ポータブルX――亜空間生成装置――
ポータブルXは実に画期的な発明だった。
皆さんもご存知のとおり、それは我々の生活を根本から変えてしまった。
技術の発展は、あらゆるものを小型化し、持ち運べる方向へ進んだ。
オーディオもそうだし、パソコンだって、電話だってそうだ。
想像の及ばない高度な技術も、商品も、変えることの出来ない大事な一点は忘れてはいなかった。
それは、どんなものであろうとも、使うのは我々人間だということだ。
いかに高機能なものであっても、扱うことが出来ないほど小さなものでは意味がない。
無論、技術上の制約により、小型化にも限界がある。その場合、輸送が簡単に出来る方が使い勝手がいい。
例えば、車がポケットに入れて持ち運べたら?
その想像は消費者だけでなく、資本家にとっても素晴らしいものだった。輸送費が格段に安くなる。
ポータブルXは、最初はそうした実利の面から研究が進められた。
それが我々人類の命運を担うことなど知らずに。
ものを小さくする。その機能をなるべく維持したまま。
それは当初、不可能な技術に思われた。
ものの性質を保ったまま、そのものを小型化するなど、物理の根本を覆してしまう。
だが、やがて発見された亜空間転移技術が文脈を変えながらもそれを実現した。
ものの小型化は、この世界では確かに不可能だ。ならば、別の世界に飛ばしてしまえばいい。
元の世界に戻ってこれるのなら、何の問題もないからだ。
こうして出来たポータブルXは、はじめは人間ほどの大きさのカプセルだった。
歴史の教科書で実物のホログラムを見た人も多いのではないか。
楕円型のそのカプセルの中に、亜空間転移装置が備え付けてある。カプセルは中に入れられた物体を亜空間に飛ばす。
そして、カプセルに任意の操作を行えば、物体をこの世界へと帰還させる。
この技術の肝要な点は、亜空間がカプセルそのもの容積よりも広く生成されることだ。
当初は、本来の容積の二倍程度の広さでしかなかったが、後に技術の発展によって亜空間は指数関数的に膨張していくことになる。
一つのカプセルが作り出せる亜空間には限りがあったが、それでも便利なものには違いなかった。
多くの場合、中に入れたものよりカプセルの方が軽く、そして丈夫だったからだ。輸送技術にとってポータブルXの出現は革新だった。
やがてカプセル自体も小型化をはじめた。カプセル内に入れる必要はなくなり、亜空間スロットに物体を触れさせるだけで、亜空間に飛ばせるようになったからだ。
亜空間は生物にとっても、退屈ではあれ有害ではなかった。
巨大なバスや飛行機、電車は姿を消した。交通事故もまず起こらなくなった。
多くの人間は亜空間の中で運ばれるのだし、カプセルは人体よりも遙かに衝撃に強かったからだ。
家自体を亜空間内に放り込み、いわばカプセルを住居とする人間も現れた。その結果、土地はどんどん価値を落としていった。
亜空間内から外へと働きかける技術も発展していった。中に入っている間、他人から家をカプセルごと勝手に持ち運ばれても困るからだ。
亜空間からの脱出装置が作られ、最後には、カプセル自体の操縦まで出来るようになった。
ポータブルXは、もはや亜空間そのものだった。
その頃の人間はほぼ、この地球上にはいなかったのだ。誰もがみんな、亜空間にいたのだから。
地球など要らないのではないかと思い込んでいた者もいた。
何たる思い上がりだろうか。
太陽が予想よりも遙かに早く寿命を迎えると知ったとき、そこまでの技術の発展が行われていたことは、我々人類にとって幸運だった。
巨大化して、地球を飲み込んでしまうはずの太陽、その太陽が作り出す太陽系からの脱出手段が残されていたのだから。
気の早いものは、自立稼動が可能なポータブルXにのって宇宙を旅しようと唱えた。だがそれは無理なことだった。
人間だけが脱出してどうする? 我々はいかに技術が発達していようと、やはり生物なのだ。
生態系の中に生きていなければ、いずれ破綻を迎えてしまうのはわかりきっていた。
それならば。
世界中の国家が会合し、いくつかの議論は経たが、最終的には、友好国も、敵対国も、つまり人類が、同様の結論に達した。
すべてをポータブルXに飲み込ませてしまうのだ。
巨大で、かつ丈夫なポータブルXの建造がはじまった。
宇宙で作られた超巨大ポータブルXは、直径百キロほどの球形カプセルだった。
衰えはじめていた太陽にも、いくつものポータブルXが送り込まれた。可能な限り、そのエネルギーを保存しておくのだ。
要するに、小型の太陽の作成だ。何のエネルギーも舞い込んでこない、亜空間の中で生き延びるために。
そんな風にして、我々人類は今に至っている。時間は有限だ。
しかし、一個の生命体、あるいは種としては限りなくあるといっていい。
現状に満足してはならない。だが、不安に陥ってもいけない。
我々の目標は一つだ。
太陽のように安定したハビタブルゾーンを持つ恒星を探し、地球をその軌道に乗せること。
そして、いつの日か満天の星空を眺めるのだ。
我々の祖先がそうだったように。
この、地球と月と我々すべてを飲み込んでいる超巨大なポータブルX――小型の太陽が照らし月だけが周囲を回転している味気のない亜空間――から出ることによって。