61.急変
領都オルステンの一角にあるマドーリド通り。
ここはオルストリッチ辺境伯領の中でも名の知れた商店街。
手に入らない品は無いと言われるほどに多種多様の店が軒を連ねた有名な通りだ。
そのため必然的に人が集まり、ドミナンテの圧政に暗い影を落とすオルストリッチの中では比較的活気に溢れた場所でもあった。
そのマドリード通りを一人の美女が懸命に走っていた。
彼女の顔からは血の気が失せており、擦れ違う者は何事かとその姿を目で追う。
しかし当の本人は脇目も振らず、ただひたすらに足を動かしていた。
しばらくして、美女はある店先へとやって来る。
そして躊躇なく店内に飛び込んだ。
「……す、すいません……ハァハァ……」
店の中ではマッシュボブの美少女が棚の整理に勤しんでいる。
「あ、ごめんなさい。表にも札を出してるんですが、今は準備中なんです」
そう言いながら少女が振り向くと、見知った女性が苦しそうに肩で呼吸をしていた。
「フレイさん……? どうしたんですか、そんなに慌てて。それに顔色も悪いですよ」
「……アプリコット様……大変です……」
「大変? 何かあったんですか?」
「……夫が……ユージスが憲兵に連れて行かれました……」
「えっ!?」
まさかの事態にアプリコットは動揺する。
フレイも早く伝えなければと荒い呼吸のまま言葉を絞り出した。
「……夫に、謀反の容疑が、掛けられたのです……」
「どういうこと!?」
「夫が、ノッドルフさんと共謀して、領主様に歯向かおうとしていると……」
次第にフレイの呼吸は整っていき、彼女は懸命に訴える。
「夫が連れ去られる前、ノッドルフさんが先に領城へ呼び出されていたらしいのです。でも、何故かは分かりませんが、ノッドルフさんが突然死してしまったらしく、それも夫が関わっているとかで無理やり連行されたのです……」
その話を聞いたアプリコットは、目を閉じて己の内に意識を向けた。
「……これは……」
ノッドルフに寄生させていたケプテルアヌスの気配が感じ取れない。
という事は、もうノッドルフは生きていないとアプリコットは認識する。
「……フレイさん……取り敢えずこっちに来てください。パーシーお姉ちゃんに相談しましょう……」
「は、はい……」
これはまずい事になったと、アプリコットはフレイを連れてリビングに急行した。
小柄な銀色の髪の美少女パーシヴァリーは、腕を組んで堂々とソファーに座っていた。
「……」
経緯を聞いた彼女は、瞼を瞑り思案に耽っている。
「……パーシーお姉ちゃん……どうしよう……」
アプリコットは不安で仕方がなかった。
なぜならこの急場を自分とパーシヴァリーの二人だけで凌がないといけないからだ。
レンドン城側の歪曲門は二日前に外されており、当面の間はエルテやチェームシェイスとは連絡が取れない。
自分の主と二人の姉も未だに戻ってきておらず、そこのところも不安を感じる要因の一つであった。
「アプリコット、そんなに狼狽える必要はない」
パーシヴァリーの眼がカッと見開かれる。
「マスターはこうなることを予見していたのだ」
「……そうなのですか……?」
弱気なアプリコットに、パーシヴァリーはしっかりとした口調で言葉を紡ぐ。
「其方も聞いていたはずだ。マスターは不測の事態に備えろと」
「……はい、覚えています……」
「ならば何の問題もない。私たちが慌てることなど一つもないのだ。普段通り堂々としていればいい。そして、不測の事態が起これば電光石火の如く行動に移す。ただそれだけだ」
「……今がその不測の事態ではないのですか……?」
「違う。まだ動くのは早い」
悠然と構えるパーシヴァリーからは、小柄ながらも巨大な存在感が放たれていた。
その迷いの無い姿勢にアプリコットは頼もしく感じる。
「……流石はパーシーお姉ちゃんです……少しも動じていない……でも、こんな大変な時なのに、どうして冷静でいられるのですか……?」
パーシヴァリーは遠くを見詰めながら口を開いた。
「……すべては愛が為せる業なのだ……」
「……あ、愛……ですか?」
アプリコットはキョトンとする。
「そうだ……愛するマスターが不測の事態に備えろと言ったのだ。この世の全ての頂点に立つ最高の男の言葉だ……無論、私は重く受け止め、油断なく常に気を張り続けていた。ただそれだけで十分なのだ……」
「……パ、パーシーお姉ちゃん……どういう意味なんですか……?」
理解できないアプリコットは戸惑いながらも詳しく尋ねる。
「其方も私と同じで、マスターに育てられた乙女精霊……愛する男の言葉をよく噛み締めてみるのだ」
「……」
言われた通り、アプリコットは心の中で主の言葉を復唱した。
「……あ……なんだか落ち着いてきました……不測の事態に備えていれば大丈夫なんだって、安心してきました……」
アプリコットの顔に余裕が生まれる。
「……それが愛だ……マスターの言葉は例え些細な一言であろろとも非常に重い。しかし殆どの者はその真意を読み取れないでいる……」
パーシヴァリーは感慨深く話を続けた。
「……だが、マスターへの愛が深い私たちは、賜ったその言葉を全身全霊で理解し、信じ、受け止めることが出来る……そう、私たちは知っているのだ。マスターの言葉に従えば、すべての道が開かれることを……だからこそ、狼狽える必要などなく、ただその言葉に邁進していれば良いのだ」
傍らで聞いていたフレイは、怪しい宗教のような説法染みた話に引いてしまう。
しかし恩人である彼女たちの前ではそんな態度などおくびにも出さず、ただ黙って頷いていた。
対してアプリコットは祈るような格好をしており、瞳をキラキラと輝かせて悦に浸っている。
「パーシーお姉ちゃん! とても勉強になりました!」
理解が早いアプリコットにパーシヴァリーは相好を崩した。
「流石は私の妹だ。愛が如何に偉大か分かったようなのだ」
とそこで、彼女は異変を感じる。
「ん……?」
姉の変化にアプリコットは機敏に反応した。
「……パーシーお姉ちゃん、どうしたんですか……?」
パーシヴァリーは何事もなかったかのように答える。
「ユージスに施したスキルが発動した」
「えっ!? ……それってもしかして……」
「そうだ。ユージスが攻撃を受けたのだ」
その言葉にフレイの顔が一瞬で青褪めた。
「夫は、ユージスは無事なのでしょうか!!?」
「今は大丈夫だが、このままでは拘束されてしまう。そうなっては何をされるか分かったものではない」
「……それではユージスが……」
フレイは力なく膝から崩れ、ぺたんと床にへたり込んだ。
そんな彼女の肩に、パーシヴァリー手がそっと置かれる。
「安心するのだ。ユージスはマスターのお気に入り。必ず助ける」
「……ほ、本当ですか……?」
「私たちに任せておけば何も問題はない。数時間後には、ユージスの笑顔が見られることを約束しよう」
心強い言葉でフレイは落ちきを取り戻していく。
「……パーシヴァリー様……どうか……どうかユージスをお願いします……」
哀願する彼女にパーシヴァリーは柔らかい笑みを送った。
そして直ぐさま表情を引き締しめる。
「アプリコット。今こそ不測の事態だ。行動を開始する」
「はい!」
やる気に満ちた返事にパーシヴァリーは満足気な顔で頷くと、ハッキリとした口調で指示を飛ばした。
「今から高級料亭ぺリア・ロ・サイモンへ移動する。あの店は蝋燭会の幹部の一人イザイラの店で、マスターの勢力下だ。当面はそこで身を隠すのだ」
「分かりました!」
姉の命令にアプリコットは元気よく返事をする。
「そこでだアプリコット。私はユージスを助けるため、本格的にスキルを発動させる。そうなれば身動きが取れない。その間は頼んだのだ」
「任せてください、パーシーお姉ちゃん!」
気合十二分の妹に、パーシヴァリーは思わず頬を緩めた。
「それからフレイ。其方もこのまま私たちに付き従うのだ。敵は直ぐにでもこの店とユージスの店に兵を送り込んでくる。その前に逃げるのだ」
「はい、皆様の仰る通りに致します」
フレイも彼女たちの足を引っ張ってはならないと従順に従う。
「ではアプリコット。後は頼んだ」
パーシヴァリーはそう言うと、目を閉じ一言だけ呟いた。
「聖騎士スキル、〈献身代〉」
スキルを完全解放させた彼女がトランス状態に入る。
「パーシーお姉ちゃん、安心してユージスさんを守ってください!」
アプリコットは意識を手放したパーシヴァリーを背負い、フレイの手を握った。
「さあフレイさん、行きましょう!」
「はい、アプリコット様」
こうしてアプリコットは二人を連れて、高級料亭ぺリア・ロ・サイモンへと移動を開始した。
領城の最上階にある執務室。
そこにはがくがくと震えるユージスの姿があった。
彼は今、三人の実力者の視線を一身に浴びており、その重圧で完全に委縮している。
「ユージス。お前、トモカズと通じているな?」
開口一番、ドミナンテが核心を突いた。
「父上、駆け引きなどしないのですね」
「そんなものは面倒だ。拷問に掛ければ話は早い」
拷問と聞いてユージスは身震いを起こす。
しかしここで弁解しなければ待つのは悲惨な未来であり、それを回避するため何とか言葉を絞り出した。
「……わ、私はそのような者とは関っておりません……」
ヘルムーツェンの手が剣の柄に添えられる。
「嘘だな」
「……う、嘘ではありません……」
ユージスは必死に否定した。
しかしヘルム―ツェンは、呼吸、目の動きで嘘を付いていると看破する。
「虚偽の発言をする度にお前の四肢を斬り取っていく。先ずは手首だ。キャロライン、失血死しないよう血を止めろ」
「……うん……」
キャロラインが頷いたと同時に、超高速の斬撃がユージスに放たれた。
「ひぃっ!?」
もうダメだ、と彼は目を瞑って身を縮こませる。
――ガキン――
刹那、ユージスの体が光に包み込まれ凶撃を弾き飛ばした。
「何だと!!?」
ヘルムーツェンの目が大きく見開かれる。
ドミナンテとデウストも何事かと驚愕した。
「えっ!? えっ!?」
当のユージスも訳が分からず混乱する。
「……貴様……何をした……」
ヘルムーツェンは目を顰め、光に包まれるユージスを隅々まで観察した。
「……」
そして直ぐに決断を下す。
「ドミナンテ、拷問は止めだ。今すぐこいつを殺す」
「お前がそう言うのなら仕方あるまい……」
ヘルムーツェンは了承を得ると、体中から殺気を放った。
「死ね」
言葉と共に、神速の斬撃がユージスに迫る。
「ぬっ!!?」
が、何を思ったのかヘルムーツェンは攻撃を中断した。
なぜならば、ユージスに更なる変化が生じたからだ。
彼の栗色の髪が銀色に染まっており、瞳までもが銀色に輝いていた。
変わったのは外見だけではない。
先ほどのビクついた態度が完全に消え、強者だけが持つ威圧が放たれていた。
そしてユージスの口からは、威厳を纏う声音が発せられる。
「なるほど。水色の髪の男、其方がヘルムーツェンか」
「なに!?」
言葉遣いが極端に変わった事で、ヘルムーツェンは驚嘆すると同時に警戒感を強めた。
「そしてそこの男がドミナンテ。若い方が長男のデウストと言ったところだな」
三人は直ぐに理解する。
目の前のユージスは全くの別人であると。
「貴様……何者だ……」
ヘルムーツェンの問いかけに、ユージスは平然と答えた。
「私か? 私はパーシヴァリー。其方たちには【銀髪の戦乙女】と言った方が通じるか」




