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【名刺作品集】

遅くなってごめん!

(一体、いつまでここに居れば良いのだろう?)



 穏やかな水面を見つめつつ、クロシェットは息を吐いた。

 そよ風が優しく頬を撫で、小鳥たちが囀る。


 この地で生活を始めて既に二年。クロシェットは毎日、湖の入り口を見つめながら、人の気配に耳を澄ませる。


 けれど、待てど暮らせど待ち人は来ない。本日二回目のため息が漏れた。



『もう十分ではないか? 新たな魔獣が出現しなくなって久しい。この湖の浄化は完了したように思うが?』



 そう口にしたのは、白銀の毛並みが美しい巨大な狼だった。名をウルといい、クロシェットとともに暮らしている。賢く、人の言葉を喋る彼は、孤独なクロシェットの心の拠り所だ。



「分からないわ。わたしはザックさまの言いつけどおり、湖に結界を張り続けただけだもの」



 クロシェットはそう言って、穏やかな湖面をぼんやりと眺める。


 二年前は真っ黒に濁り、禍々しい瘴気で溢れかえっていたこの場所。今や空色に澄み渡り、森の動物達のオアシスへと様変わりしている。既に目的は達成した――――そう考えても差し支えないのだろう。けれど――――




《クロシェット……お前の力が必要なんだ!》



 目を瞑ればあの日――――ザックと別れた日のことがありありと思い出される。



《この湖から、たくさんの魔獣が出現している。日々、多くの人々が苦しめられている。

けれど、魔王を倒さなければ、いつまで経っても魔獣たちを根絶やしにすることはできない。

だから、俺は君にこの地を護ってほしい。俺が必ず、魔王を倒すから》


《けれど……》



 理屈はわかる。

 けれど、本音を言えば、一人で置いていかれたくはない。


 クロシェットは元々、魔獣と無縁な平和な村で、穏やかな生活を送っていた。そんな中、近隣で魔獣を討伐していたザックと出会って恋に落ち、彼と共に居るために故郷を離れた。


 そんな彼女にとって、ザックと離れてまで湖を護る理由はない。国を救いたいとか、人々に感謝されたいといった大望を抱いたことも、一度だってないのだから。



《――――魔王を倒したら、すぐに君を迎えに来る》



 ザックはそう言って、クロシェットのことを抱きしめる。



《結婚しよう。俺が君を幸せにする。

そのためには、魔王を倒すことが必要なんだ。俺たちの未来のために、どうか力を貸してくれないか?》




 苦しげに囁かれ、クロシェットはしばし逡巡する。


 ザックの力になりたい。彼とずっと共にいたい。

 けれどそのためには、単身この地に留まり、彼と離れることが必要で――――。



《わかったわ》



 クロシェットの瞳に涙が浮かぶ。

 本当は、寂しさと切なさで心と体が引き裂かれそうだった。


 けれど、ザックの嬉しそうな表情を見て、クロシェットは静かに微笑む。



《待っているから――――必ず迎えに来てね》


《ああ、必ず》



 ザックはそう言うと、仲間たちを引き連れて、瘴気渦巻く湖をあとにした。





(ザックさまは今頃、どうしているだろう?)



 ウルの腹に顔を埋め、クロシェットは静かに涙を流す。


 ザックに会いたい。彼の声が聞きたい。

 早く迎えに来て――――


 そう思ったその時だった。



『クロシェット!』



 上空から大きな鳥が舞い降りる。その身体は紅の炎で覆われ、金色の火の粉がキラキラと光り輝いていた。



「フェニ!」



 フェニと呼ばれたその鳥は、二年前、クロシェットがザックたちに託した友人だ。彼は定期的にこの地を訪れ、ザックの様子を教えてくれている。

 最後に会ったのは三ヶ月前。こんなにも間が空いたのは初めてのこと。久々の報告に緊張が走る。



『あいつが――――ザックが勝ったんだ!』



 フェニが言う。

 それはこの二年間、クロシェットが待ち続けていた言葉だった。嬉しさのあまり泣き崩れるクロシェットに、ウルもフェニも優しく微笑む。


 ずっと不安で堪らなかった。寂しくて堪らなかった。

 このままザックに――――誰にも会えないのではないか。

 この湖で一生を終えなければならないのでは、と。



 けれど、これでようやくザックに会うことができる。彼と共にいることができる。



『良かったな、クロシェット』


『本当に良かった』



 クロシェットは何度も頷きながら、ザックとの再会に胸を膨らませた。



***



 けれど、それから三ヶ月。

 ザックは未だクロシェットを迎えに来ていない。



『一体あいつは何をしているんだ?』



 苛立ちを隠さないウルやフェニを前に、クロシェットは表情を曇らせる。



『ここを出よう。俺たちとともに、あいつに会いに行こう』



 ウルの提案に、クロシェットは躊躇いつつも、小さく首を横に振った。



「ダメよ。ザックさまが『迎えに行く』って約束してくれたんだもの。ここで彼を待っていなくちゃ」



 約束を違えるわけにはいかない。

 彼を失望させるわけにはいかない。


 待つと決めたなら……約束したなら、それを破るわけにはいかない。



 クロシェットはザックを信じていた。

 彼の言葉を――――想いを信じていた。



 けれど、待てど暮らせどザックは来ない。

 二年間、ザックの勝利を待ち続けたあの日々よりも、今のほうが余程、時が経つのが遅く感じられる。



 今日だろうか。

 明日だろうか。


 五日後。


 きっと一週間後には――――。

 一ヶ月後――――――。

 三ヶ月も経てば――――――――。



 クロシェットの心が日に日に疲弊していく。



(わたし――――ザックさまに忘れられてしまったの?)



 本当はこんなこと、考えたくない。

 けれど、日が経つにつれ、疑念は強くなっていく。



(わたし、本当は要らなかった?)



 ザックにとってクロシェットは手駒の一つでしかなくて。

 数合わせのために旅へと誘われただけで。

 最初から、迎えに来る気なんてなかったのかもしれない。



 ザックを信じたい。

 けれど、信じられない。

 どうか間違いであってほしい――――



「ここを出ましょう。わたしがザックさまを迎えに行くわ」



 言いながら、クロシェットの胸が強く軋む。

 ウルとフェニは顔を見合わせつつ、彼女のあとに続いた。



***



 森を駆け抜け、クロシェットたちは一番近くの街に立ち寄った。

 街の中では、ウルもフェニも目立ってしまうので、それぞれ身体を小さくし、犬や小鳥のように振る舞っている。



「この二年半の間に、随分と様子が変わったのね」



 クロシェットの記憶の中にある寂れて廃れた街並みとは違い、街は美しく活気が溢れている。



『君が魔獣たちを封じたからだよ。湖にほど近いこの街が、影響を一番に受けていたからね。

離れていった人が少しずつ戻ってきて、復興を遂げたんだ』



 フェニが答える。

 彼はザックと旅をともにしていたため、外の様子に詳しい。



「……そう。だったら、わたしがしたことにも、少しは意味があったのかもしれないわね」



 呟きつつ、改めてぐるりと街を見渡す。

 楽しそうな声音、子どもたちの笑顔に、クロシェットは少しだけ目を細める。



「――――ねえ、聞いた? 勇者様のお話」



 けれどその時、背後から聞こえてきたセリフに、彼女は思わず目を瞠った。


 現在、この国における勇者はザックを指す。

 クロシェットは静かに耳をそばだてた。



「もちろん! 姫様とご結婚なさるっていうお話でしょう? 国中のみんなが知っているわよ」


「…………え?」



 ドクン、ドクンと心臓が跳ねる。



(ザック様が結婚? ……姫様と?)



 馬鹿げている。

 そんなことはあり得ない。

 ある筈がない。



 だって彼は、クロシェットと結婚をする。



 そう、確かに約束したのだ。

 別の誰かと結婚するだなんて、そんな――――。



「泉の魔獣を全部やっつけてくれたのも勇者様なんでしょう? 本当に素晴らしいお方だわ」



 ――――違う。

 あの泉を護っていた人間はザックではない。

 他でもないクロシェットだ。


 ずっと順風満帆だったわけじゃない。

 彼女は二年もの間、ずっと身を挺して泉の魔獣と闘ってきた。


 けれど、いつの間にか街の住人にはザックの偉業ということになっているらしい。クロシェットは目の前が真っ暗になった。



「この街の住人だけじゃない。国中のみんなが彼に感謝し、崇拝しているわ。だって魔王を倒したんだもの。当然の結果よね」



 楽しげな笑い声がだんだんと遠ざかっていく。

 クロシェットは、しばし呆然とその場に立ち尽くした。



『クロシェット……』



 ウルたちがクロシェットを覗き込む。とてもじゃないが、掛ける言葉が見つからなかった。


 彼等自身、底知れぬ怒りに震えており、今すぐザックへ報復してやりたいほど。

 けれど、クロシェットが望まないと分かっているから、動くことができずにいる。



「――――行きましょう」



 クロシェットが言う。

 おぼつかない足取りで、彼女はゆっくりと歩き出す。



(きっと、なにかの間違いよ)



 ザックはきっと、クロシェットのことを待っている。

 何か、迎えにこれなかった理由が存在するのだろう。

 本当はクロシェットと同じように、会いたがっているに違いない。


 そう思わないと、自分を保っていられなかった。




 けれど、どこへ行っても、誰に聞いても、皆が口を揃えて言う。



 勇者様が姫様と結婚をするんだって――――。



 国中がお祝いモードに包まれる中、クロシェットの心は沈んでいく。



 そんな時、彼女は王都で婚約披露パレードが開かれることを耳にした。



(嘘だよね?)



 沿道に並びながら、クロシェットは静かに自問する。


 これから現れる人は――勇者は――ザックではない。

 絶対に、なにかの間違いだ――――そう思ったその時、遠くの方から歓声が湧き上がった。


 目を瞑り、蹄の音に耳を澄ませる。



(違う)



 彼じゃない。

 ザックじゃない。

 ザックであるはずがない。


 歓声が耳を突く。


 ゆっくりと目を開けたその時、クロシェットは大きく泣き崩れた。



「あぁっ……」



 美しい姫君の隣で、一人の男性が満面の笑みを振りまいている。


 太陽のように煌めく金の髪、空色の瞳。

 見間違いようがない。

 彼は二年半もの間、クロシェットが恋い焦がれた男性――――ザックだった。



「ザックさま!」



 クロシェットが叫ぶ。

 沿道から勢いよく飛び出し、彼女は唇を震わせた。



「ザックさま!」



 馬車が停まる。人々が罵声を上げる。

 騎士たちがクロシェットを跪かせ、拘束する。



「貴方をずっと待っていました! ずっとずっと、お会いしたかった!」



 クロシェットが叫ぶ。


 会いたかった。

 ずっとずっと、会いにきて欲しかった。

 抱き締めてほしかった。


 けれど、ザックは冷めた瞳でクロシェットを見つめながら、馬車から降りようともしない。



「ザックさま……お知り合いですか?」



 姫君が尋ねる。

 ザックは小さく鼻で笑った。



「まさか。熱狂的な崇拝者の一人でしょう」



 その瞬間、それまでじっと黙っていたウルが牙を剥く。


 子犬から本来の大きさへと戻った彼は、クロシェットを拘束している騎士へと襲いかかり、咆哮を上げた。ビリビリと地面が揺れ、人々が吹き飛ぶ。そのすきにウルはクロシェットを背中に乗せると、勢いよく走り出した。



「待て! 逃さないぞ! 俺の晴れ舞台を汚しやがって……!」



 ザックの怒声が響き渡る。


 と、その時、フェニが上空へと舞い上がった。紅蓮の炎をまとった紅の鳥――――人々は神々しい彼の姿に目を奪われ、息を呑む。けれど次の瞬間、フェニは勢いよく馬車へと突進した。



「きゃあ!」



 大きな炎を上げて、馬車が燃え盛る。逃げ惑う人々で、沿道は大混乱だ。

 予想だにしない事態。騎士たちは姫君を救出するのに精一杯で、クロシェットを追うことができない。



「誰か、その女を捕まえろ! 」



 ザックの声が段々と遠ざかっていく。

 クロシェットはウルの背の上で、涙を流し続けた。



***



 ウルは走った。

 一刻も早く、クロシェットをザックから引き離さなければならない。


 英雄に恥をかかせた。

 王族の婚姻に泥を塗った。

 この国はもう、クロシェットにとって安全な場所ではなくなっている。



「ウル、もう良いわ……」



 クロシェットが呟く。

 ウルはなおも風を切りつつ、クロシェットの言葉に耳を傾ける。



「もう、どうでも良い。このまま消えてしまいたい」



 涙がクロシェットの頬を伝う。


 待っていた。

 信じていた。


 会えばきっと、笑ってくれる――――遅くなってごめんと言いながら、抱き締めてくれると思っていた。


 けれどそれは、クロシェットの幻想に過ぎない。


 ザックは彼女を裏切った。

 まるで、はじめから存在すらしなかったかのように扱った。

 己には何の価値もないと思い知るには十分だった。



『そんなことを言うな! この国を守ったのはあいつじゃない。クロシェットだ! 君が頑張ったからこそ、この国の民は救われたんだ!』



 ウルが叫ぶ。

 クロシェットは首を横に振った。


 彼女の功績なんて、誰も知らない。


 そもそもクロシェットは、国を守ろうなんて大それたことを思ったことはなかった。

 全てはザックのためにしたことで、彼が居なければ何の意味もないのだから。




 国境を抜け、深い森の中へと入る。

 隣国にはまだ、魔獣がうようよ存在していた。


 ウルやフェニは魔獣を滅しながら、前へ前へと進んでいく。



 やがて、一行は森の出口へと差し掛かる。

 クロシェットはそこで、誰かが魔獣と交戦していることに気づいた。



(どうしよう……)



 遠目から判断するに、かなりの苦戦を強いられているらしい。

 手助けすべきか悩みつつ、クロシェットは静かに唇を噛む。



(どうせわたしなんて)



 助けたところで、何の価値もない。

 存在しないも同然の人間なのに、一体何を迷うことがある?


 けれど――――



「フェニ!」



 クロシェットが呼べば、フェニは勢いよく魔獣へと襲いかかる。魔獣が燃え上がり、断末魔が森の木々を揺らし、やがて静寂が訪れる。


 クロシェットはウルに連れられ、フェニの元へと向かった。

 先程まで魔獣と交戦していた若い男性が、彼女のことを呆然と見つめている。



「あの……余計なことをしてごめんなさい」



 クロシェットが言えば、男性は目を丸くし、大きく首を横に振る。



「余計なことだなんて、とんでもない。助かりました。心から感謝します、聖女さま」


「…………聖女? 一体、誰のことでしょう?」



 首を傾げたクロシェットに、男性はまたもや驚く。



「もちろん、貴女のことですよ。だって、そちらのお二方は、神獣でございましょう?」


「お二方……ってウルとフェニのこと? そんな、まさか」



 神獣だなんて。

 これまで誰にも――――ザックたちには、彼等が特別な存在とは言われなかった。居て当然というような扱いを受けてきたというのに。



『いかにも、我等は神に仕えるものだ』



 ウルが答える。

 クロシェットは驚きに目を見開いた。



「そんな……! だけど二人とも、そんなこと、これまで一言だって……」


『言えばクロシェットは、壁を作ってしまうだろう? 

たとえ神獣だとしても、君にとってはただのウルとフェニだ。神獣という名称など、なんの意味をなさない。そうは思わないか?』


「そうだけど……」



 そうとも知らず、二人にかなりの無理をさせたのではないだろうか? 魔獣の討伐など、させるべきではなかっただろうに。



『我等は神の遣い。神に愛された娘――聖女である君を護ること、願いを叶えることもまた、我等の使命だ。クロシェットが気に病む必要は全く無い。我等が進んでしたことだ』



 そう言ってウルは、クロシェットに向かって頭を垂れる。フェニもまた、同じように頭を下げた。



「そんな……」


「……貴女はご自分が聖女だとご存じなかったのですか?」



 男性が尋ねる。



「ええ。そんなこと、夢にも思わなくて――――」



 しかし、思い返してみれば、ウルやフェニだけは『クロシェットは特別な存在』だと言い続けてくれた。他の人間が全くそういう素振りを見せなかったので、全く実感がなかっただけだ。



「……ちょっと! 貴方、怪我していらっしゃるじゃありませんか!」



 よく見れば、彼は腕に大きな傷を負っていた。

 かなり痛むのだろう。相当我慢をしていたらしく、彼の額には大粒の汗が浮かんでいる。



「早く、こちらに座ってください」


「一体何をする気です?」



 クロシェットは傷口に手をかざし、力を込める。その瞬間、眩く柔らかい光が二人を包み込み、あっという間に傷を癒やした。



「すごい……! 傷が治っている」



 男性は角度を変えながら、先程まで怪我していた腕をまじまじと見つめる。



「本当になんとお礼を言って良いか……ありがとうございます、聖女さま」


「そんな。お礼を言われるほどのことではございません。できて当然のことですから」


「当然? そんな馬鹿な! これは貴女にしかできないことですよ」


「そう……なのですか?」



 クロシェットの言葉に、男性は力強く頷く。



「貴女は隣国のご出身でしょう? 

もしも貴女が我が国で生まれていたら、すぐに王宮で保護されていたに違いありません。貴女はそれだけ貴重で、素晴らしい力をお持ちなんですよ?」



 まさか――――そう口にしようとして思い留まる。

 訳のわからないことだらけだが、思い当たる節が全くないわけでもない。

 ザックやその仲間たちの発言、ウル達の反応を思い返すに、引っかかるものがあるのだが。



「ひとまず、俺の屋敷に来ませんか? 助けていただいたお礼をさせていただきたいです。貴女も、状況の整理をしたいでしょうし」



 男性はそう言って穏やかに微笑む。

 クロシェットは躊躇いつつも、コクリと静かに頷いた。



***



 男性はセデル・アンファングといい、この辺一帯を治める若き侯爵だった。

 初めて見る貴族の屋敷は大きく、とても立派で、クロシェットは萎縮してしまう。



「楽にしてください。今お茶を用意させますから」



 光の降り注ぐテラスに案内され、セデルと二人向かい合って座る。

 温かい湯気の立ち上る紅茶に、甘い茶菓子。

 長旅の疲れもあって、クロシェットの心と体に染み込んでいく。



 クロシェットは、自分が何故聖女と知らずに居たのか、どうしてこの国に来ることになったのかを説明した。


 ザックと恋をし、彼にくっついて旅に出たこと。

 国を巡りながら、ウルやフェニに出会ったこと。

 旅の途中で、泉を護るよう言われたこと。

 泉を浄化したこと。

 魔王が倒れて以降も、ザックが迎えに来てくれなかったこと。

 王都での出来事も、すべて。



「つまり、貴女の元恋人が貴女が聖女だということを故意に隠していた――――ということでしょうか」


「おそらくは。

彼はいつも『このぐらいできて当然だ』と言っていましたし、仲間にも同意を求めていました。

だけど、よく考えてみたらわたし以外に結界を張れる人も、治癒や浄化ができる人も、一人も居なかったなぁって。

全部全部、手柄を自分に集めるためだったんですよね」



 小さな村で生まれ育ったクロシェットには、知識も、それを得るための手段も、比較材料だって存在しなかった。自分が特別だなんて、知る由もない。

 ザックはクロシェットが持つ特別な力に気づいていながら、それを隠匿し、自分自身の力にしてしまった。


 クロシェットは、街で人々が言っていたことを思い出す。

 彼女は誰かに褒められたい、感謝されたいと思っていたわけではない。

 それでも、自分がしたことを横取りされてしまうのは、気持ちが良いものでは決してなかった。



「クロシェットさまはこれからどうしたいですか? 

俺なら貴女の名誉を取り戻すためのお手伝いができると思います。国を守ったのは誰なのか――――真実と、ザックという男の悪行を知らしめることが」



 セデルに同意を示すように、ウルとフェニがゆっくりとクロシェットを見る。

 けれど、彼女は小さく首を横に振った。



「いいえ。わたしはもう、あの国に戻りたいとは思いません。汚名を晴らしたいとも思いません。既に父母も他界しておりますし、大した思い入れもありませんから。

それに、ザックさまのことを思い出すと、やっぱり辛くて……。経緯はどうあれ、彼が魔王を倒した英雄であることに間違いありませんから」



 今更、クロシェットが聖女だと知られたところで、一体何になるだろう?

 彼女の力を信じない者も多いだろうし、感謝をされたところで虚しくなるだけだ。


 それに、ザックが他の女と結婚するのを近くで見るのは辛かろう。

 そもそも、彼からはまるで、クロシェットが存在しないかのような扱いを受けているわけで。



(もう二度と、誰にも利用されたくない)



 一度はどうでも良いと思った。消えてしまいたいと思った。

 けれど、本当は自分自身を――――人生を諦めたくなどない。


 寂しい思いも、辛い思いもゴメンだ。



「――――よろしければ、しばらくこの屋敷で過ごしませんか?」



 セデルの提案に、クロシェットは静かに息を呑む。



「これまで辛い目に遭われてきたのです。今はゆっくりと心と身体を休めてください」


「けれど、セデルさまにそこまでしていただくわけには……」


「貴女は先程、俺のことを助けてくださったじゃありませんか。長時間苦戦を強いられていましたし、あの魔獣は毒を持っていました。クロシェットさまがいらっしゃらなかったら、俺は助からなかったかもしれません。遠慮なく、ここにいてください」



 セデルはそう言って、クロシェットの手を握る。

 温かい手のひら、穏やかな微笑みから、彼の心からの感謝が伝わってくる。

 久々に感じる人のぬくもりに、クロシェットの瞳に涙が浮かんだ。



「よろしくお願いいたします」



 かくして、クロシェットはセデルの屋敷に身を寄せることになったのだった。



***



 セデルとの生活は、温かく、優しさに満ちていた。


 清潔で美しい洋服に、温かい食事。夜はふかふかのベッドで眠ることができる。

 緑豊かな領地の中、花や果物、動物たちを見て回り、夜は仕事を終えたセデルに文字を教えてもらう。


 当たり前の日常。当たり前の幸せ。

 それらが失われてから久しく、クロシェットは涙が出るほど幸福だった。



 セデルはよく魔獣討伐に向かったが、決して、クロシェットを利用しようとしない。彼女が特別な力を持っていると知っていて、頼ろうとすることもない。



「当然だよ。君がどれほど辛い思いをしてきたか、俺は知っている。君が聖女だと知れ渡れば、人々は君を特別な存在として崇めるだろう。けれど、その分だけ君に頼ってしまうに違いない。

俺はもう二度と、クロシェットに辛い思いをさせたくないんだ」



 真剣な眼差しで見つめられ、クロシェットは思わず頬を染める。


 穏やかな日々であるのに――――セデルと一緒に居ると、クロシェットの胸はいつもトクンと甘く疼く。美しい彼の瞳を見る度に、身体が熱を帯びていくのを感じていた。



「それに、俺だって男だ。どうせなら自分が護る側に回りたい。好きな人のことなら、尚更」



 セデルがクロシェットの手を握る。

 クロシェットはしばし逡巡し、息を呑み、やがて顔を真っ赤に染める。



(好きな人って、わたし……⁉)



 誠実な彼が、冗談でこんなことを口にするとは考えがたい。クロシェットの鼓動が勢いよく跳ねた。



「今すぐにとは言わない。考えてみてくれないか? 俺と生きる未来を。俺に君を護らせてほしい」



 瞳を、心を真っ直ぐに射抜かれ、クロシェットはドギマギしながら小さく頷く。





《クロシェット! 俺を護れ!》



 目を瞑れば、今でも逃げ惑うザックの姿が、悲鳴のような声が浮かび上がる。

 彼はいつだって、クロシェットに護られる側だった。初めて会ったのも、負傷した彼の傷を癒やしたのがキッカケだ。


 フェニやウルに援護をされながら、無様に剣を振るうのが彼の常だった。

 クロシェットと魔獣を討伐する内に、強い仲間たちを引き入れることができ、彼は次第に自ら剣を振るうことがなくなっていった。


 神獣の威を借るなんとやら、だ。



 それでも、クロシェットはザックを優しい人だと思っていた。自分を必要としてくれる人は彼しか居ない。彼に愛想を尽かされてはおしまいだ、と。



「ウル、フェニ。なんだかわたし、バカみたいね。どうしてあんな人が好きだったんだろう?」



 自虐的に呟きながら、クロシェットは立ち上がる。



「ねえ、二人はこれから先も、わたしに付いてきてくれる?」


『もちろん』



 二人は力強く頷くと、クロシェットのあとへと続く。



 まだまだ漠然としているが、クロシェットには自分がこれからどうしたいのか、どんな風に生きたいのかが見え始めている。


 彼女は力強く地面を蹴った。



***



 あれから二年の月日が流れた。


 クロシェットの祖国では、息を潜めていた魔獣たちが再び活動を始めていた。

 そもそも、彼等が魔王だと思って倒した相手は中級魔獣であり、全く根源を断てていなかったのだから当然だ。



「何でだ……! 何でこいつら、攻撃が全然効かないんだ⁉」



 英雄として、討伐へと向かったザックは、己の攻撃が全く通用しないことに愕然とする。


 それもその筈。


 二年前、彼の傍にはいつもフェニが居て、背後から攻撃の手助けをしていた。敵の攻撃を無効化し、結界を張ってくれていたのも彼だ。フェニなしに、ザックが魔獣と互角に渡り合えるわけがない。討伐などもってのほかだ。


 被害が急速に広まっていく。

 国民から、王族から、日に日に非難の声が高まる。


 ザックはとても焦っていた。

 このままでは、せっかく手に入れた地位も、名声も、すべてを失ってしまう。



「そうだ! クロシェット……! クロシェットはどこだ⁉」



 ここに来て、ようやくクロシェットの存在を思い出したザックは、彼女を置き去りにした泉へと向かう。


 従順で人を疑うことを全く知らない馬鹿な小娘は、今でも泣きながらザックの帰りを待っているだろう。



 大丈夫だ――――自分ならば彼女を懐柔できる。

 再び己の手駒にし、意のままに扱ってやる。

 そして、大切なもの――――地位や名声、富を守り抜くのだ。



 けれど、ザックは泉に着いた途端、自分の考えが酷く間違っていたことに気づく。


 一度は浄化されたはずの泉が、四年前と同じように、禍々しい瘴気を放っている。何体も何体も、魔獣が次々に生まれ、けたたましい咆哮を上げる。



「あ……あぁ…………」



 一体ですら倒せないのだ。こんな数の魔獣、一度に相手できるわけがない。

 一歩、また一歩と、ザックが静かに後退る。



 けれど、時すでに遅し。

 魔獣たちはザックに気づくやいなや、彼に向かって勢いよく襲いかかった。



「助けてくれ!」



 ザックが叫ぶ。けれど、彼の声を聞くものは誰も居ない。

 魔獣たちに囲まれ、後頭部に衝撃が走り、視界が大きく揺れ動く。



(あ…………)



 かすみゆく視界の中、一人の女性の笑顔が見えた。

 明るく、優しく、あまりにも素直だった女性の――――クロシェットの姿が。



《待っているから――――必ず迎えに来てね》



「――――遅くなってごめん! クロシェット、本当にすまなかった!」



 ざわりと、大きく木々が揺れる。

 鳥たちが空に飛び立ち、やがて森に静寂が戻った。



***



「遅くなってごめん!」



 優しく朗らかな声音に、クロシェットが微笑む。



 クロシェットは今、聖女として、人々のために働いている。


 森に、泉に、国境へと赴いては、ウルたちとともに魔獣を倒し、土地を浄化をし、結界を張って回っている。



 そして、彼女の隣にはいつも、夫となったセデルの姿があった。



 何もしなくて構わない。屋敷の中で平和に暮らして良いと言う彼に、クロシェットは微笑む。



《貴方の大切なものを、わたしも一緒に護りたいんです》



 ボロボロなときに助けてくれたからというだけではない。

 セデルは人のために自分の命をかけることのできる、とても優しい人だった。


 彼はいつでも誠実で、勤勉で、領民たちのことを一番に考えていた。


 クロシェットのこともそう。

 国に聖女が存在すること――――クロシェットを隠しだてすることで、己が非難に晒されても構わない―――そんな風に彼は笑っていた。


 誰かの幸せのために、自らを投げ出すことができる。

 そんなセデルに惹かれるまでに、時間は全く掛からなかった。



「いいえ、セデルさま。ちっとも待っていません」



 クロシェットが笑う。


 セデルに差し出された手のひらを、クロシェットが握る。

 二人は寄り添いながら、一歩、また一歩と、同じ道を歩いていく。


 彼女はもう、一人ぼっちではない。



 かくして、置き去りにされた聖女は、隣国で幸せを掴んだのだった。


 本作はこれにて完結しました。


 もしもこの作品を気に入っていただけた方は、ブクマやいいね!、広告下の評価【★★★★★】や感想をいただけますと、今後の創作活動の励みになります。


 改めまして、最後までお付き合いいただき、ありがとうございました!

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― 新着の感想 ―
とても面白かったです。 結果的にとはいえ聖女をないがしろにした聖女の祖国の「ざまぁ話」の短編も読んでみたいです。
2025/01/30 13:14 フェルマー17
[良い点] タイトルの台詞が出たシチュの対比が見事なこと [気になる点] フェニが神獣なのに魔王と中ボス程度の魔物とが判別できないこと パレードを妨害したウルとフェニにザックが気付かないこと いくら王…
2023/01/07 20:35 未登録ユーザー
[良い点] 面白かったです [気になる点] パレードで気付かなかったのマジで気付いてなかったんだなぁって。 「――――遅くなってごめん!」ちゃうやろ・・・
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