満足してないから
「ただいまー」
「おかえり~。遅かったわね?」
と玄関まで出て来てくれた母さんに言われた。
「あ、いや、別に。帰りのバスが少し混んでただけさ」
「試合はどうだったの?」
「圧勝だったよ。11対0の4回コールド」
とVサインをして結果の報告をした。
母さんはそれでもまだ疑問が残っているような顔をしていた。
「投げたの?」
と訊いてきた。
「投げたよ。1つ四球を与えちゃってパーフェクトは逃したけど、ノーノ―は達成できた。と言っても4回コールドの参考だけどね」
「そう。お疲れ様」
と言って小さく息を吐いて胸を撫で下ろした。
お母さんはそこまで知りたかったらしい。
「ありがと。でも俺満足してないから。まだまだ満足してないから。絶対にフェニックスカップ優勝してみせる」
「意気込むのはいいけどまずはしっかり休みなさい。十分な静養を取ることも重要よ」
そっか。俺知らない間にオーバーワーク気味になってたのか……。
さっきまでねみぃとか思ってたけど帰宅して家族を前にすると強がってしまう。
でもみんな俺が家庭内で強がることなんて求めてなかったのか。
「うん。ところで父さんは?」
「今、努とお風呂に入ってるわよ」
なるほど。だから出てこないのか。
「んじゃ、姉さんは?」
「遥ならリビングで勉強してた気が……。っていいから早く荷物片づけてご飯になるまでにお風呂入りなさいよ」
「わかった」
そうして俺は片付けを済まし、それまで入っていた父さんと努と交代するように浴槽に浸かった。
ハァー気持ちいい。いい気分だわ。
浸かりながらこんなことを思っていた。
そういや久しぶりに守と組んで呼吸が合うか心配だったけど、ただの杞憂に済んでよかった。
これは投手目線の本音だが、守備面に関しては拓哉さんより守の方が上手い気がする。それはリードとかスローイングとかの面において。
決して拓哉さんが下手なわけではない。それ以上に守の守備力が洗練されているというだけのことだ。
今日の試合で途中からキャッチャーが代わってそのことを強く実感した。
でもこの先の野球人生で数多くのキャッチャーと組むことになるだろうし、誰が相手でもしっかりとベストを尽くせるピッチャーになりたい。
そう決意して浴室を出た。
洗面所から出ると、いい匂いが鼻に迫ってきた。
なんだろうこの匂い?
「おっ、あがったか昴。そろそろご飯になるってよ」
と言ってテーブルクロスを敷く父さんは上機嫌な様子だった。
「父さんさ、なんかいいことあったの?」
「あぁ、職場の上司からお土産貰ったんだよ」
「へぇ。良かったね。それってどんなの?」
「これだよ」
と言って出されたのは北海道の有名なお土産だった。
「あぁこれね。白い恋人でしょ?知ってるよ。父さんにもお土産くれるような親しい同僚が出来たんだね」
「おう。と言っても50代のおじさんからだけどな。なんでも高校時代の俺のファンだったんだと」
未だに父さんのことを覚えている人って割といるんだな。
そういえば幼稚園の頃から父さんが送迎に来たり行事に来るとサインを求めて群がってきてた人たちがいたことを思い出した。
普通に学生生活を送っていても先生とか友達のお父さんとかから父さんのサインを貰ってきてくれよと頼まれた経験はかなりある。これは姉さんもたくさん経験があるらしく辟易しているようだ。
今となっては一条家子供たちのあるあるとなっている。おそらく努にもそういう経験が多少はあると思う。
「父さんにだけくれたの?」
「いや、部署の人みんなに配ってたな」
「だよね」
「その人、野球が好きで昴のことも知ってたよ」
「えっ‼そうなの⁉」
「あぁ。昴のことやたらと訊きたがってくるけど、いつも上手くかわしてるから大丈夫だ」
「ならいいけどさ。進路とか決まっても絶対言わないでよ」
「わかってるって、ほら食べるぞ」
2階に戻っていた姉さんと努も降りてきて家族5人で明るく食卓を囲んだ。
食後の俺は元気を取り戻し、リビングで両親と一緒に監督から送られてきた今日の試合のビデオを観ていた。
昔は試合の映像を1人で観ることが多かったけど、今は努も近所の野球チームに所属してプレーするようになっていて、毎回のように俺の試合を観に来れるわけではないから、こうして試合後に監督から送られてきたビデオを俺のスマホからテレビ画面にミラーリングして試合について振り返っている。
一通り試合を観終え、感想を求めた。
「良かったと思うけど、これでも満足してないの?」
と困った顔をした母さんに言われた。
「どうしてもあの四球が頭に引っ掛かっててね」
「そう。でもその後も落ち着いて投げれてたし全体的に良かったんじゃない?」
「そうかな?ありがと」
それを側で聞いていた父さんは不思議そうな顔をしていた。
「父さん、どこかおかしな箇所あった?」
「いーや。どこも。ただ、もう1つぐらい球種があってもいいんじゃないかと思ってな。まぁこれはあくまで俺個人の見解だが、全国の強打者相手にストレートとカーブだけっていうのはいくら両方に自信があるとはいえ厳しんじゃないかなと思ってな。これについては実際に今の全国レベルを肌に感じている監督さんたちと相談して決めた方がいいだろう」
と言われた。野球を観ているときの父さんの目は真剣そのもので言葉から重みが感じられる。
「そうだね。考えてみるよ。一緒に観てくれてありがとう」
と感謝の言葉を口にして自室に向かい、布団に入った。
満足はしていない。自分でも薄々感じていた。新しい球種を覚えた方がいいのではないかと……。
それを何にするかは未定だが、覚えるならスライダーかチェンジアップになるだろう。
明日は練習休みだし誰かに試したいから相手を見つけたいのだが、拓哉さんは厳しいだろう。
準決勝、決勝は土日に連続して行われるためリード面などについて考えることで手一杯だと思うからだ。
となると候補は控え捕手の守。
すでに時刻は21時30分を過ぎていたが俺は迷わず電話した。
「はい。迫田です」
とはっきりとした声で守は電話に出てくれた。
「遅くにごめん。あのさ、頼みがあるんだけど……」




