「愛してるわ」
「母さんが・・・・!?」
「人」の「言」う事は「信」るべきという、究極の美徳に倣うならば。
つまり僕は、彼女の言も信じなければならないことになる。
親子二代が、諸共同じ人物に殺される。
そんな劇的で、それ以上に悲劇的といえる事象を、認めなければならなくなる。
・・・・それはあまり、気の進むこととは言えなかった。
「これは小説じゃあないんだぜ?」
「事実は小説よりも奇なりというじゃない」
「SFを読んだことがないらしいな」
少し考えるそぶりを見せて、少女はこう返す。
「確かに読んだことないかしらね」
「えらく素直じゃん」
「ちなみに私、時間遡行できるのだけれど」
「白旗です!! 自分は負けを認めます!!」
完璧な論破だった。
言われてみれば誰よりもSFな存在じゃねえか。
「貴方は死ぬ運命だって伝えたわよね」
「え、ああうん、そうだな」
唐突な軌道修正だった。
文脈を汲まない台詞に少し違和感を感じ取ったが、そもそもこの話題の方こそ脇道であることにはたと気づく。
「少しでも可能性を低く、と。私は助けられた少年も貴方に見捨てさせたわね・・・・・って、行かせないわよ」
「ぎくっ」
バレちゃった。
今度こそ行ける気がしたのだが。
「何度も説明したわよね。貴方はあの子を助けると死んでしまうかもしれないのよ?」
「いやだって、言ってたじゃねえか。助けたって可能性はほとんど変わらな・・・・」
「お願いします」
刹那、彼女は倒れた。
と見紛う程に。
勢いのまにまに、自身の小さな額を地面に擦り付けていた。
一体どうしたんだ。
その言葉が喉元まで出かかった時───気づいた。
彼女は今、土下座をしているところなのだ。
「お、オイ! やめろよ!!」
「お願いします。貴方を助ける権利を私にください」
そんなセリフ、助ける奴がいう言う事じゃない。
僕は酷く困惑した。
「良いから立って! どうしたってんだよ急に君は!」
「立ちません。貴方があの少年を見捨てると言うまで、私は自分の足の裏を一生地面につけません」
「〜〜〜〜〜ッ!!」
ダメだ。
テコでも動きそうにない。
流石に一生というのはハッタリだろうし、一笑に付したいところだけれど。
それでも。
彼女の剣呑な剣幕自体は、とても笑えるものとは言えなかった。
「それでも───やっぱりダメだよ」
「・・・・・・皆まで言わないで。諦めるわ」
「そ、そっか! わかってくれた・・・」
「説得をね」
瞬きをしたその次の瞬間、僕は意識を失っていた。
※
「あの少年、もう足を切断したみたいよ」
「他人事だな」
「他人の事だもの」
目を覚ますやいなや、最悪な情報が耳に入る。
寝耳に水どころの話ではない。
寝耳に下水と形容するのが、一番近い気さえする。
「君さ、本当に何が目的なんだい? 僕がこれを気に病んだら自殺したっておかしくないだろ」
「そうは思わないわね」
「どうして?」
「あなたがあの少年の犠牲を無駄にできるとは思えないもの」
「・・・・・なるほどね」
僕が自死しようものなら、その瞬間、彼の犠牲は何の意味も包含しない、無為な事象へと成り下がる。
それだけはダメだ。
元は僕が生かすための努力だったのだ。
僕が死んではなにもならない。
なんの意味もない。
「それで、ここはどこだ?」
周りを見晴るかせば、殺風景なコンクリの壁が辺り一面を覆っていた。
正確を期するなら部屋の四面と言い換えられるが、兎も角知らない場所だった。
知らない天井であるのは勿論。
知らない壁だし、知らない床だ。
ドラマやアニメで見る機会はあるけれども、なんだか新鮮な感があった。
「近くにあった廃墟よ」
「なんで廃墟」
「好きなのよね」
「意味もなく嘘をつくな」
そんなわけないだろ。
「好きずきはともかく好条件ではあったわね。気絶してその場に伏臥した君なんて、あの六人の少年少女のついでに救急車に回収されるのがオチでしょうし」
「それに未来から来たばかりの君の身じゃ自分の家なんてあるはずもない。まあ納得の采配だな」
僕の台詞を受けて、彼女は訂正する。
「家ならあるわよ」
「そうなのか?」
「まあ、ここ数年は帰ってないけれどね」
「じゃあかなり前からこの時代に?」
「君が生まれた頃には確か居たかしらね」
ふーん。
そうなんだそうなんだ。
ふーん・・・。
「家には数年間帰ってないって言ったよな。正確には何年くらい帰ってないんだ?」
「4年かしらね」
「ふむふむ・・・生まれた頃には居た、とも確か言ったよな」
「間違いないわ」
「ところで四年前って俺の母さんが死んだ年でさ、その後当然家に帰ることはなかったわけだけれど・・・・君はもしかして」
「貴方の母親は死んだのよ。違うわ」
冷たく言い放つ。
にべもなく。
取りつく島もなく。
「そう、だよな」
第一若すぎる。
似てるとは思っていたけれども、母さんはもっと老けていた。
「一応名前を聞いて良いか? 納得するための儀式だと思って教えてくれ」
「侃侃諤諤」
「そんな議論好きが高じて付けたみたいな名前だったの!?」
「言い間違えたわ。南山、南山反駁。それが私のフルネームよ」
僕の母さんは七夕短冊。
やはり違う。
違うという事にしておこう。
「そんなに似てるのかしら」
「ん? まあな。結構そっくりな相貌だよ」
「お母さんってどういう人だったの?」
「そーーーだなーーーー・・・・」
説明が難しい人だった。
思った事はすぐ言葉に出してしまうような、素直な人とも言えるだろうが。
「そうだな、ちょっと説明してやろう」
僕はこの見ず知らずの他人に、自分の母親を紹介してやるつもりになった。
※
「愛してるわ、勘介」
折に触れて、母さんはよくそんな台詞を吐いていた。
歯の浮くくような恥ずかしい台詞。
人口に膾炙しているのは、照れ臭くて言えない人間の方だとは思うが、しかし。
彼女は臆面もなく、そんな、自身の愛情を伝えてくれた。
言われる側としては、なんだか面映ゆいというのが本音だけれど。
嬉しかったという気持ちも、また嘘偽りのない事実だった。
今から話すのは、中でも記憶に残ったエピソード。
「愛しているわ」を、初めて救いに思ったお話だ。
※
「お前のせいでェ、ぼきゅたんの3.5DSゥ、充電器外れちゃったんだけどォ」
「あ、ごめん・・・・次から気を付けるよ」
「次なんてないんだずォ、明日から覚悟しとくんだなァ」
いじめの始まりに立ち会ってしまった。
冗談だろう。
そんなしょうもない理由で、人間は人をいじめてしまうものなのか。
なんだか胸糞悪かった。
「・・・・・」
けれども、だ。
ここで彼を見捨てるのも──衆愚が過ぎるとはいえ──生存戦略として悪くはないと言えそうだった。
少なくとも平穏に生きたいだけならば、賢明とすら言えそうだし、それに。
愚かであるのは、何よりの防御なのだから。
だけど、そんなの、夢見が悪いと思うのだ。
胸糞以上に、夢見が悪いと、気持ちが悪いと思うのだ。
だから翌日、彼がいじめられているのを見て僕は決心を固めた。
「僕、その、助けてあげれたらなっ、て」
「・・・・・・」
彼の反応は芳しいとは言えなかった。
嫌悪というか、厭悪というか。
有体に言えば、それは偽善者を憎む視線だった。
「あのさあ・・・・」
ため息交じりに、彼はこう続けた。
「良いかっこしいに付き合う余裕はないんだよ。気色わりィ。考えなしに希望だけちらつかせるなよこの偽善者」
「・・・・・」
それは、偽善者を憎むセリフだった。
視線ではなく。
「そんな・・・・・僕はただ・・・・」
「うるさい。話しかけんな。浅薄なんだよ。あのいじめっ子なんか嫌いだけれど、テメェみたいなのは大嫌いだ」
「・・・・・・そっ、か」
酷烈な遮断に、思わず僕は押し負ける。
「ごめん、もう言わないか──」
「ぬおおおおおおおおん? ぼきゅたんの3.5DSぶっ壊した奴じゃにゃいのォォォ」
現れたのは、言うまでもなくいじめっ子だ。
不快感の権化。
不衛生の同義語。
不如意の代名詞たる彼だった。
・・・というか、ぶっ壊してはないだろ。
充電器が抜けただけだと記憶しているのだけれど。
「あ・・・・どうしたの大山く」
言い終わるのも待たずに、いじめっ子の肘が彼の顔面をつぶした。
「か───かヒュ」
鼻血が垂れる。
自分がやられたわけでもないのに、なんだかこちらまで痛くなるようだった。
「よおおおおおおおおくもやってくれたなあああああああ」
彼の台詞だろ。
そう心の中でツッコむも、その無意味さにはたと気づく。
彼にはそんな正しさは通用しない。
彼は誰にとっても不如意な存在なのだから。
この分かり合えない感が彼を彼たらしめるアイデンティティともいえるのだけれど、なんというか、こう、褒めそやすことに抵抗のある個性だった。
「うぅ・・・・・ごめん・・・・」
鼻を手で押さえつつ、卑屈な視線での謝罪だった。
胸が痛んだ。
彼はこんな生活を、今後ずっと続けなければならないのか。
やっぱりどこか夢見が悪い。
けれど。
僕は彼を、助けることは決してない。
だってそれは、彼たっての希望の筈なのだから。
「どおおおしてェ、充電器抜いてくれちゃったのかなァ」
「それは、その──」
「んんんんにゅゥ?」
「───命令されたんだ! アイツに! 勘助に『充電器を抜いてこい』って! そう命令されたんだよ!」
「え」
一瞬、理解できなかった。
彼がどういう意図で先刻の発言に至ったのか。
わからなかった、測れなかった。
けれど彼の顔を見て、察した。
アレは、「僕を助けたいんだろ?」、という顔だ。
・・・・本気で言ってるのだろうか。
「しょるえはあああああ、本当ォ、なのかよォォ」
「本当さ!! なあ!! そうだろ勘助!!!」
「・・・・・・」
僕の元へと駆け寄って、彼は惨めったらしく懇願した。
「言ってたじゃないか!! 僕を助けてくれるっ
て!!」
「そうだけれど・・・・けど、君が断ったじゃ」
「本気にするなよ!! ほんの冗談じゃないか!! ジョークジョーク!!!! な!!???」
「いやいやいや・・・・・」
彼を助けるべきだろうか。
そもそもそれが目的で、彼に近づいたのが最初だけれど。
彼自身が、その申し出を蔑ろにしたのではないか。
だったらいいだろう、助けなくても。
それに考えてもみろ。
ここで僕が彼の思うままに動いたならば、いじめの標的は僕に移ってしまうはずだ。
いじめっ子の彼からすれば、真犯人が名乗りを上げる形なわけだし。
僕が彼を助けるべき理由が何一つとして見つからない。
だから、助けなくていい。
助けないのが正解なんだ。
それで良い。
それが良い。
「ああ、僕が命令した」
・・・・・・言ってしまった。
※
「ぐふっ・・・・・ゲホッ・・・」
いじめっ子達は僕を殴り飽きたらしい。
なんだか楽しげにして、どこか遠くに行ってしまった。
因みにいじめっ子達という表現は間違いではない。
いじめられっ子がいじめっ子に進化、もとい退化したのである。
安堵の笑みを湛えて、ウキウキで暴力を振るってくれた。
あまり助けた実感はない。
使い捨てられた感ならあるのだけれど。
「はぁ・・・・」
鼻から滔々と血が垂れる。
手の甲で拭っても、やっぱり後続が止まらない。
テッシュ誰かから借りなきゃな。
思いの外冷静にそう思った。
「い"っ"ちちち・・・」
まあでも、鼻血だけなら別にいいのだ。
痛いだけだし。
問題は別のところにある。
膝を入れられたみぞおちの辺りに少し違和感があるのだ。
ひょっとしたら骨が折れたかもしれない。
そう意識したところで、途端に上手に呼吸が出来なくなった。
辛い。
痛いと言うのは惨めだし、孤独だ。
「ヒュ、ヒュー、カヒュ、ヒ、ヒ」
僕は正しい事をした。
正しくて、善なる事をした。
なんだけれど、なんなんだこの空虚な気持ち。
まるで爽快感がない。
「ヒー、ヒュ、ふう、はあ。すぅーー、はぁーー」
でも。
それでもだ。
僕は彼を、助けることができたのだろう?
だったなら胸を張れ。
あの元いじめられっ子にではなく。
自分の善行に、胸を。
そうすればこの行動は肯定される。
ひいてはこんな愚かな僕も、愛することが出来る筈なのだ。
「ハッ」
失笑する。
なにをおセンチになっているのだ。
反省反省。
こういうこともあるというだけの話。
次からはもっと要領よく生きていけば良い。
周りに流されて、もとい周囲の空気を読んで。
大局に身を任せて、角を立てないようにして。
ほら、学びがあった。
良かったじゃないか。
これで次から、賢く他人を見捨てられる。
※
「アンタそれ、どうしたのよ!」
帰宅すると、母さんはボロボロの僕を見て目の色を変えて詰め寄った。
「いじめられたの!? 一体なにが・・・」
「何でもないよ」
「そんなわけないでしょ! ちょっと勘介!」
母さんは僕の手を掴んだ。
多分咄嗟の行動で、次の言葉に詰まっているのがその証左だ。
不安そうな瞳を揺らして、そのまま黙りこくってしまった。
「もう良い?」
「いいえ良くないわ。何があったか話してごらん」
「だから良いって──」
抱きしめられた。
強く。
何より優しく。
僕は抵抗できなかった。
「良いから、話してごらんなさい」
「・・・・・!」
問答無用の説得力に、思わず僕は、口を開く。
「・・・・・僕、なんだか今日、あんまりうまくいかなかったんだ」
「そうだったの」
「いじめられてた子を助けようと思ったんだけど、いつのまにか失敗しててさ、いつのまにかいじめられっ子は僕の方になっちゃった・・・情けなかった」
「・・・そんなことないわ」
今の台詞で、大体全部を察したらしい。
母さんは僕を強く抱擁した。
さっき以上に優しくて。
その暖かさに、僕は。
思わず、全体重を預けてしまう。
心も。
「だから、さ」
下を向いて、言う。
涙が溢れそうなのも構わないで。
「次からは、もっと上手に、クズに徹してみせるから」
「うん」
「だから今は、今だけは、正しい振りをさせて欲しい。正しいつもりのまま、気兼ねなく泣かせて欲しいんだ」
「ええ、頑張ったわね勘介」
「うん、頑張った。頑張ったんだよ」
殆ど声が震えていた。
今にも泣いてしまいそうだったが、別にもう、我慢するつもりもなくなっていた。
母さんに慰めてもらうだなんて、ちょっとだけは恥ずかしい気もするけれど。
今日はいい。
限界が来てしまったんだ。
「そうよ勘介、そんなんだから誰よりも───愛しているわ」
「────っ!」
そんなこと言われたら、いよいよ、もう。
耐えられなくなってしまうじゃないか。
「くうっ くっくっ ううっ・・・・」
「笑ってるみたいよ?」
「うぐっ、ひっ、そう、さ。僕は、笑っているんだ。だからどうか、今の僕を、笑わないで・・・・」
「笑わないから、我慢せず笑いなさい」
母さんもまた、泣きそうになりながらこう続けた。
「アンタをコケにした奴らを、一笑に付してやりなさい!」
その一言で、僕は決壊してしまった。
「うあああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
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