縁
「そう言えばさ、環この話知っている?」
突然琴音が切り出す。
不思議に思った私は小首を傾げる。
「大学時代の話よ。環が一条くんを振ったあと、他の女の子たちが一斉に声を掛けたんだけど、彼は誰のことも相手にしなかったらしいよ。誰にも好意が沸かなかったんだって。それで元気がないまま過ごしていて、そのことを知った高校の監督さんに誘われて食事に行ったのよ」
知らない話だった‼
当時の私は破局して2日後には合コンで知り合って別れるきっかけとなった男性と付き合い始めていたし、もう司のことは眼中になかったから……。
「でも、なんでそんな話を琴音が知っているの?」
と訊くと、はぁーと小さく息を吐いて私の知らなかった裏話の続きを語る。
「当時の私は『稔りの里』でアルバイトしていたでしょ?そこに環と別れて2カ月くらいの猫背気味になっていた一条くんが高校の監督さんと来店して弱音を吐いていたのよ。他にもう1人一条くんの友達?だと思われる人もいてね」
意外だった……。あの司が落ち込んで、誰かに弱音を吐いていたなんて……。
「私が注文取ったわけじゃなかったから、存在には気づかれなかったと思うけど、従業員たちはそわそわしていたよ。『あの人って、甲子園で活躍していた一条司と風斂高校野球部の福山監督じゃない?』って」
当時の司の人気を思えば、彼がどこに出掛けたとしても必ず気付く人はいたと思し、琴音が遭遇したような状況がそこかしこで起こっていたのだと思う。
「それで何を話していたの?」
もう20年も前のことだったが、急に興味が湧いてしまった……。
「縁がないと思えって監督さんに言われていたよ」
「え‼そ、それだけ⁉」
あまりにシンプルな回答に驚きを隠せなかった。
「それだけってことはないと思うけど、そう言っているのは聞こえた。隣の客室の注文取っているときに聞こえてきたのはそれだった」
「それに対して司はなんて返したの?」
「『縁ですかぁ』って」
「だけど、こうも言われていたな。『野球も恋愛も努力したからといって報われるものではないだろ』って」
昔は流行らなかった作品が数十年後に脚光を浴びるなんてことも珍しい話ではない。
その時代には合っていなかっただけだ。そういうのも言ってしまえば『縁』がなかったで片付く話だし、恋愛にも似た要素はあるのかもしれない。
「そう……なんだ」
絞り出すようにそう返すことで精一杯だった。
私が彼と付き合い始めた当時、彼の生活の中心には野球があって、誰もが当たり前のようにする食事も睡眠も野球のトレーニングの一環であるように見えていたので、デートで食事に行っても油物を避けたがったりしていた。
今思うと、それはアスリートとして当然のことであった。けれどもそうした彼のアスリート意識が私たちの交際の妨げになったわけでもないし、私にまで強いてくるような言動があるわけでもなかったので、彼に落ち度はなかった。
ただ単に、私の気移りだった……。
そんな私の気移りで別れたにも関わらず1度も私を非難することはなかったが、その代わりなのか、以降は1度も言葉を交わさなかった。
「他の女の子たちが一条くんを振るなんて『もったいなーい』って言っていたけど、一度も後悔したことないの?」
なかったわけではない……。
でも、過去を振り返ったところでどうにもならないし、当時の私の決断が正しかったのだと思える、そんな生き方をすることで後悔を生まないようにしようと、節目節目では慎重に決断を下してきたつもりだ。
「ないよ。一度もね」
嘘だったが、別に誰も傷つけることにはならないと思ったので、特に気にせずそう言った。
「そう。強いね、環は」
「そんなことないよ。私だって毎日精一杯だよ」
実際、20代後半でデキ婚して以降、自分の人生がこれまでの倍以上の速度で進んでいるような感覚になり、気付いたら今だったと思うようなことが、幾度となくあった。
「みんな、そんなもんだよ」
穏やかな口調で優香がそう言って、この話は終わった。
その後は感情を揺さぶられるような話題になることはなく、平凡な女子トークと仕事に関する話に花を咲かせ続けたが、夕方になりお開きとなって私たちはそれぞれの帰路に着く。
私は夕焼けに染まる夏空を眺めながら、自宅があるタワーマンションへと向かう。
来週には仕事で司と顔を合わせることになるのか……。
私は彼になんて言葉を掛ければいいのだろうか?いや、そもそも本人から話してこない限り触れる必要がないか。




