きっかけ
山下先輩との出会いは普通にどこにでもあるような同じ部活の先輩後輩が親しくなる一般的なそれと同じものだった。
風斂高校野球部で最後の夏に全国制覇を成し遂げ、プロか大学かと進路について騒がれていたが俺の心は大学一本に決まっていた。
自分が高校生になった当初、球速は良くて130キロ程度で身体も細く目立った実績もなかった。
偶然俺の投球を観ていた監督の福山さんが、線は細いが手足が長く貴重なサウスポーだということだけでスカウトしてくれ入学した。
今思うと自分の努力で手にした要素なんて何もなかった気がする……。
全く期待されていないというわけではなかったにしても、決して注目される存在ではなかったし。
だが、そんな俺の人生は3年間の間に激変し眩暈がするような日々を送ることとなった。
甲子園での活躍を受けてたくさんの大学から誘われ、その中でも昔から自分の憧れていた碩応大学への進学を決意するのにそれほど時間はかからなかった。
甲子園で活躍したからといって今の自分がプロに行っても通用するとは思えない。そう考えていた俺の進学意思は固く、最後まで変わることはなかった。
そして春がきて碩応に入学し野球部に入部、入寮した。
その寮生活の同部屋となったのが当時4年生の山下先輩だった。
甲子園での俺の活躍の影響で周囲の先輩たちから嫉妬や悪口を言われることもあったが、山下先輩は他の先輩達とは違いいつでも明るく責任感の強い頼りになる人だった。
俺が山下先輩を信頼するようになった忘れられない出来事があった。
試合が終わり寮で休んでいるときにそれは起こった。
その発言はどこまで俺のことを知ってて言ってるんだって気分になったのは今でもハッキリと覚えている。
「なあ一条、このあとメシ行くけど来る?」
とやる気なさそうに言ってきた野中先輩。
その誘いを俺は迷いなく断る。
「俺は行かないです」
俺の答えにクスクスと笑う野中先輩と他の先輩方3名。
その様子を見てやっぱり俺とは合わないなと今更ながらに思う。
「ほらね」
と言って野中先輩が他の先輩たちに目線を送り笑いを誘う。低俗な笑いの取り方で寒気がする。
この頃の俺は先輩たちの軽薄さに呆れ、大学生活に失望していた。
俺はその光景を見ていて、この人たちのこういう相手が望んでいるかどうかを考えずに、ただただからかうことだけを目的として雑に誘うところが苦手なんだよと再度思った。
だから断ってんだよ。いい加減気づけよ。いや、気づいてんのか。気づいたうえであえてこうしてるのか……。性格悪っ。
どっちにしろ低俗な人間だなと軽蔑してしまう。
「それじゃあお先に失礼します」
とだけ言ってエレベーターを待っている先輩たちを横目に階段に繋がる廊下を歩き出した。
歩いている俺の背後から誰かの存在を感じる。
誰だ?振り向くとそこにいたのは山下先輩だった。
控えの選手だけど、優しくて気が利く人望のある先輩だ。
「どうした?司。浮かない顔して何かあったか?」
山下先輩は俺の後ろ姿を見ただけで、落ち込んでいることに気づいたようだった。すごい。
「あっ、なんでもないです。ちょっと明後日の稲月大学戦のことで頭がいっぱいになってて」
そう言う俺に首を傾げて反応したあと、小さく溜息を吐いてジーっと見つめてきた。
「な、なんですか?」
「気を遣わせないようにと思って嘘を吐くな。さっきまで俺はトイレにいたからお前らの会話の一部始終が聞こえてたんだよ」
そういうことか……。この人はさっきの出来事を全て知っていたのか。
「すいませんでした。山下先輩が聞いていた通りのことが起こっただけです。でも、心配は要りません。ご覧の通りちゃんと断りましたから」
「知ってるよ。でも、トイレの鏡から見えたお前の横顔は明らかに冴えなかった。ああやってからかうの良くないよな。誰だって不愉快だろうしさ。俺から注意しとくから変わらないようなら一緒に監督のところに行って相談しよう。それでいいか?」
「はい。ありがとうございます」
野球の能力に突出した部分はないがすごい人だ。
色んなところに目を光らせて常に仲間がプレーしやすい環境になるよう気を回している。
こういう先輩が1人でもいてくれて心強いなと強く思うと同時に、俺もこうなれるように努力しようと勝手に自分に誓った。
「何かあったら言えよ。それじゃあまたな」
と言うと、山下先輩は先に階段を降りて行った。
俺はこの時期野球をするのが辛くなっていて、あんなに大好きだった野球が苦痛になり始めている。
野球は好きだ。その気持ちに偽りはないけど、気づけば人間関係が嫌で部にいるのが耐え難くなっていた。
今思い出したのは大学生活のほんのひとこまだったが、これが俺の山下先輩への敬意を強くする出来事だったのには間違いないから、久しぶりの再会でもすぐに当時の記憶が蘇ってきた。




