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児童文学

ブランコネーム

作者: 空見タイガ

 はじまりはやさしさだった。でも「いやになったら逃げてもよし」という説明書きで広まった、まかふしぎなそれにみなが飛びついて、しばらくして状況が変わってきたんだ。

 今日、ぼくは友達のヨシ君に貸していた本を取り返そうとした。しかしヨシ君はすでにこの世のどこにも存在しなかった。ぼくが本を貸したあとで、ヨシ君はたけし君になったんだった……そうすればぼくに本を返さなくて済むから。

 好きに名前を変えていいと言われて、最初に喜んだのは、親にへんな名前をつけられた子どもたちだった。彼らは辞書を引いて、自分に新しい名前をつけた。人生がまるっきり変わったのだとほがらかに話していた。

 次に喜んだのは、かつて悪いことをした人たちだった。新しい名前になることで本当に心を入れ替えられた気がするのだと彼らは真剣に語っていた。

 そのほかにも多くの人が喜んだ。むかしやった失敗をむしかえされたくない人、今を生きることがつらい人、自分の未来に期待できない人……みながみな名前を変えた。だけどぼくは変えなかった。

「どうして返してもらえないと分かっているのに、本を貸してしまうの?」

 学校の帰り道。ぎんた君に本を貸しているところを見たらしい、中子ちゃんがそう話しかけてきた。中子ちゃんは近所に住んでいるクラスメイトで、ぼくと同じくまだ名前を変えたことがなかった。

「よ……たけしくんだって返してくれなかったのに」

 近くにあった公園に寄って、二人でブランコに乗った。かつての公園にはもっと遊具があって、子どもたちが集まってたくさん遊んでいたらしい。でも、今の公園にはぼくと中子ちゃんしかいなかつた。

「ぼくはたけし君を怒れないよ。たけし君は何も悪いことをしていないんだから」

 中子ちゃんが地を蹴って、ブランコをこぎ始めた。ぼくは支柱と座板を結んでいる鎖を眺めていた。それは祖父の家で見た振り子時計のようだった。

「だったらヨシくんのことをおこってる?」

「うん、少し怒ってる……本を自分のものにするぐらいで、自分の名前を変えるなんて、そんなの辞書が何ページあっても足りないよ」

 足を伸ばして、まげて。中子ちゃんは鎖をしっかり握りしめながら、必死にブランコをこいでいた。お日様はそろそろかくれはじめるころなのに、まぶしそうに目を細めて、高みに昇ろう、昇ろうとがんばっていた。

「私、私は、すごくおこってる」

 遠くのお日様に話しかけるみたいな、大きな声だった。

「ヨシくんはたけしくんで、たけしくんもヨシくんなのに、それをみんな見て見ぬふりしているのは、おかしい、おかしいよ」

 つかれてきたらしい。彼女はぜいぜいと息をはいて、ゆっくりブランコをこぐようになった。

「ぼくもそう思うから、本を貸し続けることにしたんだ。ぼくはぼくで、ヨシ君もたけし君もぎんた君のことも関係ないから」

 そうなんだ、と彼女はぽつりとつぶやいた。見ると彼女の足はすでに地面につくかつかないかの位置にあって、鎖のゆれは小さくなっていた。

「私の家ね、大変なんだって。よくわからないけど、ママやパパがそう言ってる。大変だから、仕方ないから、だから、名前を変えようって。それで、だから、お別れを言いにまわりなさいって」

 それは間違いなくお別れに違いなかった。だってもう、中子ちゃんと過ごしてきた日々のことを、中子ちゃんと語りあえなくなるのだから。

 動きはもう止まっていた。空は赤くなっていて、本当に本当の最後がきた。中子ちゃんは立ち上がった。そのはずみで少しだけブランコがゆれた。彼女のあいさつはいつもと違っていた。

「さよなら」

 ブランコの鎖と振り子時計はまったく違うものだった。ぼくはそれでもいいと思った。振り子に乗って遊んでも楽しくないし、ブランコの鎖では時をはかることはできないだろう。

 ぼくは鎖をぎゅっと握った。しっかりと座板にお尻をつけて、背中を倒しながら、後ろに、後ろに、立ちあがるように、足を、前に、投げ出した。

 前に進む時、ぼくは本当に飛ぼうと思って、鎖から手を離した。ぼくはそのささいな勇気で地面に転がり、座板の側面に尻を叩かれた。手もすりむけた。血が出た。公園にはぼくしかいない。それでもいつか、いい思い出になるだろう。

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