三本足の避雷針
幼い頃に、身体を焼かれた。
火事で焼かれたとか、火をつけられたとか、薬品をかけられたとか。
事故にあったとか、怨みを買ったとか、そんなことは至極どうでもよくて、結果として彼の容姿はひどく醜いと言う事だ。
そしてそれは、甘い倫理と薄い道徳だらけのこの現代社会において、迫害を受けるのに過不足ない理由となる。
加えて無駄に発育が良く、百九十センチに近い大柄な体躯がそれに拍車をかけた。
そうして出来上がった彼の通り名が、“バケモノ”、である。
唯一幸運だったのは、それこそまさに身体が大柄だったこと。
髪はまばらに生え、全身の皮膚は爛れ、目はまるでこぼれ落ちそうなほど開いている。
そしてそれを誇張するように大きく、筋肉で膨らんだ身体。
そんな大きなバケモノがいたら、陰で悪態をつきこそすれ、直接的に喧嘩を売るような者は居ないのだ。
けれどバケモノは、自身の姿を疎んではいるが運命を呪ってなどいなかった。
あまりにも悲劇的で、辛い過去がある。
目を覆いたくなる程の悲しい記憶がある。
彼のささくれた性格と尖った言動は人に嫌われたが、それでもその性根だけはひたすらに真っ直ぐだったのだ。
そのことに外的要因は無く、ただただ天性のものと言えよう。
それこそバケモノと言える程に信じられないくらい、バケモノは優し過ぎたのだ。
でも。
それだっていつ反転してもおかしくないほど、彼は孤独だ。
「この学校で有名人と言えば?」
「そんなの決まってる」
誰かが休み時間、囁き声に言葉を混ぜる。
彼が通う学校においては、定番の話題である。
バケモノは、その話が好きだ。
「一人は……ホラ。私達と同じ二年生のバケモノ。見た事あるでしょ?」
「ああ……あれね。人を殺した事あるんだって。その報復で火をつけられたらしいよ。恐くて近付けないよね、本当に殺されそうだもん」
誰かが、いつも噂をしている。
その声はバケモノの耳に容赦なく届く事もあれば、風に乗って掻き消える事もある。
生徒達の喧騒の中を、自分ではない“人殺しのバケモノ”が、我が物顔で渡り歩いてゆく。
「もう一人は、あれか」
「あー……三年生の……」
「そう。魔女」
そしてその“人殺しのバケモノ”の傍を、いつも“魔女”が歩いているのだ。
彼女は、わざわざ筆舌に尽くす必要すらない、完璧に完成された少女のすがた。
長く黒い髪が揺らめくだけで男は固まり、女は目が眩んだ。
それほどまでに蠱惑的で文字通りに人を惑わす、黒く、白く、重く、透明で存在感のある女。
しかもそれだけに飽き足らず、その声は人々の鼓膜をくすぐり、心を溶かし、その明晰な頭脳は様々な分野で常に君臨を続ける。
それなのに気取らない男のように砕けた言動は、彼女の周りに常に人を留めおかせていた。
唯一の欠点と言われるのが、彼女の足。
右足の膝下に何か異常があるらしく、常に杖をついている。
けれどもそれすら欠点ではなく自身のアピールポイントにしてしまって、それどころか杖と言う小物の存在が魔女を魔女たらしているのだ。
「あれこそ人間じゃないよ。あんなに綺麗でかわいい人、見たことないもん」
「私、話したことあるよ」
「え、うそ。いいなあ。どんなだった?」
「喋り方は恐いけど、思ってたよりもずっとフレンドリーだった。あんなの誰だって惚れるわ」
「うわあ。私も話してみたいよ」
「そう考えると、バケモノと並べて話すのは失礼かもね」
そう。
結局そうなる。
こんな話、好きなところはあの美しい魔女と並べられるところだ。
一人歩きした俺のすがたが、一瞬でも魔女と同格になるところだ。
けれど話終わりには結局魔女の賛美になり、バケモノの悪態に終わる。
俺なんて、そんなもんだ。
愚直で優しいバケモノは、そんなふうに考えていた。
少しずつ、少しずつ。
孤独に磨り減って行き、少しずつ、少しずつ自分が嫌いになっていく。
結局のところはさ、不公平なんだよ。
こんな、世界なんて。
なぁ。
酷い雨だ。
音は車の走行音すら限界までかき消し、視界を塞ぐ。
辺りには土の匂い、雨の匂い、そして排気ガスの匂い。
大きな傘が弾いた強い雨粒達が、我先にと地面に流れていく。
不公平だ。
強い者が勝つ。
多い者が勝つ。
自分を誤魔化した者が勝つ。
嘘をついた者が勝つ。
そして、罪悪感に負けぬ者が勝つ。
誰しもが常に誰かを貶め、笑い、蔑すみ、当然のように生きている。
イジメも、暴力も、生も死も。
自分で自分を責めない者が、勝つ。
だからバケモノは、勝てない。
どれだけ醜く罵られようと。
どれだけ酷く迫害されようと。
他人を攻撃する罪悪感に、バケモノは勝てない。
(お前も負けたんだよ)
猫が赤くなって、横たわっていた。
口や尻からは赤い固形物を吐き出し、黒くなった腹は潰れている。
誰かが車で轢いたのだ。
そしてそいつは、多少の罪悪感を感じ、目をつむり、罪悪感を誤魔化して日常に戻った。
自分の罪悪感に勝ったんだ。
「お前も不運だったなあ」
猫の傍に座り、独白する。
ぴくりとも動かない猫は直視に耐えぬ姿だが、何故だか今だけは心を冷たく閉ざし、見つめる事ができた。
(何やってんだろ。何の意味もねえのに)
傘を放り出し、猫を抱えて歩いていた。
バケモノの身体を急激に冷やしたのはどしゃ降りの雨ではなく、こぼれ落ちぬよう手のひらで抱えた猫の内臓である。
有り体に言えば、生理的な嫌悪が悪寒として、彼の身体を駆け巡っているのだ。
けれど、バケモノは猫を離さない。
それどころかそのまま近場の公園に入り、大きな木の根元……雨で柔くなった土の元へまで運んでいく。
そうして猫を降ろしたバケモノは、爛れて固まった大きな手で、土を掘り始めたのだ。
何の意味もない。
誰も見ていない。
きっと誰かが見ていれば恥ずかしくてこんなことしなかったし、気分が落ち込んでいなければ見なかった振りして帰路に戻っただろう。
ならなんで。
「なんでだろう」
なんでだ?
なんでこんな目に合わなくちゃならない。
なんでだ。
なんで死ななくちゃならない。
なんでだ。
なんで打ち捨てられなくちゃならない。
なんでだ。
こいつは何もしていない。
何も悪いことをしていない。
ただ、必死に生きていただけなのに。
バケモノは、真っ直ぐだった。
それはきっと場合によっては“気が狂っている”とも言えるようなもので、どんなに環境に落ち込んでも、まだ優しかったのだ。
その心の人間としての有り得なさは、異常な優しさは、まさしくバケモノだった。
誰もバケモノを、見てなんてくれないのに。
猫を埋めると言う行為がエゴでしかないことも分かっている。
自己満足でしかない事も理解している。
だけど、だけど、どうしても見捨てて帰るなんて事ができないんだ。
こんなことなんて、よくあることなのに。
野良猫の死なんて、きっと誰かの日常の欠片ですらないのに。
どこにでもある光景でしか、ないのに。
土がぬかるんでいる。
不快だ。
濡れた服が身体にまとわりつく。
不快だ。
濡れていても土は硬い。
不快だ。
掘り起こされた虫が指先に触れる。
不快だ。
猫の臓物の感覚が消えない。
不快だ。
不快だ。
不快だ。
不快だ。
雨音が不快だ。
誰も通らぬのが不快だ。
猫を殺した誰かが不快だ。
事故で、仕方の無い事なのが不快だ。
よくある事なのが不快だ。
この行為に意味がないのが不快だ。
死んでしまった弱い猫が不快だ。
助けてやれなかった自分が不快だ。
理不尽な毎日が不快だ。
自分を蔑むアイツが不快だ。
自分に怯えるアイツも不快だ。
見えぬところでイジメを行う生徒が不快だ。
一切の助けにならぬ教師も不快だ。
口先だけの大人が不快だ。
視線を向けてくる誰かが不快だ。
助けてくれない社会が不快だ。
身体を治せなかった医学が不快だ。
言い訳をしないと苦しい自分が不快だ。
未だ現実を受け入れられぬ自分が不快だ。
やり返したら罪悪感を感じる自分が不快だ。
なんの罪も犯していない自分が、不快だ!
不快だ!不快だ!不快だ!
俺が何か悪いことをしたんなら、これが罰なんだと受け入れられたのに!
「くそ。くそ。くそ。くそ。くそ。くそ!くそ!くそ!くそお!なんでだ!なんでだ!なんでだ!なんでだ!なんで死んだ!なんでお前は死んだ!なんでだよ!生きろよ!もっと生きろ!怪我をしても生きろ!苦しんででも生きろ!呪ってでも生きろ!殺してでも生きろ!俺は悪いことしてねえって!ただ生きてただけだって!自分は悪くないって言えよ!アイツらが悪いって、言えよ!そうしてくれりゃあ俺は……俺は、俺は!!」
雨音が、バケモノの叫びを呑み込んでいく。
バケモノの両手からはいつの間にか血が流れ、猫の血はとっくに雨と土で流れたのに、だからこれは自身の血で。
それでも、バケモノは。
当たるように。
ぶつけるように。
殴るように。
土を掘り続けた。
頬を流れるのが雨か涙かは分からないが、ぐずぐずになった厚い皮膚には、温かく感じた。
バケモノは、優し過ぎた。
周りに当たり散らすだけの強い性格も、殴って黙らせるだけの圧倒的な暴力も持ち合わせているのに、それを良しとしなかった。
だって、一つでも悪いことをしてしまえば、“こんな目に合って当然”と言われてしまうかもしれないから。
しかしそれでも良かったのだ。
少しくらい強く、誰かに文句を言っても良かった。
だって、彼は悪くなかったのだから。
周りに何を言われようと、どのような暴言を受けようと、彼は悪いことなんてした事がなかったのだから。
だから、もっと人間らしくなっても良かった。
それだけ酷すぎる人生を、彼は歩んできた。
土を掘る手を止め、ぐしゃぐしゃの土に手を置く。
そうするとまるで堰が切れたかのように、バケモノは泣き出した。
大きく、強く、怒りとも悲鳴とも取れるような声で、叫んで、泣いた。
その声は一命を取り留めて以来少しだけかすれてしまって、それも嘲笑を受ける一因となっていたが、そんなことにお構いなく、溜まっていたものを吐き出すように泣き叫んだ。
その姿はまるで、バケモノの咆哮だった。
ひとしきり泣いたか。
それでも一向に雨足の弱まる気配は無く、それどころかバケモノの声は雷鳴を呼ぶ始末である。
いよいよバケモノになったな、そんな思いを抱きながら、少しだけ続きを掘って、ようやっと猫を埋めてやった。
雨の匂いと、ほんの少しの土の匂い。
今居る公園の側は、もう車さえ通らない。
まだ夏の十六時だと言うのに、辺りは酷く暗くなっていた。
(ああ、酷い有様だ。こんなんじゃあほんとにバケモノだな)
土と血でどす黒い両手。
泥だらけの足。
そして抱えた時についた猫の血は、土と混じって服に染み付いている。
“墓から出てきた”と言っても、いまなら信じてもらえそうだ。
「……ごめんな。今度なにか……そうだ。猫缶でも買って、持ってくるよ」
そう呟いた。
その、次の瞬間だ。
「なんで、猫埋めたの」
バケモノの背後……小さなあずまやから、甘い声が冷たく聞こえてきたのだ。
恐ろしく驚いて振り返ると、先程までは死角となって見えなかったあずまやのそこに、そう、“魔女”がいた。
「な……あ。いつから、そこに」
「最初から居たよ。まあ、気付かれないように少し姿勢を低くしていたけど」
そう言って左手で傘を差し、右手には杖をつき、雨下へ踏み出していく。
一歩、一歩。
杖を付きながらの揺らりとした白い足つきが、しなやかに泥を踏みしめて近づいてくる。
雨に跳ねた水が、泥が、容赦なく彼女の美しい足を汚していく。
けれども魔女は意に介さず、泥濘を渡ってしっかりとバケモノへ近付いた。
「雨が酷くなってきたから、そこで雨宿りしてたんだ」
「ならなんで……わざわざ隠れて」
「だって、そんなツラしたやつ、恐いじゃんか」
恐ろしい程に無礼な物言いだ。
それはバケモノが慣れ果ててしまった言葉だが、だからと言って何も感じない訳でもない。
でも今回に限っては、何故だろうか、悪意が明確に感じられず、何の怒りも湧かない。
「君、知ってるよ。二年のバケモノくんだろ。生粋のいじめられっ子。有名だ」
「……それなら、俺も知ってますよ。俺がバケモノなら……アンタは魔女」
「あははっ、そうだとも。私が魔女だ。いやぁ、それっぽいでしょ?その呼び名、死ぬほど嫌いなんだけどねえ」
そう言ってひらひらと杖を揺らす。
その間杖は手で浮かし両足は地についていたことから、杖がないと立てない訳でもないようだ。
「それはそうと、さっきの質問だよ。なんで……猫を埋めたの?」
「なんでって……」
バケモノはもうどうでも良くなって、泥の上に尻をついたままだ。
それを傘を差した魔女が見ている。
だがバケモノのサイズと魔女が小柄なのもあって、大して見下すような形にはならないで済んでいる。
―――何故埋めたのか。
(そんなこと分かるか。見られていたんなら、あんなことしなかったに決まってる)
苦しそうに押し黙るバケモノを見て、魔女が言う。
その顔は美しく、それ故に悪意に満ちたように見えて、けれど優しく柔らかい。
そしてどこか、そうどこか哀しそうで、とても嬉しそうだ。
「……いや、意地悪だったかな。大した理由なんてないことくらい、分かるんだ」
「……ならなんで、そんなこと聞くんです」
凄まじい雨音に加えて微かに響く雷鳴。
そして自身のかすれた声。
それらを加味して声を大きくしたつもりだったが、思った以上に威圧的に聞こえてしまったかもしれない。
魔女は一瞬だけ目を丸くして、しかしすぐに優しく笑って言った。
「……なんでかなぁって。なんで、そんなことするのかなぁって。思ったから。だってそうだろ、誰も見てないのに。いや、私は見てたけど」
「……見てなかったら埋めちゃいけないんですか?」
あまりにも頭の悪く、小物じみた抵抗である。
いつもよりも感情の抑制が効かない。
感情にトゲが立っている。
そんなこと、魔女は一言だって言っていないのに。
「……そんなことないけど。でも、いいコトって誰かに見てもらわないと損な気がするじゃないか。せっかくいいコトしたのに、誰も見てなかったら自分が良いコトしたって知ってもらえない。良い人間だって、理解してもらえない」
「は。魔女様はそんな打算的に生きてるんですね。誰かが見てなきゃ、いい事はしないと」
「そうさ。まあ百が百そうじゃないが、大抵の人間はそんなもんだ。誰も見てないとこじゃいいコトなんてしない。なんなら悪いコトをする。そんなモンだよ、人間って。……誰かの前だけではイイ顔して、誰かの前では他人の不幸で笑い合うんだ」
バケモノが魔女を睨む。
そして一瞬の沈黙。
それに続いて空が強く光ると、数拍置いて轟音が鳴り響く。
「……だから、気になったんだよ。猫ちゃんはね、確かにかわいそうだった。でも。だけど私ならあの猫の死体を直視するのも嫌だったし、あまつさえ抱きかかえて、雨に濡れて、泥にまみれて、擦り傷に切り傷、爪なんか剥がれかけちゃって、そんな思いをしながら猫を埋めるなんてできない」
「……だからなんです。何が言いたいんです」
「……ああ。そうだね、はっきり言おうか」
そう言って魔女は、ズブリと泥に杖を突き刺す。
続いて傘を地面に放り投げ、すぐに身体を雨に打ち、一歩しゃがみこんでバケモノの血と泥で真っ黒な手を、その白く美しい小さな両手で奪って、優しく、温かく、包み込んだ。
「すごいと、思ったんだ」
「な……に……を」
バケモノと恐れられ、怯えられ、蔑まれてきた。
そんな自身の汚い手を取り、それどころか恐怖の象徴でしかない顔を見て、その眼を真っ直ぐに見据えている。
その彼女の表情は、子供のようにきらきらしているようで、しかしそれ以上に、助けを求めているような。
「意味なんか無い。打算なんかない。誰も見てないから何にも残りはしない。そこにあったのはキミの感情と優しさだけで、余計なモンはなんにもありゃしない。正しい行いかどうかも分からないけど、それでもそこには純粋なものしかない」
「な……何を言ってる。あんなの俺のエゴだ……自己満足だ。そんな大それた事じゃない!自分のためだ!自分のためにやった事だ!そんな綺麗な事じゃ―――」
「きれいだったよ!」
バケモノは訳も分からないまま理屈を付けられ、半ば意味もなく反抗的になってしまっていた。
今まで馬鹿にされ続けてきた自分が急に認められる事に、理解が追いつかなかったのだ。
でもそれよりも、そんなバケモノの言葉を遮った彼女の声は、強く、大きく、悲痛で……必死だった。
そしてその顔は、やっぱり哀しそうで。
苦しそうで。
「きれいだった……綺麗だったんだ!ほんとうに!美しいと思った……こんなにすごいコトはないって!こんなものがあるんだって!心の底から思ったんだよ!はじめて……はじめてみた!あんなに美しいもの!感動した……驚いた……それを、それを!それをバカにされてたまるか!!」
あれ?
場違いに、意味も分からず、魔女が叫んでいる。
その主張はあまりにも見当違いである。
バケモノの行いに、手前勝手な理由でイチャモン付けられてるようなもので、あまりにも身勝手だ。
けど。
けれど。
この姿はさっき。
そう、ついさっき。
「見繕うな!体裁を守るな!格好を付けるな!正直に言え!辛いって、苦しいって言えよ!自分は悪くないって、自分は優しいんだって、自分は頑張ってるんだってちゃんと言えよ!!自己満足?意味はない?だからなんだ!あんなコトができるやつが、すごくないワケないだろ!!」
先程まで冷たく、すぅっと笑っていた彼女の顔はもはや見る影もない。
息を切らし、眉を下げ、ああ、これはきっとそう、泣いている。
バケモノの手を握る力は強く、しっかりと、しかし震えている。
溜まっていた自身の想いを。
感情を。
死んだ猫を埋めながら、堪えきれず吐き出していた。
吐き出したって戻ってくるから何の意味もなかったけれど、まるで俺の見当違いの身勝手で、死んだ猫にぶつけていた。
ぶつけるように、叫んでいた。
なんでこうなんだ。
なんでこうなっちゃったんだ。
何もかもが自分を敵にした。
何もかもが自分を置き去りにした。
何もかもが自分を変え、苦しめた。
その後悔と、苦しみと、怒りと、やるせなさを。
猫に自己投影して、バカみたいに!
八つ当たりにも近い言葉で叫び続けていた。
一緒だ。
一緒なんだ。
だから彼女は……魔女と呼ばれたこの人は、泣いてるんだ。
きっと彼女も何かを抱えていて、静かに苦しんでいたんだ。
バケモノと呼ばれた俺が何もかもを我慢して溜め込んで、自分の行いを……そして自分自身を否定する。
それが許せなかったんだ。
自身を重ねてしまったから、その投影であるバケモノに、認めて欲しかったんだ。
自分は頑張ってるんだよ、と。
自分は間違ってないんだよ、と。
「ほんとうに……綺麗だったんだよ」
縋るように呟いた魔女の声が、嫌によく聞こえる。
ああ……どうにも都合の悪い事に、先程までの豪雨が嘘のように、雨足が弱くなっているではないか。
それはつまり、またもや意味も分からず流れる自身の涙を、バケモノが取り繕えないと言うコト。
綺麗だった。
それは間違っても醜い自分に告げる言葉ではない。
それは―――。
魔女がバケモノの手を離し、自分の目元を拭った。
俺の前で泣いてしまったのが少し照れ臭いらしい。
そのままバツが悪そうな顔をで立ち上がると、一転、太陽のように笑う。
そして黒くなった右手を、バケモノに差し出して。
「少し、話そう。キミのそのツラをめいっぱいバカにして……全部笑い飛ばしてやるから。だって私は、悪い魔女。だからね」
きっとこの女は性格が悪いんだな。
バケモノはそう思ったが、それはそのまま伝えなかった。
相手が魔女で、遠慮なく物を言ってくるのなら仕方ない。
だからもっと捻って、うんと馬鹿にするようにして、笑いながら言い返してやったのだ。
だって自分も、いまさら言葉を取り繕っても仕方のない、バケモノなんだから。