北条恵梨香と早矢峰凛
翌朝、私は普段より二時間も早く目が覚めてしまった。
昨夜、私は右代宮先生と早矢峰さんが一緒にいる夢を見た。
二人が楽しそうに笑ってお喋りをするなか私は離れた場所からそれを羨ましそうに眺めているだけだった。
何度も二人に近づこうと足を動かそうとするが何か不思議な力が働いたみたいに足が全く言うことを聞かない。
やがて、二人は手をつないで私のいる方向と逆の方向に歩き始めた。
私は力一杯叫ぶが、その声は届かず二人はどんどん先に行ってしまう。
そこで目が覚めた私は眠ったはずなのに全然疲れが取れていなかった。
ベッドから体を起こし眺めた外は私のどんよりとした気分とは裏腹に超が着く程の快晴だった。
じんわりと湿ったパジャマ。きっとこの汗は昨夜暑かったからだけが原因ではないだろう。
憂鬱な気分を振り払うように、いそいそとベッドから出てシャワーを浴びた。
シャワーのおかげで幾分か気分がよくなった私は無性に外の空気が吸いたくなって学校に行く準備を行う。
準備を降りて二階の自室から出ると、丁度起きてきたパパとママに遭遇した。
「恵梨香。こんな早くにどうしたんだ。」
「そうよ、いつもは私が起こしても起きないじゃない。まだ朝御飯の準備なんかしてないわよ。」
二人の追及を逃れるように私は咄嗟に言い訳をした。
「今日、日直だったの忘れていたの。朝御飯は途中で買って食べるから心配しないで。」
私の言葉にパパは自分の仕事に責任を持って早起きするのは偉いと頭を撫でてくれた。
ママからは次の日直の時は前日の夜までには言いなさいと小言をもらってしまった。
二人にいってきますと声を掛け私は外に出た。
早朝の少し湿り気のある、でも不快ではなくむしろ気持ちが晴れやかになる初夏の香りを胸一杯に吸い込んだ私は一度大きく背伸びをした。
そうすると、寝起きの時の憂鬱な気分は吹き飛び俄然やる気が湧いてきた。
よしっと自分にだけ聞こえる音量で呟き、左手に付けたパパから貰った腕時計に目をやると時間はまだ七時を少し過ぎた位だ。登校時間の八時三十分にはまだまだ余裕がある。
いつもの通学路をいつもの半分のスピードでのんびりと歩く。
そして、毎日学校への近道として使う大きい公園の前にたどり着く。
この公園を突っ切るのと迂回するのでは十分は到着時刻が違う。
別に急いでいる訳ではないが、いつものように公園の中に入っていく。
公園の中を歩きながら周りを眺めると様々な人がいた。
小さい犬を連れて歩く女性、スポーツウェアに身を包んでランニングする夫婦、十人位集まってラジオ体操をしている年配の人達、ベンチに座ってサンドイッチを食べているリクルートスーツを着た若い女性、隣のベンチではくたびれたスーツを着たままだらしなく腕を地面に垂らして寝ている人もいる。
普段、私は結構ギリギリに学校へ行くのでこんなにゆっくり周りを観察したことがなかった。
なんの変哲もないこの早朝の風景に、たまには早起きもいいかなと思わず鼻歌を口ずさんでいると後ろから声を掛けられた。
「おはよう。随分とご機嫌ね。」
ふいに声を掛けられた為、私はふひぃと間の抜けた声を発してしまった。
その声の主の方に私は視線を向けると、そこには腰に手を当てて、学校指定の制服に身を包み、いつも変わらないツインテールの髪型をした人物が立っていた。
「早矢峰さん...」
私は突然の早矢峰さんとのエンカウントに混乱してその場に棒立ちしていると。
「学校へ行くんでしょ。そんな所に突っ立ってないで一緒に行きましょうよ。」
彼女に促されるまま私は彼女の横に並んで歩きだす。
「えーと、早矢峰さんはいつもこの時間に登校しているの?」
「ええ、私はあなたと違って開始のチャイムぎりぎりに教室に駆け込んでくることはないわ。」
えぇー、なんか、いきなりディスられたんだけど...
「そうなんだー。私、朝が弱いから早矢峰さんが羨ましいよ。」
私は頬の端を引くつかせながら笑顔で答える。
「そう、ありがと。」
沈黙。
会話が止まったーーー!
なんで朝からこんなに気を使わないといけないの。さっきまでいい気分だったのに...
えーと、話題はなんかないかな。
あっ、そうだ。私、早矢峰さんに聞かないといけない事があった。
右代宮先生の事だ...
「北条さん。」
私が声を掛けようとした瞬間に急に声を掛けられビクッとした私を気にせず早矢峰さんは言葉を続ける。
「北条さん、昨日あなたゲームセンターにいなかった?」
私の胸の鼓動が一度ドクンと跳ね上がった。
「私、昨日ある人とゲームセンターで一緒に遊んでいたのだけれど。あなたにそっくりな人とすれ違ったから聞いてみただけ。違ったのならごめんなさい。」
なんて答えるべきか。迷っていたら早矢峰さんは言葉を被せてきた。
またしばしの沈黙の後、私は意を決して早矢峰さんに尋ねてみた。
「早矢峰さんっ!」
早矢峰さんはこちらを一瞥した後答えた。
「何?」
「私、学校が終わったら家庭教師の先生が来るの。その先生の教え子の中に早矢峰さんがいるって聞いたんだけど早矢峰さんは私がその先生に勉強を教わってるって知ってた?」
恐る恐る尋ねる。
「ええ、知ってたわ。でも、別に家庭教師の先生が同じってだけだから、別に北条さんにいう必要もないかなと思っていただけよ。」
早矢峰さんの返答を自分の中で噛み砕いて整理していると彼女は少し考える素振りを見せ声を発した。
「そう、やっぱり北条さんだったのね。昨日ゲームセンターにいた子は。」
私がしどろもどろまごついていると、横に並んで歩いていた早矢峰さんがふいに立ち止まって何か決心したみたいにこちらを真っ直ぐに見てきた。
「北条さん。」
「はっ!はいっ!」
私は慌てて答えた。
「あなたは右代宮先生の事どう思ってるいるの?」
ふいの電撃発言に私の思考は停止した。
「私は右代宮先生の事が好き。周りは年の差があるなんていうかもしれないけど好きになったのだからしかたないわ。私は絶対に諦める気はないし、誰かに譲る気もない。今すぐには無理でも...最近は胸だって大きくなってきたし、これからもっともっと成長するわ。私は絶対に右代宮先生を振り向かせて見せる。」
「だから、あなたも中途半端な気持ちなら右代宮先生に近づかないで欲しいの。」
突然の早矢峰さんの告白に私は一瞬気負わされたけど、私は早矢峰さんの言葉に自然と大きな声で反論していた。
「私だって右代宮先生の事が好きだもんっ!今まで好きなのかなって感じだったけど今、早矢峰さんの言葉を聞いて確信したよ。私も右代宮先生が好きっ!」
普段の私なら絶対に出さないような大きい声で右代宮先生への思いを叫んでしまい、直後、私は頭に血が上っていく感覚がはっきりとわかった。
わー、私、朝っぱらから何を言ってるのだろう。恥ずかしい。死んでしまいたい。
顔を真っ赤にした私をみた早矢峰さんは少し含みを持たせた笑顔で
「そう、ならたった今からあなたは私のライバルね。お互いに切磋琢磨して右代宮先生に振り向いて貰えるように正々堂々と戦いましょう。」
そう告げた早矢峰さんは一呼吸置いて続けた。
「それと、これからはライバルとしてもだけど、一人の友達として仲良くなってくれたら嬉しいわ。」
少し顔を赤らめた早矢峰さんはそっぽを向きながら呟く。その照れた様子がとても可愛い。
「うん。仲良くしてね。」
私は笑顔で返した。
すると周囲から
頑張れー応援するぞー
あらあらまあまあ
あんな可愛い子達に好意を寄せられるなんて、誰だか知らんが許すまじ
なんて声が聞こえてきた。現在時刻は七時二十分。公園には多くの通勤・通学途中の人や散歩中の人が歩いていた。
同じ学校の制服が周囲を見渡してもいなかった事だけが幸いであるが、しばらくこの公園には近づけないよ。
突然、早矢峰さんは私の手を引っ張って走り出した。
たなびくツインテールの隙間から見える耳は真っ赤だった。走りながら私は早矢峰さんに謝る。
「ご...ごめんねっ。早矢峰さん。わ...私が大声出して変な注目集めちゃって。」
「凜でいいわ。」
「えっ?」
「これからは名前で呼んでいいわ。友達なんだから。その代わり、私も恵梨香って呼ぶわ。」
「うんっ。凛ちゃんっ。」
そのまま全速力で公園を走り抜けて、学校へと駆け込んだ。
そして、私は学校の下駄箱で上靴から屋内用の上履きに履き替えている時に朝食を買うのを忘れていた事を思い出して涙目になるのであった。




