ハイパー美少女高校生エージェント千里ちゃん
千里ちゃんは私立石ヶ丘高等学校に通う十六歳の女子高生である。さらには国家機密の特殊機関に属するエージェントでもある。
千里ちゃんの黒髪はサラリと艶やかに背中の中頃まで流れており、母親と同じ色をした瞳は見る者に海の深い青を思わせる。身長は160cm、細身で、スラリと長い手足が白魚のような白さでプラプラと揺れている。
千里ちゃんは今、自身の所属する1-2の教室で、ぼんやりと考え事をしながら授業を受けていた。
私立石ヶ丘高等学校は文武両道を信条とした有名な進学校である。故にここで教鞭を振るう教職員たちもそれは教育熱心な者たちばかりで、本来ならこのような覇気のない生徒は真っ先に指導されて然るべきなのだが、千里ちゃんに限ってはその範疇の外であるらしい。
「木野千里。どうした、惚けているのか。ちゃんと俺の授業を聞いていたのか」
白衣を着た見事な長身の男である。
それもこういう類の男にありがちな頼りなさは微塵も感じられない、広い肩幅と厚い胸板を持つ、精悍な顔立ちをした偉丈夫であった。男の名は内村慎太郎。かつては団員二百名の暴走族「地獄煉獄連合」で族長を務め上げていたほどの男で、現在は石ヶ丘高校の職員の一人である。
その男がいま、独特の冷たさを宿した声音で自身の生徒に注意を促した。
「聞いてませんでした」
千里ちゃんは素直に答えた。
「そ、そうか」
内村教諭はキョドりながらも何とかそれだけ言って黒板へ向き直った。
「(木野と話しちまったッ!!)」
内村教諭はかつて、いち暴走族の団員だったころ、暴走族同士の抗争で先頭を切って突撃し、敵の大将を簀巻きにしてバイクに括り付け、街中をパトカー16台に追われながら走り回ったことがある。
教諭はその一件によってときの族長からクレイジーさを買われ、荒くれ二百名の頂点に君臨したのだ。
台頭式が終わり、初めて自身の指示で二百人隊列を組み、その先頭を走った夜のことは、今でも教諭の脳裏に思い出深く焼き付いている。
「(俺の授業聞いてない木野クソかわえぇ!!)」
そのときを超える人生最良の瞬間が今だと、内村教諭は深く確信していた。
「キノちゃーん。カラオケいこうぜー」
キノ⤵︎ではない。キノ⤴︎である。
そうやってチャラチャラのチャラッチャラで声をかけたのは茶髪に金メッシュを入れた男だった。
少年の名は田嶋仁。二年留年して今年十八になる千里ちゃんのクラスメイトである。
「ごめん。部活があるから」
「またまた〜。キノちゃん部活入ってないじゃん」
「えっ」
千里ちゃんは深く傷ついた顔をした。
「あ、あれ? どしたの? オレなんか変なこと言っちゃった?」
途端に田嶋はオロオロと狼狽しだし、助けを求めようと周囲を見渡した。しかし、クラスメイトは明らかな批難のこもった目で彼を見ていたのである。
「(事情はわからないけど木野さんが可哀想)」
「(何があったか知らないけど田嶋が悪いに決まってる)」
「(もしかして木野って田嶋と同じ部活なんじゃね?)」
「(田嶋がそれ気づいてないってこと?)」
「(うわっ、だとしたら田嶋最低だな)」
「(本人に直接存在感ないって言ってるようなもんだしね)」
「(死ねよ留年チャラ男野郎)」
田嶋は衝撃を受けた。
以前から気になっていた同じクラスの木野千里が、実は自分と同じ部活動だったことに。
「(あれ。でも俺、帰宅部なんだけど…)」
しかし、あの木野千里にあんな顔をさせてしまったのだ。きっと何か知らない内に、寝ぼけでもして入部してしまったのだろう。思い出さなければ。
「うう〜ん。いったいオレは何部なんだ?」
「じゃ、帰るから」
「あ、うん。お疲れー」
千里ちゃんは下校した。
千里ちゃんは音痴であった。故に田嶋を混乱させ、わざと悲壮感を出し、周囲を味方につけ、思惑通りに誘いを有耶無耶にしたのだ。
今日も頭脳プレーが光る千里ちゃんであった。
下校の最中、ふと立ち寄ったコンビニで漫画雑誌を立ち読みする千里ちゃん。
真剣な顔で一コマ一コマに集中していると、スカートのポケットから着信音が流れてきた。
千里ちゃんは明らさまに嫌そうな顔をして、10コールほど待ったのちに観念して通話ボタンを押した。
飾り気のないスマホの画面に映し出されていたのは非通知の文字だった。
「はい」
『東堂だ』
甲高い合成音声でそう名乗ったのは、千里ちゃんが所属する特殊機関『平和と安心』の幹部、東堂であった。
千里ちゃんはこの人物のことを何も知らない。本名も(偽名であろうと千里ちゃんは考えている)姿形も、性別さえ。
「どうしたんですか、東堂ちゃん」
『東堂ちゃんはよせと言っているだろう』
「だって、もし東堂ちゃんが歳下の女の子だったら…」
『阿呆が。そんな訳ないだろう』
「で、ご用件は何でしょう」
『相変わらず腹立たしい奴だ。コールナンーー』
ピッ。
千里ちゃんは通話を終了させた。
阿呆だの腹立たしいだの、失礼なことを言われてこちらも腹が立ったのである。
気が削がれてしまった。
漫画雑誌を棚に戻し、コンビニを出たところで再び着信があった。
「はい」
今度は15コールでとった。
『東堂だ』
「えっ? だれ?」
『…………』
「切りますよ?」
『……東堂ちゃんだ』
「なんだ、東堂ちゃんですか。初めからそう言えばいいのに」
『くっ…』
東堂は悔しそうに呻いたあと、本題に入った。
『コールNo.0966に極秘任務の遂行を命じる』
この世には、一般には秘匿された特殊な力が確かに存在している。
霊感、魔法、超能力……捉え方は人によって様々だが、特殊機関『平和と安心』はそれらを総称して『アブノーマル・フォース(Abnormal force)』略してAFと呼んでいた。
千里ちゃんは機関のエージェントとして、日々そういった特殊な力を持つ者たちと戦っているのである。
「それで、対象のアブフォはどんななんですか?」
『……AFで統一しろ』
「だってAFってア○ルファックの略だってネットで…」
『くそ! もうやめたい! この女の担当やめたい!』
東堂が説明するには、今回の対象はまだ幼い少年だという。
『名前は三島健。市立丹田島小学校に通う小学三年。AFが暴走したのだろう、念動力を使って住宅街の破壊活動を行っている。偵察班によると対象の念動力はかなり強力らしい。現在はランク1から2のエージェントたちが周囲の民間人の避難活動を行っている。至急現場へ向かってくれ』
どうやら、悠長に構えている時間はなさそうだ。
千里ちゃんは一転して真剣な顔つきになった。
「わかりました。地図はライーンで送って下さい」
『……機関の開発した特殊タブレットはどうした。地図なら他のデータと共にそちらへ送った』
「? ああ、教室のロッカーに入れっぱなしですね」
『お、おまえ! 機密を何だと思ってる! アレにどれだけ重要なデータが…!』
「大丈夫ですよ。ちゃんとパスワードかけてますから」
『どうせ誕生日とかなんだろう!』
「まぁ」
『あああああああ!! うわあぁぉぁあぁ!! もういやぁ! おかーさん!』
「ぜったい歳下の女の子ですよねぇ?」
結局、千里ちゃんはググールマップを駆使して現場へと急行した。
現場は夕暮れの住宅地の真っ只中にあった。
平時であれば夕飯の買い物から帰る主婦やランドセルを背負った子供達が穏やかな日常の一幕を過ごしているはずの、オレンジ色に照らされた路地の一角。keep outのビニールテープが貼られ、野次馬たちがその前に集まっている。そしてその奥には破壊された幾つかの民家に散乱した瓦礫。
一帯には先ほどから断続して建物の倒壊する音が鳴り響いている。
千里ちゃんは一切の躊躇なく野次馬を押し退けてビニールテープを搔い潜った。
「おい待て! そこのセーラー服の! 石ヶ丘の制服の子!」
「わたしじゃないですね」
千里ちゃんがスタスタと歩いて行く。
「いや君だ! 君以外にいないだろう! 待ちなさい!」
駆け寄ってきたのは若い警察官であった。
見渡せば、ビニールテープの内側には少なくない数の警官たちが周囲を警戒して、何やら無線機で連絡を取り合っている。
千里ちゃんは面倒そうに口を開いた。
「わたしは特殊機関『平和と安心』のコールNo.099……8? です。この先に用があります」
正確にはコールNo.0966なのだが、そんなことは千里ちゃんにとって些事なのである。さらに言えば『平和と安心』は表向きにはごく普通の民間の福祉団体として活動しているので、このような場で特殊機関などと説明するのは大変な規則違反であるのだが、そんな決まり事も特にどうということはないのである。
「君ねぇ…」
しかし相手はいち巡査。もちろん特殊機関だの何だと言われても分かるわけがない。
「馬鹿なことを言ってないで、とにかくこの先は危険だから戻りなさい。さっきも君くらいの歳の子が来てね、YouTobeにアップするから撮影許可をくれだとさ……まったく、最近の子は節操ってものがないよ」
「…………」
若い警察官は目の前の夢見がちな少女(千里ちゃんのことである)に説教を始めた。歳の頃は二十五ほどか。仕事にも慣れ、社会人としての自信もついてきたころだろう。
上司から昔言われた言葉を引用して、得意になって語っている。
千里ちゃんは思った。
「(そうだ。帰ろう)」
これはサボる為の良い口実になる。何故なら悪いのはこのような下っ端にうまく根回しをしていなかった東堂の方なのだから。
千里ちゃんは一応、その旨をライーンで東堂へと伝え、再びビニールテープの外側へと戻ろうとした。
「あっ、待ちなさい君! まだ話は終わってーーあ、はい、こちら宮田巡査。え? け、警視庁長官から直接でございますか!? そ、そんな、私は何も……は、はい。お繋ぎください」
千里ちゃんの頭の中は帰ってから何をするかでいっぱいだ。
お気に入りの漫画本を読み返そうか、音楽を聴きながらうたた寝をするのも良い。そうだ、コンビニでコーラとスナック菓子を買おう。それと夕飯用に適当な弁当でも見繕ってーー
そうやって、どうやって家でダラダラするかをうんうんと考えていると、背後から裏返った声で「君! 君!」と必死に誰かを呼ぶ、先ほどの警官の声が聞こえてきた。
千里ちゃんは心当たりがなかったので、早足になってビニールテープへと向かった。
「まて! まってくれ! 本官が悪かった! 悪かったです!」
いやいや振り返ると、そこには顔を真っ青にした若い警察官の姿があった。
「大変な失礼を致しましたッ! お通り下さい!」
大音量でそう言うものだから、周囲の他の警官や、野次馬たちさえも千里ちゃんに釘付けである。これではおちおち家に帰ることも出来ないだろう。
大方、東堂が半狂乱で会長に泣きついた結果だろうと、千里ちゃんは残念そうに一つ息を吐き、再び瓦礫が飛び散る現場の、奥へ奥へと向かって行った。
三島少年は混乱していた。
己の内から発せられる力場のようなものが、周囲の建物を次々と破壊していくのだ。
発端は母に頬を張られたことだった。
原因は三島少年が調理中のフライパンを故意にひっくり返したから。
小学校で流行っているカードのパックを母に強請ったところ、素気無く断られたので短気を起こしてしまったのだ。
熱せられたフライパンである。下手をすれば息子は酷い火傷を負っていただろう。三島少年を想っているからこそ、咄嗟に出た母の平手であった。
しかし、それがきっかけとなり三島少年のAFは暴走してしまった。
少年が産まれながらに持つ特別な力は存分に振るわれ、左右から圧し潰すような強い力で、小さな一軒家である三島宅とそのご近所は敢え無く崩壊することとなった。
不幸中の幸いとして、ご近所が総じて留守だったこと、通行人にも怪我人が出なかったことなど、人的被害が全くのゼロだったことが挙げられる。
純粋な不幸としては、いま、三島少年と母親の命が風前の灯火であるということか。崩れた瓦礫が四方から二人の上にのしかかっている。いや、正確に言えば二人を囲うように展開された半円の力場に、である。
皮肉なことに、二人をこの危機的状況に陥らせた念動力は二人の命を救ってもいた。
「け、健……これ、あんたがやってんの…?」
「わ、わかんない」
少年は十歳の児童である。
「そ、そう。とにかく、そのままにしときなさい。できる?」
母の問いかけに、三島少年は涙を浮かべながらかぶりを振った。とても出来ないと、精一杯に伝えた。
重い物を手で持ったらだんだんと腕が疲れてくるように、少年の念動力の源ともいえる部分が既に限界を迎えようとしていたのだ。
AFの使い手としては未熟者ながら、少年は己の手足の一部のようにそれがわかった。
「お、おかぁさん…」
少年は泣きながら何度も何度も母を呼んだ。決して頼ったり甘えたりしているのではなく、このようなことに巻き込んでしまったことに対しての謝罪であった。
「健…」
息子のその痛ましい姿に、母の目に悲愴な決意が宿る。
「どうしても辛くなったら、まず瓦礫はお母さんのところに落としなさい」
「おかあさん…」
「大丈夫。お母さん大人だから、大丈夫だよ」
三島少年は力場を保ち続けた。瓦礫の山に閉じ込められてから二十分は経っていた。驚くべき集中力であった。しかし、母は息子の様子から、この不思議な力がもういくばくも持たないということを感じ取っていた。
「おかあさん…」
少年は母に抱きついた。母も抱きしめ返した。一時は安定していた頭上の瓦礫が、ギシギシと呻きをあげている。
「健ーー」
瓦礫が、崩落した。
この一件は丹田島小学生念動力系AF暴走事件として秘密裏に終息がなされた。特殊機関『平和と安心』は日本の戸籍上に架空の人物を作り上げ、この男を爆弾テロの犯人として逮捕することでメディアと世間を納得させた。そしてそのテロの犠牲者として、二人の行方不明者の名が挙げられた。
三島幸代
三島健
ニュースでは瓦礫の前で泣き崩れる悲劇の夫の姿が連日報道された。そして一週間が経ち、瓦礫が撤去され、一月が経ち、メディアはリオオリンピックでの日本のメダルラッシュに夢中になっていた。
各国から訪れた多くの報道陣がリオでカメラを回した。そしてその映像の中の一つ。画面の端に、突如なにもない場所から出現するアジア人の親子の姿が発見されたのだ。
その映像は瞬く間に動画サイトを駆け回り、更にその二人は動画撮影日時の直後にリオで保護された日本人親子と瓜二つであった。
映像は広く広まってしまったが、画質は荒く、顔は殆ど潰れていてよく見えない。何とか、他人の空似で済むはずだ。
死亡したと思われていた三島親子の元へ『平和と安心』の工作員が速やかに派遣された。そして身元の保証と記憶改竄(自分たちはテロ組織によってブラジルまで拉致されたが何とか逃げ出した)を行い、親子は無事日本に帰国し、父親と感動的な再会を果たすことができた。
『なぜ一月後のブラジルまで三島親子を飛ばした。素直に瓦礫を避ければよかっただろう』
甲高い合成音声越しにでも東堂の不機嫌さが伝わってくる、そんな声音である。
しかしこれでも、つい先日までの二人の関係を鑑みれば随分とマシになったと言えるだろう。
ここ一ヶ月、千里ちゃんに対する東堂や『平和と安心』の会員たちの態度は冷え切ったものだった。それも当然、助けられるはずだった二人の命を、このAFユーザーはむざむざと取りこぼした。そう思われていたからだ。
『0966、答えろ』
「はぁ。だって瓦礫にはあの小学生の念動力がかかってたんですよ。そこに干渉するのはちょっと面倒じゃないですか」
『……だとしてもだ。ちょっと脇に二人を瞬間移動させるなり、一ヶ月後と言わずとも一時間後に瓦礫の上へ時間跳躍させたりと、お前ならやりようは何でもあっただろう』
「えー、東堂ちゃん普段から言ってたじゃないですか。軽々しく瞬間移動とか時間跳躍をするな。出てきたところを撮られたらどうするって」
『結局二つともやって、撮られたではないか!』
「だからそれは悪かったですって。一月後ならみんな事件のこと忘れてるだろうし、そのうえ地球の裏なら見つからないだろうなって思っちゃったんですよ。でもそうですよね、よく考えれば地球の反対側にも人はいるし、カメラはあるんでした」
千里ちゃんは一人納得した様子でうんうんと頷いた。
千里ちゃんが今いるのは自宅である高層マンションの一室である。そこで可愛らしいクリーム色のセミダブルベッドに寝そべりながら、大画面4k液晶テレビでリオオリンピック陸上100Mを観戦していた。
『今後はもっと考えて行動しろ。お前の代わりは幾らでもいる…とは口が裂けても言えないが、それでもいざとなれば見切りを付けるのは早いぞ、我々は』
「あ、そうだ。東堂ちゃん」
『なんだ』
ピッ。
千里ちゃんは通話を終了させた。
この一ヶ月、ちゃんと助けたにも関わらず散々責任を追及されて頭にきていたのである。千里ちゃんはその話題になるごとに「親子はオリンピックにいる」と言っていたのだが、ふざけるなと取り合って貰えなかった。千里ちゃんは憤慨していた。
「ホイ」
千里ちゃんはスマホをマナーモードにすると、ポンとソファに投げて自身はベッドへ寝そべった。時刻は午後九時。別段、明日に備えて早めに休むという訳ではない。本日は8月15日。世間の高校生は長い夏休みの真っ最中なのである。
「さて」
千里ちゃんはベッドへと仰向けになって転がると、夜更かしをする為に脇に積み重なった漫画本の一冊に手をかけた。
千里ちゃんの怠惰なるサマーはまだまだこれからなのである。
これはハイパー美少女高校生エージェントの千里ちゃんが、日々何かをしていないようで微妙にしている、そんな物語。
みな、千里ちゃんを崇めよ。