監督の苦悩 Part1
俺が支倉シニアの監督に就任したのは今から14年前だ。
『支倉シニアの練習は厳しい』とよく言われるが、その理由は支援団体にある。
支倉シニアはプロ野球連盟によって作られた他のシニアとは一線を隔するチームだからだ。
将来のプロ野球選手輩出を主眼に置いて創られているので、選手もその保護者たちも意識からして他の団体の人たちとは明らかに違う。
言わば、支倉シニアとはプロ野球連盟によって創られたプロ野球選手養成所のような機関なのだ。
5年くらい前までは縛られた機関だとか、時代に逆行しているだとか、子供たちの間に格差が生まれると非難され叩かれることも多かったが、それでも圧倒的な強さと数多くの選手を輩出しているといった輝かしい功績を残していく内にそうした声も止んだ。
俺が34歳で現役を引退してすぐに地元のリトルから指導者としての依頼が舞い込んできた。
当時の俺はプロの指導者への道に未練があったが、これまで自分の現役生活のために犠牲になっていた妻と2人の娘がしたかったことを優先することに決めてプロの世界から完全に離れた。
これが俺の第2の人生の大きな1歩だった。
こうして地元に戻り妻と娘たちの幸せを優先しながら3年ほど緩くリトルの指導者としての日々を過ごした。
引退して4年目を迎えたとき、今度はシニアから声が掛かった。
そのことを家族に相談すると快く挑戦しなさいと背中を押してもらえた。
そして俺は監督になった。
だが本格的に監督として選手たちを育成していく上で大きな挫折を味わうことになった。
みんながみんなプロを目指していたりするわけではなかったので、選手たちにも保護者たちにも一貫した意志を感じられなかったのだ……。
その中にもプロを目指している子供たちも少なからずいたが、彼らの為を思って熱の入った指導をしていると他の子やその保護者たちから差別なのかと言われてしまった。
なので今度は平等を心掛けた指導をするようにしていたところ、高い志を持ってプレーしていた子のモチベーションがみるみると下がっていってしまうのが見て取れた。
このときの俺は完全に迷走していた……。
結局のところ、漠然とした意志しか持たずにプレーしている彼らは学校の友達との関係性を保つために仲良しごっこの延長線上でやっているだけなのだと思った。
それともう1つ思っていたのが、選手の家庭事情がプレーに大きな影響を与えるということだ。
指導している中で才能に恵まれた選手を何人も見てきたが、その中には学校や家庭に問題を抱えていて、その悩みによって引き起こされるストレスに対処し切れず、伸び悩んだり、精彩を欠いたプレーを連発してしまったり、酷い場合には野球そのものを辞めてしまったりする選手たちもたくさんいた。
こうしたことについてはリトルのときにも思っていたが、指導者が選手の家庭事情にどれくらい踏み込んでいいのだろう?
これは指導者の力量だけでは補いきれない。
家庭環境にどう対処するか。これは中々難しい問題で、というのも俺は野球のプロではあったが家庭のプロではないから家庭環境に問題を抱えている選手のサポートの仕方がわからなかった。
家庭環境によって選手の食生活やメンタル面に影響が出ることは経験や関係者との話し合いからも明白で、それは俺が長いこと過ごしていたプロの世界で見てきた選手たちよりも顕著に現れた。
考えてみれば相手はまだまだ子供で、自分でメンタルや食生活の管理までできる子供なんてほどんどいないのが当然なのだから難しいのだ。
特に食生活と良質な睡眠はその後の選手生命を大きく左右するほど重要だと知っていた俺は、この数年間の間に子供たちの間に歴然と存在する厳しすぎる家庭環境格差を嫌というほど思い知った。




