。
それに対し、僕は目を逸らすしかなかった。
怖い。
怖気がするぐらいに。
今の母さんは、途轍もなく、これ以上なく怖い顔だ。
「どうして約束を破ったのか、お母さんに理由、ちゃんと説明できるかしら?」
「────っっっ!」
どうして僕がこんな思いをしなくてはならないのだ。
僕は母さんの部屋に入っただけだ。
そりゃあ、僕は母さんの秘密を知ってしまったのかもしれない。
けれど違うだろう。
この場合、責任は全く僕に無い。
僕が怒られるなんてのは、全くのお角違いって物だ。
だって僕は、部屋に入っただけなのだから。
秘密を隠すのは自由だけれど、秘密の秘匿が出来るか否かは、秘密にする側の問題で、こちらが請け負う必要なんてのは、全く存在しないはずなのだから。
そう考えると、途端に沸々と、怒りが煮えくり返りだした。
「理由・・・・っ、なんて、無いよ!」
「はぁ?」
「大体! 僕はクローゼットを開けてない! 勝手に開いてたのが見えちゃっただけだ! 約束は最初から破っていない!」
「それが何の言い訳に──」
「お母さんの馬鹿! お母さんなんて犯罪者に負けちゃえば良いんだ!」
刹那、僕の頬に熱が走った。
何が起こったのかしばらく理解できなかったが、少し経って、その熱は、母さんの平手打ちによるものだと気づく。
「なんて事言うの! お母さんが死んじゃっても良いのね!?」
「あ──いや、違・・・」
「もう良い! お母さんもう仕事行きませんからね!!」
・・・・・。
え、ええ〜〜・・・。
それは、困るのだけれどな。
お母さん特有の理論の飛躍がここで出るとは、全く予想しなかった。
「今日は晩御飯抜きよ!」
「ごめっ、ごめんなさいって〜〜!」
※
「と、言うことがあったんだよ」
「オチは割と牧歌的ね・・・・道中がサスペンスに寄りかけていたけれど」
「あの時の母さんは、いつもと様子が違っていた。あの人間の腕は、まあよく考えれば、あの母さんが罪もない人を殺す訳がない。多分人形か何かだと、理由づけは出来るのだけれど・・・・やっぱり、それを踏まえてもあの時の様子は異常だった。普通じゃなかった気がするんだ」
「だから・・・・不思議に思ったわけね」
「そういう事。それは、今でも違和感として、しこりとして残り続けている。・・・・あの、優しい母さんが、あんな顔をしただなんて」
「信じられない、か」
沈痛な空気だった。
澱が漂う水槽のような、そんなくぐもった雰囲気だった。
「でもパンプキンジャーが一番気になったわ」
「癖強いもんな」
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